ブログを全然書かなくなったけど、実はブログのおかげでめっちゃ次の仕事が順調にいっているブロガーの話に興味はありませんか?
こんにちは。日本で絶賛骨折中のまえちゃん@Maechan0502です。
さて2012〜13年頃にブログを始めてたブロガーにインタビューする「なんで最近ブログ書かなくなったんですか?」シリーズ。
最後はニューヨーク在住ブロガーから、兵庫県の佐用町に移住してディレクターに転身した”metroglyghのさがやんにインタビューしてみました。
さがやんというNYにいたブロガーの印象は薄いかもしれません。
ぼくと仲が良かったのでうちのブログの記事には度々出てきたけど、さがやん自身のブログでバズった記事は3〜4本だし、これといった特化したブログのテーマもありません。ブログ以外にもデザインやプログラミングなどにも手を出してたけど、なんかどれも中途半端……。
で、気づいたらアメリカのNYから兵庫県の田舎に引っ越して、全然ブログ書かなくなって、「あのブロガーは今?」状態……。
しかしです。話を聞くと、3年間のブログをやっていた時にはどれも中途半端だったスキルが、めぐりめぐって今のディレクターという仕事につながったというのです。そして同時にミニサイトを作って、サイト収益で食べていけるほどになっていました。
パッと見るとブログ書かなくなって、運営するやる気がなくなったのかと思いきや、実は立派に自分のやりたい仕事を見つけたさがやん。
本屋にあふれるブログサクセスストーリーとは全然違う、ブログ物語をインタビューしてみました。
ではどうぞ。
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metroglygh さがやん
さがやん (本名 ハラダススム) は1987年生まれの29歳、大阪府豊中市育ち。
日本の大学在学中に海外で空間デザインを学びたいと考えて日本で就活をせず、卒業後アメリカのニューヨークの大学に進学しました。
ただ在米中はアメリカでの参加と就活断念、海外起業と停止、大学中退など、何度も自分の進路に迷います。
しかし2015年の年末に日本で不動産業をやる友人とNYで再会し、自分でも気づかなかったに能力に気づかされます。そしてその後に町おこしのために兵庫県佐用町に移住。
現在はブロガーの経験がディレクターとしての仕事に生かされ、関西圏を中心に、複数のまちづくりプロジェクトに関わっています。
【詳しい詳細本人プロフィールははこちら】
田舎に引っ越してからは全然ブログの更新が停滞していますが、実はディレクターとして忙しくしてるとはどういうことなんでしょうか?
しかもブログ時代の経験がディレクターの仕事に生かされてるって、いったいどういうこと!?
今回はいろいろとツッコミつつ、質問させてもらいました!
ブログ書いてないけど、実はうまくいってた!?metroglyghのさがやんに9つの質問をぶつけてみた
Q.1 現在住んでいる場所と、やっているブログ以外の仕事を教えてください。
住んでるのは、兵庫県の佐用町ってとこですが、そこに拠点を置きつつ、大阪と行ったり来たりしています。
仲間のクリエイターたちとチームを組んで、そこでディレクターとして活動してます。
前原 ディレクターってどんな仕事ですか?みんな聞いたことあるけど、馴染みないというか(笑)
例えば昨年、佐用町主催で行われた「いなちくロングライド in 佐用」というサイクリングイベントがあったんですけど、そこでやったディレクターの仕事はこんな感じでした。
まずぼくが役場の担当者の方たちと一緒に、イベントのコンセプトや打ち出し方をまとめます。
その後に必要なWebサイトの制作、ロゴ、フライヤー、写真、映像などを自分がそれぞれのクリエイターに振ったり、スケジュールの管理だったり、修正の指示を出したりしてましたね。
なるほど。プロジェクトをまとめて指示を出す仕事ね。なぜディレクターになったんですか?
