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ギタカメとおんがく

音楽と写真の楽しさを置くサイト

100記事書いたので、始めるまでブログを好きではなかった自分の考えを振り返る

振り返り

私はブログが好きではありません、大好きなんです。

ブログを始めてから4ヶ月ぐらい経ちなんやかんやで記事数の桁が一つ変わったので、過去の第三者視点を振り返っておこうと思います。

こういった自分の考えや整えた文を書き起こすのはめんどくさいし、なによりクソ文章力がバレるので書く気がありませんでした。

でもまあ区切りがいいとこまで来たので、200記事到達した自分が見返した時楽しめるように書いてみようか、と思い至りました。

ブログにいい印象がなかった

まずはじめにブログをしていなかった側の感想としては「うさんくさいなあ」というのがブログの全てでした。嫌いとはいかないまでも。

どこか凝り固まっていて、どこか宗教くさくて。

その時思っていたことを忘れないように以下にまとめます。

雑記ブログ・ブロガーが匂わせる素人くささ

素人

ブログを始める以前はブログにまとわりつく素人くささが好みでなかった。

ブログ自体日記的な扱いが元だったと思うので仕方ないですが。

昔はネットで何かを調べている時に中途半端で完結していない情報を乗せているところ、それがブログという認識でした。 

※特化ブログは有益で細かく情報が乗っているので、ある程度の信頼というか情報コンテンツとして閲覧することが多いと思います。(おもしろ系のブログもネタコンテンツとして別枠です。)

 

特化ブログのように仕事方向の進化をしていく一方で、様々な事柄を扱う雑記ブログの存在も知りました。

こちらは本来のブログの趣旨に沿うもので趣味目的が多いように感じます。

雑記ブログでも検索すればすぐ目に映るところにあるようなエントリーは存在しており、確認して思ったのが「とっても中途半端な情報だなあ」ということです。

雑記ブログだと記事の振れ幅がありすぎて「片手間っぽくてこの人の事を信用する事ができない」となるのも一因としてありましたが、特化ブログと比べて数ある雑記ブログの内容がサイトによってピンキリだったのが一番のうさんくささの元だと思っています。

思い出してみると雑記ブログはそれぞれ記事の質が違いすぎてやや読む気が失せるのが多かったです。

雑記ブログは雑記ブログとして一括りで見ていたので、いかにそのブログが優れていたとしても評価が引っ張られていたような。

 

 

しかしブログを始めた今では、雑記ブログのいち消費者目線としての詳しさ、それでいてある程度大雑把な情報が入り口を広げる・そこへ誘導する役割として意味のあるものだと感じています。

初心者が初心者を指導する

素人

Twitter等で初めて数ヶ月から1年そこらのブロガーなる謎の肩書を持つ人達が、後進である始めたばかりのブロガーなる謎の新人に、中堅的立ち位置からアドバイスをしている人たちを見て不思議に思ったことがあります。

もちろん似たような初心者目線から言えるアドバイスもあるので構わないのですが、人によってはスゴイ玄人な言い方をしている人もいるので闇が深いな…と一歩引いてしまう。

 

まるで成虫になったセミが後から生まれたセミを指導している感じでした。
言葉を喋れるようになったばかりの赤ちゃんから、言葉の喋り方のコツを説かれている赤ちゃんをみてる気分でなんだか見てると恥ずかしい。

それはブログという界隈の広さが狭いからすぐに経験を積めてアドバイスできるのか、それとも実力者になれる確率が高いのか。

はたまたおごりからくるものなのか今も不明。

 

経験・実力は年月に比例しないとも思ってはいるのですが、さすがに2,3ヶ月でそんなに濃い経験が得られるのか?と疑問に思います。

逆にどれだけの時間を過ごしてたらいいの?と聞かれても困るので、「君が尊敬した相手なら開設1時間の人でもいいんだよ」とお茶を濁しておきます。

ブログコンサルサロン・noteなる未来ある素敵な集まり

ブログサロン

なにこれ?

