さて、土曜日と日曜日のエントリーに対して、沢山のご意見、ありがとうございました。
ご意見を伺いながらそれに対しての返答も見解も述べないのはおかしなことなので、今日は珍しくちょっと真剣に書かせていただこうと思います。
先週のブログ「一昨日のブログについて」の中にも記してありますが、基本的に僕はブログに全文を書いてしまわないように気をつけています。あえて文中のどこかに結論部分の中の一部の言葉などを使って匂わせようにしながら、読んでくださってる方々にも「読み解く」楽しさのようなものを感じて頂きたい、と考えているからです。
でも、今回はせっかくご意見なども募集しましたので、僕の意見やその成り立ちが全部分かるように細かく説明してみようと思います。
当然、理屈っぽいので、いつものテイストの方が気楽だ、と思われる方は今日は流し読みしておいてください。
まず土曜日のエントリーで僕が記したのが、親友の自殺のエピソードでした。(→「笹井氏の自殺について」)
そのエピソードをもとに、「自殺」という選択肢事態を、僕は認めない、認める気にならない、と主張しました。
まぁ、多くの方の思った通りです。そう。ごく普通の事を書いただけですね。ただの一般論です。
昨日のエントリーでは、「うつ病だからしょうがない!」というご意見が多かったのを受け、いや、選択肢に入っている段階でおかしいでしょ?と聞いてみました。
その背景には、僕自身も昔テレビで扱い、取材した日本の自殺問題の闇があります。
まず、「うつ病、うつ病」って言ってる方々、認識が少しだけ違っているはずです。正確に言うと「双極性障害」が原因だと思います。要は「躁うつ病(そううつびょう)」です。調べてみてください。そのはずです。
誤解されてる方が多いんですが、「うつ病」は自殺にあまり結びつかないんです。「うつ病」ってのは本当に様々なことにやる気や気力を失うんです。うつ状態の間は人間、ほぼ自傷行為には走らないはずです。少なくとも僕が取材した範囲では専門家の先生はそうおっしゃってました。
では、なんでそんな誤解が生じているのか?
「うつ病と同時併発的に発症する「躁病(そうびょう)」の存在をご存じでしょうか?攻撃性があり、常軌を逸した行動力にあふれ、自分を全能だと勘違いし、パワーがみなぎってしまう状態。
精神医学的に、最も恐れられ、危険度が圧倒的に高いのは実は「うつ状態」ではなく「躁状態」なんです。
その両極端な姿が交互に現れはじめる状態を「双極性傷害」と言います。一般的に「躁うつ病」と言われる状態です。
自殺を含む自傷行為とは、その「そう状態」が顔を出した時に起こるのが90%以上だと聞いています。「うつ病」と「自殺」とは全く関係がないとは言わないのですが、完全にリンクしているものではないんです。まずここを押さえておきましょう。
ここで一つ目のポイントがあります。
ポイント1:日本では圧倒的に「うつ状態」の患者が多いのに、自殺者数が多すぎる点
ここを押さえていただき、二つめの考察です。それが1つ目のポイントにもあげた「自殺者数」の話です。
日本の自殺者数は3万人。これは皆さん、けっこうご存じの数字ですよね?多い多いって言われていますが、これ、どれくらい多いかご存知ですか?これは世界的な調査がちゃんとありまして、WHOが世界119か国を対象にしっかりとした調査を行っています。
日本は人口、10万人に対し、自殺者数はなんと24.4人!
なんと世界119か国での調査で、7番目に高い数字。言うまでもなく、先進7か国ではダントツすぎる高い数字なのです。
ちなみに「躁うつ病大国」とまで揶揄され、国民の4人に一人が何らかの「躁うつ状態」になる、とまで言われているアメリカにおいて、自殺者は10万人当たり11.5人です。世界では40番目です。
いいでしょうか?
アメリカは完全失業率が9%を超えている国です。現段階で、精神疾患の患者数が2000万人を超え、国際的にも最もメンタルの弱い国の一つです。そのアメリカで、自殺者率はわずか日本の半分にも満たないのです。
保険もない
仕事もない
貧富の差は日本どころじゃない
日本的な感覚なら、「自殺」に結びつきそうな状況はアメリカには全部揃っていると思っておいてください。しかもおあつらえ向きに、銃社会です。自殺しようと思ったら、首を吊る必要はありません。銃で一発です。事実、アメリカの自殺者はその大半が銃による自殺です。
ここでポイントが浮き上がります。
ポイント2:アメリカでは自殺者数率は日本の半分以下
これらの事実を押さえると、ある一定の仮説が浮かび上がるのです。そう。
仮説:「精神疾患と自殺」は、直接的には結び付くとは言い切れないのではないか?
という事です。山ほど頂いたコメントである「笹井さんは精神的に追い詰められたから自殺したのではないか?」というご指摘。まるで日本で都市伝説化しているこの仮説は、なんだか僕にはあまりにもイビツなものに映ったのです。笹井さんはどう頑張っても「そう状態」にはならない状況です。元気で力いっぱいにはなりにくい状況です。
また、精神的に追い詰められて自殺に結びついたのであれば、単純にアメリカ人の自殺の方が圧倒的に多くなければ説明がつかないからです。
実際は日本人の方がよっぽどすぐに自殺するのです。
何故か?僕はそこを突き詰めて考えてみました。そこで一つのヒントになりそうな国の存在が浮上しました。
それが韓国です。
【考察 韓国の例】
なんとお隣、韓国では2012年に信じられないデータがはじき出されています。
国民10万人当たりに対する自殺者数はなんと31人!!
WHOが調査を行った世界119か国中で、なんと2位という考えられない数字だったのです。10万人いたら31人自殺するんですよ??日本の1.3倍もの数字なのです!
そこで一つの文化背景に目をつけました。それが昨日のブログにも書いた
「死者を鞭打たない文化」
です。
昔、韓国に何度も取材に行きましたが、これは儒教の影響か、日本も韓国も完全に同じ文化でした。
テレビ見てみてください。
笹井さん、褒め称えられていたでしょ?テレビで笹井さんの事、責めたててたのなんて、TOKYO MXの中村うさぎさんくらいなもので、まぁ気持ちいいほどに、日本のテレビでは死んだ途端…
・日本のエースだった!
・惜しい人材をなくした!
・素晴らしい成果をあげて世界でも有名で…
ってやり始めたでしょ?手のひら返しとはこのこと。気持ち悪い報道が相次ぎました。
考えて頂きたい。
笹井さんがやらないといけなかったことは「証明すること」です。もしくは「説明すること」と言えます。どちらも出来ないなら「謝罪すること」では?弟子を残して、遺書残して逃げることじゃないと、強く思うんです。
「正常な判断なんて出来なかったんですよ~」
というコメントを多数頂戴しましたが、いやいや!しっかりと3人の方に遺書まで残していますよね?完全な錯乱状態じゃない事は明白です。完全な思考不可能状態であれば、遺書などは残りません。実際に突発的に錯乱して自殺する人も少なくありません。
でも、こんな普通のことを日本ではテレビでは言えなくなるんです。
死者にムチ打ったらいけないから。死んだら褒め称えないといけないから。
逆説的に言いましょう。
この文化背景を上手く使えば、死ぬタイミングを間違えなければ、日本では突然「英雄」になることだってできるんです。故人は褒め称えるので。死ねば許してくれるので。全部。
これは韓国でも全く同じ文化なのです。先人を尊ぶ文化が根付いているのです。先人を尊ぶことを悪いとは思わないんですが、ちょっと、行きすぎな気がするんですよね。褒めちぎるでしょ?日本のマスコミは。叩かれるのが嫌だから。ほら、はっきり言っちゃうと、今回の僕のコメント欄とかも見てください。こうなるのが面倒くさいからコメンテーターとかも「死んだら誉めとく」んです。
僕はここに原因の一つを見ます。
自殺したら許され、死んでしまえば、褒めてもらえる。
そういう文化が根付いているので、絶望感を感じている人にとっての「選択肢」に入って来るんじゃないか、と。「自殺」という行為が。
でないと、精神疾患だ、だから自殺なんだ、と言い始めるなら、アメリカの例が全く説明できなくなるんですよね。ちなみにアメリカは死のうがどうしようが、罪は罪です。むしろ、自殺することはキリスト教の文化的にそれ自体が罪なので責められます。そもそも「選択肢」に入ってないので。
日本と韓国にはびこる自殺数の多さ、その原因は
自殺した人に(無理やり)理解を示すこと
自殺した人を褒め称えるマスコミ
自殺した人を許す文化背景
にあるという仮説を僕の一応のベースにしてみました。そこまで考えたうえで、一昨日のエントリーに至った訳です。良かったらもう一度読み返してみてください。何を書いているのか良く分かりますから。
従って、
「マスコミが笹井さんを自殺に追い込んだのではないか?」
というご質問に対する答えは下記となります。
・マスコミの追求は当然のこと。それくらい世間を混乱させたことは言うまでもない事実。
・説明し、証明する責任を回避し、自殺という結果行動を取った笹井氏の行動は、僕は「逃げ」であると考える。
・精神的に追い詰められることと「自殺」という行為がデータ上は結び付きにくい。従って、「追い込む報道は当然マスコミはしたと言えるが、それによって自殺したのだ、という意見にはやや強引さを感じる」。
が結論です。
以上です。
ご意見を伺いながらそれに対しての返答も見解も述べないのはおかしなことなので、今日は珍しくちょっと真剣に書かせていただこうと思います。
先週のブログ「一昨日のブログについて」の中にも記してありますが、基本的に僕はブログに全文を書いてしまわないように気をつけています。あえて文中のどこかに結論部分の中の一部の言葉などを使って匂わせようにしながら、読んでくださってる方々にも「読み解く」楽しさのようなものを感じて頂きたい、と考えているからです。
でも、今回はせっかくご意見なども募集しましたので、僕の意見やその成り立ちが全部分かるように細かく説明してみようと思います。
当然、理屈っぽいので、いつものテイストの方が気楽だ、と思われる方は今日は流し読みしておいてください。
まず土曜日のエントリーで僕が記したのが、親友の自殺のエピソードでした。(→「笹井氏の自殺について」)
そのエピソードをもとに、「自殺」という選択肢事態を、僕は認めない、認める気にならない、と主張しました。
まぁ、多くの方の思った通りです。そう。ごく普通の事を書いただけですね。ただの一般論です。
昨日のエントリーでは、「うつ病だからしょうがない!」というご意見が多かったのを受け、いや、選択肢に入っている段階でおかしいでしょ?と聞いてみました。
その背景には、僕自身も昔テレビで扱い、取材した日本の自殺問題の闇があります。
まず、「うつ病、うつ病」って言ってる方々、認識が少しだけ違っているはずです。正確に言うと「双極性障害」が原因だと思います。要は「躁うつ病(そううつびょう)」です。調べてみてください。そのはずです。
誤解されてる方が多いんですが、「うつ病」は自殺にあまり結びつかないんです。「うつ病」ってのは本当に様々なことにやる気や気力を失うんです。うつ状態の間は人間、ほぼ自傷行為には走らないはずです。少なくとも僕が取材した範囲では専門家の先生はそうおっしゃってました。
では、なんでそんな誤解が生じているのか?
