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【刀剣乱舞】 尾張名古屋・刀剣ゆかりの地めぐり『遠征篇』

ライターさん(最終更新日時:2016/7/12)投稿日:

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 はじめに


 DSC00975.JPG
日本各地にある『刀剣乱舞』ゆかりの地。
聖地巡礼している審神者の方も多いはず。
こちらのノートでは、刀剣聖地の集まる愛知県名古屋市から日帰りで行ける、
東海地方・・愛知県・岐阜県のゆかりの地をまとめてみました。

徳川美術館、熱田神宮など名古屋の聖地については前ノート

こちらのノートでは

  • ※「アクセス」では、JR・名鉄「名古屋駅」を基点に公共交通機関での回り方をまとめています。
  • 駐車場など、車でのアクセスについては除外していますので、ご了承ください。

 東海地方・刀剣ゆかりの地


注意

  • ※公共マナーを十分に守って聖地巡礼しましょう!

  • ※JR・名鉄・ローカル線・路線バスの路線図・時刻は公式HP等で事前に確認を!

  • ※野外が多いので、夏は十分な紫外線・熱中症対策、冬は防寒をしっかりとして回りましょう。

遠征・壱:「桶狭間の記憶」
~今川・織田決戦の地、「桶狭間古戦場」に出陣しよう!
(愛知県名古屋市緑区/豊明市)

【桶狭間古戦場公園】 (名古屋市緑区)

  • アクセス:名鉄「名古屋駅」から「東岡崎・豊橋方面」で名鉄名古屋本線「有松駅」(普通・準急が停車)
  • 準急だと約17分。
  • 「有松駅」から、駅前のバス停・2番のりば
  • 市バス・「有松12」(地蔵池経由・有松口無池ゆき)・「緑巡回」 で 「幕山」バス停
  • 約7分。
  • バス停からは徒歩すぐ。
    ※バスは一時間に1~2本。本数は多くないので、事前に確認を。
    ※「有松駅」からは歩いても行けます。徒歩約25分。行きは上り坂が続きます。

  • 名古屋市交通局 (公式HP) (バス)
  • 名古屋鉄道(名鉄) (公式HP) (鉄道)

永禄三年(1560年)、織田信長は尾張に侵攻してきた今川義元を打ち破りました。
信長躍進のキッカケとなる、有名な「桶狭間の合戦」です。
『刀剣乱舞』では、「戦国の記憶」4-3ステージとなっています。

信長は劣勢ながら、圧倒的な兵力の今川軍を撃破し、義元を討ち取りました。
信長の伝記『信長公記』には、この戦いに勝利した信長は、
「義元不断のさヽれたる秘蔵の名誉の左文字」の刀
を手に入れ、試し切りを行った後、常時差すようになった・・と書かれています。
この刀が義元左文字・・宗三左文字です。

今川義元が討たれたとされる場所・「田楽坪」は現在「桶狭間古戦場公園」として整備されています。
 
DSC00986.JPG
古戦場公園に建つ今川義元と、若き日の織田信長の像。

公園内には、義元の墓とされる古びた墓石、首洗いの池(ちょっときれいに整備されすぎてますが・・)、合戦当時の砦の位置や進軍経路をしめした庭園状のジオラマなどがあります。

古戦場公園自体はさほど広くないので、所要時間は30分ほど。
周辺にはこの公園以外にも合戦関連の史跡があります。
公園内に史跡めぐりの地図などがあるので、そちらもチェックの上、散策してみましょう。

桶狭間古戦場保存会 (HP)
合戦ゆかりの地のPR、案内を行っている団体。
公園周辺の史跡も紹介されています。

DSC00978.JPG
【長福寺】
公園の南、瀬名氏俊陣跡を過ぎた先にある長福寺も合戦ゆかりの地のひとつ。
このお寺は義元の首実検を行ったといわれる場所で、境内には「桶狭間合戦供養塔」が建っています。
他にも「首検証之跡」「血刀洗いの池」といった合戦の生々しい痕跡も・・。
義元や家臣の首実検に立ち会わされた義元方の茶坊主は、合戦後にこの寺を再度訪れ、なくなった人々の菩提を弔ったとされます。

