社会人にとってのMTGを半生を振り返ると共に考える
いっつもぺらっぺらな記事を書くボロ兵としては珍しく長文コラム記事だ。
コラム記事と言ったが、どちらかといえばボロ兵がカードと共に歩んだ半生の自伝のようなものだ。
時間をつぶす目的の読み物として目を通してほしい。
今回、「社会人にとってのMTG」にスポットを当ててボロ兵の半生をご紹介するとともに考察したい。
考察といっても「結論はこれだ!」というものではなく、ボロ兵とMTGについてご紹介することで読者の方に何かを感じ取ってもらいたい。
とかくカードゲームは「根暗」「オタクっぽい」というイメージを持たれがちだ。
本当に、そうでしょうか。
「いい大人がカード」
いい大人だとなんなのでしょうか。
社会人がMTGをすることの意味を考える。
29年の一人の人間の歴史とともに考えてほしい。
読了して頂いて何かしらの共感が得られれば、MTGブログを執筆するものとしてこれ以上の幸福はありません。
それではボロ兵とMTGについて、どうぞ
ぼくとTCG
ぼくはいま29歳。企業で働く社会人だ。
自己紹介的になるが、子どものころからカードゲームが好きで小学生のころに触れた「遊戯王」に心酔していた。
遊戯王のパックを買い、デッキを組んで遊ぶのはぼくにとって至福の趣味だった。
当時の小学生の大半はコロコロコミックから週刊少年ジャンプへ移行する時期で、ジャンプ連載の高橋和希さんのマンガ「遊★戯★王」に夢中になった人は多いのではないだろうか。
遊戯王が現在のオフィシャルカードゲームとなる前からぞっこんで、古くは近所のスーパーのカードダスバージョンからやっていた。
劇場版遊戯王(テレビ朝日系列のやつ)の「ブルーアイズホワイトドラゴン三体連結」という4枚そろえて一枚みたいな超絶集めるのがめんどくせぇカードも小学生パワーで集めたし、カードダスバージョンのエクゾディアも集めた。カードダスから腕や足が出てきたらそれだけで発狂したように喜んで家に帰っていた。
いざ「遊戯王オフィシャルカードゲーム発売!(遊戯王の今の公式カード)」のニュースを雑誌等でみると、一目散に取り扱いゲームショップに予約しにいった。
デッカいボックスを兄とぼくの2人分予約し、もちろん親にニャンニャンして勝ってもらった。
デッキボックスは小学生のぼくにとってはでかく、アメリカのクリスマスの朝にプレゼントに大喜びする子供のような喜びようで箱を開けた。
中から出てきたブルーアイズホワイトドラゴンにぼくは失神した。気を失ったわけではないが何をいっているのかわからないくらい絶叫して大喜びした。
そこから先、青春時代と呼ばれる時代を遊戯王と共に過ごすことになる。
1パックは150円の値段で当時小学生中学生だったぼくはとてもボックス買いできる値段ではなかったが、
なんとか工面してパックを買った。
遊戯王第一弾のトップレアは「ブラックマジシャン」。
第二弾のトップレアは「死者蘇生」と「人食い虫」だったと記憶している。
当時の遊戯王は1パック5枚入りで全部ノーマルカードということは珍しくなかった。
それでパックを買って当たりが出ないループに陥り、「こりゃおかねもたんぞ」と思った矢先に「シングル買い」という言葉を覚える。
1枚のカードを指名して代金と引換に購入するということだが、1枚数百円〜千円程のカードにたいし、当時のぼくは清水の舞台から飛び降りる感覚で購入していた。
今では考えられないが雷魔神サンガに数千円を出していたぼく。もしも過去に戻ることが可能ならこっぴどく説教したい。
