今日このニュースを見た。大好きなバンドのギタリストがこの世を去った。57歳と若すぎる死。感想はそっかー、死んだかーである。基本ロックミュージシャンなんて不規則で不健康な生活をしてるのだから長生きなんてしないんだろうけどやはり好きなギタリストがいざ死ぬとショックだ。考えてみれば私も今年で43歳。人生ももう折り返しである。いつ頃からだろうか、「死」について身近に感じたのは。それは子供の頃からテレビで見ていた有名人が次々と亡くなり、私の知人・友人などの死に直面しているからに他ならない。それでも私は「死」など他人事、自分には関係ない事だと思っていた、というより無意識に考えないようにしていたのかもしれない。子供はまだ小さいし奥さんもまだまだ若い。私が今死ぬわけにはいかない。まだ大丈夫だ。多少の無理は問題ない。50までは気力の続く限り突っ走ろうと思っていた。
今日の夕方、取引先の部長が納品のついでに事務所に来てくれた。製品についての打ち合わせをして、さぁこれから販売体制を整えて頑張ろうぜと言ったすぐ後に、彼が報告しないといけない事があるとそれまでの笑顔は引っ込めて神妙な面持ちになった。嫌な予感。彼は職人のA氏が先日急逝したと説明した。A氏は先月まで一緒に現場でワイワイやっていた職人だ。享年46歳。若すぎる。聞いた瞬間は実感がわかないので「そうか」としか言えなかったが、その知らせを聞いた時の状況を聞いていくうちに悲しみが一気に溢れ出した。40過ぎのオッサン二人は互いの目を合わさずに、汚い倉庫でまだ元気な時のA氏の行動を報告し合いながら死を受け入れた。残された我々は「あの時こうすれば良かったんじゃないか」という後悔と無念だけが次々と口からこぼれた。
会社の運営は別の話だから私はこれからも戦い続ける。やられれば事実上の死に値するので負けるわけにはいかない。汚いも卑怯も関係ない。私は勝ちに行く。しかしながら対人関係について考えるとどうだろうか。私ではない誰かの死に直面するといつも後悔が頭の中を埋め尽くす。相手がいないからずっと消化できないまま後悔の玉は私の心の中に残る。こんなものは心の中に何個も溜められない。多分「死」は自分が年を取った分、今までよりずっと近くにある。今までの我儘や自分勝手を自分の意志で、意識的に減らさねばなるまい。こんなに死に対して無力な私が出来ることは自身の振る舞いしかない。相手に後悔の玉を残させないように、アイツと最後に別れたときはバカ笑いしてたよと皆に言われるような振る舞いをして残りを生きていきたい。
まとめ
生きる!