なんか、気がついたらこうなってたというか(笑)
一緒に仕事をしている相方がいるんですけど、彼が不動産関係で。
で、彼のつながりでウェブ制作とかブログ運営をしたいという地方の事業者さんなどを紹介されて、じゃあお手伝いしますよ、ってやってたのが最初です。
そこから、こんなこともできますか?あんなこともできますか?って頼まれているうちに、「俺一人じゃできねーな」とか、「俺よりも適任者がいるな」と思って、信頼できる友人に外注していきました。そこで「今後も一緒にやっていきたいね」と自然とチーム化していった流れです。
Q.2 さがやんがブログ始めたきっかけはなんだったんでしょうか?
ブログ始めた最初のきっかけは、ニューヨークで留学してた時にiPhone5を買ったことだったんですよ。それで、おすすめのiPhoneアプリとか調べるじゃないですか。
そしたら「生産性を高めるおすすめアプリ!」みたいなのでEvernoteというアプリが出てきて、Evernoteの使い方やテクニックというブログを発見したんです。
ほんで調べたら、なにやらブロガーなんて人たちがいるようだと。もっと調べたら、年収600万稼いだやつもいると。
俺、当時バリバリ学生だったじゃないですか?アメリカで留学生やってるとバイトもできないし。
「これなら俺も家にいながら、好きなもの紹介して、楽しくお金稼げるんじゃね!?」と思って、俺も始めました。
ブログって、インプットとアウトプットの両方ができるから、単純に自分のためにもなるよなぁと思って。
同じタイミングで高城剛さんのLIFE PACKINGという本にハマって、お揃いアイテム買い揃えてたんで、それを紹介するところから始めてみようかと(笑)
Q.3 さがやんのブログテーマは最初、高城剛の『LIFE PACKING』から影響受けたガジェット紹介ブログのだったのに、NY情報やプログラミング情報が混じっていきましたよね。なぜあんな多種多様の記事が増えたんでしょうか?
それはもう、アクセス増やすための試行錯誤の結果ですよ(笑) 今ほど手法も確立されてなかったし、何していいかわからんかったんで、興味あることは全部書きました。
- ガジェットレビュー
- ニューヨーク観光情報
- ニューヨーク留学情報
- 英語の学習方法
- プログラミング
- 海外旅行記 (オランダ、フィンランドなど)
絵に書いたような雑記ブログですな。ある意味俺らしい。
Q.4 当時からさがやんって、ブログのテーマ以外もいろんなものに興味持っていましたよね。一時期は訪日観光サイト作りたいって言ってましたけど、その計画はどうなりましたか?
そうですね。2013年ごろだったかな?一時帰国の時に、大学やめて訪日観光のウェブの仕事で食ってくって言った時は、父親に激怒されました(笑)
その時は、ブログだけじゃなくて、インバウンド系でウェブサービスを作りたかったんですよ。
思いついたのは割と早かったんですけど、やっぱりニューヨークに住んでるし、コネも資金もないし、MATCHAみたいな訪日観光サイトがどんどん出て来るから、「あ、これ俺やらんでもええな」みたいな。(笑)
前原 それはブログやって、どれくらいの時?
ブログし始めて1年くらいかなぁ。あ、だから2014年とかその辺ですね。ブログが月間1万PVくらいで、CSSなんとなく触れるようになったくらいです。
あ、でもね。この時までは自分のブログのデザインどうこうできるくらいでいいって思ってたんですけど、自分でサービスを作る!って決めた時から割と真剣に勉強しました。っていうのは、他に一緒にできる人がいないから、自分でやるしかねぇ!みたいな(笑)
で、ブログ書きつつ、Webデザインの勉強もして、学校にも通って、サービスの準備もして「やったるわー!」って思ってたんですけど、まぁ普通にキャパオーバーでしたよね(笑)
今思えば、いろんな葛藤がありましたね。
前原 なるほど、それで気づいたらガジェットやニューヨーク、プログラミング情報が一緒くたのブログとなるという……(笑)
そうそう(笑) そもそもガジェット紹介したくてブログ始めたのにね(笑)
Q.5 3年ブログをやり続ける中で、10万PV達成したのはいつでしたか?また他のブロガーが月間10万PVや月間10万円の収益という結果を先に出しててたと思うんですけど、どう思っていましたか?
