■日本人による誤解
それこそ、いろんなネットにあふれる論法を拾っては貼り付け、「中国では一日中、反日ドラマが放送されている!」と、息巻き、挙句の果てには「反日は、人民の政府に対する不満の目先を日本に向けるために中国政府が策略しているもの・・」などの作文まで登場することがあります。
実際には、中国には「反日教育」というのはありません。それは誤解です。
あるのは「歴史認識教育」というものであり、現在では「愛国心教育」というものに変化しています。現在の高校生の教科書をみると、南京大虐殺の記述はほとんど3~4行ぐらいしかありません。
■歴史認識教育の内容。
ではどうして「中国は人民に反日教育をしている!」というのが誤解であるのか説明しますと、たしかに、「歴史認識教育」には、日本帝国主義による侵略戦争のことが含まれます。
その内容は
「確かに旧帝国主義の日本は、中国を侵略し、およそ人間が考え付くであろう、ありとあらゆる残虐かつ未曾有の耐えがたい行為を中国の老若男女の同胞に対して行い、耐えがたい屈辱受けたのは事実である。」
「しかし、それは旧帝国主義日本であり、今の「日本国」とは区別しなければならない。今の日本国は、戦後、高度な民主国家を建設し、平和主義を貫き、他のどんな国よりも近代中国の発展に寄与してくれた、一衣帯水の隣国である」
「我々中日関係は過去の歴史を鏡に、未来に向けては共存共栄の精神で、永久に両国が発展する関係を継続しなければならない」
以上のような内容になります。
■その歴史認識教育を受ける側の素養の問題。
ここで、問題なのは、この歴史認識を受ける中国人民側の「資質と素養」の問題があります。
人民の資質によっては、前述部分の「旧日本軍の残虐性の記述」だけが心に残り、きざみこまれてしまう素養の中国人の数だけでも日本の総人口数をはるかに超える人数がいて、その程度の素養しかない中国人が、「反日」と言われてもしかたがない言動をしてしまう・・・
しかし、後半部分の、旧帝国主義の日本と、現在の「日本国」を明確に区別し、日本対して経緯を払い、未来志向の記述部分をちゃんと理解できる素養の中国人の数だけでも、これまた日本の総人口数よりはるかに多い人数がいるわけです。
ですから、抗日ドラマ・・・などと言われるものは、確かに実際は、日本の水戸黄門や暴れん坊将軍といった時代劇が単に再放送で垂れ流しのような形で放送されているのは事実ですが、そんなものは誰も本気でみている人はいません。
また、政府に対する不満を日本に向けるため・・・というのも滑稽で、確かに人民は中国政府や社会に多くの問題と不満がありますが、そういうものは、どんな国でも同じことであり、べつにそれが日本への反日行動で解消されるわけでも解決されるわけでもなし、それはまったくの「中国通」気取りの、実際は半可通の日本人の勝手な作文だといえます。
■反日教育ではなく、歴史認識教育の不具合の一部があるだけ。
中国では、確かに広大な大地に超多民族で13億という国情から、日本のように北は北海道から南は九州・沖縄まで、ある程度の均一レベルの教育が均等にいきわたっていることによって達成できる「平均的に高度な民族素養」というものが、中国ではありえないことから、バラバラな民族素養で、歴史認識教育において、残念ながら正しくこの教育の意義を理解できない人間が、一部いる・・・というだけのことなんです。
一部といっても、それは大陸の人口からいえば、日本の総人口数を超えているわけですから、そこに島国の日本人による反日教育だとの誤解の原因があるということになります。