|
この重大な時代と思想の転換期に自我偈の解説を御送りします。
いよいよ、日本の国土も、個人個人の生命に於いても、魂の試される時に突入する様相を呈してきました。
平和を標榜していた政党が、一転して、戦争推進のテロ政党に変じ、人間愛に溢れた、人間共和の素晴らしい、幸せに満ち溢れた国土、社会、人生を教え導いて来た宗教団体が、ナチスドイツ以上の抑圧と密告と処分の恐ろしい宗教団体へと変貌する。
自分自身の生命を常に高めていないと畜生・修羅界の渦に巻き込まれてしまいます。
物事を自分自身の眼で正しく見ていく智慧です。常に常に、生命力と祈り、慈悲の心です。
断じて魔物を寄せ付けない!という強き強き祈りと自覚です。
今更ですが、仏法は、生命(差異・区別に於けるあらゆる生命、当然宇宙生命)の、真理を完璧に説き明かした哲学です。宗教の一面を持った教育です。
普遍性に於いても、欠ける面のない、人類史上未曾有の、至上の生命哲理であります。
実践によってそれら全てを証明し、人類を歴史上初の勝利へと指導された池田先生の━━━今では、池田思想、池田哲学として世界中の善と正義の連帯の、思想の柱となっています。
先生が常に仰る、『勤行と唱題が大切なんだよ』との『勤行』の『自我偈』の解説(訓読)を送ります。経文通りの様相が、そこかしこに見えて来た今、送ります。
私達が朝夕、読んでいるお経です。
これが法華経の心であり、大聖人の心、そして師の大慈悲です。
どのように不思議であろうとも、経文の一字一句が、絶対の真理と信じて読む時、
一念三千を、自らの内に得、全てが己身の出来事と分かります。
全てが自身の責任であり、全てが自身の思うまま━━━即ち、誰もが『自受用身』
=欲しいがままに受け持(たも)つ身であることが分かる事と思います。
これが成仏という事であり、それは歓喜の中の大歓喜の境涯です。
『自我偈解説』
私(釈尊)が仏に成る事を得てから、
これまで経過した時は無量百千万億載阿僧祇という想像も出来ない程、長い時です。
(その間)常に法を説いて無数億という数え切れぬ程、
たくさんの人々を教化して仏道に導き入れてきました。
そのようにして、今に至るまで数限りない時を経て来ているのです。
私(仏)は、人々を救おうとする故に、方便を用いて涅槃(死)の姿を現じますが、
実は入滅していないのです。
常に、ここ(貴方の側)に居て法を説いているのです。
私は常に、ここに居るけれど諸々の神通力に依って、迷いの衆生に対して、近くに居るけれども見えなくしているのです。人々は私(釈尊)が入滅したのを見て、
広く私の舎利(骨)を供養して、皆が私を恋い慕う心を持ち、渇仰する心を生ずるのです。
人々は既に信伏し、心が清く真っ直ぐになり、
心の底から仏に会いたいと念願し、その為には自らの身命も惜しまないようになります。
その時にこそ私は、多くの弟子(仏、菩薩、諸天善神)と共に、霊鷲山(貴方の側)に出現するのです。
その時、私は貴方に語るでしょう。
『私は、いつも貴方の側に居て離れることはないのですよ。
方便の力で入滅(死)の姿や不死の姿を現すのですよ。
又、他の国土で私を敬い、信ずる人がいるなら私は、又そこに出現して、その人の為に、この妙法を説くのですよ。
しかし、あなた方はその事が解らず只、私が入滅したと思うのです』と。
私は多くの人々が、苦しみの海に沈んでいるのを見ます。
それ故に、わざと姿を現さず、その人々に渇仰の心を生じさせるのです。
人々の心に仏を恋い慕う心が生じた時、私は姿を現わして、最高の妙法を説くのです。
(人々を救う為に姿を隠したり、現したりするという)私の神通力はこの様なものです。
阿僧祇劫という非常に長い間、私は常にこの霊鷲山(貴方の側)に居て、又、折に触れてその他の場所にも行くのです。
迷いの衆生が『世界が滅んで、大火に焼かれている!』と見る時も、
私と貴方の住むこの国土は安穏であり、常に喜びの天界、人界の人々で満ちています。
そこには種々の宝で飾られた豊かな園林や多くの豪華な堂閣があり、宝の樹にはたくさんの花が咲き香り、多くの実が生っています。
まさに、ここは善なる正義の人々が遊楽する場所なのです。
多くの天人達が種々の楽器で常に素晴らしく美しい音楽を奏でて、
天空からは目出度い曼陀羅華(天上界の華)を降らせ、それが私と貴方の頭上に注がれています。
私(釈尊)の浄土は壊れることはないのに、迷いの人々は世界が劫火に焼き尽くされ、憂い、怖れ、諸々の苦悩が充満していると見るのです。
この諸々の罪の人々は悪業の因縁によって阿僧祇劫という大変に長い時を過ぎても、
三宝(偉大なる妙法)の名を聞くことが無いし、私の姿を見ることが出来ないのです。
多くの功徳を積み、心が柔和で真っ直ぐな人は皆、私(仏)の身が此処に存在して法を説いているのを見ます。私はある時には、この人々に仏の寿命は無量であると説きます。
久しくして漸く仏を見た人には、仏には逢い難いと説くのです。
私の智慧の力はこの様なものなのです。
智慧の光は無量で、私の寿命も無数劫(永遠)なのです。
私は長い修行の結果として、それを得たのです。
あなた方よ!智慧ある人々よ!この事を疑ってはいけません。
疑いを永久に断じ尽くさねばなりません。
仏の言葉は真実であり、偽りはありません。
例えば、名医である父が巧みな方便で、本心を失った子供達を救う為に実際は死んでないのに、
死んだと言ったのを誰も嘘つきだと言わないように、私もこの世界の全ての人々の父であり、彼らの多くの苦しみや災いを救いたいのです。
凡夫は心が顛倒しているので、私は実際には、いつもこの世に居るのですが、彼らには私は入滅すると言うのです。
何故かと言うと常に私を見ていると、驕りや欲しいままの心を生じ、ふしだらで五欲に執着し悪道に落ちてしまうからです。私は常に人々が仏道修行に励んでいるか、励んでいないを知って、
どうやって救っていくべきかを考え、その考えに従って様々な法を説くのです。
私は、いつもいつも、この事を念じています。
すなわち、どの様にすれば貴方を無上の道(絶対の幸福の道、悟りの道)に入らせ、
速やかに仏身(金剛不壊の色心)を成就させる事が出来るだろうかと。
以上
|
|