「うつ病と同時併発的に発症する「躁病(そうびょう)」の存在をご存じでしょうか?攻撃性があり、常軌を逸した行動力にあふれ、自分を全能だと勘違いし、パワーがみなぎってしまう状態。
精神医学的に、最も恐れられ、危険度が圧倒的に高いのは実は「うつ状態」ではなく「躁状態」なんです。
その両極端な姿が交互に現れはじめる状態を「双極性傷害」と言います。一般的に「躁うつ病」と言われる状態です。
自殺を含む自傷行為とは、その「そう状態」が顔を出した時に起こるのが90%以上だと聞いています。「うつ病」と「自殺」とは全く関係がないとは言わないのですが、完全にリンクしているものではないんです。まずここを押さえておきましょう。
ここで一つ目のポイントがあります。
ポイント1:日本では圧倒的に「うつ状態」の患者が多いのに、自殺者数が多すぎる点
ここを押さえていただき、二つめの考察です。それが1つ目のポイントにもあげた「自殺者数」の話です。
日本の自殺者数は3万人。これは皆さん、けっこうご存じの数字ですよね?多い多いって言われていますが、これ、どれくらい多いかご存知ですか?これは世界的な調査がちゃんとありまして、WHOが世界119か国を対象にしっかりとした調査を行っています。
日本は人口、10万人に対し、自殺者数はなんと24.4人!
なんと世界119か国での調査で、7番目に高い数字。言うまでもなく、先進7か国ではダントツすぎる高い数字なのです。
ちなみに「躁うつ病大国」とまで揶揄され、国民の4人に一人が何らかの「躁うつ状態」になる、とまで言われているアメリカにおいて、自殺者は10万人当たり11.5人です。世界では40番目です。
いいでしょうか?
アメリカは完全失業率が9%を超えている国です。現段階で、精神疾患の患者数が2000万人を超え、国際的にも最もメンタルの弱い国の一つです。そのアメリカで、自殺者率はわずか日本の半分にも満たないのです。
保険もない
仕事もない
貧富の差は日本どころじゃない
日本的な感覚なら、「自殺」に結びつきそうな状況はアメリカには全部揃っていると思っておいてください。しかもおあつらえ向きに、銃社会です。自殺しようと思ったら、首を吊る必要はありません。銃で一発です。事実、アメリカの自殺者はその大半が銃による自殺です。
ここでポイントが浮き上がります。
ポイント2:アメリカでは自殺者数率は日本の半分以下
これらの事実を押さえると、ある一定の仮説が浮かび上がるのです。そう。
仮説:「精神疾患と自殺」は、直接的には結び付くとは言い切れないのではないか?
という事です。山ほど頂いたコメントである「笹井さんは精神的に追い詰められたから自殺したのではないか?」というご指摘。まるで日本で都市伝説化しているこの仮説は、なんだか僕にはあまりにもイビツなものに映ったのです。笹井さんはどう頑張っても「そう状態」にはならない状況です。元気で力いっぱいにはなりにくい状況です。
また、精神的に追い詰められて自殺に結びついたのであれば、単純にアメリカ人の自殺の方が圧倒的に多くなければ説明がつかないからです。
実際は日本人の方がよっぽどすぐに自殺するのです。
何故か?僕はそこを突き詰めて考えてみました。そこで一つのヒントになりそうな国の存在が浮上しました。
それが韓国です。
【考察 韓国の例】
なんとお隣、韓国では2012年に信じられないデータがはじき出されています。
国民10万人当たりに対する自殺者数はなんと31人!!
WHOが調査を行った世界119か国中で、なんと2位という考えられない数字だったのです。10万人いたら31人自殺するんですよ??日本の1.3倍もの数字なのです!
そこで一つの文化背景に目をつけました。それが昨日のブログにも書いた
「死者を鞭打たない文化」
です。
昔、韓国に何度も取材に行きましたが、これは儒教の影響か、日本も韓国も完全に同じ文化でした。
テレビ見てみてください。
笹井さん、褒め称えられていたでしょ?テレビで笹井さんの事、責めたててたのなんて、TOKYO MXの中村うさぎさんくらいなもので、まぁ気持ちいいほどに、日本のテレビでは死んだ途端…
・日本のエースだった!
・惜しい人材をなくした!
・素晴らしい成果をあげて世界でも有名で…
ってやり始めたでしょ?手のひら返しとはこのこと。気持ち悪い報道が相次ぎました。
考えて頂きたい。
笹井さんがやらないといけなかったことは「証明すること」です。もしくは「説明すること」と言えます。どちらも出来ないなら「謝罪すること」では?弟子を残して、遺書残して逃げることじゃないと、強く思うんです。
「正常な判断なんて出来なかったんですよ~」
というコメントを多数頂戴しましたが、いやいや!しっかりと3人の方に遺書まで残していますよね?完全な錯乱状態じゃない事は明白です。完全な思考不可能状態であれば、遺書などは残りません。実際に突発的に錯乱して自殺する人も少なくありません。
でも、こんな普通のことを日本ではテレビでは言えなくなるんです。
死者にムチ打ったらいけないから。死んだら褒め称えないといけないから。
逆説的に言いましょう。
この文化背景を上手く使えば、死ぬタイミングを間違えなければ、日本では突然「英雄」になることだってできるんです。故人は褒め称えるので。死ねば許してくれるので。全部。
これは韓国でも全く同じ文化なのです。先人を尊ぶ文化が根付いているのです。先人を尊ぶことを悪いとは思わないんですが、ちょっと、行きすぎな気がするんですよね。褒めちぎるでしょ?日本のマスコミは。叩かれるのが嫌だから。ほら、はっきり言っちゃうと、今回の僕のコメント欄とかも見てください。こうなるのが面倒くさいからコメンテーターとかも「死んだら誉めとく」んです。
僕はここに原因の一つを見ます。
自殺したら許され、死んでしまえば、褒めてもらえる。
そういう文化が根付いているので、絶望感を感じている人にとっての「選択肢」に入って来るんじゃないか、と。「自殺」という行為が。
でないと、精神疾患だ、だから自殺なんだ、と言い始めるなら、アメリカの例が全く説明できなくなるんですよね。ちなみにアメリカは死のうがどうしようが、罪は罪です。むしろ、自殺することはキリスト教の文化的にそれ自体が罪なので責められます。そもそも「選択肢」に入ってないので。
日本と韓国にはびこる自殺数の多さ、その原因は
自殺した人に(無理やり)理解を示すこと
自殺した人を褒め称えるマスコミ
自殺した人を許す文化背景
にあるという仮説を僕の一応のベースにしてみました。そこまで考えたうえで、一昨日のエントリーに至った訳です。良かったらもう一度読み返してみてください。何を書いているのか良く分かりますから。
従って、
「マスコミが笹井さんを自殺に追い込んだのではないか?」
というご質問に対する答えは下記となります。
・マスコミの追求は当然のこと。それくらい世間を混乱させたことは言うまでもない事実。
・説明し、証明する責任を回避し、自殺という結果行動を取った笹井氏の行動は、僕は「逃げ」であると考える。
・精神的に追い詰められることと「自殺」という行為がデータ上は結び付きにくい。従って、「追い込む報道は当然マスコミはしたと言えるが、それによって自殺したのだ、という意見にはやや強引さを感じる」。
が結論です。
以上です。
コメント
コメント一覧
わたしはいじめられたこともありますし、鬱になったこともあります。
自殺は確かに良くないのも、今は理解してます。
ただ、強い言葉は、それだけで刃にも薬にもなります。
長谷川さんのブログは強い言葉ばかりです。
思いやりを感じ取れませんでした。
それはきっと、長谷川さんが相手への理解力が足りないから。
自分の考えが一番正しいと思ってるからではありませんか?
他人の考えを打ち消そうと必死にもがいてらっしゃるように感じます。
他の人と喧嘩まがいのやりとりをしてる長谷川さん、実はかまって欲しい、認めて欲しいと思ってらっしゃいませんか?
わたしは、こういうブログを書くなら、もっと他人の意見に耳を傾ける努力も必要だと思います。
器の小さい人間についていく人は限られてますよ。
…追伸
この文を読んで苛ついたのなら謝りますが、それは本当だから苛ついてらっしゃるはずです。
長谷川様はその部分で想像力不足なのでは無いでしょうか?
もしも本当に躁鬱な様な病状で苦しんでいる人がこの記事を見つけ読み、全てを否定されたと思い込んだら?長谷川様の“絶対”という言葉に、自分を絶対に悪だと思い込んだら?
自信を無くし、悪はこの世に必要ないと考え、自殺を促してしまう可能性は?
自殺を考える人の傾向に、自分を責めると言う方がいます。
自分は生きているだけで迷惑だとか、生きる事が罪とか。
そう考える人もいるのです。
その人に、自殺を考える人はワガママだと言ったらどうでしょう?
自殺を止めるどころか、自分の存在意義、存在価値などを失い、絶望してしまうのでは無いでしょうか?
それは長谷川様にはとうてい理解出来ない感情かもしれませんが、全ての人間が、長谷川様と同じ心の強さを持っている訳では無いのです。
もう少し、視野を広げる為の筋肉を和らげてはいかがでしょうか?
自殺が良いことな訳ではありませんし、自殺者の心が理解出来る訳では無いのですが、私も長谷川様も全てを知り尽くした神では無いのですから、全ての感情を完全に肯定も否定も出来ないと思います。
絶対に、なんて言いがたいと思います。
絶対に、と言えるとしたら、それはあなたの知るうる世界の中での“絶対”であり、あなたの知りうる世界だけが全てとは限らないのです。
考えてもみてください。
あなたがお友達を亡くされて怒る気持ちはあなたのワガママであり、亡くなった友人の立場で気持ちを考え理解して、かなしんでいる訳では無いと思います。
もし自分がその立場なら、自殺なんかしない。それは、健全なあなただからそうなる。
人は個々に千差万別、全く別の感情や価値観を持っていて、それはお互い全て一致する訳でも、理解出来る訳でも無いですよね。
あなたの価値観や感情、経験や知識が全ての人の標準ではないです。
あなたよりも違う感情を知っている人、違う経験を体験している人。
沢山いると思います。
同じ出来事でも、その考える重さも個々に違うのです。
躁鬱が関係しているかどうか?
長谷川様の理論的に言えば関係していないとなるのでしょうか?
しかし、数字が全てではありませんし、人間は未知で、無知です。
人間は善悪を人間の物差しで決めて、知った気になっていると思います。
産まれてきて死んでいくとこの意味も、知り得ないのです。
もしかして、死後の世界は何かとてつもなく素晴らしいのではないか?
死は旅立ちなのではないか?
天国という名の開けた世界。
死という卒業では無いのか?
