延々と続く真綿で首を絞めるような会話
塚本が出ていき家賃が再び6万円となったにも関わらず、A子の半同棲化はすすむ。恋人たちの季節は独り身の貧乏男には厳しい。バイトが終わって家に帰ると待ち受ける、幸福な二人のピロートークはもはや拷問だった。二人が初めて迎えるバレンタインデー、そんな日はもちろんバイトのシフトを遅番にして、深夜に部屋に帰った。二人はすでに寝ているようだったので、起こさないようにそっと僕も布団に入った。しばらくすると小声の会話が聞こえてきた。内容は、杉田が他所でもらってきたチョコレートをどうするのかと言う話だった。
「あのチョコどうするの」
「食べるよ」
「食べるんだ」
「一緒に食べようか」
「食べるわけないでしょ」
A子は泣き始める。
「ごめんね、じゃあ捨てるよ」
「もったいないでしょ」
聞きたくもないのに聞こえてくる他愛のないやりとりで寝るに寝られず、延々と続く真綿で首を絞めるような会話のせいで、僕は生まれて初めてストレス性の胃炎になった。結局そのチョコ論争は、杉田の「まっちゃんにあげよう」と言う言葉をもって落着する。そして翌朝、何も知らなかったかのように僕は大喜びでチョコをほおばった。胃が痛かった。
程なくして、杉田にさらにB子という新しい女ができた。まるで人形のようなとても可愛らしい女子高生で、ポカリのCMに出てきそうな溌剌とした娘だった。ちなみにA子との関係は持続したままである。それは決して二股ではない、と杉田は言う。B子と付き合うことになったから、A子には時期が来たら別れを告げると言うのだ。そして二人の女が入れ替わり出入りするようになって半月あまり経った頃、時期が来たのか飽きが来たのか分からないが、杉田はA子に別れを告げに行った。帰って来た杉田は号泣し、A子がいかに素晴らしい女だったかを僕に話した。胃が痛かった。
はじめて消費者金融のお世話になった、静かな引っ越し
それからしばらくして、杉田から申し出があった。5月になったら、短大生となったB子と、この部屋で一緒に暮らしたいと言う。それまで何度となくB子は泊まっているし、一緒にいても楽しい娘だったので、僕はその申し出を快諾した。しかし杉田の態度がおかしい、何かを言い出せずにいるようだった。その様子を見て、まさか、と思うことがあった。そのまさかの先は決して聞きたくなかったが、二人の間に生まれた妙な沈黙に耐えきれず、聞いた。
「まさか二人で暮らしたいから出てってくれってこと」
「平たく言えばそういうことやな」
じわじわと込み上げてくる怒りに似た感情をグッとこらえ、その日のうちに新しい部屋を探し、生まれて初めて消費者金融のお世話になり、数日後、杉田のいない時間を見計らって、静かに引っ越しをした。その晩、驚いた杉田から連絡があった。春までは一緒に暮らしたかった、寂しいなと彼は言ったが、その腹はB子が入居するまで家賃を折半したかっただけである。ざまあみろ。
そして一日で運良く見つかった、家賃5万円で27平米もある築十年の物件が実は事故物件で、二階建ての二階の部屋なのに天井から夜な夜な足音が聞こえて来て恐怖に怯える日々を送る事になるのだが、それはまた別のお話で。
まつお・さとる/俳優。1975年兵庫県生まれ。映画・ドラマで存在感ある脇役として活躍中。出演映画作品に『テルマエ・ロマエ』『シン・ゴジラ』、ドラマ作品に『最後から二番目の恋』『デート』『ひよっこ』など多数。