核実験やミサイル発射実験をくりかえす北朝鮮に対し、アメリカ・トランプ政権が強硬策を主張し始めてから、日本周域での危険性が格段に高まっている。
その緊張が頂点に達したのは、4月20日の北朝鮮の軍事パレードと、同月25日の朝鮮人民軍創建85年の記念日の前後だった。
北朝鮮が核実験やICBMの発射実験を強行し、アメリカがそれに反応し先制攻撃することが危惧された。それによって日本が全面戦争に巻き込まれ、在日米軍基地や大都市に、化学兵器や核を搭載したミサイルが打ち込まれることが恐れられたのである。
現実には、北朝鮮が核実験やICBMの試射を控え、またアメリカが過剰な反応を示さなかったことで、軍事衝突は今のところ回避されている。
しかしそれは偶然だったともいえる。間違いないのは、それらの日が第2次世界大戦以後、日本の都市が直接攻撃される可能性がもっとも高まった日だったことである。
アメリカの核の傘で守られてきたにすぎないとしても、戦後日本は、国内の平和をまがりなりにも維持してきた。
しかし大都市では、それはもう期待しがたい。ミサイルが降り注ぐ危険性を意識し生活しなければならなくなったという意味で、その日以後、私たちは突如として「戦後」ではなく、「戦時下」を生き始めることになったのである。
奇妙なのは、そうした大きな転換点を越えながらも、日々の暮らしが何の変哲もなく続けられたことである。
たとえば東京は標的のひとつと警告されながらも、通勤電車はいつものように混雑し、またコンビニでも水や食料の買い占めが起こることなく、普通に商品が並んでいた。
またミサイルの試射に対して東京メトロが一時運転見合わせるなどの対応もみられたが、それをむしろ過剰反応とする非難がネット上では盛り上がるほどだった。
東日本大震災や熊本地震での災害の数十回分を超える被害がかなりの確率で予測されたにもかかわらず、人びとは少なくとも表面上は日々の生活を続けたのである。
集団的な避難や、パニックがみられなかったことは、もちろん悪いこととはいえない。東日本大震災の際にも暴動や蜂起が起こらなかったことが賞賛されたが、それと同じく危機や災害の脅威のなかでも、戦後日本社会が築き上げてきた安定や安心への深い信頼がみられたことを、たんに「平和ボケ」と非難することはできないのである。