むしろ、死後の世界が幸せな世界であってほしいと。
その考えに基づき、自殺者も同様に、死後の世界への救いを求めている可能性。
そして、“死”そのものを悪とする理論自体が、生き残されたものの、悔しさ、虚しさ、無念さ、哀しみからくる、ただのエゴかもしれないこと。
そう考えるとおのずと見えてくる自殺者の思考では、なぜこの苦しみを理解してもらえないのか?この苦しみから抜け出し楽になる事(旅立ち)をどうしてわかって許してもらえないのか?まだまだ苦しめと言うのか?
(続きます)
コメント失礼致します。
前回記事を読ませていただき、この記事へとたどり着きました。
自殺について。ですが、お友達を亡くされた件は、さぞ悔しい思いをされたと、お悔やみを申し上げたいと思います。
しかしながら、全ての自殺する人は逃げているだけだというのは、少し無理やり過ぎる論理であるとも感じます。
確かに、自殺者は遺された周りの人の苦しみなんて、考えれていないです。
自分だけ苦しみから逃れようとする事が出来るのは、もし自分が死んだら、どの様になるのか?が想像し得ない、もしくは、想像が足りない想像不足の結果だとも感じます。
それが何を意味するのか?
それは周りの人の事を考えれない状況に陥っている、という事。
人間が感情豊かな人間という生き物である故に、幸福とは正反対に、時に不の感情が人の心を支配する事だってあると思います。
決して私も、自殺を肯定する訳ではございませんが、私達には理解し得ぬ死という感情。心も健全な私達には、それが人格を支配する心理や行動は、到底わかるはずが無いと思います。
その事を念頭に置いて、長谷川様の仮説は、自分達の無知をただ晒しているにすぎません。
長谷川の考えは、健全であるからこその理論であり、当たり前の考えなのでは無いでしょうか?
つまり、死を選ぶ事は当たり前ではありません。
(続きます)
コメント欄を読む限り長谷川さんの言いたいことが伝わってないなぁ。
日本は自殺のハードル低いよね…っていう話でしょ。
うつ病だ! 躁うつ病だ! という話はほとんど意味が無いのね。
どっちだろうが自殺のハードルが低い社会では自殺者が増えるのよ。
病状が深刻になる前に簡単に自殺しちゃうのよ…日本の場合。
精神的に苦しんでいる人がいて、その人の周りで
『しょうがないよねぇ』とか
『自殺も一つの選択肢で、それは個人の自由だよね』
といっている場合と、
『自殺なんて逃げだよね』
『自殺は無いわ!』
といってる場合では、どちらの方が自殺を選択する可能性が高いかという話だよ。
自殺に同情したり、自殺を肯定してくれる社会なら、そらみんな簡単にホイホイ自殺するよ。
自殺することを許してくれるんだもん。
本当にギリギリまで追い込まれなくても自殺しちゃうよ。
認めてくれるし、同情してくれるなら罪の意識も少ないからね。
その社会が良いのなら、それはそれでかまわないけど…。
タネ明かしをしちゃ申し訳ないけど、長谷川さんが極論を言って自殺を断罪しているのも
自殺のハードルを上げるためだよ。
この記事を読んで、心を病んでいる人が
『自殺したら逃げたといわれる』
…ってちょっとでも思うだけで、自殺を控える人が一人でも出てくるかもしれない。
みんなも『自殺するやつなんて馬鹿だ』…と、いろんなところで言いなよ。
それを聞いた人の自殺に対するハードルを上げることができるから。
身の周りで自殺する人を確実に減らすことが出来るから。
ほんの少しだけかもしれないけど、みんなが言えば社会は変わるから。
「笹井先生がするべきことは弟子をのこして逃げることではなく、説明することと謝罪することだった。」について反論させてください。
笹井先生は記者会見で、不正に気づかなかったことを謝罪し、スタップ細胞が存在する合理的理由も述べました。けれども、若山氏がマウス取り替え疑惑を公表したため論文取り下げに同意せざるを得なかったのでしょう。(しかしその後、若山氏が依頼して行ったマウスの遺伝子解析と、理研の遠藤高帆氏が独自に行った解析結果は確かではない可能性が出てきて、若山氏は自身の説を修正しました。小保方さんを犯人扱いしたのに謝罪はなく、私はこの二人が人間としても科学者としても理解できません。)
再現実験がうまくいかなかったとしても、科学上の誤りには本来説明も謝罪もいらないはずです。なのに偏向報道によって、捏造でないなら早急に再現実験で証明しろという異常な空気がつくりだされました。一方分子生物学会は、不正・捏造の解明や処分がされるまで再現実験はするなという声明を出し、改革委員会は笹井博士を懲戒処分・CDBを解体と提言。辞表も認められない。いったいどうしろと?
命より大切なものはないのにいじめで死ぬなんてばかなことだ、という言葉に哲学者の故池田晶子さんはとても怒っていました。命より大事なものがあるから人は死ぬのだって。自己の尊厳を奪われたら人は肉体だけ生きることはできません。だからこそ人をそこまで追いつめてはいけないし、傍観者であってもいけないのです。どうしたらよいかわからず、結局傍観者でしかなかった私はとても後悔しています。
笹井さんとの違いは、一歩踏み出すか出さないかだけのところまで行きました。
なんだか、死 の方が楽に思えるんですよ。解決しなきゃいけないことが多すぎて、逃げ道が何にもなく思えて。
それでも、朝は来るし、やらなきゃいけないことは山程あることが苦しいんです。
死んだ後のこと考えられたら、自殺なんかしないんじゃないかなぁ。
僕は、逃げ に違いないと思いますよ。
圧倒的に逃げ です。
でも、その気持ちを否定出来ません。楽になれたかなぁ。とか思います。
長谷川さんの言うことは最もだと思います。
ただ、それを受け入れるような教育を日本はしていません。
死者には、鞭打たないです。でも、それも自殺には関係ないです。
アメリカとの違い、教育面からもうちょっと掘り下げられませんか?
笹井さんにはご冥福をお祈りいたします。
うつ病との関係性に関する考えと基本的には繋がっているのですが、自殺がうつ病の症状から逃れるための手段だったとして、では何故笹井さんはうつ病に至ったのか?と考えると、大きく分けるとマスコミと理研の対応にあるのではないかと思います。
今回の騒動は当初から個人に対する攻撃が強く、理研の組織としての管理や精査の責任はまったく騒がれていませんでした。
それは、若くてチャーミングな女性の成功と転落と言うストーリーの面白さを前面に出した方が注目されると言うメディアの思惑が有ったからではないでしょうか?
あるいは若い女性の成功に対するヒガミ根性も少なからず影響したのではないでしょうか?
そして、その報道スタイルが自身の責任を棚に上げて被害者ぶった理研上層部の言い逃れを正当化してしまっていたのではないでしょうか?
小保方さん同様に当初から個人名で報道され続けた笹井さんに、その影響が皆無と見るのはあまりにも無責任です。
笹井さんが自殺に及んだ場所が理研の所内であったことを考えると、それらの外的ストレスに対する当て付けのような想いも汲み取れます。
当然ながら騒動の元凶は突き詰めれば笹井さん自身に跳ね返るのでしょうが、だから耐えろ、自分の蒔いた種だろう?と言うのは随分と荒っぽい意見に思えます。
マスコミが笹井さんの自殺後に手のひらを返して笹井さんを褒めちぎったのは、死者に優しい風習では無く、自己責任の回避だと感じました。
繰り返しますが、自殺は忌むべき行為です。
しかし、そこに至る経緯を無視して結果の一点だけを見て断罪してしまうのは理論として奥行きを欠くのではないでしょうか?
私自身もかねてより「他者であれ自身であれ命を奪う行為は処罰されるるべきだ」と言う持論を持ち続けています。
しかし、うつ病と自殺がイコールで結ばれないと言う意見には同意できません、そして笹井さんの自殺にマスコミは無関係と言う結論にも納得出来ません。
長くなってしまうのでその二つに関して分割して書かせて下さい。
うつ病の病理的見解は理解出来ますが、それではうつ病と呼ばれる方々の中にそれを十分に理解した上で「自分は自殺しないだろう」と確信を持っていられる人がどれほどいるのでしょうか?
多くの人達は病んだ心の行き先に自殺と言うものを連想します。
それは病理的見解とはまったく別の次元での、いわば通念です。
「うつ病だからしょうがない」と言う多くの意見の正体もこれに起因するものでしょう。
その通念が取り巻く環境において「うつ病を患った自分はいつか自殺してしまうかもしれない」あるいは「うつ病から逃れるためには自殺するしかないのではないか」と言うような思考の展開は至極あり得るものだと思います。
もちろんそれが正しいか否かは別の話としてです。
ご指摘の通り自殺が美化される環境がそれを後押しする結果を招いているのだと思います。
自殺は逃げ道で、逃亡者の心の弱さこそが罪だと、今ある命に向けて強く訴えることはとても大事だと思います。
しかし、だから自殺と言う行為は自己責任でうつ病とは無関係と言うのは短略的すぎます。
何から逃げるために自殺したのか?と問われれば、うつ病であり、そのうつ病のバックボーンとなる出来事である事は明白です。
人は研究施設のマウスとは違います、不自然な展開であれ、人の思考は多くの想定外を引き起こします。
病理学の理論で割り切れるものではないと私は思います。
長谷川様
初めまして、いつも興味深く拝見しております。メディアの真実や本音で語らている姿勢に大変共感致します。
さて、先の教授自殺についてですが、私自身1番心雑だったのは自殺そのものや行為の善悪や責任論より、開発者や専門家が世への貢献度が高く大多数の組織人と違い希少な人材であること。
スピーディーに結論の出ない研究を、膨大な時間や人生を賭して没頭していることについて、利権や組織論、多勢無勢の論調が希少な才能や将来への可能性を摘んでしまうことでした。
論点をどこにおくかですが、私も一メディアに携わる人間として、当事者じゃなく事象に精通されていない方々までもが、まるで我がごとのように全てを善悪で判断してしまう、そして解決されるべき根本は隠蔽され続ける。それを気付かず片付けてしまう風潮は、イジメや感性破壊、国力低下引いては国際問題に至る諸問題が絡む大変危険な問題かと思います。
影響力の大きさからメディアの責任に関してはこちらも善悪論が多々展開されておりますが、発信していく側として、根本解決や共生、日本の良い芽を将来へ育む思考や論調を誘導していく報道が、少しでも増えていく事を切に願います。
これからも長谷川さんの発信を楽しみにしております。
自分も27クラブかぶれの友人を27の時に自殺で失い
今だに逃げたであろう友人を許せないでいる。
でも自分も長谷川さんも友人を許してやる考えが必要だと思った。
全肯定してやるのが友達なのかも知れない。
笹井さんにも恐らく心で責めてる友人や家族がいると思う。
他人がとやかく雄弁に語るべき問題じゃないと思う。
絶対に意見を変えたくない程の、友達への真の愛情もよく分かる。
でも時間は戻らないし友達は還らない
のだから、そいつを全肯定してやるのも真の愛情と言えるかも知れない。
笹井さんの親友は他人に叩かれるのなら守りたいダブルスタンダードの中にいると思うんだよなぁ
「マスコミの追求は当然のこと。」とは言えない部分もあるのではないでしょうか。
全てではありませんが、自殺の一端をマスコミがになっている可能性は高いように感じます。
楽しい、嬉しい、悲しい、辛い、様々な出来事を感じて
生き抜いていくのが、この世に生まれた意味です。
この世で諦める出来事、感情はあっても、
自ら、命を諦めてはいけない。それだけが真実。正し過ぎることもない。
故人になった途端に良い面ばかりを報道してる…生前は公平公正な報道がされたと言えるのでしょうか。
うつが自殺の原因でなくても、マスコミには全く責められるところがないとは思えません。
非常に奥が深く、難しい問題にも拘らず、長谷川さんなりのご意見を公表されていることに非常に感銘を受けました。
個人の感想ですが、シンプルに、私の肌感覚で、日本は(と言うのもちょっと違うのですが一旦この区切りで)自殺への敷居が低いと思います。
そして、亡くなった方の気持ちを汲む汲まない以前に、何はともあれダメなんだと、そういう主張が大事なんだと思います。
長谷川さんの一連の考察の本質はそこにあるのだと理解しています。
自殺を”する”とか”しない”とか個人の主体的な議論がなされること自体に個人的には違和感を感じます。
ただ、マスコミが追い込まなければ、自殺まではしていなかったように思うのは、私だけでしょうか?
