パキスタンでのラマダーン体験
それから・・・・何年後かもう忘れてしまいましが、バックパック担いで世界中を放浪していた時のこと。
旅の途中のある国で、ラマダーンにぶち当たったことがあります。それも、ある意味とんでもない国で。
その「とんでもない」国の名はパキスタン。
インドとイランという古代文明国に囲まれた、日本の国土の2倍の広さを持つイスラム教の国です。
パキスタンは今でこそイスラム教一色の国ですが、古代のインド文明が花開いた地であり、大乗仏教の生まれ故郷でもあります。
それゆえ仏教遺跡も多く、日本の考古学者や仏教史学者がパキスタンで大活躍しています。パキスタン人いわく、パキスタンの仏教考古学は日本人学者がいないと作業が進まないと。西洋でも研究が盛んで世界的な学者も多いですが、やはり同じ「仏教徒」ゆえに信頼と安心の日本人の方が良いんだとか。
この歌を聞いたことがある人、多いでしょう。
In Gandhara, Gandhara,
They say it was in India.
Gandhara, Gandhara, 愛の国, Gandhara.
===いちおう意訳しておきますね===
(ガンダーラよ、ガンダーラよ、インドにあるというガンダーラよ、
愛の国、ガンダーラよ)
アラフォー以上なら、堺正章や西田敏行、美人薄命の代名詞となった夏目雅子などが出演していたドラマ『西遊記』のエンディングソングとしても有名ですが、「ガンダーラ」って一体どこにあるの?と地球儀を回したことがある方、けっこういると思います。
はい、私も必死に探しました。それこそ目を皿にして探しました。
しかし、「なにもみつからなかった」。
それもそのはずです。私は当時、2つの過ちを犯していたことに気づいていませんでした。
過ち①:インドばかり探していた
ゴダイゴは言います。ガンダーラはインドにあると。
私は、ゴダイゴの言葉を信じ、インド中の街という街を地図で調べました。インターネット?昭和50年代にあるわけないやん(笑)
しかし、なかったのです。どこを探してもなかったのです。
ガンダーラ…ああ、ガンダーラ…。
幼い私にとって、それは天空の城ラピュタに等しい、神秘のベールに包まれた幻の都市になりました。
しかし、成長し大人の世界を知るにつれ、
ガンダーラはインドにはない!!
という驚愕の事実を知ってしまいました。
They say it was in India・・・これはウソだったのか!
ゴダイゴのうそつき!!信じてたのに!!ゴダイゴなんてもう知らない!!
と男なのに乙女チックになりましたが、厳密に言えば、パキスタンは政治的には「インドの元カレ」、史学的には「西インド」。
まあ、ゴダイゴが間違っているわけではないのですが、ガンダーラの神秘に憧れていた純粋な乙女心を傷つけることに(コラ
過ち②:ガンダーラは町の名前ではない
さて、ガンダーラはパキスタンにあるということを知った以上、今度はパキスタンをしらみつぶしに探してみました。
しかし、ないのです!!
何故だ、ガンダーラはパキスタンにあるのではないのか…。それもフェイクニュースだったのか!?
それもそのはず。ガンダーラという「街」はこの世に存在しないし、歴史的に存在したこともないのです。
『ガンダーラ』とは都市や町の名前ではなく、実は古代の王国名であり、かつ「地方名」なのです。「ガンダーラ地方」ってことね。日本史で言えば、「大和王朝」と「大和」とか「近畿」の関係みたいなものかな。
ガンダーラは、適当という名のざっくりですが、だいたいここあたりにあたります。
インドも少し被っていますが、ほとんどがパキスタンとアフガニスタンです。
アレキサンダー大王のインド遠征は、学校の世界史の授業で耳にしたことがあるはずです。その大王様がたどり着き、最も東方に国を築いたのも、ここガンダーラです。
その昔、アフガニスタンにはそんな遺跡がゴロゴロあったそうです。しかし、内戦やそのどさくさによる盗掘、そしてタリバンなどの狂信的原理主義者による偶像破壊などによって史料や発掘物は散逸してしまい、いまだに復旧のメドはついていません。
ところで、何故パキスタンが「とんでもない」のか。それはおいおいわかってきます。
中国大使館亡命事件
パキスタンで遭遇したラマダーンの初日は、パキスタンから中国に抜けるために中国のビザを取りに行く日でもありました。
(※現在ビザは不要です)
朝一に宿泊先があったラワールピンディという町から、首都のイスラマバードの中国大使館まで、既に申請していたビザを取りに行ったのですが、あらかじめその日はラマダーン初日ということは知っておりました。
なのであらかじめ食糧を買い込んでおき、ビザ取ったらメシでも食うかという魂胆で、前日に買っておいたパンなどをかばんにしっかり詰め込み、いざ出発。
冗談半分でイスラマバードの中国大使館を検索してみると、あっけなく見つかりました。大使館がある場所は、イスラマバードでも大使館が集まる区域にあるのですが、中国大使館はその中の外れにありました。
「スズキ」と地元で呼ばれている、写真のような日本の軽トラを改造した乗り合いタクシーで行くと、中心部から1時間以上かかったということだけは覚えています。
その記憶を頼りに調べてみると、だいたい合っていたようですね。
めでたくビザをGETし、「やれやれ」とばかりに中国大使館前か近くにあった草地に座り、回りに誰もいないことを確認して本日の朝ごはんを食べようとしました。
その時!!
