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こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

普通ってなんだろう?

〒 みなさま

 

こんにちは、円野まどです!

暦のうえではもう夏がきましたね( ´ヮ` )

私は暑いのが苦手だから夜の涼しさに救われています。

湿度や日焼けにも弱いので夏は毎年夜型ですごしています。

と、いう話をしたらこの前知人に「えー!私は暑くなってくるとワクワクするから好き!」ってキラキラしたまなざしでお話してもらいました。

その何かが好き!と心から思っているご様子がとてもかわいくって私も夏を楽しめたらいいなあなんてこのごろ考えています。

この「自分とは価値観のちがうこと」ですが、先月はちょっと悩ましく思っていました。

今日はそれぞれの価値観が違ってぶつかった時、「何が普通なんだろう?」って思ったお話です。長い上に話が蛇行してる部分もあるのですが格好つけずに書いてみました。

もしよろしければ読んでみてください。

 

 普通ってなんだろう?「フツウのぶつかり合い」

*登場人物

 円野(まるの)まど。このブログの筆者。都内在住のひきこもり。しゃんという人と暮らしている。

アイちゃん 体は男性、口調は女性、心は両方のスーパーオネエさん。私の10個くらい上で姉のような存在。私からの三人称は「彼女は」なので、同性と感じていますね。

 

 

*どこまで自己主張してよいのか

ときどき落ち込んでしまうことの一つに、

「どうしても(価値観とか感覚が)合わない人がいる」ということがあります。

たくさんのひとがいて、違いがあるからこそ自分ではできない素晴らしい事に出会えるのですから、考えが違う事は悲しむ事ではないですよね。

それを頭で理解しているのにうまく気持ちに折り合いがつけられない時があります。

やっぱり人生は自分と気が合う人とばかり接するわけじゃないですよね。

その時理解や同意することは出来なくても、できるだけ相手に失礼なことをしたくないなということに挑戦していたつもりです。

でもなかなか私の力がおよばずに空回りしてしまうことも多くて、どうするのがいいのかなあって・・・落ち込んでるときほどこういう新しい課題をもってきて「自分はこれこれこういうところがだめだな」なんて、分析してどんどん自分で自分がはまる穴を掘ってしまったりします。

私には私が大切にしている価値観があって、それを簡単に捨てることはないと思っています。お。思っています・・・ おっおっ・・・(スモールハート)

私は私の考えを私の領域で行ってもいいけど、相手の領域で自分勝手な振る舞いをしないように・・・と考えていたのですが実はその「それぞれの領域」ってどこからどこまでが個人的なことなのか決められてるわけじゃないですよね。

なにが常識や良識なのかなーって考え始めて、また、どんどんグルグルするわけです。

私はどなたのことも理不尽に傷つけたくないんですけど(たまに間違えてそうしてしまった時自分もとても辛いので)そうやって生きていくのは難しいというかもしかして無理なのかなとか、そう、「正解」を探すたびにどんどん暗くなっていきました・・・(›´ω`‹ )

人と価値観がぶつかるときって、どこまで自己主張していいものなのか分からないのです。

*コーヒー豆事件簿

たとえばですねこの前、初めていったお店でコーヒー豆を買いました。

しゃんと一緒に家で映画を見るとき、なんか普段と違う飲み物があればいいなあと思いサプライズで買おうとうきうきして出かけました。だからどこか、浮ついていたのかもしれません。「2580円です」と言われた時(あ、すごく高いお豆だとかじゃなくて他の雑貨も買いました( ´ヮ` ))私はお財布からお金をだして、銀のトレイに置きました。

それを数えていた店主さんとおぼしき人はその時こう言いました。

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「・・・ちょうどならちょうどって最初から言えばいいのに。」

ビクッとしてしまいました。確かに私はちょうどの金額をトレイに置いて、黙ってニコニコしていました。(一人だとあんまり声が出ないので、出来るだけいつもニコニコしています)その言葉を聞いて、反射的に「あっすいません。」と謝りました。

その時は、確かにお豆を袋に入れて忙しくしていらっしゃるし、お一人の店だし、一声かければよかったと思ったのです。

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気がきかなくて・・・と添えて頭をさげますと店主さんが私に袋を渡しながら

「最近の人はそういうほんのヒトコトが足りないよね。」

と仰ったのです。私はなんだかとても恥ずかしくて、ぺこぺことお店を出ました。

 

*後から腹が立つ

家に帰ってドアを閉めてハーーッと一息つくと、心臓がドキドキしました。

去り際にまたいらっしゃいねーと仰ってくださったので礼儀を指導してくださるような温かいお気持ちだったのかな?と思うのですが、えっと有体に言うと急に腹が立ってきました。