あと自殺の確立については、遺伝的な問題があるので一概に言えないように思います。
述べてる文の一部を切り取り全てを否定する姿勢が非常に恐ろしい。
自殺者の心情、病気等といった個人に関して思いを巡らせるのは関係者がすれば良いのであって、テレビの限定的な情報しか知らない人間がいくら考えても最終的には自身の符に落ちる、言い換えれば自分にとって都合の良い所に収めるだけなのだから。
日々起こる事件や事故の悲報
STAP細胞関連の初出の様な吉報
どちらも個人に対して必要以上に焦点を当てる事で大局を見ないから応用が利く考え方が出来ず、個人を消費コンテンツ化してるように感じ辟易します。
自殺は殺人…その通りだと思います。
ただ、そこが理解できる教育が成されていない。残念ですね。
テレビは作り話の霊や怪談ばかり。
もっと正確に非物質世界について放送すると皆さんの意識が変わってくると思うのですが、如何でしょうか?
何故この世に生を受けたのか?
それが分かれば、残念な選択をする人が減少すると感じます。
話が戻りますが、最近のテレビが面白くないのも、作り話が多すぎるから。
暗いニュースはわかり報じるから。
世の中には、素敵な胸を打つような話やニュースが沢山ある。なのに変な規制をかけて、どのチャンネルも同じ時間帯に同じ内容のものを流す。情報操作まるわかりですね。
だから面白くない。
ニューエイジの子たちが沢山産まれてきているのに、流される番組は相変わらず古い。意識が古いと言うことです。
だからテレビが白くない。んですよね。
長々と失礼致しました。
正論を翳される長谷川さんは、死んでしまいたい程の経験をされていないからではないでしょうか。
長谷川さんのご親友のお気持ちを理解していると仰いますが、本当に理解していたら、こんなこと言える訳がありません。
私は、決して自殺を肯定など致しません。
遺された者の苦しみを嫌と言うほど味わいました。
ただ、貴方の発言は、死人に鞭打つものでしかありません。
他人の心を100%理解していると思っていらっしゃる、貴方の傲り発言には、憤りを通り越し、涙が溢れて止まりません。
世の中には、経験をしなければ理解出来ない事ってあるんですよ。
メディアを武器にできる長谷川さんだからこそ、もっと思慮深い慎重な発言をお願い致します。
自殺された方のことはそれはそれとして、
切り離して考えなければ、マスコミの問題は解決しないし、それによる自殺することで全てが許される風潮というのも改善されていかないのでは?と思います。
日本人は、責任感が強かったり、真面目すぎるところがありますから。マスコミはマスコミで、これまで叩き続けた人が死んじゃったらこれまでのように叩くわけにもいかないし気まずいし、視聴者は視聴者で叩くのを楽しみに観ていたから気まずいし、とりあえず褒めといてもらえたらちょっと申し訳なかった気持ちも無くなってマスコミのそんな様子をテレビで見られたら万々歳なのかな?と、言葉は不謹慎ですがそんなことを思いました。。
そういう思考回路に陥ってしまうのが、病気というところなんでしょうが今から振り返ってみても、それはマトモなものではありません。
今はただ、周りの人が辛抱強く支えてくれたお陰で私は生かされていると感謝するばかりです。
なので、自殺はいけないとは思うのですが、支えてくれる周りの人に恵まれていなかった場合のことを考えると、私には責めることが出来ません。
逆に身近な人が自殺に追い込まれるようなことがあったら、逆に自分に何かできることは無かったのかと責めてしまうタイプです。
ですので、この件は私もマスコミが追い込んだとは思いませんが、自殺した本人だけを責めるものでも無いような気もします。
自殺は絶対にいけませんがね。
私は自分でよく人には本当に恵まれていると感謝しながら生きているのですが、そうじゃなければ、苦境に陥った時には地獄ですから…。人間誰でも生きていればその人その人でどんな苦境に見舞われるものかはわかりませんが、こんなことってあるの?!と思うような災難や事故、日常が非日常化してしまうことって一度は経験するんじゃないかと思います。
その時にその人だけの責任で乗り越えたり解決するのはとても難しいことだということも、あるんじゃないかな。
そんな経験をした人じゃないと解りづらいかもしれませんが、当事者はものすごく視野が狭くなって行ってしまうのです。
誰も自分のことをわかってくれるはずがない、そんな考えも生まれてきます。
それに寄り添える人というのはごく限られた人になってくるかもしれませんが。
人生というのは、複雑です。人が生きること死ぬことは。
でも僕自身"自殺"を選択肢にいれてしまっています
保険が自殺でも適用される事は大きな要因だと思います
しんどい時に家族に対して金銭面での苦労は掛けないならばと考えてしまいます。
自殺した本人は"逃げた""弱虫"と言われ
、遺された家族は周りから白い目で見られる位に文化の変化が無ければ自殺者数の減少は難しいと考えます。
私は笹井さんが自殺をしてしまったというニュースを見たときに怒りと悲しみがわきました。
その怒りはマスコミや一般の方にです。長谷川さんの意見を否定するつもりはありません。
自殺をしてしまった人を許す文化・・・まさに今の日本ですね。
ですが笹井さんは精神的に追い込まれバッシングされ考えて考えて・・頭の思考が通常ではなくなってしまったんじゃと感じてます。
データのみで考えるのをやめてください。「マスコミが追及するのも当然のこと」ですよね。
でも、その追及の仕方があまりにも度が過ぎたんじゃないですか?私がTVでよく見るかぎり
追及の仕方を考え直したほうがいいと思います。
私がSTAP細胞の発見ニュースを見たとき凄いと思う前に「また、大騒ぎになるだろう。世間が騒ぎすぎになるだろう」とすぐ考えました。
私は今まで日本の為に働いてくれた笹井さんに「ありがとう」と言いたいです。
なぜ自殺したか。
簡単です、やましいことがあったから。
彼は将来を嘱望されるような一流の研究者であったか。
いいえ、一流の研究者とは、どんな環境でも、知的好奇心と、人類の発展を名目とした名誉欲と金銭欲を貪欲に満たそうと研究に取り組む存在のことをいいます。成果が出るかなんて運任せ、彼はそのポジションから逃げたので、三下です。
メディアが殺したのかという問いは、適切ではありません。メディア自身とその報道姿勢を無意識的に応援していた人が自殺という結果に狼狽えている、もしくは精神疾患の可能性があるという報道に過剰に感情移入している、マスコミがもともと嫌いという人が良い機会だと反応している、それだけです。
STAP細胞の騒動は日本の科学を大きく損なうような出来事です。でも本質はすこぶる簡単で「反証可能性」という科学の手法によって、是非が明らかにできます。理研のSTAPチームは、自殺も、記者会見もせずに、ただただ論文を書けばよいのです。そして他の科学者が追試をすること。市民とマスコミは、はやく論文を書きなさいと要求すればよいのです。もし論文を書かなければ、科学者をやめろと最後通告して予算を切ること。学問に対して、研究者もマスコミも市民も理解が大きく不足しています。
はっきりいって怒りしかありません。
長谷川さんの結論は(仮説について危うさも感じますが)まったくもって同意できるものです。
DNAに刷り込まれた記憶
死なない!死んじゃダメ!を
これから刷り込みましょう。
いつか、「死にたい」と言う「感情」がなくなれば、
死にたくないのに苦しんでいる人も、残されて苦しみを感じる人もいなくなる。
そうなった後に生まれたかったな。
ですね
生死に関わらず
日本は
正よりも負である方が、良しとされる風潮が多いですよね
お年寄りの病気自慢にはじまり
贈り物に「つまらないもの」
家族の紹介に「愚妻、愚息、愚弟・・・」
逆に、
お金持ちで成功した人には「何か悪いことしてるんじゃ?」
愛妻家で終業後すぐに帰宅する同僚には「尻に敷かれて・・・」「つきあいの悪いヤツ」
などなど・・・
それと
肯定するより、否定する方が楽だし
なぜか知的に見えるって心理も働きますね
まあ、いずれにせよ
一方的なメディアの情報に過剰に反応したり、
言葉尻を取って重箱の隅を突き、勝った気になり、
何が言いたいのか本質の見えてない人たちが多いのも悲しい日本の現実でしょう
長谷川さんには、これからもこの調子で頑張っていただけたらと思います。
科学コミュニティ以外で長谷川さんのようなコメントは初めてなのでコメントさせていただきます。
日本人は、例え自殺であっても死者を悪くべからずです。
唯一、科学コミュニティだけが、これで終わりにしてはいけない。事実の解明をして今後の対策に結びつける必要がある。と言っています。
私はこの意見に賛成です。
残念ながらこれには異を唱える方が圧倒的かと思いますが、ややこしい話は面倒だというのも今の日本の根底にあるかと思います。
笹井さんの家族宛の遺書に、マスコミに追い込まれた旨のものがありました。ですが、私はその原因は本人にあるという長谷川さんと同じです。科学の発表では異例に派手な発表をしたから広がりも大きくなってしまいました。
ですが、小保方さんも笹井さんも、逃げ回る必要がありますか?捏造してないのなら毅然と反論し、してたなら謝るしかありません。
今回は質問の側も知識がいるので、納得すれば下がるはずです。
本当に部下を思う上司なら、自分が前に出て二人で反論して立ち向かうか、全てを話して謝罪で、自殺はありません。
何か大きな圧力があったとしても、暴露すれば国民は理解すると思います。
長谷川さんの言われるように、アメリカの自殺のほうが多くてもおかしくないはずです。
私は、日本人の自殺はプライドだと思っています。
大臣でスキャンダルが出る前に自殺などもありました。
笹井さんは処分を受けても同じ職で復活ができる方です。が、科学コミュニティ内で、今までのように人が自分のことを見ないことへの屈辱感に堪えれないのではないかと思います。
掃除でも何でも職は問わないという性格であれば自殺の選択はないように思います。
でもどうしても傲慢さを感じてしまうのはなぜなんだろう。
私も知り合いをすんでのところでにひっぱりあげたことがあるのでで思うのだけれど
後で本人が落ち着いてから話を聞くと、
実際のところ「周りに迷惑をかけるだろう」「あいつが悲しんで心の傷をつけられるだろう」「家族や友人は悲しむだろう(ここはちょっと?ですが。)」と冷静に考える自分はいるんですが、それでもそういう時には目の前には自殺の選択肢しか浮かんでこないとのこと。
そういう事を考える気力すらないというのが本音だとか。
当人「今考えればいくらでも他の方法はあったんですけど、それでもその時には自殺の選択肢しか「見えていない」といえばいいのかなあ。」と話しておりました。
逆にそういう状況になって初めて周りが気付くことも多く、実際この友人は実家に戻って今は普通に働いています。
自殺は確かに逃げているのは事実だと思います。
「でも」その時は死を選ぶ。それしかないほど追い込まれて思考能力はないので。
一番の問題は自殺の美化うんぬんよりも「自殺しか選択肢に出てこない」状況への社会の対処だと思います。
長谷川さんもジャーナリストとしてこの問題を考えるのであれば、自殺を止めた人ではなく「自殺しきれなかった人・助かってしまった人」を何人か取材されてみてはいかがでしょうか。今考えるとこう思うという話が聞けるのではないかと思います。そこでご意見が変わるかどうかは分かりませんが、今の長谷川さんのお話は感情と理屈が混ざっていて、そこに「俺は知っている」的なマスコミならではの上から目線が入っているような気がします。
どうなんでしょうね。
評価は、そのあとでもいいのではないでしょうか。
その死を「許す」も「許さない」もあなたの中でなら、自由だと思います。
私には評価も許すも許さないも、出来るとも思えませんが、もしあなたがどうしても評価をしたいなら、自分の中に収めてください。
あなたの言葉で傷つく人がいます。
「自殺」は「殺人」だから絶対に許せないとあなたはおっしゃいますが、
無意識かもしれませんが、あなたのやっている言葉による断罪は、
たった今、大切な人を失ったばかりの笹井氏の近しい人々にとっては「傷害」ともなり得るのではないでしょうか。
それは目には見えない精神の傷です。
「殺人」は許せないが、「障害」なら許されるのですか?
