かつて、業界大手(貧困ビジネスに業界があるかは不明ですが)の貧困ビジネス業者として名を馳せた「ユニティー出発(たびだち)」という団体。
ちなみに貧困ビジネスというのは、
ネットカフェ、住み込み派遣、ゼロゼロ物件、無料低額宿泊所、消費者金融、およびヤミ金融などといった、経済的に困窮した社会的弱者を顧客として利益を上げる事業行為を指す。 ホームレス支援や貧困問題にとり組むNPO法人『自立生活サポートセンター・もやい』の事務局長を務める湯浅誠により提唱された概念である。
(Wikipediaより引用)
といった、要は「生活困窮者からさらに搾取しようとするビジネス」の事を指します。
とある事情からこのユニティーで生活保護を受けることになり、その実態を調査するために保護受給者として潜入生活をしていた長田龍亮(おさだ・りゅうすけ)さんという方が書いた本です。
著者の長田さんは、ユニティーが出していた(嘘の)求人に釣られてユニティーを訪れ、そこで生活保護受給を打診されるわけですが、最も多いのは路上生活をしている人に声をかけて連れてくる方法(ユニティー用語で「救済」)です。
そしてその寮では三食と寝床がついている代わりに、様々な制約を課します。具体的には、
- 就職活動の禁止
- 保護費は全額没収、貰えるお金は5000円+1日500円
- エアコンの使用は14時〜23時(真夏でも)
- 風呂の利用時間も制限あり
- 食事はレトルトものばかり
- ユニティーが経営する飲食店で働いても、月給は4万円
などなど。何か不満を口にしようものなら「また路上生活に戻りたいのか!」と脅されるため、入所者たちは我慢するしかありません。
他にも会長は搾取した保護費で豪邸を建てたり全く儲からないビジネスをしたり、役所の担当者はやる気がなかったり……。ひと通り読んでみて思いましたが、まあひどい状態だったんですね。
ここの会長が脱税で逮捕されたことがきっかけで壊滅に追い込まれたユニティーですが、それが無かったら未だに営業を続けていたのかと、そしてもしかしたら僕がここに入っていたのかもしれないと思うと、ゾッとします。
現在僕は都内にある個室シェルターで生活していますが、ここでは受給した保護費を不当に奪われるなんてことはありません。逆に、来たばかりでお金が無かった頃は食料を恵んでもらったぐらいです。
僕が貧困ビジネスに遭遇せず、一発でここに来れたことについて「運がよかった」と言われた事も何度かありますが、そもそも「搾取されない状態が当たり前」ではないか?と思います。
そういう意味でも、貧困ビジネスで弱者を搾取するようなところは1つでも減ってほしいと思います。
ただ、著書の最終章に書かれている部分には、少し共感する気持ちがあったのも事実でした。
安藤は私にこんなことを言った。
「貧困ビジネスに被害者なんていないと思うんですよ。もし劣悪な環境だったら逃げればいいんだし、寮にいる人は自分の意思で住んでいるんですよ」
他の元入所者を訪ねてみても、被害者感情を抱いている元入所者は限りなく少なくて、「向こう(ユニティー)は俺らのことを利用して、俺らだってユニティーを利用したわけでしょう。ウィンウィンだよね」などという言葉を口にする場合が多い。
「お互いに利益があった」という意味で、「ウィンウィン」と言ったり「お互いさま」などという言い方で、多くの元入所者が納得してユニティーの寮で生活していたのだ。
(中略)
救済された人からすれば、困っているところを寮へ連れて行ってくれて、飯と寝るところを与えてくれたことは確かな事実なのだ。
(中略)
ユニティーの中で私(著者)が仲良くなった知的障害を持つ20代の入所者から、「どうしても寮が出たい」という相談をされたので、ある日の夜、私はトンコ(脱走)の手助けをした。もちろん、和合(会長)にもユニティーの誰にも内緒で、私とその者の2人で極秘に進めた話だ。
それに先立って、彼が転居する場所を探さねばならなかった。
そこで、藤田氏(ユニティー訴訟の原告を支援していた藤田孝典氏)が代表を務めるほっとプラスの宿泊施設を頼ろうと連絡してみたのだが、藤田さんからは「今いっぱいなんですよね……」と言われてしまい、どうしようもなかった。
(中略)
たった1つ空きがあって入れることになったのは、池袋でホームレスの支援活動をする「てのはし」だった。同伴して、てのはしのシェルターへ行ってみたところ、大部屋に雑魚寝をする形式の施設で、既に2人の入所者がいて、その横で川の字で寝させてもらえることになった。
食事はあり合わせのものがあるが、金銭的な支給はない。連れてきた私が言うのはおかしいが、「これならユニティーの寮の方が良かったのではないか……」と、その部屋を見た第一印象で感じてしまった。
(中略)
(ユニティーでは)仮に100人のホームレスが大挙して助けを求めて来ても、どうにかしてその日のうちに受け入れることができただろう。もちろん慈善事業などやっていない。狙いは生活保護費の徴収だ。それでも、結果として、今、路上で行き場をなくした人がいれば、その人を受け入れることができる。
人助けは理屈ではないし、正論でもないのだ。いくら慈善事業であっても、たった一人を助けられないのでは、お話にならない。根底にある思惑はどうであれ、それが結果として路上にいる人達の救済になっていたのかもしれない。
(本書183〜185ページより引用)
この部分に関しては、不謹慎かもなと思いながらも一理あると思ってしまいました。僕自身、たまたまこのシェルターに空きがあったから入れたものの、満室だったらきっと断られていたでしょうし……。
以前、ツイッター上ですがとある生活保護受給者の相談に乗ることがありました。それは結局「制度上どうすることもできない問題」として収束したのですが、そこで僕は、引用した文章と同じような「無力感」に苛まれ、だからこそその後に読んだこの文章に「その通りかもなあ……」という思いを持ったのかもしれません。
もちろん、生活保護費の搾取は絶対に良くないことです。生活保護法にも違反していますし、ユニティーのやったことは許されることではありません。
しかし、「助けてもらえた」と感謝している元入所者の発言を見る度に、必要悪というかグレーゾーンというか、そういう部分で生かしておく必要も少しはあったではないか……?と思うのも、正直なところでした。
もちろん、僕が現在お世話になっている個室シェルターのように、真っ当な運営をしているところに入るのがよりベターな選択なのは間違いないと思いますが。