他には古戦場公園に隣接している(バス停からみて公園の後ろ側)小高い丘・・「おけはざま山」には今川軍本陣があったとされます。(現在は民家前に石碑があるのみ)

またイベントとして、古戦場公園やその周辺では毎年5月「桶狭間古戦場まつり」が行われています。

【桶狭間古戦場伝説地】 (豊明市)
実は、今川義元最期の地とされる場所はもうひとつあります。
先の緑区・桶狭間古戦場公園最寄りの「有松駅」からわずか一駅。
「中央競馬場前駅」から徒歩すぐの「国指定史跡・桶狭間古戦場伝説地」です。
 DSC01324.JPG

  • アクセス:名鉄名古屋本線「豊橋方面」、「中京競馬場前駅」より徒歩。
  • 「有松駅」から一駅。(普通・準急が停車)

DSC01328.JPG
伝説地の公園内にある今川義元のお墓。こちらは明治期に建てられたもの。
この裏に、合戦から約200年後に建てられた義元最期の場所を示す石碑(一号碑)があります。これを含め、家臣が戦死したとされる場所に建立された石碑が7つあり、「桶峡七石表(おけはざましちせきひょう)」と呼ばれています。
道を挟んだ向かい側には今川軍本陣跡(現在はお寺)、その斜面に別な義元の墓があります。
また同じ場所には、この一帯に出没していた亡霊を鎮めた?というお化け地蔵というものも・・。(ひとまずにっかり青江を置いておく必要はなさそうです)
こちらでは6月に「桶狭間古戦場祭り」が行われています。

こちらの公園も広くはないので、先の緑区、さらに一駅先「前後駅」最寄の「戦人塚」などの桶狭間関連史跡、名古屋本線をさらに進んで岡崎城(→後述)などとあわせて見学してもいいかもしれません。

桶狭間の戦いは、以上のような場所の問題を含め、戦闘の性質・経過など諸説あるのが現状です。
そもそも緑区、豊明市の「義元最期の地」も、実はそんなに離れていない場所。
この周辺一帯が戦場だったことを考えると、どちらでも不思議ではありません。
さて、本当の「義元最期の地」はどこなのか・・?
真相を知るのは、当時すべてを見ていたであろう宗三左文字だけ・・なのかもしれませんね。

遠征・弐:「岡崎城の記憶」
~徳川家康・本多忠勝ゆかりの城に潜入しよう!
(愛知県岡崎市)

桶狭間からさらに豊橋方面に足を延ばしていくと、岡崎。
こちらには物吉貞宗蜻蛉切の元主ゆかりのお城、岡崎城があります。

  • アクセス:名鉄「名古屋駅」から名古屋本線「東岡崎・豊橋方面」で、
  • 「東岡崎駅」か、「岡崎公園前駅」
  • 「岡崎公園前駅」は普通のみ停車。

  • JR利用の場合、東海道本線「岡崎駅」からバス。
  • もしくは愛知環状鉄道に乗り換えて「中岡崎駅」下車。
  • (※愛知環状鉄道では交通系ICカードは使えません)

  • 「東岡崎駅」「岡崎公園前駅」「中岡崎駅」からは徒歩でもいけます。
  • またそれぞれに岡崎公園行きのバスがあります。
  • (※「岡崎駅」は離れているのでバスで!)
  • 「東岡崎駅」「岡崎駅」からは「康生町方面」ゆきで「康生町」下車。バス停より徒歩。
  • 「岡崎公園前駅」「中岡崎駅」なら、岡崎市コミュニティーバス「まちバス」。
  • 「中岡崎」バス停より乗車。
  • 「図書館交流プラザ」バス停で降りると岡崎城大手門が最寄になります。
  • こちらのバスは一日200円。
  • 降りる際、「乗り継ぎ券」をもらうと、次回からはこれを提示するだけ。
  • お城との往復だけでも結構お得です。

