・6月6日、ほぼ日創刊19周年のごあいさつは、
別のところに書いたので、そちらをぜひお読みください。
そこでも書いたことですが、ぼくの19歳は、
なかなかに、かっこよくないものでありました。
とにかく、なにがなにやらを、まったくわかってない。
なにをやるにも考えるにも、理由も根拠もなく、
ただただくじ引きを続けているようなものでした。
無数にあるわからないことのなかでも、
うすうす「これはちがうよなぁ」と
じぶんでも感じていたことのひとつが、
おしゃれというもののことでありました。
そこには、まちがいのメソッドがあったのです。
「多少なりともおしゃれをしなきゃ、あるいはしたい」
そう考えた田舎者は、どういうことをするか?
おしゃれじゃない(けどなんとかなってそうな)人の
まねをしようと試みるのであります。
おしゃれな人のまねなんか、しようとしても無理、
それくらいは承知しているわけなので、
ぜんぜんおしゃれじゃない、
じぶんでもまねできそうな人を観察して、
そのアイテムを身につけるのです。
だから、同じような人の集まる領域、地域に、
同じような服装の人が群れるのです。
どうしてそういうことに気づいたかというと、
若いときのぼく自身が、ファッションを決めるとき、
おしゃれでない人のまねをしていたからです。
この、自信のない初心者(あるいはお上りさん)が、
おしゃれじゃない人のまねをしたがるという法則は、
けっこう応用の利くものです。
ほんとは、トップクラスの先生から学ぶべきなのに、
じぶんの実力に近い、へんな先輩を学んでしまう。
こんな例は、ものすごくたくさんあります。
一流との差がどれほど大きく見えたとしても、
一流のやり方をなんとかまねしたほうがいい。
実力がちがいすぎるのにまねをすると危ない?
そうかもしれないですが、すくなくとも、
へんなクセのある下手な人を手本にしちゃだめ。
一流のまねができなくともよくよく凝視することです。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
骨董や絵画など見る目も、本物を見ることで養いますよね。