はじめに
日本各地にある「刀剣乱舞」ゆかりの地。
聖地巡礼されている審神者の方も多いと思います。
その中には、お寺・神社の聖地も少なくありません。
そういった場所にお参りした際、記念に「御朱印」を頂いてみてはいかがでしょう?
ここではゆかりの寺社と共に、頂ける御朱印を紹介します。
御朱印の「意味」、頂き方については、
前ノート★「【刀剣乱舞】 審神者むけ 参拝・御朱印案内」をご覧ください。
(「京都刀剣御朱印巡り」の神社など京都を中心とした寺社についてもこちらに掲載しています。)
刀剣ゆかりの寺社と御朱印
注意
- ※掲載の御朱印・由緒・授与品は頂いた当時のものです。
- 御朱印の文字や書かれる内容は変わってくる場合があります。
- また、行事や担当者が不在などで頂けない場合もあります。
- ※御朱印は「参拝の証明」です。
- 必ずお寺・神社に参拝して頂きましょう!
- ※参拝作法・公共のマナーを十分守って聖地巡礼しましょう!
- 以下、熊本県熊本市の御朱印を幾つか掲載していますが、
28年 4/14・16の熊本地震で熊本市内でも大きな被害が出ました。 - 熊本城をはじめ各寺社でも、復旧にむけての作業が行われ、一部では参拝もできるようになったようです。
- 御朱印を頂く場合は、寺社の状況や関係者の方々にも十分配慮して頂きましょう。
- 被災された方々に心よりお見舞い申し上げますと共に、
- 一日も早い復旧をお祈り申し上げます。 (28.7.12)
【同田貫正国】
◆加藤神社 熊本県熊本市
アクセス:熊本市電「熊本城・市役所前」 より徒歩。
入口前にある城彩苑から加藤神社近く・入城受付のある頬当御門まで無料シャトルバスも出ています。
熊本城内、天守閣と宇土櫓を一望できる場所に鎮座する神社です。
御祭神は加藤清正公。
熊本城を築城し、刀工・同田貫正国を御用鍛冶として召し抱えた戦国武将です。
同田貫一派は朝鮮出兵用の刀を作り、自ら従軍して現地での修理も請け負いました。
またお抱えの御用鍛冶は、ここ熊本城で使用される御城備刀も作ったそうです。
もしかしたら、兜割りの同田貫もここで働いていたのかも・・・?
御朱印の押印も清正公の虎退治をモチーフにしていて、かわいい顔の虎と、清正公愛用の片鎌槍が彫られています。
※オリジナル御朱印帳あり
◆本妙寺 熊本県熊本市
アクセス:熊本市電「本妙寺入口」 より徒歩15分ほど。
加藤清正公のお墓(廟所)・「浄池廟」のあるお寺です。
こちらには同田貫正国の太刀が所蔵されています。
その他にも、清正公や細川家ゆかりの品、三池光世の短刀などを所蔵しています。
こちらが本妙寺の御首題(御朱印)。
ごらんのとおり墨字がビッシリ!「日本一字数の多い御朱印」とも・・。
こちらは浄池廟横の寺務所で頂きました。
浄池廟に至る参道は「胸突雁木」と呼ばれる急な石段となっていますので、靴には注意。
登りきると展望所からは熊本城や熊本市を一望できますよ。
車でしたら、浄池廟のすぐ横まで上ることができます。
(さらに浄池廟境内の裏にある300段の石段を上がると清正公の銅像があります。・・体力に自信があれば挑戦されてみては?)