【岡崎城】 【龍城神社】
物吉貞宗の元主・徳川家康、蜻蛉切の元主・本田忠勝は岡崎の出身。
ここ岡崎城は家康生誕の地です。城跡である岡崎公園内には産湯の井戸、えな塚(胎盤を埋めた塚)が残っています。
家康は死後神格化された為、岡崎城は「神君出生の城」として特別視され、忠勝の子孫など有力大名が城主を務めました。

 DSC01300.JPG
岡崎城天守閣と龍城神社(たつきじんじゃ)。
龍城神社は家康・忠勝を御祭神とする神社。蜻蛉切の写しも所蔵しているそうです。
蜻蛉切を構えた「本多忠勝公絵馬」、伝記の小冊子、御朱印やオリジナル御朱印帳などを頂くことができます。
天守閣内は資料館になっており、岡崎城の歴史のほか、少しですが刀剣の展示も行われています。

【本多平八郎忠勝公銅像】 【三河武士のやかた家康館】
大手門をくぐった先にあるのが、「三河武士のやかた家康館」。
その前に本多忠勝像があります。
 DSC01293.JPG
三名槍・蜻蛉切を構えた銅像。
この後ろ・・家康館の横には三方ヶ原の戦いで大敗した時の「しかみ像」(徳川美術館蔵)をもとにした家康の石像があります。

家康館には蜻蛉切のレプリカがあり、実際に触ることができます。
 DSC01307.JPG
「体験コーナー」の蜻蛉切(右)。
こちらのコーナーは写真撮影可。打刀や兜の重さも体験できますよ。
ほか、館内では家康の事績を中心とした常設展示、武具類の特別展などが行われています。

【グレート家康公葵武将隊】

こちら岡崎城には名古屋城同様、観光客をおもてなしする武将隊があります。
メンバーは徳川家康、徳川四天王の酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政、服部正成(半蔵)小松姫
土日祝日には家康館前でパフォーマンス「演武」を行っています。
  
DSC01299.JPG
ずらりと並ぶ、武将に女武者、忍びの者に、元の主(笑)。
訪問時はちょうど全武将集合写真の撮影タイム。
この後、一緒に撮影できる時間が設けられていました。

 さらに足をのばして・・・。―三河地方のゆかりの地


遠征・補:「西尾城の記憶」
~「ここに兄者は来ていないか?」 “髭切丸”伝説を調査しよう!
(愛知県西尾市)

【御劔八幡宮(みつるぎはちまんぐう)】 (西尾城跡・西尾市歴史公園内)

  • アクセス:名鉄「名古屋駅」からは「吉良吉田行き」で名鉄西尾線「西尾駅」
  • 「東岡崎駅」「岡崎公園前駅」からは「新安城駅」で西尾線に乗り換え。
  • 約40分ほど。
  • 桶狭間古戦場最寄の「有松駅」「中央競馬場前駅」は止まる電車が限られるので、「豊明駅」など途中で急行・特急に乗り換えを。乗り換えながら50分ほど。
  • 「西尾駅」からは徒歩約15分。
  • 駅改札を降りてすぐに観光案内所があるので、ここで地図や市内観光情報を入手しましょう。

西尾藩の居城であった西尾城
鎌倉時代、承久の乱で戦功のあった足利義氏(※1)が築城したのがはじまりとされています。
実は、義氏がこの地に城を作った際、ここに移された神社に源氏の宝剣・・、
その名も「髭切丸」を奉納したとされています。

 DSC01315.JPG
本丸・北東の隅、本丸丑寅櫓の石垣の下にある御劔八幡宮
創建は平安時代で、築城にあたって、守護の社としてここに遷座されました。
その際、義氏は白旗と宝剣・髭切丸を奉納したそうです。
「御劔」の社名はこの髭切丸から。
由緒については、社殿前、右側にみえるパネルに書かれているので要確認。
残念ながら、こちらの髭切は現在行方不明になっています・・。

