ライトノベルを書く!(ガガガ文庫編集部・編)
ライトノベル、と言って、どんなジャンルの本かわかるだろうか?
知らない人は恐らくまったくわからない世界だろうと思う。ライトノベルってなんだ、と。僕も、書店で働くようになるまでは、ライトノベルというものについてほとんど知らなかった。人によっては中高生時代に読むのかもしれないけど、僕はライトノベルではない小説をひたすら読んでいたので、その存在を知ることはなかったのである。
さてでは、ライトノベルとは何か、と説明しようとすると、これがすこぶる難しい。実際、ライトノベルに関わっている人ですら、ライトノベルというものの定義というのが未だに出来ていない、という状況なのである。
本作に、佐藤大という名前の、経歴を読んでもどんな人物なのかよくわからない人間が出てくるのだけど、彼がライトノベルというものをざっくり定義したものを書こうと思う。
『主に少年少女向けの、イラスト入りエンターテイメント小説』
だそうである。
余談ではあるが、この『主に少年少女向け』という言葉、僕が書店で働いている印象からすればまったくずれている、という感じがする。もちろん、うちの店は比較的航行が近くにあるので、学生も来る、来るけれども、それでもライトノベルというジャンルを買うのは、圧倒的にサラリーマンやおばさんが多い。しかも、新刊の発売日になると、おいおいそれもしかして全部種類持ってきたのか?と思うくらい、抱えるようにして持ってくるサラリーマンなんかざらにいる。大丈夫かなぁ、と憂えているのであるが。
まあそんなことはいいとして、ライトノベルである。
西尾維新という作家がいて、氏の人気シリーズである「戯言シリーズ」というのが、確か去年だかの「このライトノベルがすごい!」で総合1位になった。そこで西尾維新へのインタビュー、みたいな企画があったのであるが、そこで西尾維新は、ライトノベルというものについて語っていた。氏の考えはこうなる。
『ライトノベルはレーベルである』
どういうことかというと、ライトノベルというのは、ある決まったレーベル(電撃文庫だとか富士見ファンタジア文庫だとか)から出ているものの総称だ、というのである。何故こんなことを言ったのかと言えば、西尾維新の「戯言シリーズ」というのは、講談社ノベルスという、ライトノベルとはまるで無関係のレーベルから発売されているからである。というわけで、ライトノベルをどう捉えるかは、人によって大きく違う。
例えば、舞城王太郎をライトノベル出身だと考える人もいるし(僕はそんなことはまったくないと思っているが)、米澤穂信という作家はライトノベルの作家だと未だに認識されている気がする(僕の中では文芸を書く作家なのだけど)。
あるいは、桜庭一樹、桜坂洋、橋本紡、有川浩と言ったような、ライトノベルで活躍していた作家が、最近めざましく文芸の分野に進出するようになってきた。文芸の世界でも、様々なボーダーレスが行われているけれども、中でもこの、ライトノベル出身者がライトノベルレーベル以外で本を出版するという流れが、かなり大きな変化と言えるかもしれない。
僕が文庫の担当になった時は、今ほどにライトノベルというものが大きな流れとして存在してはいなかったように思う。もちろん、知識がなかったというのもあるけど、それでも、既存の大きなレーベルががっちりと市場を抑えていて(中でもとにかく電撃文庫は異常な強さを誇っていた)、新しいレーベルが作られるというようなことはなかった。
しかしここ一年くらいで、とにかくありとあらゆる出版社が、このライトノベルという流れに乗ろうとして、ライトノベルのレーベルを盛んに作ってきている。正確な数字を出すことはできないが、僕が文庫の担当になった時から比較して、レーベルの数だけでいうならば、1.5倍くらいになっているのではないかと思う。もちろん今のところは、それまでの勢力図を塗り替えるようなレーベルは登場していない。作ったレーベルをすぐに閉じざる終えない、という状況にもなってくるだろう。
それくらいの激戦になってきている。作り出す側も激戦ではあるが、読む側ももはやすべてに対応することなどできる状況ではなくなってしまった。売り手市場、というのだろうか、これからライトノベルという市場が、どのような変化を遂げていくのか。注目だと僕は思う。
