それは昨日のこと。
友人が、ふらっと遊びに来てくれました。
40代の彼女は、同じ年のご主人と別居中。
友人は、「お義母さんが突然、朝、やって来て・・・」と話し始めました。
何といっても別居中ですから、その夫の母親との会話は、それなりにスパイスの効いたものだったようです。
「それじゃなに?私の育て方が悪かったっていうことなん?」
そんなお義母さんの怒りとも抗議とも嘆きともとれる発言も飛び出し、
「いや~、疲れたわ~」と友人は話していました。
「親の育て方が悪い」という言葉がもつ威力
「親の育て方が悪い」と言われるのではないかと怯え、そう言われまいと必死だった頃が私にもありました。
偏食は親の育て方が悪い
落ち着きがないのも親の育て方が悪い
忘れものをするのも親の育て方が悪い
成績が悪いのも親の育て方が悪い
友達とうまくやれないのも親の育て方が悪い
問題を起こすのは親の育て方が悪い
病気になるのは親の育て方が悪い
そう思い込むことが、「親としての自覚の高い『良い親』」だとばかりに、肩に力が入っていました。
「この子のことで、誰にも何も言わせない!」と周囲に壁を張り巡らせていたこともありました。
まさに子育てに孤軍奮闘。
他の人から子供のことで何かを言われることは、自分のことを言われるより何より辛い。
「親の育て方が悪い」、それは、その当時の私にとって、殺し文句だったように思います。
親を飛び越えていった息子たち
ところが、成長するに従って、息子たちは親の敷いた敷石をことごとく蹴散らし、柵を飛び越え、凄まじいエネルギーで自分の世界に飛び出していきました。
大・小さまざまな問題、そして怒りや落胆、不安などの胸の痛みをまき散らしながら。
子育てには、痛みが伴うことを知り、そして思いました。
もう、息子たちは、「親の育て方などの及ばない世界に生きている」のだと。
親の力など微々たるもの。
親とは異なる世界に生きる息子たちにはそぐわない自分の価値観。
それを押し付けても、ほとんど意味を持たないことも悟りました。
「息子たちから捨てられる(距離ができる)ことを、成長の証として喜んで受け入れよう」
今はそう思っています。
「親の育て方で子供のすべての人生が決まる」
そんな不遜な考え方を手放さざるを得なかった私。
思考の断捨離によって、楽に息子たちと付き合う術を手に入れました。
成人した子供のあれこれに、親の育て方を問うことの不思議さ
成人した芸能人2世の不祥事が、連日のように報道されています。
そして、親がカメラの前で謝罪する姿を目にすることもしばしば。
芸能人という特殊性から仕方がないことなのかも知れませんが、個人的には違和感を拭えません。
いったい、いつまで親の責任が問われるのかと。
「成人しても、子供が犯した不祥事は親の責任」
そこには、そんなメッセージが込められているように感じます。
ひょっとしたら、日本独特の文化なのかも知れませんが・・。
こうしたことが、無言のプレッシャーとなって「親の育て方」云々の風潮を強めているような気がします。
さてさて、「私の育て方が悪かったっていうことなん?」と義母に問われた友人。
「自分の育て方が悪かったとは言わせない」
「息子は、私の所有物」
そんな裏のメッセージを感じ、
「40過ぎても、お母ちゃんからまだそんなことを言われている人と、この先どうやって暮らしていけっていうのん?」と。
自分自身の子育ての体験が走馬灯のように巡り、ただひたすら深く頷く他はない私でした。
目を通していただきありがとうございました。
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