もちろん、あなたは正論を発信しているのだと思います。
しかし、私にはあなたの「正義感」がとても利己的なものに見えます。
「正義」が時に人を傷つけることもあるんです。
あなたが言葉のプロであるとおっしゃるのなら、どうか、ご自分の言葉が持つ人を傷つける可能性ももう少し考えてみてください。
心よりお願いします。
こういう問題に正解も不正解も言い切ることは出来ません。
もう充分多くのひとがあなたの自殺に対する思いは理解したと思います。
批判するつもりではありません。信じてください。
たた私が感じるに、あなたの文章は、あなたの辛い思い。怒り。を表明したものでり、その目的はもう達成されたと思うのです。
この場はあなたの個人的な意見を表明する場であると同時に、公の場です。
誰も見ない日記ではありませんよね。
今、あなたがかつて経験した時と同じように、笹井氏の周りには大切な人を失った人々がいます。その人達が、あなたの「笹井氏は卑怯」「殺人」と言った言葉を目にする可能性もあります。
長谷川さん。あなたが親友を失ったその時。
あなたは「卑怯」や「殺人」といった言葉を親友の家族に向かって言えましたか?
あなたが今やっているのはそういう行為に私には見えます。
笹井氏の死に関して、評価するのは待ってください。
人には時間が必要な時があります。一般論として、あなたの思想はわかりました。
ただ、今、公で言うのはもうやめてほしいのです。
あなたの言う、日本人の特徴なのか文化なのか私にはわかりませんが、人が亡くなった時。
まず人は、ただ「悲しむ」ものではないでしょうか。
その死が利己的であれ、勝手なものであれ。「ただ悲しむ」時間は人には必要だと私は思います。それは理屈ではありません。
私自身近しい人を自殺によって失ったことがあります。
今回のあなたのご意見、とてもわかります。
悲しい気持も、怒りも、これ以上利己的な死によって悲劇を防ぎたいという正義感もわかります。ですが、どうか。言葉と気持を収めてください。お願いします。
私には笹井氏の本当のところはわかりません。
あなたのおっしゃるとおりかもしれません。
あなたは「自殺は殺人」とおっしゃいます。卑怯であり、逃げである。と。
その通りかもしれません。
親友の方を亡くされた時のお気持ち。とても辛かったこと。想像出来ます。
何を思うのも自由だと思います。
ただ、どうか、そういう思いはあなたの心の中にしまっておいてください。
このブログは何を書かれても自由な場所なのかもしれません。
しかし、長谷川さんも「言葉」を扱っていらっしゃるなら釈迦に説法かもしれませんが、
言葉は、武器です。時に人を傷つけます。その傷は目には見えません。
どうか、お願いします。言葉を一度、収めてください。
あなたの価値観、正義感は、充分わかりました。
それが素晴らしいかどうか私は判断しかねますが、理解します。
いいだけ持ち上げておいて。
うつ病では自殺しない。と精神科医が言っていたとありますが、全ての…例えば1カ月の東京都または近隣の県のお悔やみ欄から取材されましたか?
ブログには、よくフジ時代の取材件数や番組で伝えられなかった事実(視聴者の興味を引かないと判断された)があったことを書かれていましたが、今回の件も多分ご本人にしか自死を選択した真実はないのでは?
長谷川さんの意見・思い・推測を発信するのはかまいませんが、断言していいとは思いません。
あなたは、それだけ影響力のある方だからです。
フジテレビアナウンサーの肩書きは無くなっても、マスコミの、発信する側のひとりなんです。
自殺を容認するつもりも英雄扱いする気もありませんが、功績を報道したのは自殺してから。その辺は、視聴者もマスコミの掌返しわかってますよ。
でも発信者(社)に苦情を言ってもマトモに取り合わないから色んな感情ありながら身の廻りの問題や新たな事件報道もあり、流していくしかないんですよね。
長谷川さんの例も踏まえて、真実の追求(論文の方)・組織の在り方・報道する側の責任(週刊誌ではなくTV・新聞)を追求し是正を求めていってほしいなと強く思います。
長谷川さんのブログを見て応援している方たちは報道・人事・名誉毀損で苦渋を舐め、組織と安定を捨ててご自身で真実を発信した長谷川さんだからこそ応援しているんだと思います。フジ時代はこんなに応援者がいると感じましたか?
正しく誠実に生きながらも組織が潰そうとした長谷川さんだから、皆応援してるんですよ。きっと。
視聴率を取るために強引な行き過ぎた報道を行ったということでよいのですよね?
自殺に追いやった一つの大きな要因はマスコミの報道だと僕は思います。
一切この件で報道がなければ、もしかしたら自殺してないかもしれませんね。
自殺に追い込むような報道は僕いりません。
ってか、過激な報道が自殺に追い込む可能性が十分あるという認識がないようなので
こういう行き過ぎた報道が続くのですね。よくわかりました。
貴殿の記事はマスコミを擁護しているようにしか理解できない。
自殺に反対は賛成しますがね。
ですから長谷川さんの結論を読んで、ハッとしました。
そうです。その通りなのです。
みんないつの間にか、気付かぬうちに、無意識下で、死は全てから開放される楽になれる事だとインプットされてしまっているのではないか、本人も、当事者も、それ以外の大多数の日本人も。だからみんな良く考えようよ、そこを良く考えないと、この悲劇はなくならないどころか増える一方だ、と、そう長谷川さんは言っているのですよね?
決して「死んだら許されると、楽になれると明確な思いをもって自殺した」と言っているわけではないと思うのですが、いかがでしょうか?
日本の自殺に対する暗黙の了解的に蔓延る考え方(死者を悪く言わない等)が我々が生まれた時からあるから、人々は追い詰められた時に自然に「自殺」という選択肢が出てきてしまう。だから死ねば楽になれると無意識的に思ってしまう。だから死を選んでしまう。でもそれは間違いなんだよ、と、そう言っているんだと、私は思うのですが、いかがでしょうか?
私も長谷川さんと同じ頃、大切な友だちを自殺で失っています。
彼女は躁鬱病でした。
私はうつ病を患った事があります。精神科的に正確に言えば抑うつ状態です。
長谷川の言う通り、絶望感に支配され抑うつ状態だった私は「ここからふっと消えてしまいたい」と本気で思っていましたが、それは本当に魔法の様に何も残さずふっと消える事であって、「自ら命を絶つ」という選択は出来ませんでした。それは、そんなエネルギーさえなかったからです。自分で自分の命を絶つ事は、もしかすると他人を殺す事よりもエネルギーが要ると、抑うつ状態から立ち直った今でも実感しています。
そんな私でも、いつの間にか「うつ状態だったのだから自殺しても仕方ない」「それほど追い詰められていたのね」などと自殺に対して理解を示してしまっていました。
続きます
うつ病でも、躁鬱病でも、病気が何かという事が問題なのではなく、日本人には古くからの自決を美化する文化により、病気であれ、失恋や失業など何かに絶望した時に選ぶ行動のなかにら当然のように『自殺』という選択肢が入っているのはおかしいという事ですよね。
どんなに辛いことがあったとしても『それでも生きていく責任』を命ある者は持ち続けなければいけないのだと私は思います。
ただ、日本人の文化、教育により、『自決』は、美化され続けてきました。
日本人の深層心理から『自殺』という発想を消すことは、教科書やテレビドラマなど様々なメディアでの『自決賛美』を、抹消した上で、50年はかかるのではないでしょうか。
韓国の反日感情みたいものですかね?
なので、マスコミの責任という発想はありません。
長谷川さんも言われていた通り、もっと酷い報道をされても踏ん張っている方もいれば、少しのバッシングで死を選ぶ方もあるでしょう。
『だれも自殺しないように』を真実の追求よりも配慮した報道をするならば、それはもう報道ではないのではないでしょうか。
日航機墜落事故について、なぜ定期的に特番や映画などが制作されるのでしょうか?
長谷川さんは、政治的な意図を感じますか?
