※このコラムは映画のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
SF作家テッド・チャンの小説「あなたの人生の物語」は、「古今東西のSF短編の中でもオールタイムベスト級と目される、傑作中の傑作」*1 と評される作品だ。同作は、『ボーダーライン』(’15)などで知られるカナダ人監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの手によって、映画『メッセージ』に生まれ変わった。評価の高い原作のニュアンスを損なうことなく巧みに映画化した、みごとなフィルムである。
物語は、ある日地球に謎の物体がやってくる不穏なシーンが導入部となる。その巨大な宇宙船のようにも見える黒い物体は空中に静止し、地球人に攻撃をくわえるでもなく、不気味な沈黙を保っている。アメリカ、中国、ロシアなど、さまざまな国へ飛来したこれら12の宇宙船により、全世界は大きな混乱に陥っていた。言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、宇宙船内にいる生物と意志疎通を図るために政府から協力を要請され、宇宙船が浮かぶ場所へと向かった。ルイーズは、物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)と協力しつつ、未知の生物との会話を開始し、なぜ彼らが地球へやってきたのか、その理由を探る。
『メッセージ』にはさまざまな切り口があるが、わけても「翻訳」は重要なモチーフだろう。劇中かなり多くの時間が、ヘプタポッドと呼ばれる未知の生物と人間が意志疎通を試みる描写に費やされている。ルイーズは英語(アルファベット)を用いて彼らに考えを伝え、ヘプタポッドは輪のかたちをした表意文字で返答する。両者がおこなうのはまさに翻訳であり、しだいにコミュニケーションが成立していく過程は実にスリリングである。
しかし翻訳は何も、宇宙人とのあいだにのみ必要なものではない。同じ人間どうしでも、言語が異なれば翻訳は必要である。さらにいえば、翻訳という行為はもっと身近にあるものだ。アメリカの小説家リチャード・パワーズはインタビューで、同じ言語のなかにも翻訳があると述べている。たとえば日本人が、同じ日本人の書いた本、話した言葉を理解しようと試みる行為もまた、ひとつの翻訳であると彼は主張するのだ。
「自分の言語であっても、やはり翻訳しているのです。それまで全然知らなかった物語を、これなら知っていると思える物語に訳している。そして、それと同時に、外から入ってくるその物語を受け入れるために、自分の物語、自分という物語も翻訳しているのです」 「今とは別の時代の本を読むのも、やはり翻訳ですよね。それにたとえば、異性の書いた本、自分とは違う人種の人が書いた本を読むのも、つねに経験の翻訳です」*2
自分とは違う価値観や視点を持った他者の言葉に耳を傾けることは、すなわち翻訳であるとパワーズは主張する。すばらしい視点ではないだろうか。他者とコミュニケーションを取ること、それじたいが翻訳の連続なのだ。発せられたメッセージを咀嚼し、自分なりに理解しようと思考をめぐらせる行為。ゆえに、あらゆる場所で翻訳は発生する。われわれはみな、ヘプタポッドの難解な表意文字を理解しようと頭をひねるルイーズのように、異なる考え方を持つ他者とのコミュニケーションを手さぐりで続けていかなくてはならない。他者とはそもそもヘプタポッドのような存在であり、相互理解がむずかしい対象なのだ。
ルイーズは、他者を知りたい、異なる文化を知りたいという好奇心そのもののような女性である。宇宙船内部でおもわずヘルメットを脱ぎ、ヘプタポッドへ直接話しかけてしまう彼女は、翻訳の情熱に突き動かされている。ルイーズのこうした情熱、他者への素朴な信頼に私は胸を打たれるのだ。そして彼女はエンディングにおいて、未知の対象へみずからを開いていくことで世界全体の平和と安定へ貢献する。異なる文化を学びたいという、健全で前向きな好奇心。ゆえにルイーズは希望となる。
逆に、異なる文化に対して防御的になり、閉塞したままの共同体は活力を失っていくだろう。ひとつの社会、共同体が存続するためには、つねに外部に対してオープンでなくてはならない。宇宙船の飛来した国どうしの通信が途絶え、モニタに虚しく浮かぶ “DISCONNECTED”(通信切断)の文字は、閉塞した社会の象徴だ。翻訳こそが、社会を開かれた場所に変える。ルイーズのみずみずしい情熱に深く感動するのは、彼女がどこまでも翻訳をあきらめなかったからだとあらためておもうのである。
*1 劇場用パンフレット内、大森望解説 p44
*2 柴田元幸『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』(アルク)p143〜145
『メッセージ』
公開日:2017年5月19日
劇場:全国公開
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エイミー・アダムス/ジェレミー・レナー/フォレスト・ウィテカー/マイケル・スタールバーグ
配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント