発端の記事
日本人操縦の零戦、東京湾で里帰り飛行 エアレースで

千葉市美浜区で4日まで開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」で、日本人の操縦する零戦が東京湾の上空を飛行した。
http://www.asahi.com/articles/ASK6152GTK61UEHF008.html
LINE風にまとめました
TLに零戦を讃える人がたくさんいて、考え込んでしまう。「平和を考える機会」にはなってないようだけど→日本人操縦の零戦、東京湾で里帰り飛行 エアレースで:朝日新聞デジタル
戦争への反省と「零戦カッコイイ〜」が両立する精神状態というのがマジで分からん。私にご意見をくださる皆さんが「加害」の視点がまるっと抜け落ちて悲劇の主人公気分なのも興味深いし、普段は中国や北朝鮮の脅威を煽っている人がこんなときだけ「平和な日本の空、ほっこり」とは?
…AERAって朝日新聞系ですよね?実はこの零戦を飛ばしたレッドブルエアレースの後援を、朝日新聞がしているのです。つまり朝日新聞は「戦争を反省しつつ零戦かっこいい」という精神状態を肯定していると思うのですが如何でしょうか?レシプロ戦闘機は現代の戦争にはもう役に立たない存在なのです。
げげ。それは知りませんでした。組織の考えは分かりませんが、私の立場は変わりませんよ。現代の戦闘に役に立たないものをなぜ復活させる必要があるのか、石塚氏が過去に出演したチャンネル桜の2回の放送をご覧になったらいかがでしょう。社が後援するイベントと社の記事の編集ポリシーは一致しませんよ。朝日新聞出版は親守唄の大会に協力していますが、私は記事で親学を批判してきましたし。
ええ、それは分かります。ただ朝日新聞が零戦を飛ばすイベントの後援団体だったという事実から、先の大戦のレシプロ戦闘機は、既に航空史に於ける文化財だと考えて頂ければと思います。戦闘兵器たる要塞、砦、城は文化財であり観光名所となっています。零戦も同じです。現代の戦闘に役に立たない旧式兵器の復活でしたら、震災で崩れた熊本城を復旧する予定ですし、名古屋城は木造で立て直す計画です。現代の戦争に役に立たないという点では、お城も零戦も同じだと私は考えます。
零戦と熊本城を同一視する人たち、発想が斜め上すぎるし、熊本出身で熊本城の復旧に寄付している私としては怒りで震える。
何故お怒りになられているか全く理解ができません。城砦は間違いなく戦闘兵器です。
まだまだ復興は遅れていて、壊れたままの家で梅雨や台風を迎える不安な母の心の支えになっているのが熊本城です。熊本城に観光客が集まり、復旧のための寄付が集まり、元の姿に戻る日を心待ちにしている。同じ思いの人たちは多いと思う。それを「戦争のために作られたものだし復旧しなくていい?」侮辱するのもいい加減にして欲しい。熊本はまだまだ復興出来ていません。私の実家も被災し取り壊すことが決まっています。被災者の心の支えになっている熊本城と零戦を重ね、「再建はやめよう」とはどういうことですか?熊本城と零戦を同じ背景を持つものとして見るのは、あまりにも暴論ですよ。
いいえ、私は復旧しなくていいだなんて一言も言っていませんよ? 零戦も熊本城もどちらも復旧することを肯定しています。
これはあなたに向けたものではないですけど。他の方からのツイートに対してです。
大貫さんと私は相互フォロワーですが、大貫さんの文脈は「旧式兵器の復活がおかしいという理屈を述べて零戦を非難するなら、熊本城の復旧も非難しないとダブルスタンダードになってしまう」というものなので、大貫さんは熊本城を復旧するなという意味で言ったのではありませんよ?