DSC01323.JPG
姫丸にある資料館前から本丸丑寅櫓を望む。
あの向こう側に八幡宮が鎮座しています。
八幡宮があった関係で、廃城になる際も丑寅櫓の石垣は破壊されなかったそうです。

髭切については他にも違った刀・来歴があります。
髭切といえば、『刀剣乱舞~京の軌跡スタンプラリー~』でコラボした北野天満宮所蔵の鬼切丸が有名。
こちらは新田義貞、最上家を渡り、北野天満宮に所蔵された・・と御劔八幡宮のとはまったく異なる来歴をもっています。

「千年も刀やってる」ためか・・嘘か真か、いくつもの伝承・来歴がある髭切。
御劔八幡宮の逸話も虚実判然としませんが、これも髭切という刀を構成する要素のひとつといえるかもしれません。
御劔八幡宮前には歴代城主が寄進した灯籠が今も残っています。
この神社が城主・城内の人々の厚い信仰を受けた証です。
「西尾城の神社に奉納され、城を守り続けた髭切」。
・・そんな想像をしてみるのも、面白いかもしれませんね。

西尾城近くであわせてよるなら、公園内の旧近衛邸、尚古荘前のお店もオススメ。
西尾名物・抹茶や抹茶スイーツを頂くことができます。
尚古荘前のお店には自分でお抹茶を挽く体験もやっています。

遠征・参:「岐阜の記憶」
~「魔王」・織田信長の居館を訪れよう!
(岐阜県岐阜市)

【岐阜城】 【信長居館跡】(岐阜歴史公園内)

  • アクセス:JR「名古屋駅」から「岐阜・大垣・米原方面」で「岐阜駅」
    区間快速・特別快速で約20分。

    「岐阜駅」前のバス停・⑫⑬のりばから 
    岐阜バス「岐阜公園方面行き」のバスで 「岐阜公園歴史博物館前」バス停。約15分。
    複数路線があるので岐阜バスHPで確認を!
  • 岐阜バス (公式HP)

岐阜の象徴である金華山の岐阜城
築城は鎌倉時代までさかのぼりますが、本格的な山城として整備されたのは戦国武将・斉藤道三からとされます。かつては稲葉山城と呼ばれていました。
永禄十年(1567年)、信長は道三の孫・斉藤龍興の城だった稲葉山城を攻略。
以降、信長はここを根拠地とし、地名を「岐阜」と改めました。

【信長居館跡】
信長の居館とされる遺構は岐阜城の建つ金華山のふもと、岐阜歴史公園内にあります。
 
DSC01108.JPG
金華山ロープウェイのりば横の発掘現場。
ここから見えるのは、遺構のほんの一部に過ぎません。
ロープウェイに乗ると、金華山斜面に広がる広大な居館のあとを見ることができます。
『信長公記』には、天正二年(1574年)1月8日、
ここ岐阜で名刀・不動国行薬研藤四郎が献上された、と記されています。
信長ゆかりの刀たち・・薬研宗三へし切長谷部も、在りし日の館を見ていたかもしれませんね。