【歌仙兼定】
◆出水神社 (いずみじんじゃ) 熊本県熊本市
アクセス:熊本市電 「水前寺公園」 より徒歩。
加藤家の後に熊本藩主となった細川家。
その歴代藩主が御祭神として祀られている神社です。
歌仙兼定の名付け親?となった元の主・細川忠興公、その妻・細川ガラシャ(お玉)夫人もお祀りされています。
明治11年の創建ですが、社殿前に広がる神苑・水前寺成趣園は三代・忠利公から作られはじめた由緒ある庭園です。(出水神社参拝には成趣園拝観料が必要)
また園内には忠興公の父・幽斎公ゆかりの「古今伝授の間」が移築されています。
(ちなみに、この「古今伝授の間」・・関が原の戦い当時幽斎公の命をすくった「古今伝授」にまつわる品として、歌仙と同じ永青文庫蔵の古今伝授行平という太刀があります)
※オリジナル御朱印帳あり オリジナルの御朱印帳袋もありました。
◆高桐院 (こうとういん) 京都府京都市
アクセス:市バス「大徳寺」「建勲神社前」 より徒歩。
歌仙兼定の名付け親・元主である細川忠興公、妻の細川ガラシャ夫人のお墓があるお寺。
大徳寺の塔頭で、庭園でも有名です。
忠興公のお墓は生前愛好した石灯籠。かつては茶人・利休が愛好していたものでした。
銘を「無双」。別名を「欠燈篭」といって、秀吉公・忠興公両人に譲ってほしいと請われた際、利休が一部を壊してキズモノにしました。
さらに、後に入手した忠興公も完全なものを嫌って一部を欠けさせたそう・・。
・・これが「雅」というものなんでしょうね。
歌仙兼定の故郷:「濃州関」・・岐阜県関市
◆春日神社 岐阜県関市
アクセス:長良川鉄道「刃物会館前駅」より徒歩。
※御朱印はあるようですが、この時は頂くことができませんでした・・。
南北朝から室町時代にかけて、各地の刀工が岐阜県南部(美濃地方)に移住しました。
その中でも関(せき)は、室町・戦国時代にかけて一大産地として発展していきました。
こちらの春日神社は、それ以前の鎌倉期に大和から来た刀工が春日大社(奈良県)を勧請して建てられた神社。
鍛冶職人の自治組織(鍛冶座)の本所となるなど、「関鍛冶の守護神」として信仰されてきました。現在も境内にカミソリメーカーの奉納品などがあります。
また面や衣装など、能に関する文化財でも有名で、そのはじまりは「関七流」(関鍛冶の七流派)の刀工が能を舞ったことからといわれます。
・・関の刀工は「雅」を解する方々だったんですね。
こちら関の名工の一人が、歌仙の生みの親・二代兼定(通称:之定)。
歌仙の銘も「濃州関住兼定作」。
またその之定と義兄弟だったといわれる二代兼元も「関の孫六」で知られる名工です。
この兼元作の刀には、太郎太刀・次郎太刀の元主を斬った「青木兼元」またを「真柄切」があります。
(※兼さん・・土方歳三の和泉守兼定は四代兼定が会津のお抱え刀工になって以降の作なので、関出身ではありません)
関鍛冶伝承館
- 春日神社に隣接する関鍛冶伝承館では、日本刀の製作過程、関鍛冶の刀、現代刀工の作品を見ることができます。
- また、特定の日に、古式日本刀鍛錬や研師・鞘師・白銀師・柄巻師の方の実演も行われます。
- 歌仙の故郷探訪の際はぜひ!
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- 関鍛冶伝承館内は写真撮影可。
- こちら↑は三代兼定(通称:疋定)作の一振。
【薬研藤四郎】 【不動行光】
◆本能寺 京都府京都市
アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」より徒歩。
薬研藤四郎、宗三左文字、へし切長谷部の元主である織田信長公の廟所があるお寺。
「本能寺の変」の当時の位置にはありませんが、境内には三男・信孝によって廟所が建てられ、お寺の宝物館には信長公ゆかりの品が展示されています。
「本能寺の変」に巻き込まれ、信長公の小姓・蘭丸の刀であった不動行光は焼身に。
また諸説ありますが、薬研もこの際に焼けたとも・・・。(不動行光は現存)
こちらが本能寺の御朱印。御首題もあります。
※オリジナル御朱印帳あり (市販品?もあり)
御首題って何?
