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zoom RSS 「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話

<<   作成日時 : 2017/05/25 00:10   >>

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歴史上の民族としての「ケルト」と、近代に作り出された「ケルト的なもの」の間には、深い溝がある。多くの人が持っているイメージは商業的な、そして近代のナショナリズムが生み出した「ケルト的な」幻想に過ぎない。

――という話はわりと昔から言われていたのだが、最近の研究を久し振りに読み返してみたら、まさかの展開になっていた。

 「そもそも島のケルトはケルトじゃない」
 「中世以降のケルトは自称してるだけだった」


なんとアイルランドもウェールズも「ケルトを自称する別の何か」でケルト人の子孫じゃなかったのだ。

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【旧来説】

 ・ケルト人はローマに大陸から追い払われて島の片隅にしか残らなかった
 ・ケルト人が移住していったから製鉄技術が広まった
 ・「島のケルト」と「大陸のケルト」は少し違うものとして扱われる

このあたりは知ってる人も多いだろうし、いま日本で出版されている多くの本はこれを書いていると思う。
だが、この「少し違う」の部分をつっこんで調べてみたら、ここ10年くらいで物凄い勢いで説が書き換えられていた。



【最近の研究】

(1)ハルシュタット文化やラ・テーヌ文化(ケルト人の文化とされる)の伝播に人の入れ替わりは存在せず移住を伴わない

(2)ケルト人が製鉄技術を広めたことになっていたが、製鉄の伝播とケルト人の分布は合ってない。とりあえずブルターニュとブリテン島への製鉄技術の伝播はケルト人の文化の伝播と時期がずれている

(3)遺伝子調査してみたら大陸側のケルト人が島に渡った痕跡が無かった

(4)「ケルト語圏」と「ケルト人」の行動範囲が一部しか重ならない

 ↓ ↓ ↓

「ケルト人」が住んだのは大陸側のみ。
つまり「島のケルト」は存在しなかった


後に書くように「ケルト語圏」と実際のケルト人の居住範囲が別モノなので、そもそも「ケルト」という言葉で呼ぶのが相応しいかまで議論される羽目になっている。
少なくとも、かつて「大陸のケルト」「島のケルト」と呼ばれていた呼び方が正しくないことは確定している。「大陸のケルト」をケルトと呼ぶなら、民族の違う島側は、影響は受けているかもしれないが"別の何か"なのだ。


【前提条件】

■古代ケルト/歴史ケルト【本来のケルト】 紀元前5世紀〜紀元後1世紀

■中世ケルト/復興ケルト【自称ケルト】 16世紀〜


"ケルト"は、ローマが記録した呼称にあるケルタエ(またはケルトイ)が元になった名称だ。ケルタエとガリアが同一または関連するものとして記述されているため、多くの場合、ケルトとガリアは同じものとして扱われる。ローマの記録するケルト人は、紀元前5世紀頃から紀元後1世紀にかけて存在し、その後はローマと同化して歴史記録としては消滅する。

そのため、確実に"ケルト"と言える存在(ケルトと呼ぶのが妥当という意味でも)がいるのは紀元前5世紀〜紀元後1世紀のみ。それ以前の実体は不明で、果たしてケルトという自称があったのか、どのくらいの範囲に住んでいたのかは良く分かっていない。また、記録から消えた以降はエトルリア人などと同じくローマ人の一部になってしまう。

これに対して、現在ケルトと言われているものは、中世(16世紀)以降に自称し始めた中世ケルトであり、古代のケルトとは実は関係があるかどうか不明なままなし崩しに許容され続けてきた。(!) 「幻の民ケルト人」というイメージを作り上げ、アイルランドなどが「われわれは追われたケルト人の生き残りだ」と自称し始めたのが中世以降のケルトだが、伝統は断絶しており、実は古代から繋がっている証拠はなかった。
そして近年の考古学調査や遺伝子調査などの蓄積により「ほぼ無関係じゃんこれ…」と判明してきたのが、今回の話の発端となっている。



【概要】

まず一つの大きなポイントが、「文化や言語が広まるのに人の入れ替わりは発生する必要がない」という点である。

ラ・テーヌ文化はケルト人の文化、という看板を背負っているが、この文化が広まった地域の人骨を調べてみたら、広まる前と後で特徴に差異が無い。つまり、文化は齎されたが人が入れ替わったわけではない。支配者か入れ替わっただけとか、より優れた文化が伝播してきたので受け入れたとかいうパターンである。

また、かつては ケルト語圏=かつてケルト人の住んだ地域 という認識だったが、実際にケルト人が住んだ証拠があるのは大陸側のみで、島側にはない。文化や言語は、無関係な近隣にも伝播していくものだからである。

これは例えば、「日本に中国から多くの文化が伝わってきたけど中国人が移住してきたわけではない」「同じ漢字や似た単語を使用していても血縁関係としては遠い」ということと同じである。中国を大陸ケルト、日本を島のケルトとして考えてみてほしい。日本には中国を参考にして作られた遺跡や文化が沢山ある。…が、実際は別モノとして扱うのが妥当なものである。


確実なケルト人の居住と移動は、下図の様になる。

画像


イタリアに侵入してローマに「あのクソ蛮族がああ!」とか言われたり、アナトリアに行ってガラティア人になったりした連中がケルト人。
見てわかるとおり、島側は全然関係ない。