よくもこの復興の中でそんな例えができますね。私は熊本城の歩みを零戦と同じだというあなた方のロジックと、この復興の時期にそんな例えを出すその無神経さが理解できないのです。
零戦も熊本城も共に兵器であった過去は同じなのですよ。ナチスドイツの世界史上初のジェット戦闘機ですら復活し歓迎されたのですから、零戦が復活したら歓迎されても別に不思議ではないのです。
「心の支えになっているのが熊本城」→加藤清正に侵略されたことを憎んでいる韓国人が、「再建なんて許せない」「怒りに震える」とか言ったら、どう回答するのですか?戦艦大和や零戦に美に格別の愛着を持つ日本人は多い。と、同時に朝日的歴史観を持つ人々にとっては、悪の象徴でもある。熊本城を肯定し、零戦を否定するということは、戦争全般を否定しているのではなく、「あの戦争」「あの当時の日本」を否定しているに過ぎない。結局、歴史観の問題ですね。
零戦を正当化するためなら、復興に向かう熊本を平気で踏みにじる。そういう人たちが支持するイベントなのだ。
いいえ、私は熊本城を踏みにじってなどいません。訂正して頂けませんか? 熊本城の復旧もレシプロ戦闘機の復旧も、今は実戦に使えない旧式兵器の復旧であると述べただけです。「旧式兵器の復旧の意味が分からない」と言っていたのは貴方でしょう。それに答えただけです。
「旧式兵器の復旧の意味が分からない」なんて書いてませんが。熊本城がこれまで歩んできた道と零戦とを同一視するのが理解できないと言っています。
貴方は朝に「現代の戦闘に役に立たないものをなぜ復活させる必要があるのか」と仰られましたが、大戦に使われた古い戦闘機は世界中で復活しています。ナチスドイツのジェット戦闘機Me262ですら、結構最近に復活して飛んでいます。つまりお城と同じく、復活を喜ぶ人が多かった。
とりあえず、宮崎駿先生に取材されてみては?あの人、ガチガチの反戦護憲左翼だけどゼロ戦をテーマにアニメ映画を作るほどの兵器マニアでしょ。
美しいものを見ても、歪んだ歴史観で目が曇っていれば、美しさを識別できなくなるものですね。
戦艦大和や零戦に美に格別の愛着を持つ日本人は多い。と、同時に朝日的歴史観を持つ人々にとっては、悪の象徴でもある。熊本城を肯定し、零戦を否定するということは、戦争全般を否定しているのではなく、「あの戦争」「あの当時の日本」を否定しているに過ぎない。結局、歴史観の問題ですね。
ゼロ戦里帰りプロジェクトの石塚さん、チャンネル桜にもご出演されていた。いわく「零戦は特別な美しさがある」「零戦に戦争のイメージをのせるのは時代錯誤」「日本人であることに誇りを、日本の近代の歩みに自信を持って欲しい」「戦争は悪、過去は否定という絵図は違う」なるほど〜。
いまだ零戦についてのご意見が届きますが、皆さん、主催者側の思惑通りの反応で、石塚氏もさぞご満悦でしょう。「技術」ではなくあの「精神性」を継承していくために、いい機会でしたなぁ。
私のあのプロジェクトへの違和感は、主催者側の過去の発言から見える歴史認識。歴史を真正面から背負わないんなら擁護するなよとしか。そして「熊本城も零戦も兵器として何の違いもない」という主張は、熊本城の現在までの郷土史を無視してる上に「零戦否定するなら熊本城も復旧しなくていい」は酷すぎ
「歴史を真正面から背負わないんなら擁護するなよ」→先の大戦における朝日新聞の責任を真正面から背負うことなく、軍部や日本政府に全責任を押し付け、偽善者ぶって中韓を煽る報道をし続けてきたから、兵器にまで憎悪を抱くような頓珍漢な発想になるのですよ。
戦争のために作られたものだし、現代の戦争には役に立たないから熊本城再建はやめよう、ということにはならないのかな。
熊本はまだまだ復興出来ていません。私の実家も被災し取り壊すことが決まっています。被災者の心の支えになっている熊本城と零戦を重ね、「再建はやめよう」とはどういうことですか?熊本城と零戦を同じ背景を持つものとして見るのは、あまりにも暴論ですよ。