存在を知覚した瞬間怪しいと思いました。

説明を見て珍妙だと受け取りました。

評判を聞いて奇矯な集まりだと感じました。

自分が古い人間なのかどうも、こういったビジネスはどうなのかな…と思ってしまい

食わず嫌いに近い感じです。

オピニオン記事の存在意義がわからない

オピニオン記事

数あるブログのスタイルの中でオピニオン記事の存在意義が分かりませんでした。

(勿論業界から見た、とか変わった体験からのみたいなのは興味深いです)

そもそもエッセイ系の読み物が苦手な私にとっては当たり前の話でした。

いってしまえばそんなのは近所のおっさんのエピソード、意見を聞いてる方が有意義です。

芸能人が本を出したり何かしらのある立場の人が、感情をかたるから面白いのであって知らない人の主張はいまいち真剣に耳を傾けられない。(あくまで私は)

個人的におもしろい考え方や、文章を書く人の意見はわくわくしますがふつーの人の意見をよんでも心躍らない。

誰もが考えつくことで誰もが反対できる意見に、価値をそこまで見出だせなかったからです。

 

たまにニュースサイトで盛り上がっているテーマを見て

「またそのテーマか?散々出尽くしてるし、もうそのテーマも休ましてあげようよ」

と思わずにはいられない事が多々ありました。

私もわくわくさんクラスタが集まってくるような文章・意見は左脳右脳ともに出てきません。

なので私はオピニオン記事を書きませんし、書けません。

 

でもよくよく見ているとそのテーマを起点として盛り上がったりどんどん広がったり、記事を書いた人は大体意見の片方に経っているので詳しい考え分かったりするので今では割りと好きなテーマです。

だからいまでこそオピニオン記事系でブログを運営している人はすごいなあと思いながらいつも読んでいます。

あとオピニオン記事はSNSなどでその人の側面を知っているとより楽しめるなと。

ブログを書いて気付いたこと

基本的にある事柄について深く考えるなら、同じ立場になることが手っ取り早いと思っています。

知らない自分のために書いている

記事

ここまでブログに好意的な姿勢ではないのに、何故今キーボードを触って文字を変換してつらつらと連ねているかですが、それは過去の自分に向けての情報だからです。

正確には過去の自分自身ではなく、過去の自分のような人のため。

音楽をまとめたり、旅行の事を書いたり、くだらない記事を量産するのも

「こんな素敵な音楽があるのか!「素敵な場所があるんだな!」「おもしろい事考えるなあw」

と限られた自分たちに向けた楽しみ・情報を提供できて、どう思うか想像すると楽しいから発信する側も気合が入るのだなと気付きました。

自分がそれを知った時の喜びを伝えることがブログ戦士の役割の一つかなと思います。

 

なので雑記ブログに対して「何が楽しいの?」という問いの答えがすこし見え隠れしたように思います。

結局のところPVをめちゃくちゃ稼ぎたいなら、多数派な人が思うであろう感情に則って記事を書けば良いのかもしれません。

でもその多数派に自分が存在しているとは思えないので、PV…まあほどほどでいいか…と今日も元気にブログを運営しています。

100記事書いても1000記事書いても初心者のまま

初心者

ブログを書き始めてある程度のエントリを投稿したものの私はブログ初心者のままです。

気持ち的にも、魅力その他スキルは当然、ブログに対しての考えもあまり変化していません。

訴求力もない、吸引力のあるダイソン文章も書けない。

記事数・PVが多くても個人的に全く面白くないブログもありますし、少なくても面白いブログがあったり。

もっと上を目指す(報酬的な面も含め)な人はなんやかんや頑張るのでしょうが殆どの人は、初心者の文章力で初心者の運営で初心者として進んで行くと思いますしそれがブログという感じもします。

 

そもそもいいブログの基準が分かりません。

実際トップブロガーやプロブロガーの方々のブログを見ても、あれもこれもと全てに感心したり興味が湧くわけでもないのです。

全然知名度のないブログを見ている方が楽しく、更新を待ち望んでいる時すらあるので

有名ブログかそうでないかは自分にとってまるで関係がないのだなとしみじみ。

そもそもブログ自体発信側・受信側共に一般層からは知名度というか、娯楽の優先度として割りと低い気がします。

たまに嫉妬羨望が入り混じった「ブロガーからブロガー」への感情を目にしますが、ブロガーになってしまったが故にいらぬストレスまで感じるのは悲しい。

 

のでいつまでも初心者として界隈に浸かりすぎないようダラダラ運営していきます。

 

 

 

でもこれから先も書いていこうと思えるのは…!

 

 

読者の皆さんがいるからです!

いつもありがとう!!

イェーイ!

100記事

 

 

 

なんて事もさして思わず、ただ自分が楽しいから書くだけです。

ちなみにブログが大好きというのも嘘です。普通です。

おわり

 

「ブログの命もおわりだよ。」

100記事

明日も頑張れブロガーたち!