僕自身の話をすれば、とにかくライトノベルというジャンルを読んでこなかった。書店員になってから、書店のスタッフに勧められて、時雨沢恵一の「キノの旅」を5巻まで読んだのだが、僕はあまり好きになれなかった。逆に、前出した、文芸に進出した作家の中で、桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は貫けない」や、有川浩の「塩の街」なんかは結構いいなと思った。やはり、純粋にライトノベルである、という作品とは、うまく合わないのかもしれないな、と思っていた。
しかし、本作を読んで、ちょっとライトノベルを読んでみたくなったのも事実である。本作中にも書かれていたが、ライトノベルを、文章がスカスカな読み物だと思っている人は多い。しかし、そのスカスカな文章を、ちゃんと言えば読みやすい文章を、意図して書くのはすごく難しいのである、という話があって、なるほどそれはそうかもしれないな、と思ったものである。
本作中には何人かの作家のインタビューが収録されていて、それぞれ創作のスタンスは違うのだけれども、何も考えずにダラダラ書いているわけではないのだな(失礼な話だけど、ライトノベルはそういうやり方でも書けちゃうんだろうななんて思っていた)と思ったのである。
本作に短編を寄せている乙一が語っていることだが、文芸の編集者はあまり作品に口を出してこないので不安になる。逆にライトノベルの編集者は、あれこれ口を出すので面白い、みたいなことを言っている。つまり、考えようによっては、ライトノベルの方が厳しい選別をクリアして製品になっていると考えることも出来るのである。あながちライトノベルというものをバカにはできないな、と本作を読んで感じたものである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、まあいろんな内容があるのだけれども、大雑把に言うと、乙一の短編とライトノベル作家のインタビューが収録されたもの、という感じですかね。まあ、以下にそれぞれ内容を書き出してみようと思います。
短編小説:「UTOPIA」 乙一
妖精と竜の存在する国で、ニートのような生活をしているアレクは、いつものように浜辺で釣りをしていると、倒れている少女を発見した。少女は、その国の言葉ではない言葉を話し、ニホンという国の話をした。名前は、タナカ・マリヤというようだ。言葉も徐々に覚え、アレクの家の宿屋を手伝うようになっていく。
マリヤをニホンに戻すために、アレクはマリヤを魔術師の元に連れて行くことにする。高名な魔術師でもすぐに方法はわからないが、やり方を探してみようと請け負ってくれた。
しかし、平和だったはずの国が、ある日突然混乱に見舞われる。隣の国が攻めてきたというのである。そして、この国を守ってくれるはずの魔術師が殺されたのだとも…
初めこの作品を読んだときは、ちょっとうーんって思ってしまいました。乙一らしい作品ではあるのだけど、ちょっとどうなんだろうな、と。途中の転換はすごく好きで、うまいなと思ったのだけど、最後がちょっと僕にはやりすぎだったかな、と思ってしまいました。
しかし、後にある、乙一がいかにしてこの短編を書いたのかという過程が書かれた部分があって、そこを読むと、あぁなるほど、こういうことを考えてこんな物語になったのか、とわかって、そう考えてみるとなるほど面白い話かもしれない、なんて風に思うようになりました。
インタビュー:GAGAGA INTERVIEW 小説術講義
このインタビューの章では、ライトノベルを中心に作品を発表し続ける8人の作家への、小説の書き方を中心としたインタビューとなっています。まずはその8人の名前を挙げようと思います。
賀東招二(フルメタル・パニックシリーズなど)
川上稔(終わりのクロニクルなど)
桑島由一(神様家族など)
新城カズマ(サマー/タイム/トラベラーなど)
鋼屋ジン(デモンベインシリーズなど)
山下卓(果南の地など)
清水マリコ(ゼロヨンイチロクなど)
野村美月(”文学少女”と死にたがりの道化など)
