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2017年06月05日12:00
スタジアムへの『槙野』の持ち込みは可か不可か!?
ハンバーガーとポテトくらいのベストマッチ感でセット化の傾向が見られるサッカーとケンカ。僕も長年に渡り不思議に思いつつ、同時に何となくわかるような気もしています。数あるゲームのなかで、コンピューターにムカついてコントローラーを投げたのはウイイレだけですから。
「死ねホイレンス!(←自チームの選手)」とか味方のCPUにまでキレて、コントローラーを壁に投げつけるような日々。とにかく、何か知らんけど、ウイイレだけは本当にムカつきました。バグとかバランスとかじゃなく、CPUがボールを持っているだけでムカつくような不思議なアノ感覚。
それはサッカーというミスの連鎖で成り立つゲーム性によるものなのかなとも思います。多くのスポーツが「成功の積み重ねのなかでたまにミスする」という流れであるのに対して、「ミスの連鎖のなかでたまにノーミスで上手くいく」というのがサッカー。基本的にストレスが溜まりやすいゲームなのかもしれません。トランプタワーを作るみたいな作業を、相手に邪魔されながらやっているようなものですから。
しかし、だからといってキレてジャンピングエルボーをやるのはよろしくない。試合中の乱闘はスポーツの華ですが、ジャンピングエルボーはやりすぎです。伝説のプロレスラー三沢光晴さんだって、キレてジャンピングエルボーはしませんでした。キレてもローリングエルボーに留めるべき。
スポーツやサッカーはよく「戦争」に喩えられます。
国と国、地域と地域が本気で勝負するという意味では確かに似た側面はあります。しかし、それは単に似ているだけで、むしろ根本的に異なるがゆえに似ていられると思うのです。五輪には北朝鮮のようなキナくさい国家も、イスラエルとパレスチナのようなバッチバチの国同士も同じ大会に出場していたりします。
それが成り立つのは、スポーツというのは「絶対に断じて戦争ではありません」という無関係を約束しているからこそ。絶対にタバコではない電子タバコとか、絶対に鈍器ではないピコピコハンマーとか、似ているだけで絶対に違うから、本当なら絶対にできないようなことを安心してできる。それがスポーツと戦争の間柄でしょう。
だから、そこに悪意やら挑発やらを乗せるのは、スポーツの大事な部分を台無しにする行為だと僕は思います。スポーツが「平和の祭典」になりうる理由を台無しにし、スポーツだからこそ安全であるというメリットを不当に享受している。地域間ヘイトを相手にぶつけたり、憎たらしい相手にウエメセで勝ち誇りたいなら、自分ひとりで行けと言いたい。そして自分の身体と自分の言葉でやりなさい、と。それが正しい主張であろうがなかろうが。
結局はモノじゃなくココロの問題です。悪意を持ってかざせばバナナだって問題があるのです。バナナには何の非もないけれど、バナナに非があるかないかではなくそこにどんなココロを乗せているかが可否の境目なのです。旭日旗もモノとしては問題がないけれど、そこに乗っているココロは疑わしいと僕は思います。
一般家庭には滅多にないモノを、日の丸やクラブのエンブレムなどもっとふさわしいモノがあるシチュエーションで、わざわざ掲げる。最初は相手もそのココロに気づかないかもしれないけれど、いつかどこかでそれに気づく。「最初は文句が出なかった」としても、それは気づかなかっただけかもしれない。後付けでそういう意味を勝手に持たされてしまうこともあるかもしれない。
それでも、そういう意味を持たされてしまったなら、やはりそれは避けるべきだろうと。正しくなくても、避けるべきだろうと。意味を持たされた瞬間に、そこに乗るココロはどんなものかわからなくなります。悪意かもしれない、と思えてくる。区別がつかないのなら、良きココロを乗せようと思う人は、それを避けるしかないのです。もっと大事なものを守るために。
↓そういった話を1時間くらい『週刊SPA!』の取材でしゃべったのですが、載ったのは20行でした!
20行なら書いて送りますけど、わざわざ申し訳ない!
そして、完全に号が入れ替わってからのお知らせで申し訳ない!