中学生の時は荒れていて遊戯王どころではなかったが、それでもカードやパックは購入していた。
マジックルーラー、ミサラジカルエイジ、バスターブレイダーの言葉に懐かしさを感じたらあなたはぼくと同世代ということになる。
高校受験が無事終わり、高校生になってようやくカードショップの大会デビューをすることになる。
当時愛用していたのは剣闘獣。いいデッキだった。
コミュ障だったぼくは大会に出ても積極的にコミュニケーションをとろうとはしない人間だった。
大学生時代。遊戯王はまだ続いていた。
というのも、ありがたいことに周りの同級生が遊戯王プレイヤーだったから。
すぐに友達になり、それぞれがバイト代をもってカードショップに行ってパックを剝いたりシングルカード買ったりデッキ組んで遊んだりは本当にたのしかった。
共通の楽しめるコンテンツがあり、友人がいるというのは学生にとっては良い青春時代を過ごすエッセンスだね。
こんな感じで小学生から大学生までの学生時代はほとんど遊戯王とともに過ごした。
学生時代を終えて
大学生活が終わり、当然ながら共に遊んでいた同窓生たちとは離れ離れに。
遊戯王をする機会はもちろん減った。
兄とはしばらく遊戯王で遊んでいたが、昔ほどのときめきはなくなっていた。
相手は兄かショップの大会の常連のみで新鮮みがなくなった。
トップメタのデッキの存在が楽しさを奪った。
次第に遊戯王からは離れていき、行きつけのカードショップへもいかなくなった。
家電量販店で遊戯王のパックを見てももうそそられることはなかったし、毎週土曜のテレビ東京でのアニメ再放送時に流れていた新エキスパンションのCMに心ときめくこともなくなった。
「もうカードゲームは卒業だな・・・」
そんな寂しい感覚を得たのを覚えている。
社会人になってからのぼく
大学を出たぼくは少しのニート、フリーター期間を経て就職。曲がりなりにもようやく社会人となった。
育ててくれた親父に感謝してたし、初任給で親父に靴をプレゼントして喜ばれたのを覚えている。
社会人となったぼくは、自分で言うと烏滸がましいがそれはもう仕事人間で与えられた仕事は完璧にこなしたい&期待に応えたいタイプの人間だった。
毎日5時から6時には目覚め、少しのモーニングタイムを過ごし出社。
定時まで仕事をし帰宅。家族と食事をしテレビゲームをしたりテレビを見たり漫画を読んだりして就寝。
そんな仕事と家の往復の毎日だった。
その繰り返しをしばらく続けているとぼくに変化が起きた。
何事にも興味をそそられないようになったのだ。
仕事人間といったがあながち過大評価ではなく、職場を出た後でも仕事のことを考えるほどだった。
その結果、学生のころは夢中になって楽しんでいたテレビゲーム(当時はダークソウルだったと記憶している)をプレイするのにも億劫になった。
兄に
「ダークソウルやらへんのか?」
と聞かれても
「疲れているからええわ」
と答えることが多くなった。
社会人になったのだから仕方がない、そう言い聞かせていた。
色のない世界
仕事での成功を切望するあまり、プライベートも仕事に費やすようになったぼくは一般的に趣味と言われるような物事から一切遠ざかった。
仕事でやりがいを感じれば喜んだし、褒められたらもっと頑張ろうと思った。
学生時代にやんちゃしてたぼくとしては、仕事はちゃんとして家族を安心させたかったというのもある。
それがぼくを無色の世界にいざなった。
気づくと自分には何もないことに気づいた。