発掘は現在も継続中。
2016年には、濃姫の館に使われたと思われる「金箔瓦」が発見されました。

【岐阜城】
金華山、岐阜城天守閣へは発掘現場横の金華山ロープウェイで上ることができます。
(大人往復:1080円)
登山道もあるので、足に自信がある・登山経験のある方は軽登山で天守閣を目指してみても面白いかも。
ロープウェイ山上駅から天守閣までは約200m。
山城なので、階段などアップダウンが結構あります。歩きやすい靴で登りましょう!
DSC01111.JPG
天守閣内は歴史資料館になっています。
戦国武将関連資料や武具類を展示。少しですが刀剣も展示されています。
中には、岐阜空襲で焼けてしまった「戦災刀」というものも・・。
 DSC01112.JPG
最上階からは岐阜の街並み、長良川の流れが一望できます。
下に見える長良川は鵜飼(うかい)で有名。
かがり火を焚いた船で、鵜匠とよばれる人たちが鵜を使って魚を取る漁法で、岐阜観光の目玉のひとつです。その歴史は古く、記録は平安時代までさかのぼります。
この地を治めた信長も鵜飼いを楽しみ、これを保護しました。
「鵜匠」という名称も信長がつけたもの。
「岐阜」の地名、「鵜匠」の称号・・信長命名って結構あるんですね。
(ちなみに、岐阜の鵜飼いでは皇室献上の鮎を捕っているので、鵜匠は宮内省の職員・・国家公務員さんです)

このほか岐阜市内では、織田信長・信忠の墓がある崇福寺、日本三大大仏「岐阜大仏」の正法寺、岐阜の初詣スポット・伊奈波神社といった歴史・御利益スポットがあります。
さらに、JR利用で足を延ばせば、関ケ原古戦場(「戦国の記憶」3-1)、
そして歌仙兼定の故郷である関市があります。

遠征・四:「美濃伝の記憶」
~歌仙兼定の故郷・「刀都」関を訪ねよう。
(岐阜県関市)

【関鍛冶伝承館】【春日神社】

  • アクセス:JR「岐阜駅」から高山本線「美濃太田」ゆき 約30分。
    「美濃太田駅」から長良川鉄道に乗り換え 約17分。
    「刃物会館前」下車。駅から徒歩。
    ※長良川鉄道は一時間に1本ほど。本数が少ないので注意!
    長良川鉄道 (公式HP)
    ※「名古屋駅」からは「岐阜駅」経由のほか、中央本線「多治見駅」で太多線のりかえでもアクセスできます。

五箇伝のひとつ「美濃伝」
刀の流派の中でも新しい伝法で美濃・・今の岐阜県南部美濃地方を中心に栄えました。
九州や大和の刀工が移り住んだことで、美濃は南北朝時代以降、刀剣の一大産地となり、多くの刀工を輩出しました。
歌仙兼定の生みの親・・二代兼定(之定)もここ美濃国・・関の刀工です。
歌仙の銘にも「濃州関住」とあります。
また「関の孫六」で有名な孫六兼元もこちらの出身。
その刀鍛冶の技術は現代にも活かされ、関市は刃物の町として包丁やナイフ、かみそりなどの生産が盛んです。

【関鍛冶伝承館】
関の日本刀やその他刃物について展示している、「関鍛冶伝承館」
日本刀の製作過程がわかりやすく展示されていて、関の刀鍛冶の歴史、有名刀工など、関鍛冶や刀剣について幅広く学ぶことができます。
之定や三代目兼定(疋定)といった名工、現代刀工の作品も見ることができますよ。
 DSC00959.JPG
伝承館内は写真撮影可。こちらは三代兼定(疋定)の一振。

また決まった日に、古式鍛錬、外装技術の実演も行われています。

ほかにも関市内には関鍛冶ゆかりの場所があります。

【春日神社】
 DSC00960.JPG
伝承館に隣接するのが、関鍛冶の守護神である春日神社
大和から来た刀工が、出身地の春日大社を勧請したのがはじまりです。
関の鍛冶業者組合(鍛冶座)の本所となりました。

遠征・伍:「犬山の記憶」
~国宝・犬山城に登城しよう!
(愛知県犬山市)