さて、このような観点から今改めて問われている存在、それが『槙野』。
先日のAFCアジアチャンピオンズリーグ浦和レッズVS済州ユナイテッド戦でのこと。試合前には圧倒的優位に立っていたはずの済州は、この試合を2失点で落とし、さらに延長で勝ち越しを許したことでブチギレました。浦和選手に対してベンチから飛び出した選手がジャンピングエルボーをかます大乱闘となり、試合後には浦和・槙野を追いかけ回すという騒動に発展しました。この時点では僕は「ジャンピングエルボーをしておいて何を言うか」「負け犬の遠吠え」「これだからキレやすいチームは」と思っていました。
しかし、週末のJリーグ戦で新たな疑念というのが持ち上がってきます。J1リーグ第14節浦和レッズVS柏レイソル戦でのこと。浦和・槙野と柏・クリスティアーノが揉める様相を見せ、クリスティアーノがイエローカードをもらうという場面がありました。警告の直接の原因としては、審判に対する抗議ということかもしれませんが、そこにひとつの仮説が浮かびあがってきます。
「『槙野』というモノは、万国共通でくっそムカつくモノなのではなかろうか?」
考えてみれば、済州戦もオカしかった。槙野の動きを動画で見直しても、取り立てて何か悪さをしているようすがないのです。試合後に自軍ベンチに向かいながら両手を広げて走っただけにしか見えないのに、相手はめっさキレている。浦和の全選手が喜び、槙野と並んで浦和・武藤も両手を広げて走っているのに、最終的な怒りの矛先は真っ直ぐ槙野に向かっていく。
「黒人選手に対するバナナ」「特定アジアに対する旭日旗」みたいな効果を「人類に対する槙野」が持っているとしたら。わずか5日の間に、地球の裏側で育ったまったく別の背景を持つ人類が、特に理由もないのに槙野にキレている。そこには万国共通で「このマークは炎に見える」みたいな認知というモノが、「コイツ何かムカつく」という形で表れているのではないか。
↓済州との追いかけっこで逃げ切ったあとのツイートも、アイコンといい、言い方といい、何かムカつく気がする!
天性の「イラッ」とさせる才能を遺憾なく発揮wwww
このアイコン、めっさ煽るのに向いてる顔してんなwwww
↓たとえコレが自分の集中力を高めるためのルーティンだとしても、ムカつかないかと聞かれれば、そんなことはない!
「両手を広げて集中しているだけ」と見ることも可能だが、「ナメとんのかワレ!」と見ることも可能!
髪型、表情、テカり、ポーズ、腕輪、左右違う色のスパイク…どれとは言えないが何かムカつく!
↓悲しい日に見たらすごく煽られてる感じになりそうな笑顔!
自分はこんなに悲しいのに、こんなに楽しそうなヤツがいるなんて許せない!
という、歪んだ怒りを煽る才能!
↓全員喜んでるなかで、相手の怒りを名指しで集めるのは才能!
「昔、トゥーロン国際ですごいポルトガル人いたよな」
「あとで調べたらクリスティアーノ・ロナウドだったわ」
「あー、アイツすごかったな、クリロナだったのか」
みたいな感じで、誰だかよくわかんない状態でもひときわ目立つ何かがあったに違いない!
たぶん済州もあとからインターネットで調べて、納得してるはず!槙野だったのか、と!
「なるほど、ムカッとくるわけだ」と!
↓どうでもいいけど、何でこんな顔してんだろうwwww
顔がイエローwwww
顔で言葉の壁を越えていくスタイルwwww

4日の浦和VS柏戦などは、首位攻防というこの試合に懸ける気持ちはありつつも、ACLの浦和VS済州戦よりもはるかに和やか。前振りの乱闘があったわけでも、荒っぽい試合だったわけでもないのに、ワンプレーで相手をキレさせるというのは才能としか言いようがありません。
柏のクリスティアーノにイエローをもらわせたプレーでは、最初はクリスティアーノは審判に向かって「オイ!」とやっていたのに、途中から怒りの矛先が槙野に移っていきました。「オイ!判定がオカシイだろ!」「っていうか、コイツが蹴って出してるがな!」「ていうか、いつもお前イラッとくんねん!」と、判定よりも態度や、積年のイライラの思い出しムカつきが強まっていく。
その後もイライラが止まないクリスティアーノはシュートミスのあとにサポーターを煽ってみたり、荒っぽいぶつかり合いをしてみたり、背後から倒されたときに怒りを押し殺すように逆にニヤニヤしてみたりと、挙動不審になっていきました。暫定首位で8連勝のチームでもこうなのであれば、大逆転負けを喰らったあとなら、ブチギレても不思議はありません。
↓今日だけじゃなく、ずっとイライラしてるんだろうなぁという着火の早さ!