- 御首題とは簡単にいうと「日蓮宗や法華宗の御朱印」。
- 他の宗派のお寺では御本尊やお寺・建物の名前を書くことの多い墨書部分が
- 「南無妙法蓮華経」とお題目になってます。
- こちらが本能寺(法華宗)の御首題。
-
- 実は、本能寺では他の宗派がまじった御朱印帳でお願いをすると、上でご紹介した中央が「妙法」の墨字になった御朱印を頂くことになります。
- (本能寺の御首題は、こちらで新しく「御首題帳」を作った際に頂きました)
- 日蓮宗系のお寺では、このように他の宗派混同の御朱印帳には御朱印を、御首題は御首題のみの帳面に、という対応をするところがあります。
- ですが、先の本妙寺(日蓮宗)の場合、他の宗派が混じった御朱印帳でも御首題を頂くことができました。
- 御朱印=御首題という寺社もあります。
- 日蓮宗系でもお寺ごとに対応が異なるようです。
- いずれにせよ、どちらでも「参拝の証明」ですので、「妙法」の御朱印でも特に変わりはありません。
- ただ、もし「御首題を頂きたい」という場合は専用の「御首題帳」を用意した方がいいですね。市販品のものを御首題用にしたり、一部の日蓮宗・法華宗のお寺や日蓮宗新聞の通販などでも授与されていますので、専用のものを作りましょう。
【三日月宗近】【骨喰藤四郎】
◆等持院(とうじいん) 京都府京都市
アクセス:市バス「立命館大学前」「竜安寺前」 京福北野線「等持院駅」 より徒歩。
三日月宗近を所持し、骨喰藤四郎を重宝としていた足利家。
こちらは初代尊氏公が創建し、のちに足利家の菩提所となったお寺です。
美しい庭園で有名で、庭園内には尊氏公のお墓とされる塔、また歴代の足利将軍の木像をおさめる霊光殿があります。
※御朱印帳あり(市販品?)。
霊光殿にならぶ足利将軍像の中で、三日月宗近に関する有名な逸話があるのが、入って右側・手前より2番目にある義輝公です。
弱体化した幕府を立て直すべく、権力回復をはかった義輝公は大名の反発にあい、ついに命を狙われます。(永禄の変)
御所に軍勢を差し向けられた義輝公は、戦準備を整えると、自分の周囲にいくつも刀を突き刺し、襲いくる敵を倒していきました。
敵を次々切り捨て、刀の斬れ味が鈍ると、畳に突き刺した別の刀で応戦し続けました。
その中には、のちの「天下五剣」、三日月宗近、童子切安綱、大典多光世、それと並ぶ名刀・大包平があったそうです。
そして、凄絶な戦いの末、義輝公は敵の奇策によって討ち取られ、足利家ゆかりの刀は世に流出することになります・・。
・・しかし、この逸話は、当時すでに足利家になかった刀が含まれているなど、創作の可能性がたかいようです。
もっとも、義輝公自身は剣豪・塚原卜伝から教えを受けるなど、実際に剣術の腕はたったようです。そこから生まれた豪壮な逸話といえるかもしれませんね。
拝観料の必要なお寺での御朱印~入口で御朱印帳を預ける場合
- ※拝観料の必要なお寺の中には、御朱印を受ける場合、
- 「拝観受付で御朱印帳を預け、帰りに受け取る」という形式の場所があります。
- 等持院の場合は、受付で拝観料と御朱印の金額を先におさめ、御朱印帳を預けると番号札が渡されます。
- 拝観を済ませた後は、受付で番号札をだし、御朱印帳を受け取ります。
- 拝観受付に御朱印の見本などがあれば、このようにあらかじめ預ける形式かもしれ
- ないので、受付の方に「御朱印はこちらでよろしいですか?」と聞いてみましょう。
- ただ、拝観料のいるお寺でも、入口以外で頂く場合もあり、場所ごとで違います。
- わからなければ、一度受付やお寺の方に聞いてみましょう。
- ※御朱印は「参拝の証明」ですので、
- 拝観せずに入口で御朱印だけもらうのはNG!