私の主人はJALグループで働いています。社内では事故を風化させぬよう墜落についての教育が通年で行われているようです。然るべき事だと思います。
事故の原因究明やご遺族の終わらない苦しみなど、未だ問題が残ることは理解しています。しかし、当時の映像や音声を取り入れた再現ドラマや御巣鷹山からの黙祷の中継などを観ていると、そこまでのことを定期的に放送する必要が本当にあるのかと思ってしまいます。
身内がJALグループにいることで、見当違いの勘繰りをしているのではと自分自身複雑な気持ちです。もし宜しければ、長谷川さんの見解をお聞かせください。
米国疾病予防管理センターにデーターが有ります。
それによると、2008年の値ですが、うつ病の発症率は8%~10%です。
日本の発症率約7%と大差はありません。
アメリカでうつ病の自殺率が低いのも理由が有ります。
アメリカでは、自殺の危険がある人は直ぐに強制入院させられます。
家族の同意は不要です。
自殺の危険があることを通報すると、専門のチームが来て、ハイリスクと判断されると強制入院させる自殺予防システムが機能しているために、自殺率が低いのです。
文化的要因として、自殺がキリスト教の教えに反するということもあると思います。
私は34歳の専業主婦で、先月35歳の夫を亡くしました。自殺でした。2歳と4歳の子供がいます。
自殺した夫を責める=自殺を防げなかった私の責任も重い、そう思っています。両親など家族や親戚は誰も私を責めません、勿論夫の事も。でも私は「何で気付かなかったんだ、この役立たずが!」と責めてほしいのです。責任を感じて、償いの人生を歩みたいのです。
双極性障害、躁鬱病、おそらく私の夫もそうでしょう。私の夫は通院歴はありません、仕事の激務で疲れていました。しかし自殺用の縄を購入後(警察がホームセンターの防犯カメラで日時を確認済)普通に帰宅し家族で外食したり、子供が寝た後私とお菓子を食べたり普通に過ごしていたんです。全く気付きませんでした。行方不明になった朝もいつも通りでした。縄を購入した時と、行方不明になった朝は躁状態だったのかなと思います。
米国の精神科医Akiskal氏の研究で自殺率は、うつ病12%、双極ⅠI型17%、双極ⅡI型は24%となっています。
harrisとbarracloughの研究では、うつ病14.6%,双極性障害15.5%としています。
うつ病と双極性障害の自殺率は、10%~20%で、双極性障害のほうがうつ病より高く、その差は最大でも10%程度いというのが実態でしょう。
また、自殺は躁状態で起きるというのも勘違いです。
うつ病のうつ状態でも、躁鬱病のうつ状態でも、自殺念慮という気分が生じます。
この気分は躁状態で消えますので、躁状態では自殺しません。
うつ状態のどん底では、寝たきりになり自殺する気力も無くなるため、この時期の自殺行動は減ります。
自殺の危険が高くなる時期は、うつ状態から回復の途上か、躁からうつ状態に転じた後です。
この時期は、自殺念慮が有って、決断・行動ができるため自殺の危険が高くなるのです。
うつ病や双極性障害の患者・家族に、誤ったメッセージを送るのは、まずいのではないですか。
精神科医ならば誰でも知っていることですので、複数の精神科医に取材すれば、真偽は容易に確認できるはずです
万が一の陰謀は本当に本当にないのでしょうか?
まさか、長谷川さんが先日書いていた警察からのリークを鵜呑みにしているわけじゃないですよね?
長谷川さんが笹井さんが間違いなく自殺だと断定して、自殺論を展開した根拠を教えて欲しいなと。
「これは死ねるぞ!」と思う瞬間がたまにあります。
抑圧されたものが積み上がってくると、こいつはむくむくと沸き上がってきます。
こうなると善悪とか世間体とかどうでもよくて、
健康であるにもかかわらず、生死の境界線を意識し始め、
衝動的なものを制することを放棄できる意識になります。
じゃあ、なぜ死なないのか?
そこは死んでもメリットがないから、一応やめとこうかなと思うわけです。
死ぬのが悪とかじゃないんですね。
無意識ではなく意識しているので、身体的には正常であると思います。
これは病気なのかなと思い、心療内科に通ったところ、
ノイローゼという診断を受けて薬を処方してもらいました。
でも薬で意識が止まることなんてなかったです。
多少遠ざかったような気はしますが。
笹井さんはどうだったんでしょうか?
何かがきっかけで、箍が外れたかもしれません。
そうしたのは何か?そんなの分かるわけありません。
でも、やっぱり社会は関係してるんじゃないかと思います。
社会的には選択肢としての自殺なんてありえないし悪だと思いますが、
自己の本能においてはそういうオプションが用意されてることを
認識している人たちは、私以外にも結構な数いるように思えます。
死にたい死にたいっていってる人はアラートを発しているので、
程度の差こそあれ、まだ大丈夫のように思えます。
死の本能を知ってしまったことで、無意識の絶望に陥ることが一番恐ろしいですね。
天秤のバランスが一方に崩れた場合、もしかしてと思うこともありますが、
そうならないために常に社会が発する「多様な価値観」と接することが大事ではないかと思ってます。
ただ、一つだけ反論させて下さい。
「自殺した人を許す文化背景」。これ、アメリカにもあると思いますよ。
もう、5、6年前になるでしょうか。オーストラリア出身の俳優、ヒース・レジャー(Heath Ledger)がニューヨークで亡くなった時、思ったのですが、アメリカって薬が理由で亡くなった人に甘いな〜っと。確かに彼は、Brokeback Mountain(映画)で各賞を受賞した、今後が期待されていた若手俳優でした。確かに「残念」ですが、薬物中毒だったことは間違いないので、もうちょっと彼に対し、そして彼の死に対し、批判的でも良かったのではと、思いました。(ところで、薬物中毒死は、自殺の一種とお考えでしょうか。私はYESだと思います。)
(本日、亡くなられたロビン・ウイリアムスも、批判的な報道はないようです。彼の場合は、「自分は薬物に依存している。」と公表し、治そうと努力していたからかもしれませんが。ま〜ウイリアムスは、すごい俳優/コメディアンでしたからね。)
これからも、間違いなく、私と長谷川アナでは、意見に対立があると思います(笑)。それでも、色々な情報を発信し、私たちのシェアを広げて下さい。
正直、私はいつも、貴方と同意見ではありません。「この人、どっかおかしいんでは?!」って思って、貴方のブログを読んでいることもあります(笑)。でも、人はそれぞれ。自分と100%同じ考え方を持っている人なんていないんです。だから、「こういう考え方の人もいるんだ。」、「こういう考え方もあるんだ。」と、自分のシェアを広げるというか、学ぶ心を持って、(貴方のブログを)読んでいる時もあります。(インターネットだと、相手の顔が見えないせいでしょうか。相手が自分と同意見でなくても、意外と冷静に受け入れる(少なくても、相手の話しを最後まで”聞く”(読む))ことが出来るんですよね。)
前書きが長くなりましたが・・・
今回の「自殺」の記事3件、長谷川アナの記事と読者のメッセージ、セットでとても興味深く拝見させて頂きました。
このトピックは、本当に考えさせられます。基本的には「自殺はダメ」と思っていますが、「なぜダメなのか。」、3つの記事+皆さんのメッセージを読んでから、今まで以上に説明出来ない状況に、今、おかれています。それほど、色々な意見があり、奥が深いトピックであるのではないかと思います。
「弱者救済」という考え方だと思いますが、それも日本独特のものですか?
震災で亡くなった方の遺体を、ボカシをかけてあるとはいえ直接全国放送に撮すような悪辣な人達ですからね。
今回の件も、恐らくは以前話題になった佐村河内氏の件で味を占めてしまったのでしょう。
「悪者を叩いて正義の味方であることを演じればみんな見てくれる」
みたいな。
>「うつ病」は自殺にあまり結びつかないんです。「うつ病」ってのは本当に様々なことに
>やる気や気力を失うんです。うつ状態の間は人間、ほぼ自傷行為には走らないはずです。
これは「うつ病」の部分を「抑うつ状態の時」と置き換えるべきだと思います。
「うつ病」は四六時中「抑うつ状態」ではなく、浮き沈みがあります。(※「抑うつ状態」も「うつ病」の症状の一つで、イコールではありません)
「抑うつ状態」の時は何をする気力も無いので、自死や自傷に走る事は稀ですが、そうでない時間帯が危なくなります。
以前、NHKで放送されていた事例ですが、「うつ病」と診断された男性が「向精神薬」を処方されたところ、自死未遂を起こしました。その後光トポグラフィー検査を行ったところ、この患者は「双極性障害」だったことが判明しました。
薬の副作用によって自傷行為が誘発された事例です。双極性障害に限らず、向精神薬を使うと【こういう事態も起こり得ます】
※もちろん、医師はその点も考慮し処方はしていると思いますが、私はこの観点からも投薬中心の治療から脱する必要があると思います。
医師による診察も問診のみが主流。そのため、このような誤診も起こり得ます。
肝心なのは、「うつ病」等による精神疾患による「自死」を減らすこと・無くすことであり、
「自殺は逃げる行為だ、認めない・許さない」と連呼しても、それは実現できません。
笹井氏の件については、症状による「自死」で無いと仮定すれば、同意します。「自殺」を奨励する気も擁護する気もありませんし、ましてや美化するべきではないと考えます。
しかし、その可能性がある以上、これは「自殺」ではなく「病気」によるものだ、という観点を持つ必要があるべきと思います。
アメリカでご近所でした。
ロビンウィリアムズの訃報に
アメリカ人も彼に賛美の声をおくり
祈りを捧げています。
どんなに神のご意思でなくても
かれは今、神に抱かれているであろう
と、報道してます。
賛否両論あっていいんです。
長谷川さんは長谷川さんのご意見を
堂々と発言していけばいいのだし。
でも、自分の意見は常に正論だ!
