最近バチェラー・ジャパンを視聴しました。今は前半しか見ていませんが、何となく「ローズセレモニー」というシステムが非常に気になり、思わず昔見たことのある中国映画、『紅夢』のことを思い出しました。
『紅夢』(原題:大紅灯笼高高挂=真っ赤な提灯を高くあげて、英語:Raise the Red Lantern)は、1991年、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の作品です。日本での知名度はどれぐらいかはちょっと分かりませんが、中国、台湾、香港などの華人社会では大変有名な監督さんです。代表作『紅いコーリャン』(1987)、『HERO』(2002)など以外も、また数多くの名作を生み出し、最近もハリウッド映画『グレートウォール』(2016)の監督を勤めていました。
張芸謀(チャン・イーモウ)監督は、とにかく映像の美しさと色使いに長けていまして、ビジュアル的に観客を魅了します。彼の後期の映画は賛否両論の部分がありますが、『紅夢』あたりの早期の映画に対して、恐らく低く評価する人はいないと思います(笑)
【目次】
やや突然ですが、ここで、また少しバチェラー・ジャパンの「ローズセレモニー」の話に戻ります。バチェラー・ジャパンとは、25人の女性が一人のお金持ちの男性にアピールし、最終的にその男性が一人の女性を選ぶリアリティ番組です。毎回の最後には「ローズセレモニー」がありまして、女性陣の前で男性はそれぞれの名前を呼び、1輪のバラを渡します。渡されなかった女性は振り落とされることになり、退場になります。つまり、バラは男性からの「愛」の象徴物で、男性からの「愛」を獲得すれば女性は次のステージに進むことになります。同時に、バラは女性たちがお互いに自分の「腕前」を同じ立場に立つ他の女性達に「見せつける」象徴でもあります。
このような「男性からの愛」=「女性の権力」を可視化し、女性たちの争いを描く手法の頂点に立つ映画は、『紅夢』だと思います。
ゾットするほど美しく、そして恐怖を感じさせる作品です。
あらすじ
物語の背景は1920年代の中国です。父を亡くした後、元々女学生の19歳の主人公、頌蓮(ソンレン)は大学を中退し、ふる里を離れ、素封家の妾として、大きな邸に嫁いでいきました。
嫁ぎ先は非常に立派で由緒のある家で、色々なしきたり(中国語:規矩)を守らなければいけません。そして、彼女が訪れる前に、旦那にはすでに3人の奥様がいます。4人の女性はそれぞれ異なる「院」(別棟)に住み、一番目の奥様の住居は「大院」と呼ばれ、二番目は「二院」、三番目は「三院」、そして主人公は「四院」になります。
毎晩、旦那は4院のうちどの「院」に泊めるのを決め、選ばれた「院」は内外とも赤い提灯が灯されます。旦那の寵愛を得たら、家での地位も上がり、召使いたちからの尊敬も得られます。最初すべてバカバカしいと思った頌蓮(ソンレン)も徐々に女性たちの争いに巻き込まれていきます…
赤い提灯へのまなざし
『紅夢』の中では、奥様たちの権力は旦那によって与えられたものです。本人の意志を問わず、選ばれた女性はその権力を他の女性に「見せつける」義務が巧妙にしきたりの中に潜んでいます。赤い提灯だけではなく、足裏たたき(専門の老婆は小さい木槌でカタカタの音を出しながら奥様の足裏を叩きます…マッサージ的なもの)も聴覚的に精神的なプレッシャーを与え、そして、旦那が今夜の泊まり先を発表するのも、わざと女性たちを対面させるしきたりもあります。無視したくても、旦那のこと愛さなくても、他の女性のまなざしから毎日女性としての価値を再確認する義務が課されるようで、競争心を燃えさせる恐ろしいしきたりです。
足裏たたきされている主人公(右)、足ただき専門の老婆(左)、中央に立っているのは召使い(図像出典:豆瓣)
女性が争う家の中での地位
邸内では、妻と妾達の「成功」には2つの判断の基準があります。
一つ目は、旦那の「寵愛」を得ること(性的対象としての女性)で、そして、もう一つ目は、跡継ぎの男の子を生むこと(家の中の地位、母としての女性)です。二つの基準ともクリアしなければいけませんが、特に男の子を生むことがより重要で、家の中で安定した地位がほしいならば、跡継ぎを生むことが不可欠です。「大院」の一番目の奥様は年取って、すでに性的な対象から外されていましたが、本妻且つ息子を産んだので、なんとなく地位を保っていました。そして、一番恐ろしいことは、みんなの争いの対象の旦那は、映画の中で顔を一回も映されることはありません。つまり、旦那が誰であろうと、どんな人でも、男性の権力を維持する「しきたり」さえあれば、この物語は成り立っています。そして、邸の壁が高く、閉じ込められているような閉塞感がこの映画には描かれているのです。