【犬山城】 

  • アクセス:名鉄「名古屋駅」から犬山本線で「犬山方面」・「犬山駅」
  • 駅・西口から徒歩約20分。

  • 途中、城下町を通りながらお城を目指します。
  • 城下町には飲食店、お土産屋などが並んでいるので、食べ歩き・お買い物も楽しめますよ。


 DSC01170.JPG

戦国時代から江戸時代にかけての天守が今なお残る犬山城
天守閣は国宝。いわゆる「現存12天守」のひとつで、全国的にも有名なお城です。

犬山城は信長の叔父・信康が築城。
交通の要衝であるため、その後さまざまな合戦の舞台となりました。
  DSC01183.JPG
天守閣からのながめ。
城のすぐ下、北から西へ木曽川が流れ、天然の要害となっており、「後ろ堅固」の城といわれます(・・といっても、その後ろ側から攻められて落城したことがあるんですが)。

ここは豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧長久手の戦い」の戦場のひとつでもあります。
犬山城は秀吉側。犬山城からは家康側の小牧山城が望めます。
この戦いには、蜻蛉切の元主・本多忠勝も参加しています。
(この「小牧長久手の戦い」のキッカケとなったのは織田信雄の家臣殺害。
秀吉側と通じていると疑いをかけられた岡田重孝ら家臣3人を三重の城に呼び寄せ、殺害した事件です。
徳川美術館の説明によるとこの時に使用された刀が鯰尾藤四郎だとか・・・まぁ本人は覚えてないかもしれませんが) (※2)

 DSC01172.JPG江戸時代になると、尾張徳川家の家老・成瀬家が城主となりました。
実は2004年まで犬山城はこの成瀬家の持ち物・・個人所有のお城でした。
(現在は財団法人犬山城白帝文庫の所蔵。財団の理事長は成瀬家の方です)
この成瀬家四代目・正幸後藤藤四郎ゆかりの人物。
婚礼の祝儀として将軍家より尾張徳川家に下賜された後藤藤四郎でしたが、その後、参勤交代の際に再び献上するようにとの内示がありました。
これをきっぱり断ったのが正幸でした。
それを聞いた父親は若い正幸の対応に「これで安心して冥土にいける」と満足したそうです。
将軍家相手でも「なんとかなるもんだな」。

城下町から登城する途中には、築城主の織田信康や成瀬家が信仰した三光稲荷神社、針綱神社があります。
からくり人形が披露される勇壮な山車が繰り出す犬山祭は、こちら針綱神社の祭礼です。

 DSC01169.JPG
針綱神社。
犬山城築城以前から鎮座している由緒ある神社です。
眺望もよく、犬山の城下町が一望できます。

針綱神社、三光稲荷神社ではそれぞれ御朱印も頂けます。
 
犬山城・城下町散策でだいたい半日くらい。
一日滞在するなら、同じ市内の「博物館明治村」「野外民族博物館リトルワールド」などとあわせてまわるのが定番コース。
歴史好きなら、明治時代の建物を移築した「明治村」がオススメです。
博物館といっても、いずれもかなり敷地が広い「野外博物館」なので、犬山城とあわせて訪れるならどちらか一方で。
「明治村」「リトルワールド」へは、一度「犬山駅」へ戻り、東口のバス停へ。
各方面に行く路線バスがあります。

犬山城などへは名鉄でお得なきっぷが発売されることがあるので、名鉄サイトで確認を!

犬山城 (公式HP)
博物館 明治村 (公式HP)

 

閲覧していただき、ありがとうございます。
拙い内容ではありますが、刀剣ゆかりの地を通して、名古屋や東海地方により興味をもっていただけたのでしたら、幸いです。

誤り・不十分な点がありましたら、その都度修正・訂正していきますので、質問等で御指摘のほどお願い致します。

 

(※1)なんと、この足利義氏の家臣には、獅子王の元主・源頼政・・「じっちゃん」のお孫さんもいるとか。世間は狭いもんです・・。

(※2)・・ところが、東京国立博物館にはその際に使用されたという、
その名も「岡田切」という太刀が所蔵されていて・・・おや、こんな時間に誰か来たようだ

 

28.5.4 開設
28.6.22 「桶狭間古戦場伝説地」「岡崎城」「御劔八幡宮」追加
一部写真を差し替え・撤去
【最終加筆修正日時】 28.7.12

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