僕は正直言ってこの本を、乙一の短編のためだけに買ったので、それ以降のライトノベル云々のところは興味がなかったのですが、一応読んでみました。しかしこれが結構面白くて、というかこの部分、ライトノベルに限らず、小説を書こうと思っている人には、かなり有益な内容なんじゃないかな、と思います。
僕がとにかく読んでいて面白いなと思ったのが、賀東招二と川上稔の話ですね。
賀東招二は、ほんとに新刊が出るたびにありえないくらい売れる<フルメタル・パニック>シリーズ出しているのだけど、一番驚くのは、それほどの売れっ子でも、編集者との話し合いでストーリーが決まっていく、という部分です。というのも、例えば文芸の世界なら、売れる作家の作品なんかもう、原稿がもらえるだけで御の字みたいな世界だと思うわけで、もちろん口出ししないことはないだろうけど、あまり多くはないだろうと思うんです。その点ライトノベルという世界は、どんなに売れっ子でも、作家と編集者が二人三脚で作品を作っている。この辺の感覚というのが、いいなと思いました。
また、このインタビューの初めだったこともあるかもしれないけど、ライトノベルの作家もいろんなことを考えながら作品を書いてるんだなと、ホントそういう意味ですごく感心したし、ただ理由もなく漠然と怪物的なシリーズが出来上がったわけではないのだな、と認識を改めました。
賀東招二のインタビューの中で、先ほど指摘した「スカスカの文章」についての言及があるのだけど、そこをちょっと抜き出してみましょう。
『(前略)ライトノベル作家志望のひとたちに勘違いしないでほしい点なんですが、たしかにライトノベルは「文章スカスカでセリフばっかり」とよく言われる。でも、そういう「スイスイ読めちゃう文章」を書くのは、実はものすごく大変なんです。どうやったらスイスイ読んでもらえるか、リズムはもちろん、一ページのなかにどれぐらい余白をいれるか、といった視覚的なところまで考えなければいけない。』
なるほど、ライトノベルを書くというのは、ものすごく大変なんだな、と思ったものです。
川上稔のライトノベルを書く方法論は、これは本当にライトノベル以外の小説を書こうと思っている人にも有益なものだと思います。
川上稔という作家は、「終わりのクロニクル」という全7巻のシリーズを出しています。しかし、6巻まではすべて上下巻に分かれていて、そのそれぞれが、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」よりも長い。7巻は上下巻に分かれてないけど、総ページ数が1000ページを超えるというありえない作品で、これだけの作品を作り出すその方法が書かれています。
とにかく、書く前に詳細にプロットを作り出すようで、何度も何度もそれを繰り返す。もうこれでいいかな、と思ったところももう一回やるというのだから、もう尋常ではありません。そうやって作った「終わりのクロニクル」のプロットは、プロットだけで原稿用紙1000枚を超えたというのだから、もうありえないですよね。
8人の中でも、まずプロットを作る作家と、作らない作家と分かれているし、どちらがよりいいということはないとは思うけど、ここまでやるかというくらいの川上稔のやり方には、本当に脱帽でした。
他にも、各インタビューの中で、それぞれの作家がいろいろと面白いことを言っています。それは、小説を書く上での方法論だったり、作家としての心構えだったりいろいろだけど、とにかく広い意味で作家になろうと思っている人には、面白いかもしれません。
このインタビューの中で、もう一箇所気になったところがあったので抜き出します。山下卓とのインタビューで、死の描写についての話です。
『死を表現するにあたっては、むしろ、ひとが死んだあとに、残された周りの人間が感じる「欠落感」をきちんと表現できなければダメなんです。死んでしまったキャラがもう作品世界に存在しないということを、本当に読者が実感できないと。』
いろんなことを考えて作品を書いているのだな、と思いました。
このインタビューに挟みこむようにして、いくつか小さな企画があります。「創作のための読書案内」とか「イラストギャラリー」とか「GAGAGA的ライトノベル課外授業」とかです。
小説作成過程:「UTOPIA DOCUMENT」 乙一×望月ミツル(ガガガ文庫編集者)
