伊丹十三の映画みたいなタイトルだけど…これは伊丹十三映画に出てくるような女性とは対極のお話。
伊丹十三映画…具体的にはマルサの女、ミンボーの女、スーパーの女などに出てくる女性は、男以上に本気で打ち込むお話。
その正反対…つまり、仕事に打ち込む前の段階で女であることを理由に本気で相手にされない、本気でビジネスをしたい人は本気で能力を評価してくれる男を見つけないと、女性がビジネスに本気を出すことができない…とか、いうそういう話。
伊丹十三映画っぽいタイトルにした意味は…最後まで読むとわかるから最後まで読んでね。
ヤリたい男も、奢られたい女もビジネスの話をする時代になった
女子大生…普通に考えれば、学生でしかない彼女たちだが、男性の事情から言い換えるとこんな言い方もできる。
「合法的にヤれる・交際できる最も若い女」
男にとって、女は若い方がいい。
かわいいし、やわらかいし、いい匂いがするし、気持ちいいし、知りすぎてないし、無垢で盲目だし、心地よいし…。
どうせ、レディーファーストでお金を出すなら、出されたモノの価値にケチをつける余計な知識も、より多く出させるための計算も、できない女の方が色々と都合がいい。
若いOLにも当てはまる部分が大いにあり、「プロの女」はたくさんいるが、ここではわかりやすさの問題から女子大生という言葉を多用していこう。
…これは女子大生の方も一緒。
個体差という話をややこしくする問題を取り除けば、最も生物としての価値が高く多少おばかさんでも失礼でも許される状況で…つまり、ハイ・レバレッジな取引ができる身分とは、女子大生なのだ。
しかし、女性達も男の趣味なんかわかんない。
オタク臭いやつでいいならアニメでもツイッターでもブログでもやればいいのだが(極論、ツイッターのアイコンをおっぱいの谷間にでもすればいいのだが)…誰でもいいわけじゃない。
逆の立場で考えてみなさいな。
自分が一番きれいな時に付き合ってる男が、デブかガリガリか服に興味のない冴えないオタクだったら「私の人生のピークって…」と思うでしょ?
(※この場合、オタはオタでも草食系のワンパンチで倒せそうなガリガリイケメンは例外とする)
逆に考えてご覧よ?
若くてかわいい子とヤれない人生なんてクソだし、稼いでも喘げばあえぐほど、ぶたみたいな女のために働いてると思うと「俺の人生の意味ってなんぞや」とか男だって思うはずさ。
(※)
でも、女子大生はいい男と会う手軽な場所がなく、男達もそれは同じ。
…いや、1つだけある。
「ビジネス/就活で会いたい」
と女が言って会いに来てくれること。(※男から行くと怖がられます)
これなら、ヤるには時間がかかるが、お茶やお酒をする口実には十分だろう。
これは女にとって非常に都合がいい。
奢ってもらう口実としてビジネスが機能しつつも、体目的でしか近づいてこないやつには「ハラスメント」だと喚き立てれば、警察なり裁判所が何とかしてくれる。
女ってのはややこしい生き物で、
・ガチガチに体目的なのは嫌だが、好きとかかわいいとは言われたくて
・慣れてる男と野暮ったい男は嫌いだが、初々しさを男に求めてて、
・安く買い叩かれるのは嫌だけど、法外な金額を提示されたらついつい「金で買えるような女じゃない」と言ってた人も、黙りこくって考えてしまう。
だから、合コンやナンパでは尻軽すぎるし、職場や同級生というコンサバな選択肢よりも少し刺激を求める。
双方の落とし所が「ビジネスの話をすること」になった結果として、おかしな形で利害が一致してしまう。
ビジネス目的で訪ねてくる女性を「プロの女」扱いする男と、ビジネスなんてぶっちゃけ興味ないから雑なプラン、雑な主張でホイホイ男が出してくれるお茶やお酒についていくし、本音ではそれ自体が目的…という女性が出てくる。
つまり、いい加減な人同士での需要と供給が一致する。
これはいい加減な人同士がぶつかりあえばいいのだが、真面目な人・しっかりとした人がそこに巻き込まれると不幸が始まってしまう。
若さとは絶対に暴落することがわかっている金融商品である!!