という伝え方をなさるから
ちょっと傲慢な印象をもちます。
実際にお会いすれば、そんな事はないのでしょうが(笑)
しかし、肉体的死を間近に控えた人間には死の選択が許されている現状があります。私の妻は数年前に特異なガンで亡くなりました。死を前に医者から延命治療をどこまでするか、夫婦で話し合って欲しいとの話がありました。彼女の出した結論は、これ以上痛みに耐えられないとの主な理由から延命治療は望まないでした。私も彼女が肉体的痛みに必死に耐えている姿を見ていたので、彼女の出した結論に反対できませんでした。
彼女は、延命治療をしないと決めた日から数日後に亡くなりました。
延命治療の手術をすればあと数ヶ月は延命できたかもしれません。でも彼女は耐えられないほどの肉体的痛みから逃れる為に、早く死ぬことを選択しました。
肉体的死を間近に控えた人間には、いつ頃死ぬかの選択が許される場合があることを、亡き妻から教わりました。
人間に死ぬ選択肢がないのであれば、余命幾ばくかの時でさえ肉体的苦痛から解放させてあげることもできないのでしょうか。このような状況下で、彼女が自殺したとしても、彼女を責めたりはしなかったでしょう。私にとっては自殺も延命治療の拒否もさして変わりはないことだと思われるからです。
遺族など周りの人間の感情も大切だとは思いますが、亡くなる方の尊厳も大切にしたいという気持ちもあります。
肉体的健康だけでは人は生きては行けないこともあるような気がしてならない、今日この頃です。
自殺とは関係ないとは思いましたが投稿させて頂きました。長文ご容赦下さい。
==自殺前==
「説明しろ。ウソだったんだろう!!」
==自殺後==
「可哀想に」
「自殺という選択肢は認めない。説明しなければならなかった」
「「自殺しちゃったけど、俺たちに責任はない。」
以上、日本人。韓国人だったとしても同じ。
仮にSTAP問題をアメリカで起こったと想定し、アメリカ人の主要な反応を想定してみる。
==自殺前==
「説明しろ」
「知らない。私は関係ない。私のローカルには関わってこない人」
==自殺後==
「自殺してはならなかった」
「そんなことがあったのか」
以上、アメリカ人。
アメリカとの違いは貧富の差ではない。アメリカでは白人か、黒人か、移民か、これだけで、すでに諦めのつく状況がある。人種に限らず、生まれによる教育の差も大きい。
ハナからどうしようもないなら、自己も他人もそう過剰に責めたてない。
人種や社会構造の違いから、マスコミの意見が1国家のものとしてまとまることもない。
アメリカと比較し、日本はマスコミの意見がまとまる。国民の総意として浮かび上がる。韓国も同様であり、大統領が自殺するほどの力がある。
精神疾患やマスコミに一因があるとか、死者賛美がどうとか、それらは事件を納得するための要素。データを引き合いに出すのも一つの要素。
>精神的に追い詰められることと「自殺」という行為がデータ上は結び付きにくい
追い詰められてなくて自殺する人がいるのですか?自殺する人は、追い詰められていないのですか?
なぜ人は自殺すると思いますか?それは、自殺を避けられなかったからです。
本質の問題は、他の道を徹底的に塞いだことにある。自殺を避けられないほどに。
そうでなければ、道はあったと言えるのだろうか。説明したら済んだのだろうか。破滅の道は目に見えていただろう。
「自殺という逃げ」を許さないというのは、上記のあらゆる封鎖に更に加わる封鎖要素ではないだろうか。
選択肢として自殺があるということは、他の選択肢(死なないでなんとかする)もあるということですよね。
つまり、選択肢がいくつかあって、どれにするか迷っているということです。
多分、迷っているうちは自殺はしないと思います。
駅のホームで電車に飛び込もうと思い待っている。すごいスピードで警笛を鳴らしながら電車がホームに入って来る。よし飛び込むぞ。
飛び降りるために屋上に上る。ビルの屋上に立ち、下を見る。目もくらむような高さ。よし飛び降りるぞ。
首を吊るためにロープを用意する。ロープを吊るし輪を作る。その輪に頭を入れる。踏み台をけってはずす。
死の直前までの心理状態を想像してみてください。
怖いですよ。まさに死の恐怖です。普通の神経では出来ません。多分。
つまり、恐怖とかそんなものを感じられなくなっていて、死を選択したとかでなくて、ひたすら死に向かっているだけ。
自殺する人の心理ってそういうものではないかと私は想像します。
笹井さんはマスコミだけではなく、調査委員会による追及、論文取り下げになってしまったことなど、様々な要因によって徐々に精神が蝕まれていき、結果として自殺に至ってしまった、というのが私の結論です。
正しいかどうかは分かりませんが、私はこう思うということです。
もちろん他の意見もあって当然で、否定するつもりはありません。
建前では、死者に鞭打つことはしないですが、本音の部分ではどうでしょうか?
笹井さんのケースでは確かにマスコミは掌返しでした。
コメンテーターはテレビに出続けてコメントをするのが仕事ですから、批判的なことは思っていても言わない。なぜなら、批判的なコメントをすると、一部の「あいつはとんでもないことを言いやがる」という抗議で、番組を下ろされて仕事を失う可能性があるからです。
「精神が病んで、もう周りが見えなくなってしまい自殺したんでしょうね。でもこれじゃぁ、自ら不正に関与していたのを認めたも同然です。不正は研究者として失格です。今までの功績なんてチャラですね」とは、思っていてもテレビでは絶対に言わない。
誤解のなきように言っておきますが、私がそう思っているということではなく、あくまで少し過激ですが一例として挙げただけです。
前のコメントでは私はあえて、特定の病名は出さずに、心が病んでいるという表現を使いました。
正確な病名をつけることは難しいのです。
ご存じかと思いますが、うつ病と診断される人の中には、実は躁うつ病だったというケースも多いのです。初めから躁うつ病と診断されることは少ないです。また、抗うつ薬によって躁転するケースも少なくありません。
統合失調症という精神疾患もありますよね。
日本ではまだまだ精神科に通うことに偏見を持っている人は多いと思います。そのため治療機会を失って、どんどん悪化させてしまい気付いた時には手遅れという人もいるでしょう。
通院しても病院は保険点数稼ぎでバンバン薬を処方し、かえって病気を悪化させているケースもあるでしょう。
アメリカと日本の比較ですがこう考えることはできないでしょうか?
犯罪に走るケースがアメリカでは多く、銃には銃で対抗し、射殺され死んでしまうケースが日本と比べて極端に多いので、自殺比率は日本に比べて少ない。
実数は持ち合わせていないので、あくまで想像ですが。
また、他にも色々な角度からの統計データを検討することが必要だと考えます。
長谷川さんの結論と結論に至るまでの考察に対する意見は先にコメントしていたyoshiさんと全くの同意見です。
いつも読んでる長谷川さんのブログは取材から得ている正確な事実や裏付けがしっかりしていると感じています。
例えば躁うつ状態に対するアメリカ人と日本人の耐性の違いが明確になれば長谷川さんの記事の裏付けになるのではと考えます。
今回のSTAP細胞の有無に関わる論文が不正が多数あったことを追求することはマスコミの役割として必然だと思います。
ただし、マスコミ報道が笹井氏を自殺に追い込んだかどうかは別としても、なぜマスコミの論調が「STAP細胞の有無の追求」ではなく、「理研の不祥事の追求」に偏ってしまうのでしょうか。
私は笹井氏がおっしゃった「(STAP細胞の存在は)最も合理的な仮説」という言葉に頼もしさを感じました。一から検証を見直す、もしくはゼロから検証方法を探る価値がある魅力的な仮説だと思います。
私は一連のマスコミ報道を見て「理研だけでなく、数多くの研究者が進んで検証に励むことが出来る」ように世論を動かして欲しかったと思いました。
ミスした人たちへの「責任感じてますか?」的な追求って、やはりマスコミは面白おかしく取り上げてしまうのでしょうか。少なくともこの点で研究者を追い込めるほど、世論もマスコミも賢くありません。
個人的な意見として、研究者だけでなく挑戦する人たち全てが、無知で勝手な世論の圧力に負けないように配慮されたマスコミ報道となることを切に願います。(そういったプレッシャーを跳ね除けてこそ、真のプロかもしれませんが)
個人的には、治療方法の違いが起因しているのではないかと思います。
日本ではうつ病はじめ精神疾患は基本投薬治療です。アメリカではカウンセラーの数も多く、心理療法と投薬療法が併用される方が多いようです。(ご存知ですよねそこは?)
ちなみに英国も投薬中心から心理療法中心へシフトしています。日本もそうあるべきだと思います。あと外科的療法も普及させてほしいです。
うつ病等による自死を減らしていく・無くしていくには、このような治療方法の根本的見直しと、社会が「精神疾患」に対して正しい認識を持つことが必要だと思います。
自死者を「逃げた」「許さない」「認めない」といくら叫んだところで、自死者は減りません。
本気で減らしたいと思うなら、先ず根本的な所から考え方を変えて頂きたいと思います。
言論人として、この問題に足を突っ込まれたのであれば、「本気論」と掲げられるのであれば
「絶対に考えは変えない」などと駄々をこねて、僅か3回程度のポストで「結論」などとせず、本気で取材して、発信してください。
笹井氏が「うつ病」だったとは断定されていません。それそこ、「双極性障害」だった可能性もあります。また、「うつ病」と「自死」が無関係とする説に関しても、それが定説と言う訳では無いと思いますが。
笹井氏はうつ病だった→しかしうつ病と自死は関係ない
では、あまりにもご都合主義的だと感じます。
特に【笹井さんはどう頑張っても「そう状態」にはならない状況です。元気で力いっぱいにはなりにくい状況です。】とは、何を根拠に断言されているのでしょうか?
仮にも言論人を自称して、マスメディア等でも発言している人が、ワイドショーや週刊誌の内容を元に、医学的知識も無ければ、直接本人の様子を知る訳でもないのにこのような発言をされるたとなれば、あまりにも無責任だと思います。
もちろん、相応の根拠あっての発言だと思いますの。先ずはその根拠をお示しください。
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私の気持ちをわかりやすく理路整然と説明していただいてスッキリしました!
自分の命は自分だけのモノではありません。生かされているんです。
自分で自分の命を絶つ事は、傲慢な行為で、何があっても許されるべきでは無いと思っています。
死者にムチを打たない、一見美徳のようにも思えますが、自殺に理解を示しているから、子ども達がイジメで自殺してしまうんです!
自殺した人達を、可哀想だと同情するから、死ななくても良い子ども達に自殺という選択肢を選ばせてしまうんです。
今回、報道されている裏にどんなドロドロとした箏があり、どれだけ笹井氏が絶望されたかはわかりません。
でも彼には、彼のような頭脳の持ち主には大きな使命があります。今回どん底に落ちても、彼の研究で世界中の何万人を助ける箏もできる可能性があったのに。何て馬鹿なコトをしてしまったんだと、声を大にして誰かがちゃんと言って欲しいです。
将来のある子ども達のために!
hideは自殺じゃないですよ…。
人それぞれ当時の報道や、自殺と考えられることも重々承知ですが。
不祥事を起こした悪人を追い詰めて何が悪いんでしょうかね??
悪を叩いて自殺させることが悪い。というなら、一切、犯罪報道や汚職追及をできなくなる。
ただデータからの考察は少し無理があると感じますね。いろんな要素があるから、単純比較はできないと思う。それからやはり日本の文化背景うんぬんは違和感あり。
自殺も他殺も命を奪うということで同じという考えに従うならば殺人率も見るべきで、、、
(ネット情報ですが)アメリカの殺人率は日本の10倍以上になっていて
日本は人を憎むよりは自分を罰するほうがいいと考えやすいとは言えるかもしれないです。
ただ、自殺率+殺人率でも日本の方が多いわけで、これは直視したほうがいい。
「人を殺す」という点からはアメリカより日本の方が病んでいると言えてしまうから。
(韓国は自殺率も殺人率も日本を上回ってしまっているのだが・・・)
それから、、、自殺を褒めるような文化は昔も今も日本にはないと思います。それは死者に悪口言っても起こったことは変わらないし、残された周囲の者への配慮からそうしているように見えるだけで、一種の方便、知恵のようなもので認めてはいないと思う。自殺を褒めるようなそんなおかしな文化は今も昔もないと私は信じています。日本人はそんなにバカじゃない!