これはかなり面白い企画だな、と本作を買う前にも思ったし、読んだ後はなおさらそう思ったのですが、いい企画ですね。袋とじっていうのも、まあ納得です。
どんな企画かと言えば、さっきもちょっと書いたけど、乙一が本作に寄せた短編「UTOPIA」の製作過程を載せたもので、元々乙一には、短編依頼とセットで、この製作過程も載せるという企画が提示されたのでした。
乙一という作家は、「Wordのイルカに叱られちゃう」と書いているように文章の細部にも気を遣っているようだし、また内容についても、かなり詳細にプロットを作ってから書き始めるようで、その過程がすべて(ではないと思うけど)載っているのを読むというのは、本当に面白い経験でした。
乙一という作家の中で、一つの作品が生み出され、ちゃんと完結されるまでの中身というものがなんとなくわかる気がして、これ以上この部分について内容をあれこれ書くのは難しいところなのですが、とにかく買って読んでみてください、としかいいようがないですね。
あと、本作では、イラストレーターである中央東口さんとの話し合いも載っているのだけど、このイラストを載せるということについても詳細な打ち合わせがなされているのだなと初めて実感できて、ライトノベルというメディアは、本当に面白い形式を採用しているな、と思いました。
この「UTOPIA DOCUMENT」の後にまた、「イラストギャラリー」があります。
対談:ガガガトーク
佐藤大という、前出したよくわからない人間が、三種類の対談をするみたいな企画で、まあとりあえずメンツを書いてみましょう。
対談1:佐藤大×神山健治×冲方丁
対談2:佐藤大×東裕紀×イシイジロウ
対談3:佐藤大×大槻ケンジ×劇団ひとり
もはやめんどくさいので、各人の経歴なんかは載せないけど、よく知らない人が多いですね。
対談は、まあそんなに面白いもんではないけど、劇団ひとりと大槻ケンジの奴はまあ読んでもいいかなって感じですね。
まあそんなわけで、大体こんな感じですね。本作は、乙一が好きな人、ライトノベルに限らず作家になろうとおもっている人には、結構いいと思いますよ。買って損はないでしょう。逆に、ライトノベルにはすごく興味があるけど、別に作家になりたいわけじゃないとか、乙一はそんなに好きじゃないという人が買っても面白くはないでしょうね(って当たり前ですね)。
まあそんなわけで、読んでみてください。
ガガガ文庫編集部・編「ライトノベルを書く!」
知らない人は恐らくまったくわからない世界だろうと思う。ライトノベルってなんだ、と。僕も、書店で働くようになるまでは、ライトノベルというものについてほとんど知らなかった。人によっては中高生時代に読むのかもしれないけど、僕はライトノベルではない小説をひたすら読んでいたので、その存在を知ることはなかったのである。
さてでは、ライトノベルとは何か、と説明しようとすると、これがすこぶる難しい。実際、ライトノベルに関わっている人ですら、ライトノベルというものの定義というのが未だに出来ていない、という状況なのである。
本作に、佐藤大という名前の、経歴を読んでもどんな人物なのかよくわからない人間が出てくるのだけど、彼がライトノベルというものをざっくり定義したものを書こうと思う。
『主に少年少女向けの、イラスト入りエンターテイメント小説』
だそうである。
余談ではあるが、この『主に少年少女向け』という言葉、僕が書店で働いている印象からすればまったくずれている、という感じがする。もちろん、うちの店は比較的航行が近くにあるので、学生も来る、来るけれども、それでもライトノベルというジャンルを買うのは、圧倒的にサラリーマンやおばさんが多い。しかも、新刊の発売日になると、おいおいそれもしかして全部種類持ってきたのか?と思うくらい、抱えるようにして持ってくるサラリーマンなんかざらにいる。大丈夫かなぁ、と憂えているのであるが。
まあそんなことはいいとして、ライトノベルである。
西尾維新という作家がいて、氏の人気シリーズである「戯言シリーズ」というのが、確か去年だかの「このライトノベルがすごい!」で総合1位になった。そこで西尾維新へのインタビュー、みたいな企画があったのであるが、そこで西尾維新は、ライトノベルというものについて語っていた。氏の考えはこうなる。