スローインの判定をめぐってこんなにキレるものか!?
たぶん、キッカケがコレなだけで、怒りの理由は別!
このように見ていくと、『槙野』は挑発的なモノであることがうかがわれてきます。ただし、それは差別的な背景や、歴史的な背景を持ったものではありません。たとえば「バナナ」のように『槙野』を突きつけることによって相手を中傷できるわけでもなければ、「鼻をつまむ」のように『槙野』を見せつけることで相手を差別できるわけでもありません。
動作(自軍ベンチに向かって喜ぶ)や態度(蹴って出したのは俺だと認める)などにも問題は見いだせませんので、『槙野』はあくまでもモノとしてココロとしての問題というよりも一段浅い、デザイン状の問題であると言えそうです。東京五輪の取り下げられたエンブレムみたいな。ならば、ここはひとつデザインを変えていくということで、より平和なスタジアムを実現していこうではありませんか。
まずは手をつけやすいところで、髪型を主張のない坊主にし、顔のテカりを拭っていきましょう。そして、フェイスガードとかで表情を消していきます。よく見るといつもの『槙野』かもしれないけれど、パッと見ではフェイスガードのほうに気がとられてデザインについて気づかなくさせる。旭日旗も放射状の赤線を削除すればタダの赤丸になるように、『槙野』も顔周辺のパーツをいくつか見えなくすれば穏便なデザインになるはずです。デザインを変更の上で持ち込むというところで、くるっと平和解決といきたいものですね。

何かコワイ、何かカワイイと同様に何かムカつくもあるはず!
ハンバーガーとポテトくらいのベストマッチ感でセット化の傾向が見られるサッカーとケンカ。僕も長年に渡り不思議に思いつつ、同時に何となくわかるような気もしています。数あるゲームのなかで、コンピューターにムカついてコントローラーを投げたのはウイイレだけですから。
「死ねホイレンス!(←自チームの選手)」とか味方のCPUにまでキレて、コントローラーを壁に投げつけるような日々。とにかく、何か知らんけど、ウイイレだけは本当にムカつきました。バグとかバランスとかじゃなく、CPUがボールを持っているだけでムカつくような不思議なアノ感覚。
それはサッカーというミスの連鎖で成り立つゲーム性によるものなのかなとも思います。多くのスポーツが「成功の積み重ねのなかでたまにミスする」という流れであるのに対して、「ミスの連鎖のなかでたまにノーミスで上手くいく」というのがサッカー。基本的にストレスが溜まりやすいゲームなのかもしれません。トランプタワーを作るみたいな作業を、相手に邪魔されながらやっているようなものですから。
しかし、だからといってキレてジャンピングエルボーをやるのはよろしくない。試合中の乱闘はスポーツの華ですが、ジャンピングエルボーはやりすぎです。伝説のプロレスラー三沢光晴さんだって、キレてジャンピングエルボーはしませんでした。キレてもローリングエルボーに留めるべき。
スポーツやサッカーはよく「戦争」に喩えられます。
国と国、地域と地域が本気で勝負するという意味では確かに似た側面はあります。しかし、それは単に似ているだけで、むしろ根本的に異なるがゆえに似ていられると思うのです。五輪には北朝鮮のようなキナくさい国家も、イスラエルとパレスチナのようなバッチバチの国同士も同じ大会に出場していたりします。
それが成り立つのは、スポーツというのは「絶対に断じて戦争ではありません」という無関係を約束しているからこそ。絶対にタバコではない電子タバコとか、絶対に鈍器ではないピコピコハンマーとか、似ているだけで絶対に違うから、本当なら絶対にできないようなことを安心してできる。それがスポーツと戦争の間柄でしょう。
だから、そこに悪意やら挑発やらを乗せるのは、スポーツの大事な部分を台無しにする行為だと僕は思います。スポーツが「平和の祭典」になりうる理由を台無しにし、スポーツだからこそ安全であるというメリットを不当に享受している。地域間ヘイトを相手にぶつけたり、憎たらしい相手にウエメセで勝ち誇りたいなら、自分ひとりで行けと言いたい。そして自分の身体と自分の言葉でやりなさい、と。それが正しい主張であろうがなかろうが。
Grab some unripe bananas and toss them in a brown bag with other ripe fruit to help them ripen faster! #BrownBagItDay pic.twitter.com/b1rubcr90O