そしてその後、遺伝子調査でも「ケルト人は島に渡ってない」ということが証明されてしまうのである…。



では「ブリテン島のケルト」とか「アイルランドのケルト」と言われていたものや、ケルト語とは何なのか。
「文化や言語が広まるのに人の入れ替わりは発生する必要がない」、この重要ポイントを再度強調する。つまり人が移動しなくても、言語や文化だけ伝わる可能性があるのだ。

まだ明確な結論は出ていないが、現時点での推測として以下のようなルートが考えられる。

 ・【史実/証拠あり】ブリテン島とガリアの間には親密な関係があり、交易も盛んだった(少数の移住者はあった可能性あり)
 ・【ほぼ確定】ブリテン島側が大陸ケルトの文化を受容する
 ・【推測】ケルト人ではない人々がケルトの文化に類似したものを持ってブリテン島からアイルランドへ移住
 ・【推測】人口密度の低かったアイルランドにケルト文化の一部が入る
  ↓
 今に至る

これは、ブリテン島には少数ながらケルト由来と思われる遺伝子が見られ、現在アイルランドのある島のほうにはほぼ皆無であるという事実から導き出される。おそらく、似た言葉の残るウェールズあたりからの移住者がアイルランドに渡ったのだろうと推測される。 
ちなみに現在のアイルランド人の大半は遺伝子的に見ると、ケルト人が登場するはるか以前に農耕技術の伝播とともにイベリア半島から渡った人たちの子孫と判明している。

*この件については以下のような日本語論文もある

アイルランド人の起源をめぐる諸研究と「ケルト」問題
http://www.oita-ct.ac.jp/library/public/kiyo-51_pdf/No51_kiyo_1.pdf


無関係なはずなのに、そんなに簡単に文化を享受できるのか? という疑問があるだろうが、ここで考えてほしいのが「インド・ヨーロッパ語族」という枠組みである。現在のヨーロッパの大半の言語は、この語族に繋がっている。イベリア半島からアイルランドに渡った人々も、ケルト人も、ともに同じインド・ヨーロッパ語族で、つまり類似した言語を使っていた。

元々の言語や、素地となる宗教・習慣・概念などがある程度似通っていたのなら(その可能性が高いが)、他所から来たものであっても、より洗練された文化を受け入れるのは容易だったと考えられる。別にケルト文化を持つのはケルト人じゃなくてもいいのである。


というわけで現時点の結論として、

 島のケルトは中世になってからケルトを名乗り初めた別モノだった

= 歴史上実在した元々の「ケルト」とは関係ないので、ケルトとは呼べない。

なまじ共通する点があったために、千年の断絶があっても「まぁ繋がってるんだろうなぁ」という感じで有耶無耶にされていたものが、考古学的名証拠の累積や遺伝子解析などの新技術の投入によって別モノだったことが明らかにされてしまった。これもまた、科学の発展の生み出した切ない現実の一つである。



【注意事項】

とはいえ、学者さんの中にはまだ抵抗している人も多く、商業ベースでは今も「島のケルト」の存在が確かなものとして使われ続けている。

・「ケルト」を国家アイデンティティとしてしまったアイルランドさんには、この事実を認めることは相当難しい
・既に確立されてしまった、ケルト幻想や妖精物語といったイメージを放棄すると色んなものが売れなくなる(笑)
・いままでの「ケルト」観で売り出してきた学者さんたちは方向転換を強いられることに

・うちのサイトも一杯書きなおすところが出てくるので涙目です


20年くらい前の本を見ると、島のケルトは大陸から移住したもので、のちにローマが征服しに来たためブリテン島の端っこやローマの来なかったアイルランドといった隅っこにだけ残った、ということになっている。また、アイルランドこそケルト文化が残った最後の砦というような書かれ方をしている。

現在、これらは全て誤りであったことが確実となり、数十年前の本が全く役に立たない状況となっているが、日本でケルトの本を多数出版している先生たちが旧説側の立場なので、日本で最近の研究をベースにした一般向けの本はなかなか出てこないような気がしている…。

一応、↓この本あたりは新しい説をとり入れているんだけど、いかんせん話の組み立てが判りづらいので一般向けとは言いがたい。もうちょっとこう、噛み砕いたやつを出してほしいなーとか。

興亡の世界史 ケルトの水脈 (講談社学術文庫)
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何くわぬ顔で最近の研究を無視して既存路線で売り出したほうが商売の上では"楽"、というのはあるだろう。
そして、学術書はともかくファンタジー関連の本などは、いまさらアイルランド=ケルトのイメージを捨てられなくて、旧説のまま新たに出版され続けるとも考えられる。

…しかし、実際の説はどんどん書き換わっていくのだ。。


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余談だが、ケルトと同じようにここ数十年で完全否定されたにも関わらず未だ書店に並ぶ本から消えない説の中に「古代エジプトは女系社会であった」というものがある。しかしこれも、皆がなんとなくそうなんじゃないかと思ってただけで、よくよく検証してみたら女系だった証拠は実も何もなかった、という楽しいオチである。

古代エジプトの王位継承は「女系」ではない。父から息子へが正解。
http://55096962.at.webry.info/201602/article_26.html

こうした知識の更新は各ジャンルで頻繁に起きている。「俺は古い知識しか信じない」というのならそれもまたよし、違うと思うなら自分で調べて反論を組み立ててみようとすれば、たとえ不完全ではあっても、より正解に近い答えに辿り着く方法がわかると思う。



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(本に課金ちゃりんちゃりん)


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・追加分

「島のケルトは実はケルトじゃなかった」から派生する諸問題〜"ケルト神話"がケルト神話じゃなくなります
http://55096962.at.webry.info/201705/article_23.html

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