敬語不要論は数年前からあったこと。世界のグローバル化が進む中、日本語ももっと分かりやすく簡単な言語へと変化していったほうがいい。
敬語はいりません
敬語を分類すると3つに分けられる。
尊敬語。謙譲語。丁寧語。ですます調の丁寧語はあっていい。尊敬語と謙譲語は必要ない。ぼくは使いたくないからとの理由で職場でもどこでもできるだけ尊敬語と謙譲語は使わない。
- 尊敬語 おっしゃる、言われる
- 謙譲語 申し上げる、参る
- 丁寧語 です、ます
ぼくは敬語が好きではないけど、丁寧語はよく多様する。人と話すときも年齢に関係なく丁寧語を使うようにしている。それは人によって使い分けるのが面倒だからなのだ。丁寧語を使っておけば無難ということもある。危険よりも安定を選んぶ男のほうがモテると、どこかの雑誌に書いてあったからでもある。
日本語の変化
古い小説を読むと、難しいと感じる箇所がいくつもある。漢字が読めなければ調べればいいだけだが、それ以上に文脈が理解できないと途中で話の内容がわからなくなる。ぼくは三島由紀夫の金閣寺を読んで文章が理解できず、わけがわからなくなった。(若者が金閣寺に放火する話)それから時を経て、平成に書かれた小説は理解しやすい。最近の小説はもっと理解しやすく書かれていると思う。このように日本語も時代とともに変化している。書き言葉の変化はあった。だったら、話し言葉もそろそろ変化してもいいのではないか。そう、考えたのだ。
タメ口
ですます調だけあればいい。本当は敬語全般なくてもいいが、それだとどうしても嫌だと思う人もいるだろう。先輩後輩、上司と部下、兄者と弟者。関係性を慮る人もいる。知り合いから友達への昇格時に敬語からタメ口へと自然な流れで移行できない人もいる。プライドが高い人は、単純にタメ口を使われるとイラっとすることもある。人に対してすぐに優劣をつけたがる人は、自分よりも能力が明らかに劣ると思われる人にタメ口を使われると怒りだす。
以上をまとめると敬語がなくなったらタメ口になるため、偉そうにしたい人が嫌がるということがわかる。敬語不要論に反対する人たちは、総じて他人に対して偉そうにしたい人たちなのである。こう言っちゃなんだが、ぼくはその偉そうにしたい人なので、ぼくにだけ敬語を使って欲しいが、世の中そう甘くない。ならば一律、敬語をなくしてしまって、丁寧なタメ口を使うようにしていけばいいと思うのである。汚い言葉使いはやめてね。