— Chiquita (@Chiquita) 2017年5月25日
結局はモノじゃなくココロの問題です。悪意を持ってかざせばバナナだって問題があるのです。バナナには何の非もないけれど、バナナに非があるかないかではなくそこにどんなココロを乗せているかが可否の境目なのです。旭日旗もモノとしては問題がないけれど、そこに乗っているココロは疑わしいと僕は思います。
一般家庭には滅多にないモノを、日の丸やクラブのエンブレムなどもっとふさわしいモノがあるシチュエーションで、わざわざ掲げる。最初は相手もそのココロに気づかないかもしれないけれど、いつかどこかでそれに気づく。「最初は文句が出なかった」としても、それは気づかなかっただけかもしれない。後付けでそういう意味を勝手に持たされてしまうこともあるかもしれない。
それでも、そういう意味を持たされてしまったなら、やはりそれは避けるべきだろうと。正しくなくても、避けるべきだろうと。意味を持たされた瞬間に、そこに乗るココロはどんなものかわからなくなります。悪意かもしれない、と思えてくる。区別がつかないのなら、良きココロを乗せようと思う人は、それを避けるしかないのです。もっと大事なものを守るために。
↓そういった話を1時間くらい『週刊SPA!』の取材でしゃべったのですが、載ったのは20行でした!
SPA!(スパ!) 2017年5月30日号
— 雑誌ONLINE+BOOKS (@zasshionline) 2017年5月23日
[不幸な結婚or幸福な離婚]どっちが得か?
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山口組 再分裂と「脱・暴力団」https://t.co/XHyxjn8vkL pic.twitter.com/WVWybKVxoK
20行なら書いて送りますけど、わざわざ申し訳ない!
そして、完全に号が入れ替わってからのお知らせで申し訳ない!
価格:360円 |
さて、このような観点から今改めて問われている存在、それが『槙野』。
先日のAFCアジアチャンピオンズリーグ浦和レッズVS済州ユナイテッド戦でのこと。試合前には圧倒的優位に立っていたはずの済州は、この試合を2失点で落とし、さらに延長で勝ち越しを許したことでブチギレました。浦和選手に対してベンチから飛び出した選手がジャンピングエルボーをかます大乱闘となり、試合後には浦和・槙野を追いかけ回すという騒動に発展しました。この時点では僕は「ジャンピングエルボーをしておいて何を言うか」「負け犬の遠吠え」「これだからキレやすいチームは」と思っていました。
しかし、週末のJリーグ戦で新たな疑念というのが持ち上がってきます。J1リーグ第14節浦和レッズVS柏レイソル戦でのこと。浦和・槙野と柏・クリスティアーノが揉める様相を見せ、クリスティアーノがイエローカードをもらうという場面がありました。警告の直接の原因としては、審判に対する抗議ということかもしれませんが、そこにひとつの仮説が浮かびあがってきます。
「『槙野』というモノは、万国共通でくっそムカつくモノなのではなかろうか?」
考えてみれば、済州戦もオカしかった。槙野の動きを動画で見直しても、取り立てて何か悪さをしているようすがないのです。試合後に自軍ベンチに向かいながら両手を広げて走っただけにしか見えないのに、相手はめっさキレている。浦和の全選手が喜び、槙野と並んで浦和・武藤も両手を広げて走っているのに、最終的な怒りの矛先は真っ直ぐ槙野に向かっていく。
「黒人選手に対するバナナ」「特定アジアに対する旭日旗」みたいな効果を「人類に対する槙野」が持っているとしたら。わずか5日の間に、地球の裏側で育ったまったく別の背景を持つ人類が、特に理由もないのに槙野にキレている。そこには万国共通で「このマークは炎に見える」みたいな認知というモノが、「コイツ何かムカつく」という形で表れているのではないか。
↓済州との追いかけっこで逃げ切ったあとのツイートも、アイコンといい、言い方といい、何かムカつく気がする!
私は、無事だ。 https://t.co/ovLujhBiN8
— 槙野智章 (@tonji5) 2017年5月31日
天性の「イラッ」とさせる才能を遺憾なく発揮wwww
このアイコン、めっさ煽るのに向いてる顔してんなwwww
↓たとえコレが自分の集中力を高めるためのルーティンだとしても、ムカつかないかと聞かれれば、そんなことはない!
「両手を広げて集中しているだけ」と見ることも可能だが、「ナメとんのかワレ!」と見ることも可能!
