はじめに
日本各地にある『刀剣乱舞』ゆかりの地。
聖地巡礼している審神者の方も多いはず。
その中にはお寺や神社の聖地も少なくありません。
そういった聖地を訪れた際に、参拝の証・記念に「御朱印」を頂いてみてはいかがでしょう?
こちらのノートでは、そんな寺社の聖地・頂ける御朱印などをまとめてみました。
御朱印の意味・頂き方については、前ノート
★「【刀剣乱舞】 審神者むけ 参拝・御朱印案内」をご覧ください。
刀剣ゆかりの地と御朱印
注意
- ※掲載の御朱印・パンフ・由緒・授与品は頂いた当時のものです。
- 御朱印の文字・内容は変わってくる場合があります。
- また、行事や担当者の不在等で、頂けない場合もあります。
- ※御朱印は「参拝の証明」です!
- きちんと参拝をしていただきましょう!
- ※参拝作法・公共マナーを十分守って聖地巡礼しましょう!
【数珠丸恒次】
◆本興寺 兵庫県尼崎市
アクセス:阪神「尼崎駅」 より徒歩。
JR「尼崎駅」は阪神線に接続していない・かなり離れているので注意!
天下五剣の一つで、日蓮聖人の愛刀だった数珠丸恒次を所蔵するお寺。
日蓮聖人が身延山にお寺を建てようとした時、護身用に寄進されたのがこの数珠丸でした。
号はその柄に数珠をかけていたことから。
この時身延山に建てられたのが日蓮宗総本山・久遠寺です。
数珠丸は江戸時代に一度行方不明になり、大正時代に再発見されましたが、諸事情から身延山に返されることはかなわず、ここ本興寺の重宝となりました。
現在は11月に行われる「虫干会」の際に拝観できます。
一日だけの公開ですが、お寺の由緒・絵葉書には数珠丸の写真が載っています。
御朱印(御首題)がいただける寺務所は方丈の裏・・庫裏の角にあります。
正面の山門から入るとちょっとわかりづらいですが・・。
尼崎駅から本興寺方面に歩き、途中にあるお仏壇屋さんの角を曲がると塀の向こうに朱色の塔が見えます。
そちらが本興寺の裏側。裏手には北門があり、その前が寺務所です。
御朱印は書置きの半紙で頂きました。
またこの付近は「寺町」といわれ、様々な宗派のお寺が軒を連ねています。
この地域を紹介した、『忍たま乱太郎』の尼子騒兵衛先生画のイラストマップもありました。
【陸奥守吉行】
◆高知県護国神社 高知県高知市
アクセス:とさでん交通 バス停「護国神社前」
※本数はあまり多くありません。時刻表で事前に確認するか、市内からタクシーや車で。
戊辰戦争から太平洋戦争までの高知ゆかりの戦没者の方々・・英霊をお祀りする神社。
維新志士として活躍した武市半平太・中岡新太郎・吉村寅太郎・・そして、陸奥守吉行の元主・坂本竜馬も御祭神となっています。
こちらには竜馬が使用したとされる木刀が所蔵されています。
(木刀拝観には、事前の連絡・相談が必要)
御祭神である竜馬の家紋や肖像写真の顔をあしらったお守りなど、竜馬デザインの授与品もありました。
また、本殿に至る階段には戊辰戦争に従軍した土佐藩の部隊、迅衝隊・胡蝶隊の灯籠が並んでいます。
迅衝隊は板垣退助が率いた土佐藩の主力部隊。甲州勝沼の戦いでは長曾根虎徹の元主・近藤勇の甲陽鎮撫隊を撃破、会津若松の戦いにも参加しました。
竜馬よりのち・・明治維新に尽力した土佐の歴史のひとつともいえますね。
護国神社のある高知市は、竜馬の生まれ故郷。
桂浜に建つ竜馬の銅像は特に有名ですね。
「高知坂本竜馬記念館」はその桂浜のすぐそば。
市内には、竜馬の生家跡があり、こちらにも記念館があります。
坂本竜馬誕生地にたつ記念碑。車道側には案内板が建っています。
「これぞまことの黒田武士」 黒田家ゆかりの地・九州博多-福岡県福岡市
【へし切長谷部】【日本号】
光雲神社 (てるもじんじゃ) 福岡市中央区
アクセス:市営地下鉄空港線 「大濠公園駅」
駅から徒歩。桜の名所・西公園を目指しましょう。
途中坂や階段があるので、歩きやすい靴で!