「そこまで言われることじゃないよね・・・?」

という気持ちがどんどん膨らんで、膨らんで、最後気球になって飛べるんじゃないか?ってくらい膨らみました。(最終的に妄想族である私は、人間ってこんなに高く飛べるんだぜ・・・!!みたいな状態を想像して笑いそうになって怒りが収まる)

最近このパターンが多かったのです。

「つい謝ってしまったけどこれって・・・?」と思うことが何度かあって、でもまた同じ場面に出くわしたら多分私は怒れないのです。

怒れない理由は幾つかあります。

・怒りはわいても、殆どの場合理由をつけて表さない

(そこまで怒りを表明したいと思わないことが多く、他者に怒りを表すときは余程怒ってるときです)

・何かにたとえたりしてる内に楽しくなってくる(学生の時よく怒る先生をみるたび実は世界平和のために泣く泣くやっていることだ・・・というような妄想をしていました)

・不要な怒りや憎しみを発生させたくない(お互いに体力を消耗すると感じるので)

・可能性を想像してしまう(柿ピーのピーしか食べないことはお相手の生育過程における大きな悲しみにまつわることかもしれない等)

・問題を解決するために話し合いが必要な場合は、言葉を返さず怒りのピークがおさまってからすすめたい(感情的になることで本質を見失うように思う)

このほかにも少しありますがざっくりいうと上記のような「怒って喧嘩するのはたいへんだしはやく平和になりたいから・・・( ´ヮ` )」みたいな気持ちです。

それにいやだなって感じる私の感情が我侭なだけで、お相手が正しい事を主張されていることもたくさんあると思います。

けどやっぱり、腹が立ったり嫌だなって気持ちがない人間ではではなく、そんな気持ちがうまく切り替えられないと落ち込んでいきます。

そして考えてると自分のダメな所にも気づいたのです。

多分私は

「自分が1歩引いたのだから、相手も1歩引いてくれるはず。」

という浅ましい期待があったのです、だから追い討ちをかけるように「そうだお前が悪いよ。」と言われることにショックを受けたのです。

すいません、本当ここは私のダメなとこだなーって今回気づきました。

やることに見返りを求めてはいけない、それは自分の決断なのだから。って思いました。

そーしてそしてそして!!

そのまま「私ってなにをしても上手じゃない・・・ウウウウッウウッ」みたいにウルトラスーパーデラックスアルティメット病んでいきました・・・(`‐ω‐´)

そしてついに

い き て て す い ま せ ん

みたいな気持ちに・・・今思うと恥ずかしいですが実際に思いました。

さすが自分です、生涯中二病宣言みたいな、我愛命有限中二魂みたいな・・・

そういうおそろしい境地に達していったわけです。

病むと話がどんどん飛躍することってないですか・・・?あれはいかんですよね・・・

よく考えると世界に選択肢は無限にあるのです(›´ω`‹ )!!むはははは!

*話し合えない位の他人と接すること

アイちゃんが遊びに来た時、私の様子がおかしいことに気づいて色々聞こうとしてくれました。私はその時も「いいの・・・大丈夫・・・。(弱弱しく)」みたいな、おっと何のドラマ気取りかな?という痛い振る舞いを挟んでしまったのですが(恥ずかしい)「あっそういうの間に合ってますぅ~はよ話して!」という剛速球により粉砕されてついに話始めます。

相手が怒っているとき、どこまで自分の価値観を推していいのかわからないよね~と私が言うと「あー・・・そういうのってどこまで相手が正しいのか分からなくなるよね。」

と、アイちゃんも同じように感じることがあると言っていました。

そうなんですよね。

例えばはじめて彼氏のご実家に行くときには手土産を持参させていただくのが常識だと言われればそうですし、「そこまでの事を若いうちからされたらこちらも気が重い」と考えるご家庭の話も聞いたことがあるのです。この場合は彼氏にご実家の方針を聞くことも出来ますが、完全な他人とのやりとりだとそうもいかない。

相手の常識を知ることができる情報筋がないわけです。

でも世界は殆ど他人なわけです。

譲り合いたくても相手は「譲り合い?何言ってるの?あなただけが間違えてるんだよ。」と思われていることもこの世にあります。

けれどそれはそれで相手の考え方ですし、逆に私のほうが正しいような優しいような顔をして相手にとてもひどいことをしている可能性だってあるのです。

したこともきっとあるのかもしれないと思うと、更に悩んでいくのです・・・。

どこまで自分カラーで生きていっていいのか・・・。

「だから、もうどうしたらいいのか分からないし、相手を傷つけたくなかったり間違えたくなかったらとにかく黙って耐えて直したりするしかないのかもしれない。」

と難しく難しく考えて病みきった私は言いました。

この「耐える」って発想が「相手は自己主張してる、私は我慢してる」みたいな感覚でとても独善的なのですがそのときはドラマ顔で語っていました・・・。わははは・・・

私は恥の宝庫です・・・( ´ヮ` )