髪型、表情、テカり、ポーズ、腕輪、左右違う色のスパイク…どれとは言えないが何かムカつく!
↓悲しい日に見たらすごく煽られてる感じになりそうな笑顔!
自分はこんなに悲しいのに、こんなに楽しそうなヤツがいるなんて許せない!
という、歪んだ怒りを煽る才能!
↓全員喜んでるなかで、相手の怒りを名指しで集めるのは才能!
「昔、トゥーロン国際ですごいポルトガル人いたよな」
「あとで調べたらクリスティアーノ・ロナウドだったわ」
「あー、アイツすごかったな、クリロナだったのか」
みたいな感じで、誰だかよくわかんない状態でもひときわ目立つ何かがあったに違いない!
たぶん済州もあとからインターネットで調べて、納得してるはず!槙野だったのか、と!
「なるほど、ムカッとくるわけだ」と!
↓どうでもいいけど、何でこんな顔してんだろうwwww
槙野智章(浦和レッズ)
— サッカーニュース Qoly(コリー) (@Qoly_Live) 2017年6月1日
「エルボーだなんて……考えられない」
チョ・ソンファン(済州ユナイテッド監督)
「敗者のマナーも必要だが、勝者のマナーも必要だ。試合終了が迫った時、浦和の一人の選手が我々のベンチに向かって勝利のセレブレーションを行い、刺激してきた」 pic.twitter.com/rNy087oZD2
顔がイエローwwww
顔で言葉の壁を越えていくスタイルwwww
価格:1,404円 |
4日の浦和VS柏戦などは、首位攻防というこの試合に懸ける気持ちはありつつも、ACLの浦和VS済州戦よりもはるかに和やか。前振りの乱闘があったわけでも、荒っぽい試合だったわけでもないのに、ワンプレーで相手をキレさせるというのは才能としか言いようがありません。
柏のクリスティアーノにイエローをもらわせたプレーでは、最初はクリスティアーノは審判に向かって「オイ!」とやっていたのに、途中から怒りの矛先が槙野に移っていきました。「オイ!判定がオカシイだろ!」「っていうか、コイツが蹴って出してるがな!」「ていうか、いつもお前イラッとくんねん!」と、判定よりも態度や、積年のイライラの思い出しムカつきが強まっていく。
その後もイライラが止まないクリスティアーノはシュートミスのあとにサポーターを煽ってみたり、荒っぽいぶつかり合いをしてみたり、背後から倒されたときに怒りを押し殺すように逆にニヤニヤしてみたりと、挙動不審になっていきました。暫定首位で8連勝のチームでもこうなのであれば、大逆転負けを喰らったあとなら、ブチギレても不思議はありません。
↓今日だけじゃなく、ずっとイライラしてるんだろうなぁという着火の早さ!
スローインの判定をめぐってこんなにキレるものか!?
たぶん、キッカケがコレなだけで、怒りの理由は別!
このように見ていくと、『槙野』は挑発的なモノであることがうかがわれてきます。ただし、それは差別的な背景や、歴史的な背景を持ったものではありません。たとえば「バナナ」のように『槙野』を突きつけることによって相手を中傷できるわけでもなければ、「鼻をつまむ」のように『槙野』を見せつけることで相手を差別できるわけでもありません。
動作(自軍ベンチに向かって喜ぶ)や態度(蹴って出したのは俺だと認める)などにも問題は見いだせませんので、『槙野』はあくまでもモノとしてココロとしての問題というよりも一段浅い、デザイン状の問題であると言えそうです。東京五輪の取り下げられたエンブレムみたいな。ならば、ここはひとつデザインを変えていくということで、より平和なスタジアムを実現していこうではありませんか。
まずは手をつけやすいところで、髪型を主張のない坊主にし、顔のテカりを拭っていきましょう。そして、フェイスガードとかで表情を消していきます。よく見るといつもの『槙野』かもしれないけれど、パッと見ではフェイスガードのほうに気がとられてデザインについて気づかなくさせる。旭日旗も放射状の赤線を削除すればタダの赤丸になるように、『槙野』も顔周辺のパーツをいくつか見えなくすれば穏便なデザインになるはずです。デザインを変更の上で持ち込むというところで、くるっと平和解決といきたいものですね。
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何かコワイ、何かカワイイと同様に何かムカつくもあるはず!
いいキャラクターですwwwwww