※御朱印帳あり。(オリジナルではなさそうですが・・)
黒田官兵衛孝高(如水)、長政両公が御祭神の神社。
社名はこの両公の法名から一字とられてつけられました。
両公ともにへし切長谷部の元主。
諸説ありますが、長谷部は織田信長公から孝高公に贈られ、黒田家へとやってきました。
また境内には「母里但馬守太兵衛友信像」が建てられています。
母里太兵衛は、日本号の元主。
黒田家の家臣で、黒田二十四騎、黒田八虎にも数えられる勇将です。
母里太兵衛が福島正則公のもとに使いに行った時のこと。
「この酒を呑み干せたら望みの褒美をとらせる」という正則公の勧めに、禁酒を破り、出された大盃の酒を見事に呑み干しました。
そして褒美として太兵衛が所望したのが名槍・日本号。日本号を「呑み取りの槍」と呼ぶのはこれが由来・・この逸話を歌ったのが福岡の民謡「黒田節」です。
日本号と盃をたずさえた像の台座には、「黒田節」の歌碑がはめこまれています。
崇福寺 福岡市博多区
アクセス:市営地下鉄箱崎線「千代県庁口駅」 より徒歩。
※御朱印はあるようですが、この時は頂くことができませんでした・・・。
福岡藩主・黒田家の墓所があるお寺。
長谷部の黒田家最初の主・孝高公、長政公もここに眠っています。
お寺にしては、ちょっと物々しい感じの山門。実は福岡城の御門を移築したものです。
こちらには孝高公・長政公から、四・六・七・九代藩主のお墓などがあります。
墓所の公開は土日休日。平日はボランティアガイドさんの案内(有料)での見学のみ。
また御朱印の頂ける崇福寺境内からは入ることができないため、一度お寺を出て、横の道から裏手にまわる必要があります。現地には案内図がありました。
事前に見学時間・場所など十分確認の上、お墓参りしましょう!
※実は、長谷部のもう一人の「前の主」・織田信長公のお墓があるお寺の名前も崇福寺(岐阜)。単なる偶然でしょうが・・はてさて?
【博多藤四郎】
東長寺 福岡市博多区
アクセス:市営地下鉄空港線「祇園駅」 徒歩すぐ。
日本最大級の木造仏像・福岡大仏で有名なお寺。
こちらも黒田家の菩提寺です。
福岡藩主のうち、二代・忠之公をはじめ、三・八代藩主のお墓はこちらにあります。
二代・忠之公は博多藤四郎の持ち主の一人。
博多藤四郎は忠之公が小倉藩主である小笠原忠真に贈り、以降小笠原家に伝わりました。
(現在は東京・刀剣博物館所蔵)
市営地下鉄でめぐる~その他の黒田家ゆかりの場所
- 筥崎宮 (はこざきぐう) 福岡市東区
アクセス:市営地下鉄箱崎線「箱崎宮前駅」 より徒歩。
日本三大八幡宮のひとつに数えられる由緒ある神社。
「敵国降伏」・・ちょっとビックリするような文字が描かれた扁額が掲げられている楼門(通称・伏敵門)でも知られます。
(この「敵国降伏」は醍醐天皇の御宸筆で、楼門の文字は蒙古襲来後に亀山上皇が納められたもの。境内には蒙古軍船の碇につかわれた石も残っています)
本殿の一番近くにある一之鳥居。黒田長政公の建立です。
ずんぐりとした感じで、一番上にある「笠木」の端がちょっと上がった「筥崎鳥居」という珍しい形。普段見かける鳥居と形を比べてみても面白いかもしれません。
こちら筥崎宮でも御朱印が頂けます。
福岡市博物館 福岡市早良区
アクセス:市営地下鉄空港線「西新駅」 より徒歩。
約15分ほど。「サザエさんストリート」を歩いていきましょう。 -
- へし切長谷部、日本号を所蔵する博物館。
- 日本号は常設。写真撮影も可能です!