*落ち込みが治らないわけ

全部話したあと

「あんたは結論を出す事が好きだからねぇ」

そう、彼女は言いました。

多分、その悩みに答えは出ないというか、世界中の人と擦りあわすのなんて無理だから解決できないわけよ。解決できないって怖いことだよね。問題をそのままにしているように思えるから不安だし、解決していないから何度でもいやなことは起こるわけ。あんたはうまくそれをやりすごそう!って思わずに解決したいって思ってるから落ち込むのかもしれないわよね。

私は、結構その時ズドンと来て「それだわ・・・。」と言いました。

そこでちょっと前向きになった私はだんだんどうしようもなかった感情は捨てていくしかないんじゃないか?というような攻めた気持ちになってきます。

すべてのひとのことを理解できないなら、解決できないこともあっていいのかなあ・・・そんなことを感じました。

アイちゃんは自分も同じように、相手と価値観が合わなかったり、突然の「これがフツウですけど?」というフツウのぶつかりあいに遭遇してしまってものすごく消耗することがある。という話を幾つか話してくれました。

*アイちゃんの話

「私達がフツウって思ってることって結構同じじゃない?しかも身内でしか遊ばないからどんどんそれを当然に感じてくるし、共通の認識もすくすく育っていくんだと思うのよね。それに慣れすぎると時々ハッとするほど合わない人に出くわして、ちょっと焦る。知らないうちに期待が生まれちゃってるんだろうね。」

アイちゃんはそう言ったあと考え込むように少し黙りました。

例えば、学生の時女の子同士でお手洗いに連れ立っていくことをくだらないと一蹴することもできますし、でも逆にその時仲良くつるめたことが楽しく大切な思い出となっている方もいます。自分にとって、どう感じるかはやっぱり人それぞれで、どなたの感じ方も土足でバカにすることって出来ないと思うのです。

だからフツウって時に暴力なのかもしれない・・・って話をしていると彼女はニッコリ笑って切り出しました。

「でもね、やっぱり失礼なやつってムカつくわ。」

そしてにこやかなまま、こう言います。

「価値観が違ってもいいんだけど、失礼なやつってムカつかない?いやその失礼なやつってあんた的にいうとそれぞれ価値観がーってあるのかもしれないけど、でもこっちが譲ってんだからお前も譲れやってシンプルにアタシは思うわけ。それが社会やろがいってツッコミたくなるわけよ。この前ね、歩道にお爺さんとか子供連れの人とかがたくさん歩いているうららかな日にね、後ろからベルをリンリンリンリンならしまくった自転車ヤロウが全員に避けさせて歩道のど真ん中を走り去ったわけよ。

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その時あたしはそいつの後ろ姿を見ながら脳内では3回くらいマントルまで埋めたわよ。埋めまくってやったその瞬間は超にくんでる。明るくキレてる。そいつがすいませんって言いながら走り去ってたら少しは許せたと思うけど、しれっと走っていったからすごく腹が立ったわよ。少しでもすまなさそうにしてくれてたら何だか急いでたのカナ?キャピ!ですませることも出来た。脳内ではめっちゃゴニョゴニョした。ね、譲り合いって大事でしょ・・・?」

アイちゃんの話は更に続きます。

「確かに世の中には色んな人がいるから、口に出したりもめごとを大きくしないことが正解だなってことのほうが多いからもめない選択をすることは間違ってないよ。でも、謝るまでしなくていいこともあるし、原因だけやめてあげればいいこともある。それができたら次はね、むかつくやろうだったなって思っていいんだよ。でもそれは一日以内でやめちゃって、その後なんか楽しいことして上書きしなさい。取り返すのよ、不愉快だったり傷ついた時間の分の楽しさを。そうして、いやな波がきたら乗り過ごすようにしちゃいなさい。

と言いました。

*あきらめる事

それを聞いて考え込んでいる私をみて、更に話は続きます。

「まどちゃんは多分それじゃ、解決できてないって思っちゃうんだよね。でも、あんたが恐れるみたいにどこかで誰かを傷つけちゃう事は頑張っても頑張ってもあるかもしれないよ。気づくように頑張ってても気づけない間違いもあるかもしれない。けど、皆そうやって生きてるからそうした分、成長したり反省するしかないこともあるよ。自分をね、完璧に育成しようとしてもだめなの、どっかであきらめないと。」

価値観の違う人ととことん話し合えればどこかで分かり合えるかもしれないけれど、一瞬とか一部しか触れ合えない人と理解しあうのは無理だから、結局譲り合って暮らすしかなくて、そして多分全ての人と分かち合うほどの時間は人間にはない。

