2017-06-11
英国でなければどこだったか? フランス発の産業革命だった可能性の論証
1ヶ月ほど前にタイラー・コーエンが、「How long until another Industrial Revolution would have taken place?」と題したMRエントリ(邦訳「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」)を上げた。それに対し発明史家のAnton Howes*1が表題の応答エントリ(原題は「If not Britain, where? The case for a French Industrial Revolution」)を上げている(H/T Mostly Economics)。
Even my cursory look suggests that Britain may not have been quite as dominant an innovator as we assume. As Joel Mokyr has suggested, Britain’s advantage may have been in adopting and adapting the innovations of others, not necessarily in originating them. ...
So if not Britain, probably France. Or the Low Countries, or Switzerland, or the United States. These countries were, after all, the first to experience their own accelerations of innovation either contemporaneously with Britain, or only a few decades after. The raw materials were there. France for example had access to the Atlantic economy, and Belgium had plenty of coal (which France could have imported, or perhaps even conquered). Indeed, as demonstrated by Leonardo Ridolfi’s astonishingly thorough doctoral thesis, the French were a lot richer before 1789 that we had thought.
What’s more, France certainly had the scientific knowledge-creation necessary to some of the major technological developments. ...
But this isn’t to say that France (as well as the other countries I’ve mentioned) would have experienced an acceleration of innovation that was quite as fast as that in Britain. There were a number of factors that may have slowed France’s acceleration (but crucially not stopped it):
(拙訳)
ざっと見ただけでも、我々が思うほど英国がイノーベーションにおいて他を圧していたわけでも無さそうだ。ジョエル・モキールが示したように*2、英国の優位性は他者のイノベーションを取り入れ改造することにあって、必ずしもイノベーションを生み出すことにあったわけではないようだ。・・・
ということで、英国でなければおそらくフランスだったろう。もしくは低地諸国、もしくはスイス、もしくは米国だったろう。これらの国々は結局のところ、英国と同時期に、ないし数十年だけ遅れて、独自のイノベーションの加速を初めて経験した国だった。素材は揃っていた。例えばフランスは大西洋経済にアクセスがあったし、ベルギーには大量の石炭があった(フランスはそれを輸入できたし、あるいは占領さえできたかもしれない)。実際のところ、レオナルド・リドルフィの驚くほど綿密な博士論文によれば、1789年以前のフランスは我々が考えていたよりも遥かに裕福だった。
さらにフランスには、主要な技術的発展の幾つかに必要な科学的知識の創造性が備わっていた。・・・*3
だが以上のことは、フランス(および前述の国々)が英国とまったく同程度の急速なイノベーションの加速を経験できただろう、ということを意味するわけではない。フランスには、加速を遅延させたであろう(ただし止めることは決してなかったであろう)要因が幾つかあった。
その遅延要因としてHowesは以下の4点を挙げている。
- フランスの学者の興味は少し違う方向に向けられていた
- フランスはイノベーションの普及にそれほど熱心ではなかった
- 英国のSociety for the encouragement of Arts, Manufacture and Commerce(現ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ*4)は1754年に創設されたが、それはフランスでそれに相当する組織Société d’Encouragement pour l’Industrie Nationale*5が1801年に創設される約半世紀前のことだった。
- 一方、イノベーションの組織的な一般展示会は、フランス(パリで1798年に開催されたl’Exposition des Produits de l’Industrie Française*6)が英国(1851年に開催されたロンドン万国博覧会[水晶宮博覧会])に半世紀ほど先んじていた。
- フランスの宗教的不寛容性も仇となった
- フランスでは大きな政治的動乱が続いた
- 1789年のフランス革命と、それに続く革命戦争とナポレオン戦争、1830年の7月革命、1848年の2月革命は皆、イノベーションの障害となった。
- マーク・イザムバード・ブルネル(イザムバード・キングダム・ブルネルの父)はフランス革命を避けて米国に逃れ、最終的に英国に落ち着いた。
- 偉大な化学者だったアントワーヌ・ラボアジェはもっと不運で、1794年にギロチンで首を刎ねられた。
- ただし、前述の通り、このことでイノベーションが止まったわけではなく、遅れたに過ぎない。マサチューセッツ生まれのベンジャミン・トンプソン(ランフォード伯爵)は、米国の独立戦争で英国側に立って戦ったが、1804年にパリに住むこと(およびラボアジェの未亡人と結婚すること)に何の懸念も抱かなかった。
*2:
- 作者: Joel Mokyr
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*3:ここでHowesはドニ・パパンをフランスのイノベーターとして例示しているほか、SquicciariniとVoigtländerの研究を基に、パリ以外にもイノベーターが各地にいたことを示している。
*4:ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツ - Wikipedia。
*5:Société d’encouragement pour l’industrie nationale ? Wikipédia。
*6:Exposition des produits de l’industrie française ? Wikipédia。
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