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幻となった鉄道網整備計画の関係資料と、資料の解明に当たった吉田昭彦さん=神戸市兵庫区都由乃町1
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幻となった鉄道網整備計画の関係資料と、資料の解明に当たった吉田昭彦さん=神戸市兵庫区都由乃町1
戦中、戦後の神戸市で理財局長を務めた吉田義一氏(吉田昭彦さん提供)
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戦中、戦後の神戸市で理財局長を務めた吉田義一氏(吉田昭彦さん提供)
神戸新聞NEXT
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 太平洋戦争中、神戸から東播磨の内陸部に広がる鉄道網整備計画があった。戦局の悪化で、計画は中止に追い込まれたものの、神戸市はその資金を郊外の用地購入に活用し、後に「株式会社神戸市」の異名を取る都市経営につながった。神戸市兵庫区で郷土史を研究する吉田昭彦さん(83)がこのほど、政策立案に市幹部として関わった父が残した資料をひもとき、神戸市の大都市建設計画の形成過程を明らかにした。(森本尚樹)

 吉田昭彦さんの父は、戦中に神戸市交通局課長や財務局次長、理財局長を務めた吉田義一氏で、1957年に死去した。交通局時代に関わった鉄道網計画の『理論的考察』や『調書』、理財局長時代に書いた論文『大都市の崩壊とその再建』などを手元に保管していた。鉄道計画は、勝田銀次郎神戸市長(在任33~41年)時代から検討されたとみられ、野田文一郎市長(同42~45年)が提唱した「大港都建設構想」の一環で打ち出された。42年9月に一部が市議会で承認された。

 『理論的考察』によると、鉄道網整備の狙いは、戦時色が濃くなる中、武器の製造・輸送を能率的に行う「交通総動員体制の確立」を目指した。その一方で、神戸市東部と東播地域に都市を拡大して神戸港と結び、軍需工場新設や公共機関の分散、労働者の住宅確保も目的としていた。

 『調書』によると、路線網は神戸-日岡(加古川市)間の東西軸に、三木-大久保(明石市)間と、厄神(加古川市)-土山(明石市・兵庫県播磨町付近)間の南北2軸を交差させる計58キロを予定していた。総工費は1億8910万円、工期は14年間を見込んだ。

 だが、戦局悪化で鉄道計画は中止され、市は都市拡張に向けて市内や近郊の用地・建物を公営企業として取得、経営する「特別不動産資金会計」を創設した。吉田保管の『事業計画案』では、財源の一つは「運輸事業その他経済の歳計現金」とされ、鉄道計画資金が充当されたとみられる。

 戦後復興の基本方針になった『大都市の崩壊とその再建』では「神戸は国際的貿易港湾都市として相応の市域を持つべき」とし、周辺町村の合併による市域拡張と田園都市建設を目指した。また、他の大都市とともに特別市制の実現を提唱。市は46年、周辺自治体との合併交渉に乗り出した。

 昭彦さんは「市域が狭かった戦前の神戸市では市域拡張が常に懸案だった。戦中は戦時増強体制として、戦後は復興対策として検討され、高度成長時代に都市拡大がピークを迎えたと言える」と指摘する。

 昭彦さんは3年前、義一氏が残した文書を市文書館に寄贈し、その写しを使って解明した。同館が今後、文書の整理作業を進める。

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