何もないのだ。
ぼくという社会人は、人間は、「仕事」という行動さえ取り除いてしまえば何も残らない。
「趣味はなんなのか?」「好きな本は?」「映画は?」「休日何してるのか?」
これらの質問に一切答えられない。
仕事をがんばらなければという強迫観念がぼくという新米社会人を無色にした。
このままの人生でいいのだろうか?そう思った。
ふらっと寄ったカードショップ
そんな毎日が続くともちろんメンタルに不調が来ていた。
今でこそ思うがうつに近い状態だったと思う。
そりゃそうだ。ルーティンの生活で息抜きなんか何もなかったのだから。
この不調を感じてからぼくは色々なことを試した。
楽器、読書、ゲーム、運動・・・
自分に合う趣味を探そうと必死になっていた。
しかしどれも長続きはしなかった。
最初は時間を忘れるほど没頭するが、次にやろうとした際に意欲がわかないのだ。
どれもやっては自分に合わないと確かめるような作業になっていた。
趣味探しに躍起になっている中、ふと頭の中に「TCGをしている自分」の姿が想起された。
カードゲームを卒業したつもりだったが、またカードに触れてみたいという気持ちがほんの少しだけ芽吹いたのだ。
思えば小銭を捻出するのも難しいお子様のときからカードとともに青春時代を歩んだのだからそれは自然なことだったのかもしれない。
ある所へ足を向けるつもりになった。
遊戯王を楽しんでいた時によく通っていたカードショップだ。
「久しぶりにカードでも見てみるか・・・」
この時点では本当にみるだけのつもりだった。
個人的な印象で恐縮だが、大学を卒業と同時に卒業した遊戯王は、社会人になってやってるのは恥ずかしいという印象をもっていたためほかのカードゲームを視姦した。(※強調しておくが、およそ四半世紀を遊戯王とともに過ごしたぼくの印象だ。もちろん悪意があるわけではない)
見るだけのつもりが、ショーケースに並べられキラキラ輝いているカードを見ているうちに「やってみたい」気持ちになった。
そして買った。
色々なTCGのスターターデッキを買ったように思う。
ヴァイスシュバルツ・・・ガンダムウォー・・・
が、どれもピンとこなかった。
実はガンダムウォーは大学時代から触れていて、惜しいところまで行ったのだがが後に別のゲームとなってしまいその時点でやめた。
ヴァイスシュバルツは単にルールがわからなかった。
性の意識からアクエリアンエイジの「エキストラパック すーぱーそに子」をチラ見してたが買う勇気はなく心の中でブヒブヒしていた。(この時点で既に萌豚要素はあったようだ。)
そんな感じで「やはりTCGがいい」となったぼく。
自分に合うTCGがないか、足しげくカードショップに通う日々が続いた。
ある日、カードショップのデュエルスペースから聞きなれた声が聞こえてきた。
出会い
それは同じ職場の先輩のA氏の声だった。
なぜか職場のA氏がぼくがいきつけているカードショップにいてデュエルスペースにいる。
そして雑談しながらカードゲームをしている。話の内容や何のカードかはわからない。
それで遊戯王プレイヤーの時代から師匠と勝手に位置付けているショップ店員T氏に聞いた。
「Aさんとちょっと知り合いなんですけどAさん何してるんですか?」
そうしたらT氏は教えてくれた。
「マジック:ザ・ギャザリングだよ」
久しく自分の中で興味がわいたのを感じた。
そこではA氏には声をかけず、MTGのコーナーを見て回った。もう買うつもりでいた。
なぜMTGを買うことにしたのか?
