砲弾の届け出が5月下旬から県内各地で相次いでいる。6日までに70発以上が確認され、いずれも旧日本軍製だった。連日の報道を受け「うちにもある」と警察に連絡が寄せられているが、神社の石碑に取り付けられるなど、奉納品とみられるケースも多い。近代史の専門家は「当時の世相を伝える貴重な史料。危険性がなければ、そのまま残してほしい」と求める。 県警によると砲弾は6日現在、13市町47カ所で計79発確認された。大半は神社の境内や拝殿で見つかり、「征露記念」「忠魂碑」などの文字が記された物も。神棚に飾っていた民家もあった。 「戦場から無事に帰ってきた軍人が感謝を込めて、奉納したのだろう」と語るのは県立先哲史料館(大分市)の元専門員、加藤泰信さん(79)。日露戦争(1904~05)などの従軍記念で納めたと推測し、「神社は地域の中心。置くにはいい場所だったはず」と考える。 加藤さんによると、明治維新以降、神社は国家神道の下で国民の精神的支柱となった。 45年の太平洋戦争終戦まで、国民の好戦意識を支えるよりどころで、出征前には地域の神社で「戦勝祈願」「武運長久」を祈るのが習わしだった。 41年から終戦まで、武器生産の材料を確保するため、家庭や学校などに「金属類回収令」が出されたが、神社の砲弾はそのまま残されたことになる。 加藤さんは「砲弾は戦勝祈願のシンボルであり、軍事思想を支える物だった。生還した兵士の奉納品でもあり、手を付けられなかったのではないか」。 砲弾を通して当時の姿が透けて見える。しかし、信管と火薬が残っていれば話は別。 爆発する可能性はあり、陸上自衛隊が回収、処分する。 県警生活安全企画課は「危険物という認識がなく、飾っているだけでは法的に問題はない。安全かどうかの判断は難しいので、気になったら警察に届け出てほしい」と呼び掛けている。新たに19発確認 6日は大分、別府、中津、佐伯、宇佐、玖珠の6市町の神社や住宅で計19発が確認された。 警察に届け出があり、信管が残っている砲弾もあった。別府市朝見の八幡朝見神社では、境内の石碑に砲弾2発が取り付けられていた。 同神社によると、1934年に奉納された。陸上自衛隊が状態を確認しており、爆発の危険性がなければそのまま飾っておくという。