『ライトノベルはレーベルである』
どういうことかというと、ライトノベルというのは、ある決まったレーベル(電撃文庫だとか富士見ファンタジア文庫だとか)から出ているものの総称だ、というのである。何故こんなことを言ったのかと言えば、西尾維新の「戯言シリーズ」というのは、講談社ノベルスという、ライトノベルとはまるで無関係のレーベルから発売されているからである。というわけで、ライトノベルをどう捉えるかは、人によって大きく違う。
例えば、舞城王太郎をライトノベル出身だと考える人もいるし(僕はそんなことはまったくないと思っているが)、米澤穂信という作家はライトノベルの作家だと未だに認識されている気がする(僕の中では文芸を書く作家なのだけど)。
あるいは、桜庭一樹、桜坂洋、橋本紡、有川浩と言ったような、ライトノベルで活躍していた作家が、最近めざましく文芸の分野に進出するようになってきた。文芸の世界でも、様々なボーダーレスが行われているけれども、中でもこの、ライトノベル出身者がライトノベルレーベル以外で本を出版するという流れが、かなり大きな変化と言えるかもしれない。
僕が文庫の担当になった時は、今ほどにライトノベルというものが大きな流れとして存在してはいなかったように思う。もちろん、知識がなかったというのもあるけど、それでも、既存の大きなレーベルががっちりと市場を抑えていて(中でもとにかく電撃文庫は異常な強さを誇っていた)、新しいレーベルが作られるというようなことはなかった。
しかしここ一年くらいで、とにかくありとあらゆる出版社が、このライトノベルという流れに乗ろうとして、ライトノベルのレーベルを盛んに作ってきている。正確な数字を出すことはできないが、僕が文庫の担当になった時から比較して、レーベルの数だけでいうならば、1.5倍くらいになっているのではないかと思う。もちろん今のところは、それまでの勢力図を塗り替えるようなレーベルは登場していない。作ったレーベルをすぐに閉じざる終えない、という状況にもなってくるだろう。
それくらいの激戦になってきている。作り出す側も激戦ではあるが、読む側ももはやすべてに対応することなどできる状況ではなくなってしまった。売り手市場、というのだろうか、これからライトノベルという市場が、どのような変化を遂げていくのか。注目だと僕は思う。
僕自身の話をすれば、とにかくライトノベルというジャンルを読んでこなかった。書店員になってから、書店のスタッフに勧められて、時雨沢恵一の「キノの旅」を5巻まで読んだのだが、僕はあまり好きになれなかった。逆に、前出した、文芸に進出した作家の中で、桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は貫けない」や、有川浩の「塩の街」なんかは結構いいなと思った。やはり、純粋にライトノベルである、という作品とは、うまく合わないのかもしれないな、と思っていた。
しかし、本作を読んで、ちょっとライトノベルを読んでみたくなったのも事実である。本作中にも書かれていたが、ライトノベルを、文章がスカスカな読み物だと思っている人は多い。しかし、そのスカスカな文章を、ちゃんと言えば読みやすい文章を、意図して書くのはすごく難しいのである、という話があって、なるほどそれはそうかもしれないな、と思ったものである。
本作中には何人かの作家のインタビューが収録されていて、それぞれ創作のスタンスは違うのだけれども、何も考えずにダラダラ書いているわけではないのだな(失礼な話だけど、ライトノベルはそういうやり方でも書けちゃうんだろうななんて思っていた)と思ったのである。
本作に短編を寄せている乙一が語っていることだが、文芸の編集者はあまり作品に口を出してこないので不安になる。逆にライトノベルの編集者は、あれこれ口を出すので面白い、みたいなことを言っている。つまり、考えようによっては、ライトノベルの方が厳しい選別をクリアして製品になっていると考えることも出来るのである。あながちライトノベルというものをバカにはできないな、と本作を読んで感じたものである。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、まあいろんな内容があるのだけれども、大雑把に言うと、乙一の短編とライトノベル作家のインタビューが収録されたもの、という感じですかね。まあ、以下にそれぞれ内容を書き出してみようと思います。
