中国歴代の王朝が、台湾を統治したことがあるのは真実です。元朝は澎湖に「巡検司」を設けて、台湾を管轄しました。南明政権の鄭成功はオランダ人を台湾から放逐しました。現在の大陸人も台湾人も鄭成功を「侵略者を追い払った人」として民族的英雄として描かれています。確かに鄭成功の母は日本人ですが、鄭成功は明朝の忠臣・軍人ですので、彼は国籍的に中国人でした。鄭成功がオランダ人を台湾から放逐した後、台湾を「反清復明」の拠点になったのですが、この時の台湾は明朝の領土になっていました。一方、大陸側は清朝の領土となっており、明朝と清朝が台湾海峡で対立したのです。後に南明政権が完全に滅ぶと、清朝は台湾に台湾府を設置し、台湾を福建省に属させました。清仏戦争などの教訓から、1885年、台湾に台湾省を設置しましたが、10年後、台湾は日本に奪われてしまいました。現在の台北中山堂の前に清台灣巡撫衙門旧址と書かれた碑文があります。清朝が台湾を統治したことがあるのは明白です。
1874年、琉球漁民が台湾島民と衝突事件が発生したという日本側の口実で、日本軍は台湾を侵略しました。そもそも、琉球は完全な独立海洋国家であって、日本人にとって琉球は外国の地です。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n188927
1871年に発生した宮古島島民遭難事件については、中国(当時は清朝)と琉球国の2ヶ国間で解決するのであって、日本は全く無関係です。しかし、日本は琉球を侵略したから、隣の台湾をも侵略しようと、この事件を利用して、軍を発動し、台湾を侵略したのです。
1943年11月27日に出された「カイロ宣言」の中に「日本は満洲(中国の東北地区)・台湾・澎湖列島などを中国に返還しなければならない」と明記されています。条約だけではなく、憲章・宣言・協定も国際法ですので、国際法上、台湾は中国の領土です。それで、1945年8月15日、日本は無条件降伏をした後、同年の10月25日、台湾が中国に返還され、中国が再び台湾省を設置したのです。