たぶん2015年終わりに、ようやく10万PVとかだったと思います。3年くらいかけて。
でもその頃にはまわりの仲のいいブロガーがみんなその数字超えてて、なんかあんまり喜べなかったなー。
毎月ブログのPVと収益を発表する記事書くのが、一時期流行ったじゃないですか?
ああいう記事、自分のブログのPVや収益が少なくて、劣等感あったから書けませんでしたね。今思えば書いときゃよかったと思いますが(笑)
前原 それはあの時、さがやん言ってなかったな(笑) 初めて聞いた。
だって悔しかったんですもん。言わないでしょ!(笑)
前原 まあ海外ブロガーのオレやゆーたろ、おのださんもPVや収益が何かしらあったもんね。
はい。まぁ当時は他に胸張れることもなかったし、やっぱりブログ界隈は結局PVとかフォロワーとかで見られちゃうから、すごく劣等感がありましたね。
前原 やっぱ葛藤あったの?
ありましたねー。俺はそもそもプロブロガーとか、ブログ飯を目指してたわけじゃなかったじゃないですか?でもやってくうちにそれも見えてきていて……。
で、将来の方向性で悩んじゃったんですよ。
このままアメリカの大学で勉強してるデザインの道か、訪日観光系で起業するビジネスの道か?それともブログの道なのか?どっちに振れればいいのか自分でもわからなくなってて。
「日本のために、特に可能性あるやばい地方のために、なにかしたい!でもブログも書きたい!デザインもしたい!俺は何をすればいいんだ!?」
っていう。
Q.6 なぜその悩んでいる中で、今の仕事をやるようになったんでしょうか?ブログから受けた影響もあれば、それも含めて教えてください。
2015の年末くらいだったかな。NYで悩んでた時に、佐用町の話が不動産業をやってる今の相方から来たんですよ。
佐用町をはじめ、地方には若い人もいないし、デザインとか発信とかも足りてないし、海外経験ある人も少ない。そういうところで、仕事してみないかと。
でも自分のスキルがどれも中途半端だということを自覚していたので、自信がありませんでした。
だけど、その時に相方に言われたのが
「お前はどれも中途半端なんじゃなくて、どれに対しても知識がある人間やん」
って言葉だったんですよ。
そういう部分をトータルで知ってるから強い、みたいな。今までやってきたこと、つちかってきたスキルが、その言葉で繋がったんですね。
これまで、どっかのスキル特化で仕事するもんだと思ってたんですけど、スキルとスキルが合わさると、違うスキル出来るよねっていう。
ブログ書ける人間はたくさんいても、ブログとデザインがわかる人間はそんなにいない。
はたから見ると全部中途半端だったのが、別の視点から見るとオールラウンダーだと。
思い返したら、俺、なんでも中途半端に出来るんですよ。知識欲だけは一人前だから、広く浅く勉強しちゃう。だからブログやらデザインもそうですが、映像編集、写真撮影、音楽制作もやってるんです。
どれも、クオリティは低いけれど、一応できる。
前原 だからわかってるから、全体見ながら人に仕事を振れると?
そうそう。本当は自分で作りたいんですけど、頭の中にあるものを実際に具現化するセンスはなくて。やっぱり仕事ってなるとちゃんとしたものを納品しなくちゃいけないんですね。
それなら自分の信頼できるプロに、自分のイメージを具現化してほしい。
ほんで気がついたら、この「ディレクター」というポジションにたどり着きました(笑)
Q.7 さがやんは2016年3月に5年間住んだNY旅立つ前に自分のブログの記事を使って、NY観光の専門ミニサイト作り、月20万円得られるくらい成功しましたよね。なんで作ろうと思ったんですか?
