広告代理店最大手、電通の社員自殺事件を機に、国を挙げて働き方改革が加速している。それに伴い、かつてなく強化され始めたのが、過重労働を放置する企業への取り締まりだ。
労働基準監督署は労働者からの情報提供によって、違法残業している事業場を特定していく。2015年に労働基準監督署が全国で立ち入り検査した事業場は15万5428件に達する。その約7割で違反が発覚し、1348社が総額99億9423万円の未払い残業代を支払う結果になった。
労基署に情報提供するにはどうすれば良いのか。直接労基署を訪問したり、電話相談したりする方法がある。電話や窓口による相談は年間約120万件にもなる。このほか、労基署のウェブサイトに届く情報も大量にある。多くは社員や元社員など関係者からによるものだ。ある監督官は「会社に不満を抱えていて我々に相談しにくるケースもある。捜査対象の見極めがとても大事」と打ち明ける。同じ事業場から同様の相談がきたり、過労死の危険性が高そうな事案が優先的に立ち入り検査の対象となる。
実は労基署への通報者は本人だけではない。最近増えているのが家族からの通報だ。本人が望まない形で労基署が立ち入り検査のきっかけとなる通報もある。
「息子の帰りが遅くて心配です。調べて頂けませんか」。中堅広告代理店に勤める若手社員の親が、息子の帰りが遅いと心配になって通報してきたケースだ。たしかにその息子の会社は残業時間が長い職場だったが、本人はその働き方に満足していた。
この親の通報が功を奏したのか、ある日労基署から会社の代表電話に連絡があった。社長は残業代を全て払っていたので、思い当たる節はない。特に対応する必要性を見いだせず、無視することにした。すると、また2週間後に連絡がきた。
この時点でやっと人事担当役員が弁護士に相談した。その弁護士が「放っておくと、役員が送検される可能性がある」とアドバイスされた。自分の身に危険があると分かった役員は慌てて、社長に報告し、労基署へ連絡した。
数日後、労基署がやってきた。出勤簿を確認すると、長時間残業がひと目で分かる。労働基準法は全ての事業所に対し、従業員の所定労働時間は「1人当たり週40時間」までとするよう定めている。もっとも、現実問題としてこれで仕事が終わる企業は少ないので、そうした事業所は「時間外・休日労働に関する協定届(通称:36協定)」を労基署へ提出することで、「1人当たり月45時間」までの残業が認められる仕組みになっている。これでも足りない企業は「36協定の特別条項」により、年に6カ月間に限り、労使間で自由に残業時間を設定することが可能だ。この会社は特別条項は結んでいなかった。
だが社長は「残業代払っているのに何が悪い」と開き直った。あっさりとクロが確定してしまったため、労働基準監督官から是正勧告書が手渡された。
勧告署に従って、改善することになったのだが、社員にとって喜ばしいものではなかった。社長は社員に対し21時以降の残業を禁止した。そのため残業代が支払われなくなり、社員の月給が15万ほど下がった。残業代を見込んで生活設計していた人も多く、稼ぎたい人を中心に辞めてしまった。社員同士で飲みに行くことも減り、コミュニケーションも悪くなった。中堅広告代理店の社長は「社員が望んでいないし、もう少し柔軟な働き方を認めてくれたら」と愚痴をこぼす。