- ※等持院のように番号札がなく、単に預かるのみの場所もあります。
- 間違ってほかの御朱印帳を持っていったり、逆に間違われたりしないよう、
- 御朱印帳のどこかに名前や住所を書いておくといいですね。
- (御朱印帳によっては名前を書く欄があったり、表紙に名前をいれるものもありますが、それがない場合は表紙をはりつけたページなど、御朱印を受けないところに書いておくといいです)
【髭切】
◆北野天満宮 京都府京都市
アクセス:市バス「北野天満宮」 京福北野線「北野白梅町」 より徒歩。
髭切を所蔵する神社。
学問の神様・菅原道真公が御祭神で、学業・合格祈願でも有名ですね。
髭切は源氏、足利家、最上家などを経て、この神社に奉納されました。
※オリジナル御朱印帳あり。
【膝丸】
◆東向観音寺 京都府京都市
アクセス:市バス「北野天満宮」 京福北野線「北野白梅町」 より徒歩。
膝丸はかつて「蜘蛛切」という号で呼ばれていました。
平安時代、酒呑童子退治で名高い源頼光が「土蜘蛛」という妖怪を退治した時に用いたのが由来です。
髭切所蔵の北野天満宮参道すぐ横にあるこちらの東向観音寺には、土蜘蛛が巣食っていたとされる塚から発掘された灯籠の一部が置かれています。
なんでも、この灯籠を貰い受けた家が不幸に見舞われ、こちらのお寺に奉納したのだとか・・。
境内にある大きな五輪塔は菅原道真公の母親である「伴氏」の供養塔。
「土蜘蛛灯籠」はその近くにある小さな覆屋に入った火袋です。
“兄者”がいる北野天満宮とあわせて、弟の足跡のひとつとしてお参りしてみてはいかがでしょう?
他に、同じ京都市内にある上品蓮台寺にも土蜘蛛の塚といわれる「源頼光朝臣塚」が残っています。
◆箱根神社 神奈川県箱根町元箱根
アクセス:箱根登山バス・伊豆箱根バス 「元箱根」より徒歩。
JR・小田急「小田原駅」か箱根登山鉄道「箱根湯本駅」からバスで。
膝丸(薄緑丸)と呼ばれる太刀を所蔵する神社。
膝丸は蜘蛛切、吼丸と号を変え、義経公のもとに来た際、その頃の春の山の色から
「薄緑丸」と名付けられました。
後、義経公によって箱根権現(現在の箱根神社)に奉納されたそうです。
御朱印はこの箱根神社のほか、縁結びで有名な九頭龍神社、箱根七福神(恵比寿神)のものを頂くことができます。
この箱根神社・膝丸の逸話として有名なのが、
三大仇討話の一つ「曽我物語」-曽我兄弟の仇討です。
領地争いの末、父親を殺された兄弟。
母の再婚先の跡取となった兄・十郎(一萬丸)、箱根権現に預けられた弟・五郎(箱王丸)は仇討の志をもったまま成長していきます。
弟・箱王丸が頼朝公の重臣である仇(工藤裕経)自身から復讐を諭され短刀を授けられるなど、さまざまな出来事を経て、成長した二人はついに仇討を決行します。
その際、箱根権現別当から箱王丸(元服して五郎)に贈られたのが膝丸・・薄緑丸でした。
頼朝公が開催した巻狩りの日の夜、工藤の陣屋に討ち入った二人はついに仇討を遂げます。
しかしその後、兄・十郎はほかの武士との斬り合いの末に討死。
弟・五郎はとらえられ、頼朝公のまえで事の次第を語った後に処刑されました。
そして薄緑丸、兄が使った太刀・微塵丸(みじんまる)はもとあった箱根権現へと返されました・・・。
現在薄緑丸・微塵丸とも、宝物館(別途拝観料)の企画展で見ることができます(ちなみに、こちらには五郎が工藤から授けられた短刀「赤木柄短刀」も所蔵されています)。
薄緑丸は神社の説明では「三条宗近の作」。
ですが時期は「鎌倉時代」との表記が・・??
微塵丸も後の時代の影響を受けた可能性があるようです。
(木曽義仲奉納といわれる微塵丸は「短刀」。しかし現在は「太刀」・・「ちょっと」どころか結構「伸びた?」??)