短編小説:「UTOPIA」 乙一
妖精と竜の存在する国で、ニートのような生活をしているアレクは、いつものように浜辺で釣りをしていると、倒れている少女を発見した。少女は、その国の言葉ではない言葉を話し、ニホンという国の話をした。名前は、タナカ・マリヤというようだ。言葉も徐々に覚え、アレクの家の宿屋を手伝うようになっていく。
マリヤをニホンに戻すために、アレクはマリヤを魔術師の元に連れて行くことにする。高名な魔術師でもすぐに方法はわからないが、やり方を探してみようと請け負ってくれた。
しかし、平和だったはずの国が、ある日突然混乱に見舞われる。隣の国が攻めてきたというのである。そして、この国を守ってくれるはずの魔術師が殺されたのだとも…
初めこの作品を読んだときは、ちょっとうーんって思ってしまいました。乙一らしい作品ではあるのだけど、ちょっとどうなんだろうな、と。途中の転換はすごく好きで、うまいなと思ったのだけど、最後がちょっと僕にはやりすぎだったかな、と思ってしまいました。
しかし、後にある、乙一がいかにしてこの短編を書いたのかという過程が書かれた部分があって、そこを読むと、あぁなるほど、こういうことを考えてこんな物語になったのか、とわかって、そう考えてみるとなるほど面白い話かもしれない、なんて風に思うようになりました。
インタビュー:GAGAGA INTERVIEW 小説術講義
このインタビューの章では、ライトノベルを中心に作品を発表し続ける8人の作家への、小説の書き方を中心としたインタビューとなっています。まずはその8人の名前を挙げようと思います。
賀東招二(フルメタル・パニックシリーズなど)
川上稔(終わりのクロニクルなど)
桑島由一(神様家族など)
新城カズマ(サマー/タイム/トラベラーなど)
鋼屋ジン(デモンベインシリーズなど)
山下卓(果南の地など)
清水マリコ(ゼロヨンイチロクなど)
野村美月(”文学少女”と死にたがりの道化など)
僕は正直言ってこの本を、乙一の短編のためだけに買ったので、それ以降のライトノベル云々のところは興味がなかったのですが、一応読んでみました。しかしこれが結構面白くて、というかこの部分、ライトノベルに限らず、小説を書こうと思っている人には、かなり有益な内容なんじゃないかな、と思います。
僕がとにかく読んでいて面白いなと思ったのが、賀東招二と川上稔の話ですね。
賀東招二は、ほんとに新刊が出るたびにありえないくらい売れる<フルメタル・パニック>シリーズ出しているのだけど、一番驚くのは、それほどの売れっ子でも、編集者との話し合いでストーリーが決まっていく、という部分です。というのも、例えば文芸の世界なら、売れる作家の作品なんかもう、原稿がもらえるだけで御の字みたいな世界だと思うわけで、もちろん口出ししないことはないだろうけど、あまり多くはないだろうと思うんです。その点ライトノベルという世界は、どんなに売れっ子でも、作家と編集者が二人三脚で作品を作っている。この辺の感覚というのが、いいなと思いました。
また、このインタビューの初めだったこともあるかもしれないけど、ライトノベルの作家もいろんなことを考えながら作品を書いてるんだなと、ホントそういう意味ですごく感心したし、ただ理由もなく漠然と怪物的なシリーズが出来上がったわけではないのだな、と認識を改めました。
賀東招二のインタビューの中で、先ほど指摘した「スカスカの文章」についての言及があるのだけど、そこをちょっと抜き出してみましょう。
『(前略)ライトノベル作家志望のひとたちに勘違いしないでほしい点なんですが、たしかにライトノベルは「文章スカスカでセリフばっかり」とよく言われる。でも、そういう「スイスイ読めちゃう文章」を書くのは、実はものすごく大変なんです。どうやったらスイスイ読んでもらえるか、リズムはもちろん、一ページのなかにどれぐらい余白をいれるか、といった視覚的なところまで考えなければいけない。』
なるほど、ライトノベルを書くというのは、ものすごく大変なんだな、と思ったものです。
