普通の人のためのアーリーリタイア
今、再考中なのが、タイトルの、「普通の人のためのアーリーリタイア」です。
当ブログは普通の人のために書いているつもり
- 普通の人も株式投資をするべきだ。
- 株式投資は社会にも貢献する。
「普通の人のための投資」(橘さん流に言えば、「臆病者のための投資」)の普及を願って、当ブログを書き綴っています。
投資なんて普通でしょ
こういう認識があと10年ぐらい先には、普通の人に根付いていることを期待しています。
さて、この考え方の延長線上で、実は、「普通の人のためのアーリーリタイア」みたいな方向を考えてはいました。しかし、これには、若干の矛盾があります。
アーリーリタイアは人生の普通の選択肢ではない
というのは、アーリーリタイアするってこと自体、一般的には、普通じゃないからです。
いや、私は、もちろん、普通にありじゃん、と思っていますよ。
でも、どうも、私、もともと普通じゃないみたいなんですよ(笑)。
それは、アーリーリタイアに限ったことではなく、全般的に。
これまでの人生を振り返って見るに、私、
「変わってるね」「面白いね」
と言われることも多かったような気がします。これって、肯定的に作用する場合、愛されキャラですが、逆もまた真なり。
そんな私が、アーリーリタイアという選択をすることになったのは、天命だったかも。私の中にも残る昭和脳では「思いもよらなかった」この状態が、今になって,多く存在し得るのは、
- 収入の少ない人に配慮してくれるありがたい社会保障制度
- 20世紀の大きなバブル崩壊を経て、長年蓄積されたインフラや経済活動の効率化なども相まって実現可能になったローコストライフ
- ネットの進化&深化により、投資が身近になり、その他収入の手段も多様化し続けていること
などなどの「ありがたい歪み」を「黄金の羽根」として拾う人が出てきたから、と最近は考えています。アーリーリタイアとは、21世紀初頭のニッポンという時空の狭間に浮かぶ、そんな、はかない存在・・・・(←ファンタジーっぽいの好き)。
今という時代には、「感謝」の二字しかありませんが、普通ではないために生じる代償も存在するので、アーリーリタイアを普通と呼ぶのにためらいがあるのです。
そんなわけで、「普通の人もアーリーリタイアすべきだ」ではなくて、「普通の人でもアーリーリタイアできなくはない」くらいと、とらえておけば良いのかな、などと考えています。
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