・・ともあれ、薄緑丸・微塵丸ともに曽我兄弟の志を伝える宝刀として守られてきました。
兄との決別・対立の末に自害に追い込まれた弟と、兄と共に仇討に生きた弟。
相反する二組の兄弟を見守ってきたかもしれない膝丸ゆかりの地としてお参りしてみてはいかがでしょうか。
このほか、箱根神社境内には曽我兄弟が御祭神の「曽我神社」、箱根湯本からの元箱根に至る道の途中に曽我兄弟の墓とされる五輪塔があります。
◆大覚寺 京都府京都市
アクセス:JR嵯峨線「JR嵯峨嵐山駅」 京福電鉄(嵐電)「嵐電嵯峨駅」 下車
市バス「大覚寺」 JR・嵐電からは20分ほど歩きますが徒歩圏内。
こちらも膝丸(薄緑)を所蔵をするお寺。
27.12-28.2の京都国立博物館・「刀剣を楽しむ」で展示されたのはこちらの膝丸です。
※オリジナル御朱印帳あり。
箱根神社の伝承とは異なり、薄緑丸は箱根神社に返されることはなく、頼朝公臣下の手に渡り、その子孫のつながりで大覚寺の所蔵となりました。
御朱印は拝観入口で預ける他、奥の五大堂の授与所でも頂けます。
これ以外にも心経殿のもの、御詠歌などがあります。
「刀剣乱舞」の刀剣と「能」
- 伝統芸能のひとつである「能」。
- 能面をつけた人が優雅に舞う・・というイメージがありますが、きちんとしたストーリーがあります。
- 歴史上の人物や神様、幽霊、妖怪が登場する内容が多いのですが、
- その中には「刀剣乱舞」の刀剣が登場する演目があります。
- ●膝丸 → 「土蜘蛛」
- 先に紹介しました源頼光公の土蜘蛛退治を描いた演目。
- 膝丸を蜘蛛切に改名?するシーンや、土蜘蛛を倒すシーンなど膝丸大活躍?な物語です。
- また曽我兄弟の仇討ちを題材にした演目も多く、これらは「曽我物」といわれます。
- (「小袖曽我」「夜討曽我」など)
- 人気の題材のため、歌舞伎でも演目があります。
- ●小狐丸 → 「小鍛治」
- 小狐丸誕生のエピソードを描いた演目。
- 刀工・三条宗近が登場し、神様の力を借りて小狐丸を作り出すまでが展開します。
-
京都三条にある「合槌稲荷神社」に建てられた「謡曲史跡保存会」の駒札。
- 能のゆかりの地は「謡蹟」といわれ、謡蹟めぐりをされている方もいるそう。
- 今でいう「聖地巡礼」ですね。
- ●獅子王 → 「鵺」
- 源頼政公・・獅子王の元・主である「じっちゃん」の鵺退治をベースにした演目で、倒された鵺が亡霊としてあらわれ、事の顛末を語ります。
- 「獅子王という剣を・・」という台詞も。
- 獅子王はこれをきっかけにじっちゃんのもとにやってきました。
- 【能のストーリーが読めるサイト】
- ★「the能ドットコム」
- 他の能の関連サイトでも演目の説明、あらすじを読むことができます。
- また今剣、岩融、髭切、膝丸の元・主である、源頼朝公・義経公が登場するお話もありますよ。
【物吉貞宗】
◆定光寺 (じょうこうじ) 愛知県瀬戸市
アクセス:JR中央本線「定光寺駅」 より徒歩。
徳川家康公愛用の物吉貞宗を手に入れた尾張藩藩祖・徳川義直公のお墓(廟所)があるお寺。
家康公の死後、遺品は御三家にわけられましたが、本来物吉貞宗は九男・義直公に与えられるものではありませんでした。
しかし生母・お亀の方は貞宗入手の為に尽力(ひそかに持ち出したとも)、その結果義直公はこの家康公愛用の脇差を手に入れることができました。
義直公のお墓(廟所)・源敬候廟は定光寺の奥にあります(別途拝観料)。
廟内には殉死された家臣のお墓も並んでいます。