成功って言えるのかはわかりませんけど、1つのテーマでサイトをつくってみたいというおもいがずっとあったんですね。で、メインのブログからNY情報を切り離してサイト作ったら、PVも収益も上がりましたね。
自分的には、かなり賭けでしたが、「最悪そのまんま消えちゃうかもな〜。まぁそん時はそん時かな〜」って(笑)
前原 でも当時ようやくメインのブログ月間10万PV、月収10万円稼げてたんですよね?普通その時点で切り離さないと思うんですけど(笑)
だけど切り離してブログというか、サイトでうまくいったのも面白いですよね。
NYにいた最後の頃は、今みたいに自分の中でのブログの立ち位置や自分の仕事がはっきりしてなかったんですね。
だからブログとかそのまわりのブロガー仲間との関係が結構拠り所だったみたいなところがあったんです。
でも当時仲良くしていたブロガー仲間は順調に伸びていて、自分は全然でした。そこに対して、負けたくないというより、その流れに置いていかれたくないっていうか、海外ブロガーのみんなと肩並べたかったんだと思うんです(笑)
とくにかずさん含め、先に出てきたおのださんとゆーたろと。Jiburi.comの宮崎くんもアクセスあったと聞いてたし。
でも、正攻法でブログやっていてもその差は開いていくばかりでした。
だから「みんながやってなかったことをやってみよう」って感じですかね。
自分的には、かなりの賭けでしたが、ふたを開けてみればPVも収益も上がってほっとしました(笑)
前原 あの頃はまだ迷ってましたよね? NYを旅立ってアメリカ横断する直前の2016年の3月くらいまでは。
迷ってましたよ、かなり。だからミニサイト作った時も、割とヤケクソ感はありました(笑)
今ある知識全投入して、これでどうにもならんかったら、多分俺この世界無理だわっていう(笑)
ただ、NYを旅立って、その後アメリカ横断してから帰国して、ぶっちゃけしばらく忘れてたんすよ、サイトのこと。
で、久々に開いたらめっちゃPV増えてるし、収益も増えてるしで、あれれれれれ?っていう(笑)
でも目立たなくても地味にコツコツやってると、恵まれるもんですね〜。
まぁでも、俺の場合、今のところうまくいってるのは、本当続けてたからだろうなっていう。
続けられたのは、好きだから。好きでいられたのは、読んでくれる人とか、一緒に頑張る仲間がいたから。
まぁ、一部のカリスマ性のある人たちはね、ブログでどーんと稼げるけど、やっぱみんなそんなセンス持ってないわけで。
時には叩かれるし、新しく出てきた人には追い抜かれる。けど、それでも続けられるくらい好きかって重要かなと。
俺も大して目立ってないし、極論、書いてもほとんどシェアされないし(笑)
でも売れる売れない別にしても、続けてたら俺みたいなこともありましたっていう、そんな感じですかねえ。
Q.8 これからブログはどんな感じで更新しますか?
ブログそのものをリニューアルしたいのと、もう少し更新頻度増やしていきたいです・・・(笑)
前原 え?本当に?(笑)
いや……遅筆だから、わかんないです、うん(笑)
でも一応自分の中でちゃんと構想はあって。今までは情報に特化して、自分をあまり出さないような書き方をしてたことも多かったんです。
けど、自分の生き方とか仕事の作り方とか、ライフスタイル的な部分に興味を持ってくれる人もいるので、もっと自分色を強めてそういう発信を増やしていきたいなぁと思ってるんです。
あと、BASIK方式でいくつかまだミニサイトを作る構想もあるんですが、まあ、ぶっちゃけいつになるかわかんないですね(笑)
家改修したり、ドローン飛ばしたり、イベント企画したり、やりたいことだらけなんで(笑)
前原 トライする男だなあ(笑)
いろんなことできる環境にいるから、せっかくならいろいろやりたいじゃないですか?別に企業としてやってるわけでもないし。個人事業だから失敗しても誰にも迷惑かからないし。
最悪、いまの家のまわりに生えてる草 (=山菜) が食べれることもわかったんで、最悪、死ぬことはないかなって(笑)
Q.9 では最後に自分の仕事とこれからの自分に対しての意気込みをお願いします。
今は個人でブログ、チームではディレクターとしてやってますけど、自分がこれまでやってきたことがどんどん繋がって仕事になってるんで、この流れを失わないよう、継続させていきたいですね。で、もっともっと稼ぎたい(笑)
もっと稼いで、人や物に投資して、今頭の中にあるアイデアをどんどん実験したいんですよね。
最近は完全に自己資金で佐用町の家に「たまり場」を作ろうとしてます。
俺自身はこれに可能性感じまくってるんですけど、ざっくりなイメージだけで事業計画書とか別にないし、まぁぶっちゃけやってみないとわからないんですよね。
そういう、どう転ぶかわからんものに対しては誰もお金を出してくれないし、まぁそれやったら自分で稼いで、自分で実験してみようと。もっと稼げば、その実験の幅が広がるから、だからもっと稼げるようになりたいです。(笑)
で、自分の信用きる、自分の好きな人たちを雇ってお金払って、描いたビジョンを実現してく。ほんで、最後は俺のおごりでパーティーする。自分もハッピー。周りもハッピー。最高じゃないですか?