川上稔のライトノベルを書く方法論は、これは本当にライトノベル以外の小説を書こうと思っている人にも有益なものだと思います。
川上稔という作家は、「終わりのクロニクル」という全7巻のシリーズを出しています。しかし、6巻まではすべて上下巻に分かれていて、そのそれぞれが、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」よりも長い。7巻は上下巻に分かれてないけど、総ページ数が1000ページを超えるというありえない作品で、これだけの作品を作り出すその方法が書かれています。
とにかく、書く前に詳細にプロットを作り出すようで、何度も何度もそれを繰り返す。もうこれでいいかな、と思ったところももう一回やるというのだから、もう尋常ではありません。そうやって作った「終わりのクロニクル」のプロットは、プロットだけで原稿用紙1000枚を超えたというのだから、もうありえないですよね。
8人の中でも、まずプロットを作る作家と、作らない作家と分かれているし、どちらがよりいいということはないとは思うけど、ここまでやるかというくらいの川上稔のやり方には、本当に脱帽でした。
他にも、各インタビューの中で、それぞれの作家がいろいろと面白いことを言っています。それは、小説を書く上での方法論だったり、作家としての心構えだったりいろいろだけど、とにかく広い意味で作家になろうと思っている人には、面白いかもしれません。
このインタビューの中で、もう一箇所気になったところがあったので抜き出します。山下卓とのインタビューで、死の描写についての話です。
『死を表現するにあたっては、むしろ、ひとが死んだあとに、残された周りの人間が感じる「欠落感」をきちんと表現できなければダメなんです。死んでしまったキャラがもう作品世界に存在しないということを、本当に読者が実感できないと。』
いろんなことを考えて作品を書いているのだな、と思いました。
このインタビューに挟みこむようにして、いくつか小さな企画があります。「創作のための読書案内」とか「イラストギャラリー」とか「GAGAGA的ライトノベル課外授業」とかです。
小説作成過程:「UTOPIA DOCUMENT」 乙一×望月ミツル(ガガガ文庫編集者)
これはかなり面白い企画だな、と本作を買う前にも思ったし、読んだ後はなおさらそう思ったのですが、いい企画ですね。袋とじっていうのも、まあ納得です。
どんな企画かと言えば、さっきもちょっと書いたけど、乙一が本作に寄せた短編「UTOPIA」の製作過程を載せたもので、元々乙一には、短編依頼とセットで、この製作過程も載せるという企画が提示されたのでした。
乙一という作家は、「Wordのイルカに叱られちゃう」と書いているように文章の細部にも気を遣っているようだし、また内容についても、かなり詳細にプロットを作ってから書き始めるようで、その過程がすべて(ではないと思うけど)載っているのを読むというのは、本当に面白い経験でした。
乙一という作家の中で、一つの作品が生み出され、ちゃんと完結されるまでの中身というものがなんとなくわかる気がして、これ以上この部分について内容をあれこれ書くのは難しいところなのですが、とにかく買って読んでみてください、としかいいようがないですね。
あと、本作では、イラストレーターである中央東口さんとの話し合いも載っているのだけど、このイラストを載せるということについても詳細な打ち合わせがなされているのだなと初めて実感できて、ライトノベルというメディアは、本当に面白い形式を採用しているな、と思いました。
この「UTOPIA DOCUMENT」の後にまた、「イラストギャラリー」があります。
対談:ガガガトーク
佐藤大という、前出したよくわからない人間が、三種類の対談をするみたいな企画で、まあとりあえずメンツを書いてみましょう。
対談1:佐藤大×神山健治×冲方丁
対談2:佐藤大×東裕紀×イシイジロウ
対談3:佐藤大×大槻ケンジ×劇団ひとり
もはやめんどくさいので、各人の経歴なんかは載せないけど、よく知らない人が多いですね。
対談は、まあそんなに面白いもんではないけど、劇団ひとりと大槻ケンジの奴はまあ読んでもいいかなって感じですね。