- 他には、日本史・歴史の教科書でおなじみの国宝・金印もこちらの所蔵。
- 黒田家から寄贈された武具刀剣、古文書などの資料もみることができますよ。
- 観覧料は常設展で大人200円。
- 日本号や貴重な史料、映像資料を含む詳しい展示をじっくりみることができるのを考えると大変お値打ちです。
義経公終焉の地・奥州平泉―岩手県西磐井郡平泉町
平家滅亡後、兄の怒りを買い、対立。英雄から一転、追われる身となった源義経公。
腰越での手紙(腰越状)、関係改善を祈願して宝刀・膝丸(薄緑丸)を箱根権現に奉納するなど、兄との関係修復を願いましたが、果たされず、少年期を過ごした奥州平泉へ逃れます。
しかし、文治五年(1189年)、鎌倉側の圧力に屈した奥州藤原氏は義経公を急襲(衣川の戦い)。
わずか31歳で、義経公はその生涯を閉じました・・・。
現在、世界遺産となっている平泉には、栄華を極めた奥州藤原氏の史跡とともに、
今剣の元主・源義経公、岩融の元主・弁慶ゆかりの場所が残っています。
【今剣】
◆高館義経堂
アクセス:JR東北本線「平泉駅」 駅から徒歩か、
平泉町巡回バス「るんるん」でバス停「高館義経堂」
義経公が最期をむかえた場所・・高館(判官館)に建つ御堂。
義経公をお祀りしています。
衣川の戦いで弁慶や臣下を失った末、義経公は妻子に手をかけ、
自身は、幼少期鞍馬寺にいた頃からの守り刀・今剣で自刃・・。31歳の若さでした。
江戸時代、この地を訪れた俳人・松尾芭蕉は、
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
『奥の細道』でも有名な一句を詠んでます。
御堂・義経公の像も江戸時代のもので、仙台藩主である伊達家が建立したものです。
義経堂の御朱印。
※御朱印帳あり。(毛越寺のオリジナル御朱印帳)
「護身刀」つきのおみくじもありました。
高館からの眺め。下を流れるのは北上川。
義経公・今剣もこの景色を眺めていたのかもしれませんね。
【岩融】
◆弁慶堂
アクセス:平泉町巡回バス「るんるん」でバス停「中尊寺」
金色堂が有名な世界遺産・中尊寺。
その金色堂や本堂に至る月見坂の途中にあるのが愛宕堂・・通称・弁慶堂です。
弁慶堂は衣川の戦いの直前に、自作の木像をこちらに奉納しました。
現在、御堂の中には、その時のものとされる木像や、『勧進帳』で描かれている安宅関で背負っていたとされる笈。そして、義経公・弁慶の像が安置されています。
弁慶像は「立ち往生」の姿とされ、大きな薙刀を手にしています。(岩融でしょうか・・?)
弁慶の墓?
- 弁慶堂のある中尊寺、その前には弁慶の墓とされる塚・五輪塔があります。
- 伝承では、立ち往生した弁慶はここに葬られたとか・・。
- (別な伝承だと、首は主君・義経公のものとともに鎌倉に送られたそうなので、胴塚なのかも・・?)
- 中尊寺・弁慶堂の参拝をされたら、コチラのお墓参りも忘れずに・・。
奥州藤原氏の栄華・中尊寺
奥州藤原氏が理想の世・・浄土をこの世界にあらわそうとした中尊寺。
金や螺鈿で輝く豪華な金色堂が有名なお寺で、2011年には周辺の寺院や跡地などと共に世界遺産に登録されました。
こちらは金色堂の御朱印。
金色堂内の授与所で、オリジナル御朱印帳を頂くと、最初にこのように見開きの御朱印を書いて頂けます。 (持参の御朱印帳には通常の御朱印になります)
金色に輝く豪華な金色堂には、奥州藤原氏三代の御遺体と、四代・泰衡公の首が納められています。
中尊寺の宝物や、御遺体調査の際に取り出された刀(直刀・打刀)、枕や泰衡公の首桶などは宝物館・讃衡殿で見ることができます。
(中尊寺境内は拝観自由、讃衡殿・金色堂は別途拝観料)
このほか、御朱印は本堂や讃衡殿、弁慶堂を含む各御堂で頂けます。
(※御堂によっては、半紙のみの場所もあり)
ほかにも平泉周辺には、金鶏山ふもとの義経妻子の墓、義経堂から下り東北本線のそばにある卯の花清水(義経公の忠臣・兼房の奮戦を詠んだ芭蕉の句が名前の由来)など、義経公ゆかりの場所があります。
世界遺産の中尊寺、毛越寺、観自在王院あとなどと合わせて、義経公・弁慶、今剣や岩融の「夢の跡」・・ゆかりの地を散策してみてはいかがでしょう。
【その他ゆかりの地・御朱印はこちら】
(熊本市内、髭切・膝丸ゆかりの地など)
(関東地方中心)
閲覧ありがとうございます。
書き手の遠征できる範囲でのまとめの為、場所などが限られてしまっていますが、
わずかでも審神者の皆様の遠征のお役にたてれば嬉しいです。
今後、参拝の都度、更新していく予定です。
「ここのお寺もゆかりですよ」「御朱印頂きましたよ」等ありましたら、ぜひご教授ください。
(特に源平、室町、戦国時代の刀剣ゆかりの場所・・不勉強ですので、お教えいただけると嬉しいです・・・)
また誤り・改善点などありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
(5.19)
今剣・極実装にともない、近日説明文を加筆修正の予定です。(6.15)
28.5.18 開設
「本興寺」 「高知県護国神社」 「高館義経堂」「弁慶堂」
平泉周辺 など
28.6.15 「光雲神社」「崇福寺」「東長寺」 福岡博多周辺 追加
光雲神社拝殿にはお賽銭をいれると鳴く鶴の絵があります。
「驚いたか?」とばかりに鳴く鶴丸仕様(違)なんでちょっと注意・・。
【最終加筆修正日時】 28.7.12