なぜなら自分の時間は好きでも嫌いでもない人の為のものではなく、大切な人と分かち合う為の時間だから。

という話を私にしました。

*まとめ

普通ってどこまでか、その答えは結局、今の私には出せないままです。

時々ぼうっと、常識や普通や一般的に行うある種の「義務」について考えてしまうのですがそれはきっと時や場所や人と共に移り変わっていって、完全につかむことができないのかもしれません。

そんな時、失敗することや失敗させてしまうこと、そういう瞬間を感謝したり反省しながら受け止めた後その気持ちを「離してしまう」ことができるようになりたいなと思いました。

そして「結論を出そうとすること」をじょうずにあきらめることが出来たらいいなーと思っています( ´ヮ` )

それは私にとって機械がエラーを起こし、その箇所を放置したままにするようなことなのですが、気持ちの落としどころをもって「曖昧さを受け入れる」ことを学びたいな!と今回のことで思いました。

自分にとっていやな摩擦がおきたとき。

いやだって思う自分の感情を否定しない

→でもその代わり「そういうこともある」とか「自分の修正できること」とか「自分側で出来る事を行う

→あとはお相手の決めることなので、「分かり合いたい」という気持ちをときにあきらめる。親しい人とだけそれをしようとする。

次に何かあれば、くよくよしすぎず、そんなふうにできたらいいなって思っています!

また中二魂を燃え上がらせて「わたし何もかもうまくできないっ!(顔をおおってしゃがみこみ、背景に薔薇を散らせる)」とやっているようなら、大爆笑してやってくださいっ( ´ヮ` )!わはは恥の多い人生です・・・。

 

 

*あとがき

誰かを傷つける事を不安に感じることはなかなか、折り合いが難しいですが落ち込むのをどこかでやめて楽しいことをするっていうのはすぐに始めたいなって思いました。

私の場合かなり深く沈むと中々動けないんですけど無理にでも楽しくしてるとそのうち本当に笑えてしまうことってたくさんあります。

人間落ち込んでるとろくな想像をしないですね。

恥ずかしながら私の場合はどんどん、話が大きくなるんですよね・・・。

今回は「ひとはなぜ生まれ、なぜ生きるのか論」まで到達しました。

ほんと中二病繰り返し続ける人生しょっぱいです・・・!

でも生きるのすきです、きっと。

何歳になっても強くなれなくて、私が子供の頃夢見た大人像は幻だったと最近思います。動じない大人なんていうのは人魚。想像の生き物ですよ・・・(渋みのある顔で)

誰かが夢見た今日を生きられるだけで幸せだし、そんで好きな人が今日も生きてたり、素敵な人が同じ時代を生きてたりするのに、どんどん贅沢になって些細なことで日常の大切さを見失ったりしてしまいます。

落ち込んだり失敗したり壁にぶつかると、数え切れない自分の今出来る事より、今出来ないことばかり数えてしまうところを直そうと思いました。

時間がたった今思うのはコーヒー豆のお店の方にしても、やっぱりなにかしら多分「伝えたいこと。」があったんだろうなってことです。

私が今まで経験した「つい謝ってしまったけどこれって・・・?」って感じるような出来事もきっと相手は何か伝えようとして、分かって欲しかったんだよなあ・・・と思うと怒りきれない気持ちもあります。

けど、アイちゃんが言ってた「全ての人と分かち合える時間がない」っていうのすごく染みました。だからどこかで折り合いをつけて、「敬意をもってすれ違っていく。」ということも必要かなと考えました。冷たくなるようでちょっと不安ですけれど、きっと私は私の領分を間違えてるのかなとも思います。

自分でデザインできることと、そうではないことってきっとあるんですよね。

そして何かを変えたいくらいのパワーがあるなら、身近な人と幸せになれるようなことから頑張らないとって思いました!

あとは周囲の人がよくいってくれる「円野さんの人生は多分コメディ映画だからいろいろと大丈夫・・・。」という言葉を強く信じたいと思います・・・(`・ω・´) 

みなさんはやり場のない気持ちが生まれたらどうしてますか?

やっぱりギャグ漫画朗読会ですかね・・・(›´ω`‹ )★

いつも長い話を読んでくださりありがとうございます。

私は気持ちの切り替えがへたなので、これからその部分は要努力です・・・!

同じ考え方じゃなくても自分だったらこうするなとか、こうしてみるなとかどなたかが前に進めたり、何かのきっかけに少しでもなれたらうれしいです!

 

私も元気でいられるよう頑張りますし、みなさまも元気でお過ごしになっていることを願っています。

それではまたお便りします!

 

円野まど