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「幼女戦記」とすれ違いの生む沼

幼女戦記(6) (角川コミックス・エース)

ダキア軍での功績が評価されてしまい、再び前線に返り咲く(?)こととなったターニャ。レルゲンや部下達とのすれ違いもますます加速!

現代のサラリーマンが死に異世界の幼女として転生し、軍隊の中で成り上がっていく「幼女戦記」
あらすじにもあるが、そんな「幼女戦記」は隅から隅まで「すれ違い」の話だな、と思った。
改めて全編に横溢し、この物語を支配する「ギャップ」について。
特に目新しいことは書いてませんが。



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ギャップ

幼女戦記には多くのズレ(ディスコミュニケーション)が存在し、それがこの作品の根幹でもある、というお話。

一番わかりやすいのは、ターニャ・デクレチャフ(以下、デグ様)とその周囲の思惑との齟齬になるか。
たとえば最新5巻にある部下への演説シーン。
デグ様は慎重にさせようと部下に横槍をくれるが、部下らはそれによって気持ちを焚き付けられてしまう。
そして笑顔を見せてもそれを恐ろしいと解釈されてしまう。
行為の意図とその結果が、ことごとく異なる。

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※第十五章 ノルデンII

そもそもデグ様の中身であるおっさんは、他人の気持ちを斟酌できないタイプ。ロジカルな思考能力は長けていても、コミュニケーション能力が低い。
自覚がないのが難点だが。

にも関わらず人事課に配属され、相手の気持ちに対して斟酌無く、リストラ対象に平然とそれを告げるから結果として、逆恨みされホームから突き落とされる。
「他人の心情を斟酌できないからこそ死刑執行人のような役割に向いている」のだろうが、リストラ相手からすれば、何の感慨も斟酌もなくサバサバとクビを切るデグ様(の中身)に反感を覚えても仕方ないかもしれない。
お涙頂戴の感受性は論理的には不要でもコミュニケーションの潤滑剤にはなる。

兎にも角にも、デグ様(の中身)は、他人の感情を斟酌できないからこそ、他人の理解との間に「ギャップ」差異が生まれてしまう。
その「ギャップ」が生み出す関係性の歪みが、デグ様の奇妙で過酷な運命を決定付けて行くことになる。

異世界転生チート

約束の国 1 (星海社FICTIONS)

いわゆる「俺TUEEE」や異世界転生モノにおけるチートというのは「他の文明、文化、時間における知識を他の文明、文化、時間に持ち込むことで優位に立つ」差異を利用したもの。
これも「ギャップ」の利用と言える。

同じカルロ・ゼン「約束の国」でも、同じ人生をもう一度やり直せる(一度経験した時間を繰り返す)という設定が知識や情報(経験)というチートとして機能してるのは似た構造。

「幼女戦記」なら、デグ様の中身であるおっさんは、現代において近代教育を受け、しかもミリタリーに対して一程度の知識を持つ。
近代戦闘、航空戦力の活用や兵站の重要性。
それらの知識と経験が、現実世界における先の大戦のドイツを思わせる、転生先の帝国という国において、デグ様の存在を優位に働かせる。

しかしデグ様は優秀でも、不理解による差異「ギャップ」によって軍の内部で上手く使われてしまい、己の望む方向にはなかなか進まない。
立身出世はそれなりに捗っても、広報勤務どころか常に厳しい最前線に駆り出され戦術の要所を担う。
安全で安定した勤務を望めば望むほど、結果を出せば出すほど。
異世界転生してチートで俺TUEEEどころか、近代戦闘の知識を振るえば振るうほど状況は悪化の一途を遂げる。
チートで強ければ強いほど夢のハーレム状態が遠ざかる、逆説的な環境下。

これもまた他人の考えを斟酌できないデグ様というキャラだからこその構造、と言えるかもしれない。

戦争

幼女戦記 8 In omnia paratus

戦争とは、国と国とが相手の国の都合を斟酌せず、結果として暴力的に解決する手段であって、そういう意味でデグ様の終の住処としては実に相応しくもある。
そして残念ながら華々しく活躍すればするほど安定からは程遠いハードモードに突入して行く残念な累進難易度システムを搭載しているが故に、デグ様の望む後方勤務は、少なくとも帝国が戦争に勝利しない限り訪れない。

相手の気持ちを不理解にすれ違ったがために死んだおっさんが、神様とのやりとりで不理解を晒しすれ違い、その結果として、国と国との不理解とすれ違いにより生み出された戦争という状況下に幼女として転生させられ、マッドサイエンティストで不理解な博士にモルモットにされチートアイテムを手に入れ能力はアップデートしても環境は一層ハードモードに突入し、司令部とのすれ違いによって最前線に送られ、部下との不理解によって案外と戦場では上手く状況が転がるものの、現実の状況と思考が不一致のために状況はどこまでも悪化(?)する一方。
後方勤務、年金暮らし、そんな安穏とした生活としあわせは、まずデグ様には訪れそうにない。

機動戦士ガンダムでホワイトベースに乗るニュータイプの主人公らが、連邦軍によって派手に喧伝されたピエロとして利用された昔より、有能な部隊は軍という組織に利用されるのが世の常。
愛すべきデグ様が、あがけばあがくほどハマって行くすれ違いが産み続ける底なし沼の光景を、これからも楽しみに読みたいドSな管理人でございます。

「幼女戦記」とは、無数のすれ違いと勘違いと不理解で織り上げられたタペストリーのような物語ではないかというお話でした。