岩波精
2017年6月11日09時20分
「オッチャホイ」って知ってますか? 新潟県新発田市の食堂で70年ほど前から出されている東南アジア風の麺料理。地元では誰もが知るソウルフードらしい。不思議な響きの謎を追った。
赤いネオンサインで書かれた「シンガポール」の文字。入り口のドアには「オッチャホイ持ち帰りできます」と貼り紙がある。新発田市の中心商店街のなかで、そこだけアジアの風が感じられる。
皿に盛られたオッチャホイは幅広いきしめんのような麺で、見た目は焼きうどん。ふわんと鼻をくすぐるニンニクの香り。具材は卵、モヤシ、小松菜、キャベツとシンプル。唐辛子が効いた塩味は、やっぱりアジアの雰囲気。でも、気になるのは名前の由来……。
店を切り盛りする中村ミツ子さんは「皆さんからよく聞かれるんだけどね、分からないんだ」
亡くなった夫・秀雄さんの父が名付けたと聞いたものの、秀雄さんも由来は知らなかった。聞かれるたびに「オレだって分からね」と話していたという。
食堂は戦後間もない1946年、バラック建てから始まった。秀雄さんの父は戦前にシンガポールでホテルを経営していて、食べ歩きが趣味だった。現地の味を再現したというオッチャホイは、創業から5年ほどしてメニューに加えた。昭和40年代半ばにテレビCMを流すと、一気に人気メニューになった。
オッチャホイは、定番の皿のほか、エビ、肉、汁の4種類。昼も夜もこの名物目当ての客で店はにぎわっている。独特の食感を出すため、仕込みは毎日3時間。7年前に秀雄さんが亡くなった時も、ミツ子さんは葬式の翌日から店を開けた。夏休みや連休になると、海外からも懐かしい味を求めて客がやってくる。親子3代の常連も珍しくない。まさに、地域に根ざしたソウルフードといえる。
オッチャホイのレシピは門外不出。ついでにミツ子さんは年齢も秘密で、写真はNG。調理場も見せてもらえなかった。すべて「企業秘密」という。
最近は汁オッチャホイの注文が増えてきた。野菜が多めで塩味のスープ仕立て。ミツ子さんは「お客さんも年を取ったのよ。汁気があって、柔らかいものがいいってこと」と笑う。1年ほど前から三男の大さん(34)が店を手伝っている。「やっぱりうれしいわね。継いでくれればって思っています」
■名前のルーツはどこに
味の原型はシンガポールやマレーシアなどにある麺料理「クイティオ」とみられる。米粉の幅広麺を炒めたり、スープで味わったりする。では名前のルーツはどこにあるのか。
敬和学園大(新発田市)の一戸信哉教授はマレーシアで現地の人に「オッチャホイを知っているか?」と尋ねてみた。返事は「なんだそれ。そんな食べものはない」。ほかの東南アジアの地域でも答えは同じだった。謎は深まるばかりで、「チャ」は中国語の「炒」かもしれないとも推測する。
なぜ、和食とはほど遠いオッチャホイが新発田で長く愛されてきたのだろうか。一戸さんは、軍都としての歴史が影響していると考えている。「常に人が出入りする土地柄。新しいものを受け入れる土壌があったからでは」という。
シンガポールの目抜き通り「オーチャード通り」に語源があるのでは、と指摘する人もいる。現地の人は「オッチャンド」と呼んでいるといい、響きが似ているというのだ。
「語源は意外と『おっちゃん、ホイ!』だったりして」。こう言って笑うのは、俳優の佐野史郎さんだ。5年前、新発田に住む知人の誘いで訪れ、「味のとりこになった」。
佐野さんは「おいしい店には物語がある」と話す。出身地の松江市には代々続く天丼屋があった。店主が亡くなって1970年に閉店したが、食の記憶は今も地域に残る。シンガポール食堂にも似たにおいを感じた。オッチャホイの由来を考えると、アジア各地の戦地としての背景や、日本列島に残る蝦夷(えみし)やアイヌの言葉にまで思いは広がる。「俳優は背景を読み解くのが仕事。もっと知りたいと思わせる店です」(岩波精)
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朝日新聞社会部