どこからともなくパキスタン人数人が草むらの陰からあらわれたのです。なんというか、ドラクエがリアルにあったと仮定すると、突然スライムがあらわれたような感覚です。
彼らは仏頂面で叫びます。
Don't eat !!! (食うな!!)
と。
ははん、ラマダーンやからやな。
実はラマダーンは異教徒には強制したらダメ。そして非イスラム国におるムスリムも、「守るも守らんもあんた次第」と、アッラーは寛容だったりします。
しかし、敬虔な・・・いや敬虔すぎて宗教的石部金吉になっている彼らには、そのような理屈は通用しません。
彼らのあまりの剣幕に「こりゃ理屈で言うてもあかんわ」と判断、食いかけのパンを持ってかじったまま中国大使館まで逃亡。
大使館スタッフに、
「今日ラマダーンで外でメシ食えん。
大使館の中でメシ食わせてもらわれへん?」
と中国語で説明。
大使館員も事情がわかっているのか、笑いながらいいよ~とOK。
国際法上、大使館は「その国の領土」として扱われるため、朝ごはんを食べる間だけ中国に「亡命」させていただきました(笑)
衝撃的なラマダーン初日でしたが、ラマダーン中の日中は食堂や食料品店はもちろんシャッターを閉ざしてゴーストタウン同然。ラマダーンになった途端、真昼なのに街には人っ子ひとりいなくなります。おそらくラマダーン中の昼間は寝て過ごしているのでしょう。
その証拠に、日没が迫る頃になると、あれだけいなかった人がどこからか増えていきます。
そして飲食解禁時間となると、みんないっせいに飲めや食えやの大騒ぎ。ラマダーン中の夜は毎日がお祭りとなります。
日本じゃ絶対経験できない宗教イベントではあるけれど、やっぱさっさと中国に逃げよう、と足を急いでいざ中国へ。
とその前に、パキスタンから中国へ渡る時に必ず通る所があります。
フンジュラーブ峠という、最高高度5000mの難所です。酸素がなさすぎて100円ライターに火がつきません。高山病で死にたくなければ走るなんて厳禁です。
かの三蔵法師こと玄奘もインドからの帰りにこの峠を越え、高山病に罹ったか頭痛を起こしています。
当時の私が、リアルタイムで書いたここあたりの情報メモです。
書庫の奥から久しぶりに引っ張り出してきました。
フンジュラーブ峠を越え中国に入っていちばんに着く町が、富士山の頂上より少し低い高度(約3300m)にあるタシュクルガンという所。町というより何もない集落なのですが、パキスタンから渡って来た人は、ここで問答無用の強制一泊となります。
しかし、行った時は何とも思わなかったものの、こうやってGoogle mapで見てみると、とんでもないところに行ってたもんや。
そこのホテルで、パキスタン人と一緒の部屋になりました。別に望んだわけではないのですが、一軒しかないホテルの部屋の都合。つまり相部屋です。
ホテルといっても、「野宿よりはマシ」という程度のその部屋がとにかく寒く、外からの冷風が部屋のどこかしらから流れてきました。その時の外の気温はマイナス20度。部屋の中はなんと4℃でした。ほぼ冷蔵庫の中で寝るも同然でしたが、毛布なんてありません。あってもこの寒さじゃ焼け石に水。
とにかく寒かった…。
その相部屋のパキスタン人が、またえらい敬虔なムスリム。もう細胞膜のひとつひとつまでイスラム教徒な男でした。
当日の夜、まだ外は暗いのに起こされた俺。
一体何やねんと極めて機嫌が悪い俺に、メシ食いに行くぞと彼はめちゃくちゃハイテンション。時計を見ると深夜2時45分。
「日の出になったらメシ食えないぞ!!」
という彼に、
「俺仏教徒やからいつでもメシ食えるんやって。
あんたらムスリムとはちゃうんやって」