まあそんなわけで、大体こんな感じですね。本作は、乙一が好きな人、ライトノベルに限らず作家になろうとおもっている人には、結構いいと思いますよ。買って損はないでしょう。逆に、ライトノベルにはすごく興味があるけど、別に作家になりたいわけじゃないとか、乙一はそんなに好きじゃないという人が買っても面白くはないでしょうね(って当たり前ですね)。
まあそんなわけで、読んでみてください。
ガガガ文庫編集部・編「ライトノベルを書く!」
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ムック本がどこにあるか、ということよりもやはり書店では、内容によって分類されるので、書店のスタッフに素直に聞かれるのが一番だと思います。可能性としては、雑誌のコーナーか、あるいはライトノベルのコーナーにあるかと思います。
さくらみかんさんの小説を僕は読んでいないのですが(本当にすみません)、小説を書くことが出来るというのは本当にすごいことだと僕は思います。僕も一度チャレンジしたことがあるのですが、それはもうひどいものが出来上がりました。それ以来、小説を書いてみたことはありません。
やはり、プロットを作るというところが僕は苦手なんだと思います。なんか、プロットを作ってから小説を書くと、先がわかっているわけで、書いていてつまらなくなってしまうのですね。かといって、プロットを作らずに小説を書けるかと言えばそんなこともないので、まあ僕は小説書きには向いていないということなのだと思います。
小説の書き方的な本で割と定評があるのが、
ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」朝日文庫
というものです。これは、「ライトノベルを書く!」の中でも、賀東招二という作家が勧めていた本で、僕は持っているのですがまだ読んではいません。小説の書き方的な本でかなり定番のものらしいので、こちらも探してみてはいかがでしょうか?
これからも頑張ってください。
さくらみかんさんの小説を僕は読んでいないのですが(本当にすみません)、小説を書くことが出来るというのは本当にすごいことだと僕は思います。僕も一度チャレンジしたことがあるのですが、それはもうひどいものが出来上がりました。それ以来、小説を書いてみたことはありません。
やはり、プロットを作るというところが僕は苦手なんだと思います。なんか、プロットを作ってから小説を書くと、先がわかっているわけで、書いていてつまらなくなってしまうのですね。かといって、プロットを作らずに小説を書けるかと言えばそんなこともないので、まあ僕は小説書きには向いていないということなのだと思います。
小説の書き方的な本で割と定評があるのが、
ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」朝日文庫
というものです。これは、「ライトノベルを書く!」の中でも、賀東招二という作家が勧めていた本で、僕は持っているのですがまだ読んではいません。小説の書き方的な本でかなり定番のものらしいので、こちらも探してみてはいかがでしょうか?
これからも頑張ってください。
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神様家族
『神様家族』は桑島由一によるライトノベル作品。メディアファクトリー・MF文庫Jより刊行。また、同作品を原作にした漫画、アニメーション作品。
小説作法は読んだ方が良いという人に、それぞれのスタイルだから知らないほうが良いという人にいろいろですが、わたしは読んで実践して、いいものは取り入れてきたのでぜひにも読んでみたところです。
わたしもプロットは膨大になりますね。
大まかにプロローグからエピローグまでつくり、それから各章を。各章の中の視点の変更ごとのプロット。と段階的に作っていきます。
それに付随して資料などが収集されていくので、今書いている「アナザリージョン」もプロットと資料だけで原稿換算したらやっぱり400枚とか500枚いくんじゃないかなと思います。
実は小説書くことよりも、プロット作りが一番楽しかったりします。ゼロから世界が見えてくる感覚が。
ぜひ読んでよりよい小説書きになれればと思います。