徳川家康没後400年記念。久能山東照宮に登ろう2
ちわ、おいさんです。
みんな元気よく神社仏閣を巡ってるかい?
今年、2015年は徳川家康没後400年ということで、前回は久能山東照宮の長い1159段を上がって「一ノ門」まで登ってきた。
そこで今回はロープウェイ乗り場からメインの拝殿までのコースを紹介しよう。
HP: 境内案内|久能山東照宮
拝殿まで続く道のりは最後まで厳しかったけど、最後に辿り着いた拝殿の絢爛豪華さには目を奪われ、疲れも吹っ飛んでしまうほどの感動が待っていました。
そんな久能山東照宮の様子を最後までご覧ください(=´▽`=)ノ
雪の中の東照宮
「一ノ門」から歩いて10分。大きく息を切らせて社務所までたどり着くと、そこは多くのお客さんが詰めかける休憩所があった。大勢の観光客がみんなここいらへんで一休みしている。
ご覧のとおりの人だかりで、みんなここで一旦休憩してから、更に上に登るらしい。
よく見るとココらへんにはまだ雪がしっかりと残っていて、まだ非常に寒い。
ようやくコートの出番になってきたw
こんなデカイ防火水槽も置いてある。
いざ火事の時のタメに備え付けているんだろうな(;´∀`)
ここを動きたがらないオカンを横目にわしはあたりの土産物に目を通す。
すると社務所のすぐ横のロープウェイのりばを見つけた。
そこからは年配者が悠々と降りてきているのを目撃する。
……ああ、わしもアレに乗ってこれば良かったw(;´∀`)
国指定史跡「久能山」と書かれた看板。
これをみると確かにここが久能山であることが伺える。
あ、徳川家康発見w
こちら「しかみ像」って書いてある。
三方ヶ原の戦いで負けた後の戒めとして絵に記した家康の像ですな(^^)。
おみやげやさんにはあまり欲しい物もないし、早く上に上がりたいので社務所で拝観料を払って上に行くことにする。
拝観料は社殿までで500円。
ちょっと高い気がするけどまぁいいや(;´∀`)
それではさっそく登っていこう。
東照宮境内
さぁ、ここからやっと上に上がって拝殿を拝めるぞ。
一体どんな社殿が待ち構えているのやら。嫌がるオカンを置いて先に進もう!
ひや~、それにしてもすごい階段だ。まだまだ奥へと階段は続く。
この門をくぐって東照宮詣でが始まります。二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げてあり、勅額御門とも言われています。
これがいわゆる東照宮の楼門というやつだね(^^)。
赤いなぁ。赤くてキレイだ。
確か社殿もこの間まで修復工事をして新しくなったんだよね。
楼門を通るとこんな広いところへ出た。
ちょっと待て、東照宮ってお寺だよね。なのに門の中に鳥居がある。
あれ?そういえば下の入口にも鳥居はあったけど、東照宮って神社なのか?
鳥居の横には梅が咲き誇っていた。雪と梅なんて情緒があるなぁ(*´∀`*)
と思って見ていたら隣が家康梅だって。こっちはまったく咲いてない。
ガンバレ!家康梅!!寒い冬にも負けんな!!
鼓楼
創建以来、鐘楼(しょうろう、鐘を突く建物)として扱われてきましたが、明治時代に行われた神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓 に替え、現在の「鼓楼」となりました。太鼓は明治6年に旧幕臣であった小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。
これは鼓楼。見はり櫓かと思ったw
門の後ろにはこんなモノも。
スゲー、金ピカの唐獅子だ。こんなの見たことない。
さすが東照宮。家康の墓なだけある。
この場所がいかに幕府にとって特別でお金をかけられていたかよく分かる。
遠くから見ても立派。すごいね。東照宮って(*´∀`*)
さて、それではずんずん進んで行こう!
先に進むとまたしても梅が。
こちらもキレイに咲き乱れている。八房梅だって。可愛らしいなぁ(*´∀`*)
そしてこの上を登るといよいよ拝殿になる。
奈良、正倉院と同じ校倉造りの建物で、東照宮への奉納品をここに納めたと伝わっています。
お、隣には神庫が見えてきた。
唐門
唐門を通った。中から見るとこんな感じ。
ここからもう、飾りが一気に絢爛豪華になっていく。
見てこの唐門の装飾を。すごい手の込んだ作りである。
これはすごい。色使いも半端ない極彩色である。
日光の三猿や眠り猫も良いけど、ここ久能山東照宮の門もなかなか立派だ。
そして社殿の作りもハンパねぇ。それにしてもすげぇ作りだw
国宝の文字が眩しい!!www
社殿の前にはナゼか巨大なソテツが植わっていた。
ていうかこう書くんだ蘇鉄ってw
側面はこう。側面でもすごい豪華だぞ。
徳川家康公をお祭りする神社です。家康公の没後、二代将軍秀忠公はただちに久能山に徳川家康公を祀る神社を造営することを命じ、大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月という驚くべき短期間のうちに社殿が建てられました。
社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」(ゴンゲンヅクリ)であり、当時最高の建築技術・芸術が結集されています。神社建 築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました。
拝殿の周りには多くの参拝客が押し寄せている。
みんなここで足を止めて上を見るのでここらへんはこんな風に混んでしまうのだ。
拝殿の奥を除くと何かある。なんだろう?
あ、よく見ると、葵の御紋が木彫でも祀ってある。
さすが東照宮。ってあれ必要か?
それにしてもこの梁はすごい。こんな豪華な梁は他に見たことない。
この赤と青と金色、そして所々緑の豪華な色使いがなんとも絶妙な美を形成している。
すごいなぁ(*´∀`*)
こうやって徳川家は家康を神格化して天下を治めていったんだなぁ。
さて、次回はいよいよ廟所を巡る。
徳川家康が祀られているお墓の登場だ。
どんなお墓が待っているのかな?乞うご期待!