と更に機嫌が悪くなる俺。
結局、トンチンカンな会話の末に彼に無理矢理外に連れ出された俺。この年は暖冬だったとは言え真冬なので、外はマイナス20℃近く。鼻水が出る次元ではありません。出た鼻水が凍ってつららになる次元です。
寒いを超越した気温の中連れて行かされたのは、ホテルから2分ほど歩いた所にある、ムスリム専用らしき食堂。
それだけならまだいい。
そこで出た食事は、
「もうこんな深夜に食えるかアホ!」
という量の食事の数々。
それも、
「こんなん深夜に食うもんちゃうやろ!」
というくらいカロリーが高そうなものばかり。深夜のラーメンなんてまだデザートの部類と言えるほどの、ウルトラこってり系。一日分を一気に食うので、すごいカロリーのものを、食えるだけ食っておくのでしょう。ラマダーン中は、「断食」月なのに太る人が多いと聞くけれど、深夜同然の朝っぱらからこんなん食ってたら、さもありなん。
見るだけで吐き気しそうで、あまり食事に手をつけられぬまま朝を迎えました。お金は払った覚えが全くないので、向こうのおごりだったのでしょう。
イスラム教徒といっても、最終的な信仰心は本人の心ひとつです。
酒を「般若湯」と言い換えて飲み放題の坊主がいたり、ヒンドゥー教徒なのに吉野家で牛丼食う罰当たり(私の知り合い)もいますが、隠れて酒を飲んだり戒律を守らないムスリムもけっこう多いです。
政教分離が法律でしっかりしているトルコやエジプトの都市部では、戒律は自分の生活範囲だけで守ればいいというサバサバした人が多いですが、コーラン=法律という国だとそうはいきません。
パキスタンはどっちかというと法治国家で政教分離なのですが、国民の頭の中が政教分離していないガチガチの保守派。イスラム保守派と言えばイランをイメージする方が多いと思いますが、同じイスラムでも「シーア派」という違う宗派のイランなんて全然サバサバしている方です。
大多数の「スンナ派」が本当の保守派で、パキスタンはその中でもサウジアラビアに次ぐくらいの超保守派。一般大衆は相手が仏教徒だろうが何だろうが強制ラマダーン。我々異教徒も有無を言わさず強制ラマダーンです。
今こないして書いたらええ思い出。
もう後悔しても仕方ないものの、せっかくのラマダーン、ネタ収集のためにもっと経験しとけば良かったかな!?
この時は旅に疲れていて、ちょっと望郷の念が強かったので。
そして、上に書いた同僚との会話の「ラマダーンだからね」の後に、
「ああ、今年は今がラマダーンの時期なんか」
と言った私。
同僚は、
「こいつ、ホンマにラマダーンのこと知ってるんかよ?」
というような、ちょっとナメてかかったよーな顔で、
「のぶさん、ラマダーンって知ってる?」
「そりゃ知ってるわ!俺のオタク分野が中国だけと思うなよ」
「じゃあ説明して」
その後、ラマダーンとは何ぞやを「孔子に論語」「釈迦に説法」ならぬ「ムスリムにコーラン」とばかりに彼に説明したところ、
「おおすげえ!よく知ってるね~♪」
と本物のムスリムからお褒めの言葉を頂戴しました。
ザクとは違うのだよ、ザクとは。
いや、こやつめ、上から目線でバカにしとるな。
こやつの欠点は、アズハル大学卒かなんだか知らないが、それを鼻にかけて相手は無知という前提でものを話すこと。悪い奴じゃーないんですけどね~。
しかしまあ、911テロの時にさっくり勉強した、ちゅーか30%くらいは「宿題じゃ~」とかつての上司にさせられたイスラム教の知識が、約9年後にこんなとこで役に立つとは。知は力なり。
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