ここまで聞いて、気分を悪くした女性もいるだろう。
そりゃそうだ。本当にこの文面通りの女がいたら、ハニートラップかアバズレだ!
「下半身でものを考えてる」のは男も迷惑だが、そういう女もけっこう迷惑。
そうは言っても、「マジでビジネスや就活に勤しむ女子大生」の方が多数派で、上昇婚だ、男にカネを出させるとか言って、女性誌やブログの世界で暴れまわっているバカ女・バカメディアはノイジーマイノリティ。
彼らが面白おかしく煽れば煽るほど真面目な女性、実力ある女性のほんとうの意味での社会進出を虐げる。
確かに女子大生であることは価値がある。
でも、女子大生の価値は女子大生自身が自由に出し入れできる貨幣のような価値ではなく、あくまでも投げ銭・期待値ありきの金融商品。
それも、若さなんてものは絶対に暴落することがわかっている金融商品だ!!実力以上に評価されるうちに換金しようとみんな考えてる。
若さが金融的で自分一人で現金化できないのは男も女も同じ。
でも、男の場合は、若さが持ってる価値がそんなに高くないから、大半の男は若さをもっと価値のある知性や地位に変換しようとする。
だから、大半の男はコテコテの金融商品にはならない。(意図的に金融商品を目指す男もいるけど、大半の男には若さそれ自体に魅力はない)
真面目に働こう・認められようとする女性も、知性や地位に換金しようとする。
でも、女性はもっと即物的に換金することを期待されてしまうことや、若いほどハイレバレッジをかけて換金できることから「プロの女」と化す事がある。
それでいい人を止める気はない。 でも、
「仕事や言ってることが評価されてるかと思ったら、女だからちやほやされているだけだった」
「女だからちやほやするためにそこに呼んだだけで、話を聞く気も、提案を受け入れる気もまったくない男がいっぱいいる現状にヤキモキする」
という女子大生やOLは、実力を認められたいなら「プロの女」扱いする人を判別・決別していく必要がある。だからこそ、こういう記事を書いてる。
「プロの女」になる/ならないためにできること
男達には
「笑顔と気づかいをする置物になっているだけで時給数千円分のご飯やお酒とサービスのお金を出してくれるなんて、ありがたいことじゃないか」
と思うかもしれないが、いい話ばかりでもないからそれを回避したり、また別に真剣に向き合ってくれる相手を探す女性もたくさんいる。
もしも本気で、ビジネスや就活がしたくて、相手との席に時間を割いている女性たちには、むしろ「ビジネス・就活をダシにして席を設けている人」は、かえって嫌な気分になることだってある。
そこで、そういう男に出会ってしまった時の考え方を3つ書いておく。
1つ目、プロの女を求められたらビジネスフォルダからメッシーくんフォルダに移そう
相手が真面目にビジネスや就活を手伝う気がないことに気づき始めたら、自分も
「相手だって真面目に取り合う気がないのだから、こっちだって真面目にビジネスをする気で向き合うのはやめよう」
という感じで対処するのがいい。
そういう時に「女だと思って舐めやがって」とキレるのは、あまり生産的ではない。
腹を立てても、身もふたもないことを開き直って言われるだけだから、あんまり意味がない。
「なんで、ただの大学生の話をわざわざ聞かないといけないの?」
とか、
「自分だって、女であることで得したり、女として見られてることを利用してきただろう」
とか。
そんなやり取りするのもくだらないから、そっと
「この人とビジネスの話、就活の話をするのは程々にして、この人にはご飯やお酒をおごってもらって、自分がしたい話は別の相手にしよう」
と割り切ってしまう方がいい。
相手がブサイクだったり、払いが悪かったりしてきたら切るぐらいのつもりで「プロ」らしく振る舞った方がいいと思う…だってプロだとしか思ってないんだから。
プロをやるのが嫌だったら、関係をフェードアウトすればいいし、プロの女扱いも相手や払いの関係で悪くないと思うなら続けたらいい。
とにかく、その人とビジネスの話・就活の話をまともにするのは諦めた方がいい。
2つ目、「相手が同性(男子大学生)でも、こんな風にするかな?」と逆算する
大学生の提案なんて大半はゴミ!