前原 まさしくディレクターだね。
おお!なるほど。確かに。
天職ですね?
前原 ではありがとうございました。
今のツッコむところですよ!?
インタビュー後記 〜自分のやりたいこと。それを迷いながらも、最後はやっぱり信じること〜
人は目に見えること以外、なかなか信じない。ぼくもそうだし、きっとあなたもそうだと思います。
なぜなら世の中、結果が大事だからです。
でもさがやんのすごいところは、ブログや留学、海外就職、海外起業などいろんなことで長い間結果が出なくて迷いに迷ったけど、それでも自分を信じられたことにある。そうぼくはインタビューを通して感じていました。
さがやんはアメリカ留学中にまわりに流されてボストンで行われる就活フォーラムに参加しようか迷い、参加せずにフリーランスで働く決心をした時、ブログにこんなことを書いています。
幼い頃からやりたいことしかありませんでした。
ただ問題だったのは、どれも才能がなかったこと(笑)
それ自体には割と早くから気付きながらも、しかしものづくりは楽しいし、こうやって何かを作ることを仕事にして生きていきたいという願望が消えることは有りませんでした。
だから今こうして、日本で就活をせずにNYに来て、デザインの勉強をし、何かを作る力を身につけようとしています。
〜中略〜
そしてボストンキャリアフォーラムに参加するにあたって、就活の定番、大前提である自己分析をやればやるほど気づいてしまったんです。
僕って、とにかくやりたくないことは出来ない人間だということに。
そして思い出しました。
そういえば、やりたいことをやる、そういう生き方を目指してここ、NYに来たんじゃなかったっけ。と。
やりたいことをやる。聞きようによっては都合のいい言い訳です。
そんな言葉を言うより、早く大学を卒業するなり、就職するなり、ブログで結果を見せてくれ。
まわりの人はそういいたくなるものです。
現にぼくもさがやんのブログ運営に関して「さがやんって何がやりたいの?もう少しやること絞れば?」と何度も言ってしまいました。今振り返るとぼくも迷わせてしまったので、本当に申し訳なかったと思っています。
だけど当たり前ですが、先にうまくいった人間の言うことが、就職でもブログ運営でも正しいわけではありません。他人は他人であり、その方法が自分に合っているかわからないからです。
だからこそさんざん進路に悩み、ぼくを含むまわりの声に振り回されながらも、最後は自分を信じたさがやんをぼくは心から尊敬しています。
自分のやり方を信じた彼がブログを書き続け、それが逆にブログがいろんなことに興味を持ってできるさがやんのスキルを、他人に見える形で紹介できる結果になっていった。
彼にとってのブログとは、そんなチャンスをくれた存在だったんじゃないでしょうか?
自分の居場所と働き方をブログを通して見つけたさがやんが、これから昔のように熱心に更新する可能性は少ないのかもしれません。
しかしこれから自分でブログを運営するより、もっと大きなを地域や世の中にとって役立ったり、楽しそうなことをやってくれそうな彼に期待したいと思います。
それでは今回でブロガーインタビューを終わりますが、本当に協力してくれたさがやんを始めとする海外ブロガー仲間にありがとうと伝えたいです。
次の記事でまた会いましょう。
ではまた。
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