実家は貧乏でした。
物心ついてくると、母親が金庫代わりにしていた箱からお金を取り出して、
「ハー」
と深いとため息をついていたのが今でも鮮明に目に焼きついているし、中学生になる頃にはウチにはお金がないということを、ことあるごとに聞かされてきました。
懐が厳しい月はご飯も質素になります。
そんな環境で育つと意識していたわけではありませんが、比較的学費が安くなる国立の学校に入ったことや、大学に入らずに就職したのは、早く独立して親をラクにさせたい、そして早く家を離れたいというのも大きな理由のひとつだったかもしれません。
貧乏にしかわからないこと
「なんでウチだけ……」
と、劣等感を抱いていたその頃は、その運命に従うしかないために自分は不幸な人間だなんてことを思っていましたが、親元を巣立って独立した今、小さい頃に体験した不幸な出来事は、本当に役に立つようになりました。
なぜなら、生活水準が低くても、別に良い会社で働けなかったとしても、他人が良いブランドの時計をしていても、なんとも思わないからです。
そして人よりちょっとした幸せを深く噛み締められることにも気がつきました。
だけど、たまにそれでバカにされることもあります。
しかし、そんな少しのバカにしてくる人は、良い家に住んだり、高いものを身につけたり、一流企業に勤めたり、一度築いた大きなものを手放せなくて、他人といつも比べてストレスを溜めていました。
たまに贅沢したいなら、今すぐにでも、例えばディズニーランドの1泊5万円もする高いホテルに泊まることはできるし、銀座の高いレストランを予約してフルコースを食べることだってできます。
みんな上を目指そうとします。
だから上のほうはわりと経験しやすいのです。
だけどお金を払ってわざわざ貧乏をやろうなんて思わないし、できません。
リスクを平気で取れる
この貴重な体験によって下を見てきたことで、それだけリスクを取るのが楽になりました。
とくにプライドなんかはなかなか下げられるものではありません。
しかし、いつか消えるものを躊躇なく手放せば、今自分が本当にお金と時間をかけたいものに全力投球できるようになります。
お金をかけて見てくれを気にしてまた、人より上に行こうと考えるよりは、そんなのを全部捨てて自分のためだけにワガママになったほうが、大きな結果を生み出せることも多いということに気づくことができました。
そんなことを知らず知らずのうちに自分の中に養えていたのは、ある種の才能のようなものに分類されるのかもしれません。
この貧乏という不幸を小さい頃に知らず知らずのうちに経験できたことは実は恵まれていたことなのでした。
人間として絶対に勝てない人
同世代なのに、人間としてこの人には絶対勝てないなあと思う人に出会うことがあります。
経験豊富で、心が広く、バランスが良くて、ものすごくいろんなことの考え方が大人で、人間として明らかに勝てない、尊敬できる人がいます。
そんな人は、なにごとに対しても両方の側面を知っていました。
貧乏かどうかに限らず、上や下、両方を知ることで人間としての幅が広がるんだということを教えてくれました。
貧乏と不幸はおもしろい
他人の貧乏や不幸の話はおもしろい。
飲み会での笑い話になったり、ブログのネタになったりするのです。
なかなか他の人には味わえない体験ほど強みに変えられる個人の時代。
そんな時代に生まれた今、貧乏も悪くなかったと今ではハッキリと感じ取れます。
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