お墓ですので、お参りの際はマナーに注意して。
「定光寺駅」から徒歩15分ほどのところにありますが、行きはほぼ登り坂。周囲は山です。
車道・歩道ともに舗装・整備されていますが、歩きやすい服装・靴がベスト。
また定光寺は紅葉の名所としても有名です。
景色が綺麗、歩きやすい点では春から秋にかけて、昼間の明るいうちの参拝がいいかと思います。
また境内近くや付近の定光寺公園などに駐車場がありますので、車でしたらアクセスも楽です。タクシー利用なら、名古屋よりの「高蔵寺駅」から。
(※瀬戸市側の中水野駅からコミュニティーバスもありますが、本数はかなり少ないです)
刀剣男士も所蔵?!徳川美術館
- 家康公死後分けられた遺品をはじめ尾張徳川家ゆかりの品は現在まで受け継がれてきました。
- その品々を所蔵・展示しているのが愛知県名古屋市の徳川美術館です。
-
- 刀剣の名品も多く所蔵しており、
- 「刀剣乱舞」では、鯰尾藤四郎、後藤藤四郎、物吉貞宗のモデルとなった刀があります。
- また、山姥切国広の本歌(オリジナル)とされる本作長義もこちらの所蔵です。
- 鯰尾・後藤・物吉・本作長義ともに常設ではありませんが、貴重な刀剣が期間ごとに展示替えを行いながら、常に見れるようになっています。
- このほか、名古屋市では太郎太刀・次郎太刀・髭切ゆかりの熱田神宮があります。
- 戦国武将にまつわる聖地も多い名古屋市について以下にまとめてみましたので、
- よろしければこちらもご覧ください。
- (少しですが、市内で頂ける御朱印も掲載しています)
- ★「【刀剣乱舞】 尾張名古屋・刀剣ゆかりの地めぐり」
家康公が御祭神の神社:東照宮
ゆかりの寺社・御朱印のつづきはこちら。
おまけ: 元主のお墓参りが一度にできる?! 高野山奥の院
などなど・・・。
ただ、奥の院参道は2km。供養塔・墓碑はなんと20万基!
有名武将や大名の墓所でも案内板などがないものもあります。
参拝・お墓参りの際は、事前に場所など下調べした方が良いですね。
奥の院には御朱印もあります。
その他、周辺の金剛峰寺や壇上伽藍、宿泊できるお寺(宿坊)でも御朱印が頂けます。
御朱印を頂いた時にはさんでもらった紙・・どうすればいい?
- ※「御朱印を頂いた時に、墨がうつらないように紙をはさんでもらったんだけど・・。
- これってどうすればいい?はさんだままにしておくの?」
- 墨や押印の朱のうつり防止に挟んでもらう紙。頂くたびに増えていきますよね・・。
- この紙ですが・・御朱印が渇いたら、はずしてしまいましょう。
- 挟んだままにしておくと、御朱印が書きづらくなってしまいます。
- また由緒書やパンフを挟んでくださる寺社もありますが、こちらも同様にはずしておきます。
- ただ、中には由緒や寺社ゆかりのものが描かれたものもあります。
- 御朱印を頂かないともらえないものですので、はずしたらファイルなどで保管して、参拝記念のひとつにしてもいいかと思います。
- 由緒書・パンフ・拝観券の保管もあわせて、旅行時もクリアファイルを持参すると便利ですよ。
-
- 「刀剣乱舞」ゆかりの地・うつり防止紙コレクション?
- 粟田神社・鍛冶神社・豊国神社・鞍馬寺・壬生寺は由緒。
- 阿蘇神社は阿蘇五岳に重文の楼門、7月に行われる神幸式・宇奈利の絵。
- 加藤神社のものは鳥居・熊本城・片鎌槍をあしらったスタンプ。
27.10.7 開設
【最終加筆修正日時】28.7.12
文字数上限のため、一時更新履歴を撤去。