むしろ自殺の原因は、ベタだが西洋的競争社会の流入、戦後の価値観教育、平和ぼけで生じる甘え、などで(西洋人に比べて免疫のない)日本人が精神的にアンバランスになっているようなところから論じるべきではないかと思います。(韓国は韓国でにている部分と違う部分とがあるでしょう。一緒にはできないと思う。)
笹井さんの死から思うのは、とても優秀で、人の命を生かすはずの生命科学の学者さんが、自分の命を生かすことができなかったということ。結果としてその優秀さも充分生かすことができなかったということ。
でもなんと言うか…。
あまりにも機械的に片付けてしまっているような。
もちろん、逃げではあると思う。
自殺なんていけない。
絶対にいけない。
でも、そんな笹井さんを、誰も救えなかった。
それが悲しくてなりません。
だって、本当にすごい人物だったのだから。
これからたくさん人々の役に立つことを発見されるはずの人だったのだから。
命を断つという選択をする前に、きっと誰も味方になってくれる人はいなかったんだろう。
逃げの選択に迷いそうになった時に、そうだ、やっぱり違う、と思わせてくれる周りがいなかったことが、とにかく悔やまれます。
今回、長谷川さんのブログを読んで色々と考えたのは「生き恥を晒したくないから自殺する」人も居るのかなと思いました。
笹井さんがそうなのかは、もう知る術は無いですけど…。
私の上司は、女性問題が発覚して社内で自殺しました。
警察や清掃業者が立ち入り、しばらくの間は仕事どころではありませんでしたし、第一発見者の私の友人はノイローゼになりました。
上司の死は非常に迷惑で、本当に腹が立ちました。
上司は「生き恥」を晒したくなかったのかもしれません。
悪いことは悪い。
全てを捨てて逃げるのは卑怯です。
死んだからと言って、何もチャラにはなりません。
笹井さんを擁護するマスコミの人々も多分そう思っているのかもしれないけど、本音を言って視聴者からクレームが来ると困るのかな?とも思います。
長谷川さんのように本音を語られることは、簡単そうに見えてとても難しいと思います。
自分の言葉に責任が無いと無理ですからね…。
これからも、ブログ楽しみにしています。
私事ですが、
うつ病で治りかけの時に自殺未遂をしました。
もう元気になった!復帰できる!!
と思っていたある日突然です。
仰るように、うつ病と診断された当初は自殺する気力さえありませんでした。
でも、治療を受け体が動くようになった途端に死んでしまおうと思ったのです。
教科書に書かれている事が全てではありません。
色々な事が絡み合って、その中で人は生きているのだと思います。
自殺するときに多くの社会的課題を残したとしたら当然非難される訳ですが、殺人に等しいかといえば『単なる速度違反で死刑が妥当か』という問題に行き着きます。
結果こそ非難されこそすれ、それを理屈に会わない憎しみを相手に向ける理由にしては成らない『罪を憎んで人を憎まず』とは聖書にも書かれているキリスト教の価値観で有ることも忘れてはなりません。
今回の件は笹井氏を非難して良いのかさえ確定的ではないといった意味からマスコミの様なスクープという功を焦った判断は時期尚早ということで良いのでは?
タイトルからも分かるように「今回のマスコミの煽り方は過剰だったんじゃないか」ってことが論点なんじゃないの?
なのにこの長い説明の中でその論点については「マスコミの追求は当然のこと。」としか書かれていない。
捏造は悪だけど、だからといって死ぬまで集団リンチしていいってことにはならないんじゃない?
小保方さんが地味なおっさんだったらマスコミはここまでやった?いや、やってないでしょ。
つまりこれは「マスコミの追求」なんてかっこいいもんじゃなくて、国民の好奇心やスケベ心の餌食として売れる間に売れるだけ売ろうと報道を過熱させていっただけでしょ。
やりすぎだよ。
ちょっと氏の説明不足なので補足させてもらいますね。
状況的には笹井氏は自殺時には躁状態であるといえます。
まず鬱状態から一息ついた『元気のある状態』躁状態になった時にお亡くなりになったという事で辻褄が合います。
そこは正常な判断の下、自殺したと言っていい。しかしですね、
躁状態になれば必ず鬱状態に成ります。それを繰り返し繰り返し体験するわけです。そのため患者は躁状態の時に決着を付ける傾向があります。
『明日自分が自分で無くなる』事を繰り返す訳です。躁状態の時に鬱状態にしたことを繰り返し繰り返し悔いる事になるということです。
主に責任感の強い国民性が有る日本では『世間的プレッシャー』と『自分自身へのもどかしさ』や『社会的責任』などに板挟みに成らざるを得ない。
鬱状態になれば一般的には降格と失業を覚悟しなければ成りません。
笹井氏の様なエリートにとってそれ自体自身がかけて来たものが一夜にして無くなるのは死に等しいでしょう。
それも曲がりなりにも閑職で心の準備を整えられた氏の様とは違い、心の準備も着かない瞬間的な出来事です。心理的プレッシャーは比較になりません。
明日自分の身が自分の身で無くなる、もうかつての自分には戻れない、という現実が正気になる度に実感し絶望する。
自殺する元気は今のうちしか持たないとすれば正常な判断の残っているうちに自殺するのは当然であり、『正常な判断を以って異常な行動自分に強いる』といって言い訳であり、結果こそ非難するに値するにせよ自殺行為事態を責める様なロジックは間違っています。
長谷川さんの中に自殺という選択肢がないと言うことで、
過去にお友達の件があって本当に辛かったからこそ自殺はいけない、
周りの人たちを本当に辛い目に遭わせるからいけないということなのだろうと思いますが、
(もちろん、それ以外にもたくさん理由があると思いますし、
これから他の方のコメントも含め、再度このブログを読ませていただきます)
周りの人たちを悲しませないために生きているなんておかしいですよ。
人は自分のために生きるのだと思います。
確かに周りの人たちに助けられたり助けたり、周りの人がいるからこそ生きていられる部分はあります。
でも、私は人は誰かのために生きるというよりも自分のために生きるのだと思っています。
周りの人が悲しむから生きなさいってちょっとおかしい感じもします(長谷川さんがそう言っているのではないことは理解しています)。
長谷川さんの中には自殺という選択肢を持たない、認めないと言うことでしたが、
私の中には自殺という選択肢はあります。
そのような選択肢があるのがよくない、ないのがよくない、そういう話ではなくて、
もはや人それぞれの価値観の話だと思います。
うさぎさんはそこまで笹井さんを責め立ててはいませんでしたよ。
言葉を選びながら、ご自身の意見を理路整然とおっしゃっていました。
うさぎさんが責め立てていたと感じるのは長谷川さんの感じ方ですが、
5時夢を見ていた私はうさぎさんは言葉を選びながらも、ご自身の言葉をはっきりと述べていらっしゃっただけで、
私には責め立てている風には到底感じられませんでした。
と、全然違う部分を指摘してすみません。
長谷川さんの笹井さん自殺に関する記事を3つ読み、
「そもそも笹井さんをマスコミが殺したのでは?」
という発想が私の中に全くないことに気付きました。
長谷川さんがおっしゃるように、マスコミが追求して当然のことをしたのは事実ですし。
でも、そもそも、論点がズレてるようにも思ってしまうんです。
マスコミ=いじめっ子。笹井氏&小保方氏=いじめられっ子という構図に、視聴者である私には見えててですね(見えてるというところが重要)
いじめっ子はどんだけいじめてても罪はとわれない、というようにも見受けられるんですよね。
自殺に関する、長谷川さんのお考えは、随分と分かりましたので、
今度は、現在のマスコミのあり方とか、いじめ問題とか、そういう切り口での記事も、機会がある時に拝見したいですね。
あと、精神疾患については、
日本には、隠れ精神疾患患者が、非常に多いんだと思いますね。
精神科とか心療内科とかを受診しないと、病名は付かないんで。
精神病を差別する文化は、日本はまだまだ色濃いですから、怪しくても受診してない人が非常に多いんだと、私は思ってますけどね。
育児ノイローゼ中、自分が死ななかった理由。遺される子供たちへの責任というか、どうなっちゃうんだろ、、、って思いが日に日に増していったからなんですね。そして今、あの経験があったからこそどんなつらいことがあっても耐えられるという糧になってます。昨日も書きましたが、自殺と殺人が同列だとは今も思わない。絶望感から自殺する人が英雄扱いを狙ってるとも思わない。ただ、自殺はいけないことそこはブレずに持つべきだと思いました。そして、綺麗事かもしれませんが自殺を考えるような病気、状況になるような人がいなくなる、そんな世の中がやっぱりよいです。文章下手ですみません、、、伝わるかな(・・;)
伝えるって本当に難しい。
長谷川さん、頭で動くタイプの方ですか?
教科書通りですね。
例えば子育てについて…
お子さん3人お持ちの長谷川さんなら、私が言いたいことが伝わるかと思い、例に出しますが…
『○歳になったら△△が出来て、○歳になったら△△が始まる。』
育児本って、こんな内容を書いているのですが馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのです。
子供によって発育は違う、育児本を参考にする程度は良いと思いますが、沢山の育児本を必死に読んで少しでも育児本と違っていれば神経質になるママさんって多いんです。
うちの子、障害あるんですよね~。
親切心ある友人、娘の症状をネットで調べたようで、調べた内容を娘に当てはめて勝手に『学習障害』だと思っている。
ご丁寧に療育方法まで私に説明するのです。
いやいや『学習障害』ではないし、子供が3歳の時から療育に通っているって!と言いたかったですよ。
それに、もし同じ障害名でも療育方法はその子によって療育内容が違います。
精神疾患についても、本やネットにはあくまでも一般的な内容を記載しているだけで、同じ病気であってもみんな症状が違います。
参考程度に留めておく方がよろしいかと…。
医師ですら、はっきりとした病状を掴めず、取り合えず薬を処方しておく医師も少なくありません。
笹井さんの病名、ハッキリと公表していましたかね~?
入院していたと言う事実はありますから、精神疾患には変わりないですよね?
自殺はダメだよ!はその通り!
でも『死人に口なし』ですよ!長谷川さん!!
私達が想像上で議論しあっても、本人にしかその時の心情なんて分かりっこありません。
自殺を美化してるなんて、そんなこと思っている人いるのかなぁ?
笹井さんのこと、持ち上げているのは長谷川さんの同業者だけじゃないですか?
視聴率、話題性優先で!
でもね…亡くなった人をそんなに責め立てる必要もないと思います。
長谷川さんがこの問題について様々な思いを抱いていることはとても感じました
「要因の一つ」といえることは否定できないと思います
死んだら褒められるから自殺しようというのもやや強引かと思います
自分の行いから逃げるために自殺するのなら、死んだ後どうなろうと気にしないのでは?と
ただ、生きている間は責任を追及して、自殺したら功績を褒めるという風潮に違和感を感じるのは同意です