灯籠を灯す「院」、赤はめでたい色のはずですが、禍々しい雰囲気がします。(図像出典:豆瓣)
まことしやかな喩え話
『紅夢』の原作は、作家蘇童の小説『妻妾成群』から改編されたものですが、調節を色々加えられたようでした。元々中国南方の設定を北方に移し、灯籠と足裏マッサージなどの要素も映画の中に新たに加えたものです。
(ちなみに、原作の日本語訳は1992年の雑誌『季刊中国現代小説』(第1巻20号)で、千野拓政が翻訳しました)
赤い提灯、煉瓦の邸宅、チャイナドレスをまとう美人、演劇、父権社会、祖先崇拝、しきたり……『紅夢』はまさに「中国らしさ」を完璧に演出する映画です。ところが、そういう「民俗」実際に存在しませんでした。『紅夢』のロケ地は中国の山西商人の大豪邸「喬家大院」で撮影されたもので、山西商人の喬家は19世紀から20世紀初頭まで中国の金融業の牛耳を執る商人の一族でした。しかし、映画の中に出てきた旦那の寵愛によって灯籠を灯すことや足裏マッサージを受けることなどが一切なく、その代わりに、浪費を防ぐために妾を取ることを禁ずるしきたりがあるようです。
…さすがストイックな商人!! 毎日の修羅場から回避することは、賢明な判断だと思います(笑)。
そして、物語の舞台である、1920年代の中国も非常に興味深い点です。中国の歴史では、最後の王朝――清――は大体1911年あたりで滅亡しまして、1920年代はまさに新しい時代になって、「女学生」という女性の新たな身分が徐々に表舞台に出るところでした。新時代の象徴の主人公がこの古めかしい邸に嫁いた最初の夜、旦那は彼女の顔を見つめて「…洋学生はさすが違うね」と言った後、すぐに「さあ、服を脱いて寝よ。」と言いました。どのような身分でも関係なく、この邸にいる限り徐々にしきたりに飲まれる運命を予言することだと思います。
主人公頌蓮(ソンレン)が初めて邸に来た時の服装(図像出典:豆瓣)
『紅夢』の中のしたきりは男性の権力の保証と結びつき、ジェンダー的な視点でこの映画を見ている方は非常に多いと思います。それは確かに重要な視点ですが、私としては、個人(映画の中の女性たち)がどのようにしきたり(システム)に挑戦していくかがテーマなのだと思います。一旦、閉鎖的な環境に閉じ込めると、徐々にそこの価値観を身に着け、しきたり(システム)を従い始めます。それは学校の人間関係でも、会社の仕事でも同じような気がします。私は競争に参加することは悪いことではないと思いますが、もしそこで生き甲斐を感じなくなってきたらちょっと距離を置く必要があると思います。でも色んな複雑な感情が絡み合う中に、自分自身がそれを気づくこともかなり難しいことでしょうね。『紅夢』の中の女性たちはまさかに邸に閉じ込められ、逃げ場のない感じです。そして、唯一屋敷から自由に出入りできる人は、顔を見せない旦那のみです……
どんどんネタバレしていく予告、気になる方は予告編を見ない方が良いかも。
残念ながら、『紅夢』は日本語のDVDは出ていないようです……
気になる方は英語のタイトルで検索をかけてみた方が良いかもしれません。
張芸謀(チャン・イーモウ)監督のもう一つ作品『菊豆』は近年ブルーレイが出ました。『菊豆』の方が暴力と性的な要素が『紅夢』より露骨で、男性も「家」や「しきたり」に束縛されていることを描いた話だと思います。
…ちなみに、『菊豆』の舞台は染め屋で、特に、葬式のシーンはビジュアル的に大変素晴らしいと思います。
『菊豆』に関する優れたレビューは「愛と呪いの民話…そして神話」を参照してください。
最後、バチェラー・ジャパンは一応恋愛番組且つ男性の主人公もイケメンで、『紅夢』ほど恐ろしい作品ではないので、どうぞ安心してみてください(笑)。
参考文献:
- 周安邦(2005)「《大紅燈籠高高掛》的主題思想與文化意涵」、『逢甲人文社會學報』(11)(リンク)
- 阿賴耶順宏(1992)「張芸謀『紅燈』をめぐって:激情から沈潜ヘ」、『東洋文化学科年報』(7)(リンク)
以上の二つの参考文献は私の変な感想と違って、非常に詳しい分析でした!
興味のある方は是非参考にしてください!(但し、分析が良い分ネタバレも結構していますので、気になる方はご注意を 笑)
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