おそらく人と繋がるチャンスだと感じたのだろうとぼくは思う。
仕事しかない自分は人間関係が希薄だった。
A氏がMTGをやっていることを知っているのは職場ではぼくしかいない。
ぼくもMTGをやったら仲良くなれて希薄な人間関係を変えられるかもしれないと思ったのだ。(そしてその思考は後の成功という結果に至ることになる。)
どのカードゲームにもエキスパンションはあるとは理解していたが、MTGのエキスパンションはどれがどのエキスパンションなのかは全く理解していなかった。
なので「基本」の文字につられ、購入したのは「基本セット2013」。
1パック150円の遊戯王に比べ、350円するMTGに気おくれしたが3パックを購入してその場は帰った。
・・・
自宅に帰り、さっそく購入したパックを剥いた。
記憶に残っているのはフォイル仕様の心爪のシャーマン。
「光っているからレアなのか?」と思ったのは今でも覚えている。
そこからMTGに関してインターネットで調べることが始まった。
この時、ぼくの中に小さな灯が灯ったのだ。
誕生
インターネットでMTGについて調べていると、このゲームにはフォーマットというのが存在しいることを知った。
色々なフォーマットの文字があったが、「スタンダード」の文字に惹かれそのフォーマットについて調べた。
直近のエキスパンションのカードからデッキを組むというのが、カード資産のない自分にとって合っていると思った。
カードショップのT氏にどんなアーキタイプが存在するのか、おすすめのアーキタイプはなにかを聞き、ぼくは赤単バーンを組んだように思う。
初めてのデッキはバーンで、もちろん大会なんかは出る勇気がないから師匠T氏にフリープレイをしてもらった。
T氏がつかっていたのはボロス人間。(この時のスタンダードはイニストラード〜ラブニカへの回帰ブロックだった)
T氏は接待プレイはしない主義の人で、水島ヒロ似のスカした感じのヒョロイケメンなのに盤面はバキバキマッチョな人だった。
1ターン目、教区の勇者。
2ターン目、スレイベンの守護者、サリア
3ターン目、銀刃の聖騎士
4ターン目、地獄乗り・・・
マナカーブなんぞなにも知らないぼくのバーンデッキはもちろん不完全燃焼を起こし、負けた。
しかし不思議と負けた悔しさはなく、楽しいという感情が優位だった。
T氏には何回もフリープレイをお願いした。
一度でもこのボロス人間に勝ちたかった。
回数を重ねるうちにT氏が出したカードがあった。
ボロスの反攻者というカードだった。
その強靭かつトリッキーな動きをするミノタウロスは素人のぼくでも強いということがわかった。
今では考えられないが、当時のボロスの反攻者は1枚1500円ほどした。
それを給料をはたいて買った。
ちなみにぼくの地元、徳島というところは最低賃金650円ほどで正社員でも給料は手取り16万ほど。
決して安くはない買い物だった。
しかし嬉しかった。
仕事人間になり、自分には何もないと絶望していた自分に色がついたのだ。
今でも覚えている。
MTG通販サイトでボロスの反抗者を買うかどうかを散々迷って画面とにらめっこしていたのを。
MTGについて色々なことをインターネットで調べるようになった。
カードタイプやターンの流れ、各エキスパンション収録のカード、色の特性等・・・
インターネットでMTGについて検索を続けるうちに、Twitterのアカウントがちらほら検索結果で見かけるようになった。
Twitterのプロフィール欄にMTGの文字があれば、自然とタイムラインを目で追った。
とても楽しい世界だと感じた。
そこに自分も飛び込みたいとおもった。
「色々なMTGプレイヤーとつながりたい」
ぼくはTwitterを始めることにした。
アカウント名は既にきまっていた。
ぼくは、「ボロ兵」と名乗ることにした。
社会人にとってのMTGを半生を振り返ると共に考える 続く
ここまで読まれた方、お疲れさま。
そしてありがとう。
当初想定していた文章量を遥かに超えるかなりの長文コンテンツになったので、続きはまた後日にしたいと思う。
今回はTCGとともに歩んだボロ兵の半生と、ボロ兵誕生の流れを書いた。
トレーディングカードをしている人は「オタク」で「根暗」なのか?
社会人にとってのMTGとは?
それぞれの回答と理由について、ボロ兵なりの回答は続編で。
どちらもここまでの文章で感じ取れたのではないだろうか?
MTGや遊戯王に限らず、TCGを軽く見ている人物がいたらぜひ一読してほしい。
文章は稚拙だと思うが、「TCGは人間を変えられるコンテンツだ」ということはわかって頂けると思う。
少なくともぼくはそれによりかけがいのない宝物を得たのだから。