哲学
インターネットが生んだ「扇動」に乗りやすい社会の末路
【連載】たそがれる国家(8)
内山 節 プロフィール

とともに、前記したように、ネット社会は自分が求める情報を検索し、その多くは自分の意見を肯定してくれるものになっていった。

しかも検索によって答えをえようという対応自体が、持続的に考えていくことを苦手にしてしまった。それが扇動に乗りやすい社会をつくってしまっている。

たとえばひとつのタレント情報でもよい。誰と誰とが結婚するとか、逆に離婚するとか、さらには薬物使用で逮捕されたとか、病気になったとか。こういう情報に対しては、誰もが考えることなく反応できる。

それは、そうだったのかでもよいし、けしからんでも、かわいそうだでもよい。そしてもっと詳しく知りたいと思えばどこかに情報は出されているし、仮にそれをみたとすれば再び考えることなく反応できるだろう。

ここから生じてくるのは、考えない時代だ。

そしてそういう情報がネット上に提供されること自体が、たとえそんなことは意図しない情報であったとしても、その情報が重要なものであるかのごとく誘導する一種の扇動という役割をはたすのである。

こうして私たちは、扇動されやすい情報システムのなかで暮らさなければならなくなった。

 

扇動型の政治の末路

ネット社会はこれまでの「権威」に風穴を開けるどころか、むしろ扇動されやすい社会や関心が持続しない社会をつくりだしてしまったのである。

もちろんそういうことにも気を配りながら、上手に道具として使うことはできるだろう。だが他方で進行する退廃にも私たちは注視しておかなければならない。

この変化は社会を退廃させるだけでなく、扇動型の政治を生みだすことによって政治や国家をも退廃させることになるだろう。そのからくりに気がつく人たちが拡大すれば、政治も国家も信頼を失う。

「権威」の崩壊である。

政治権力にたずさわる人たちが、そのことから自分たちを防衛するためにさらなる扇動を繰り返せば、負のスパイラルに陥ってしまうことになるだろう。今日のトランプ政権がその兆しをみせはじめているように。

現代国家は、黄昏れていくさまざまな要因をもちながら展開しているのである。

社会の退廃を利用しようとすれば、政治や国家も退廃していく。この相互関係が私たちの目にはみえはじめた。

*内山節氏の連載「たそがれる国家」のバックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/takashiuchiyama
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