OLの異例の出世なんて大半は能力ではなく、政治的な事情。
大学生ならではの発想?
素人考えをオブラートに包んで、言ってるだけのことを鵜呑みにしちゃいけない。
女性目線?
本当にそういうものがあるかどうかを事前に周りの男子とか、先生の意見を聞いて「本当に男はそんなこと考えてないのか」を検証してから言ったほうがいい。
どこでだって女性目線が活かされるとは限らないし、それ自体が「プロの女」を招き寄せる口実にしかなってないことだってあるんだから。
冷静に客観視・検証した時に、厳しい意見やクオリティに見合った返答がいただけない場合は、「プロの女」を求めて、若さを吸う妖怪のように擦り寄ってる可能性を考えたほうがいい。
ポジティブなのか、軽薄なのかを見抜くのは難しいけど、上辺だけ・本気ではないくせに距離だけが不一致なぐらい近い相手を見抜くことはできる。
「同性(男子大学生、同年代の若手リーマン)でも、この提案したら同じ距離感で近づくのかな?同じ言葉をかけるのかな?」
と冷静になったほうがいい。
自分がしたいこと・やってることのために時間を使いたいならね。
3つ目、キモくなろう!!図太くなろう!!!!
最近、千葉雅也さんという若手の哲学者が「勉強の哲学」という本を出した。
その千葉さんが自身のツイートで紹介するほどよくできた要約をなんと僕の友人がつぶやいている。
「勉強の哲学」自分なりに要約すると、
— きみたり/君足巳足 (@kimiterary) 2017年4月16日
・勉強するとキモオタ的になるが、これは言葉のアップデートに不可欠
・その上でキモさを削るには喋りがキモくなる原因を知る必要がある
・「別の」勉強を続けることで「ある」キモさは軽減される
って感じなので、どう考えてもオタクが読むべき。
これはお仕事をしててもそう。
仕事に対してストイックになればなるほど、女らしさとは程遠い図太くて、ブスで、論理的になる。
伊丹十三の描く「○○の女」シリーズに出てくる主人公の女なんて完全にそういう女。
ブスは言い過ぎにしても、図太くて論理的なおばちゃんが、愛嬌と図太さとロジックを出し入れしながら、男以上に仕事をガツガツこなす。
それをセクシーだと思う人は、控えめに言っても変わり者だと思う。
そういうキモさは、女性としての金融商品的な価値とは対極にあるかもしれないけど…対極だからこそ、「プロの女」であることを求めて近寄ってくる人は激減するでしょう。
それでも「プロの女」として扱ってくれるなら、その人はむしろ論理的で、図太くてストイックな女性が好みということになるが…その場合は「誰でもいい」ってわけではないと思うから、良しとしてもいいと思うけどね…。
いや、むしろ、経験則として言わせてもらうと、そういう女の人の方が
「モテなそうだし、本人もモテることを望んでないけど、自然体でいられることが好評で、実はモテてる」
「チャラいやつをかわしながら、チャラくない男からモテモテで、チャラくないやつは自分の時間を大事にしたいから、関係が深くなっても結局は一人の時間は消えない」
というケースが多いんだよなぁ…。
そのせいか、マルサの女と、スーパーの女は思いっきり仕事バカな女でありながら、敵とか仲間の男からすごく好かれてるのよね…。
それも「プロの女」としてじゃなくて、自分の仕事を熱心にやるところが好かれてるから、仕事熱心であればあるほど惚れられるというパターン。
女性自身の美意識や自己満足の問題があるから「キモくなろう」が無茶振りに思えるかもしれないけど、キモくなることで手に入る真実味もあるとすれば、それはけっこう面白いと思うんだ…。
そのうち、大真面目に伊丹十三監督作品ランキングを作りたい。
邦画の悪口ばっかり言ってるけど、伊丹十三はホンマに好き!!