あなたは日本語を仕事にしているのに他人の言葉を読めないのですか。僕は、あなたが零戦を侮辱する言葉はそのまま、熊本城を侮辱する言葉になると指摘したのです。戦争は悲劇であり、それを形として遺し歴史を伝え行くことに意味がある。西南戦争も、太平洋戦争もです。
2017年にもなって熊本城を「武器」としか見れないのはどういうことだろう。これまでの郷土の歩みを無視して、兵器としての零戦と比較すること自体がナンセンス。
これまでの技術の歩みを無視して、ゼロ戦を兵器としてしか見ないこと自体がナンセンスです。あなたはそれを指摘されているのに、常に無視し、批判者を「熊本を侮辱する人間」に仕立て上げることのみに注力。朝日の悪辣な捏造報道、批判者の悪魔化のノウハウ、十分に見せていただきました。
”””ゼロ戦を兵器としてしか見てないことがナンセンス”””
現代でも兵器として有用なんて言ってません。「零戦に戦争のイメージをのせるのは時代錯誤」「戦争は悪、過去は否定というのは違う」と主張するオーナーが、「日本人としての誇りを持って欲しい」と、零戦が持つ「技術」より「精神性」に心酔して復活させることを疑問視しています。
私のあのプロジェクトへの違和感は、主催者側の過去の発言から見える歴史認識。歴史を真正面から背負わないんなら擁護するなよとしか。そして「熊本城も零戦も兵器として何の違いもない」という主張は、熊本城の現在までの郷土史を無視してる上に「零戦否定するなら熊本城も復旧しなくていい」は酷すぎ
戦争の悲劇を直視し、歴史を学び、そこから次の戦争を食い止める方法を考えるのが平和を守るということだ。あの戦争とこの戦争を同一視するのは侮辱だ、などと言う人の方が恐ろしい。そういう人は、自分が正しいと思う戦争はするのだろう。戦争を始める奴はみんな「平和を守るための戦い」と言うんだ。
「あの戦争とこの戦争を〜」などと言ってません。第一、零戦を批判することと戦争の歴史、その悲惨さを語り継ぐことは矛盾しませんよね。熊本城が辿った歴史は誰でも展示や出版物で学べますし、誰も両者の重みを天秤にかけていない。零戦を侮辱する=熊本城を侮辱、というのはやっぱり分かりません。
僕はエアレースに零戦が飛来したのを見て、泣きそうになった。それは、あの終戦の8月を思わせるような夏空の中に零戦が現れたとき、零戦に乗って戦死者の霊が帰ってきたように思えたからだ。僕は英霊が神社にいるなどとは思わない。ただ、純粋に空を楽しむあの場には、帰ってきたかもしれないと思う。
これは僕の感想に過ぎない。戦争賛美のネタに使う人もいれば、反戦のネタに使う人もいるだろう。ただ、少なくとも僕が石塚氏に直接聞いた限りでは、氏は政治的目的から零戦を日本で飛ばしているのではない。純粋に技術遺産として飛ばしている。それを見た人が様々な感想を持つのは、むしろ当然だろう。
物は物であって、意思は持っていない。だから零戦は何も語らない。雄弁なのはそれを見た人間の方だ。だからこそ、物は遺していく価値がある。物を見ることで、歴史を知り、過去の人々に思いを馳せることができる。その思いがどんな思いかは、その人の考えによって違うだろう。それが思想の自由だ。
まず最初に物ではなく正義を考えて、その枠の中に物を入れてしまう人は怖い。正義感から「福島から放射能が来る」と煽って、太陽からもたらされるトリチウムのことは語らない。零戦は戦争の道具だと言い、熊本城も同じだと言われると侮辱だと怒る。そんな身勝手な「正義」こそが戦争を招く。
引用元ツイート
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「太平洋戦争=日本が悪い」という欧米のプロパガンダに染まった典型的な無思考信者ですね
こういう人は日本人として客観的に歴史を精査出来ないので何を言っても無駄です
現代の感覚でしか歴史を見れない人がジャーナリストしてるなんて日本にとって不幸な事です
こんな人間を守る為に当時の先人たちは零戦に乗って戦った訳ではありません