ロンドン橋テロに対するメイ首相の演説:グローバル・ジハードは組織ではなく思想

池内恵
執筆者:池内恵 2017年6月4日 無料
エリア: ヨーロッパ 中東
歴史に残る演説だった(『BBCニュース』画面より)

 

 英国ロンドンの中心部のロンドン橋付近で6月3日土曜日の夜10時頃、車が暴走して歩行者を轢いた上で、車から降りた3名の犯人たちが刀やナイフで通行人に遅いかかった。犯人たちは切りつけながら「これはアッラーのためだ」と口走ったという。警察によって銃殺された犯人たちを含め、7名が死亡した。

 3月22日のロンドン・ウェストミンスター橋・宮殿での轢殺・刺殺事件、5月22日のマンチェスターのコンサート会場での自爆に続き、英国で過去3カ月で3回の大人数を殺害するテロが実行されたことになる。2005年の7月7日と14日の地下鉄・バス爆破テロは、グローバル・ジハードの西欧での展開の初期のものだったが、その後英国は概ね大規模なテロを防いできた。しかし2017年に相次いで大規模なテロが発生することで、新たな対策を迫られそうだ。

メイ首相の対テロ演説

 6月4日朝の内閣府ブリーフィングルーム(COBRa)での緊急閣議を終えたメイ首相の演説は、一言一句がテロ対策として考え抜かれたものだった。これまでのテロ対策の成果と、発生したテロ事件の事後の調査の積み重ねを踏まえてのものだろう。これまでは口を濁していた点について、明確に言い切った場面が多くあった。筆者はこれを、テロ対策上の画期となる、歴史に残る演説ではないかと思う。

"Read Prime Minister Theresa May's Full Speech on the London Bridge Attack," Time, June 4, 2017.

演説全体のビデオは例えばここから

 特に重要なのは下記の認識だろう。

【In terms of their planning and execution, the recent attacks are not connected but we believe we are experiencing a new trend in the threat we face.
As terrorism breeds terrorism and perpetrators are inspired to attack, not only on the basis of carefully constructed plots after years of planning and training, and not even as lone attackers radicalised online, but by copying one another and often using the crudest of means of attack.

 計画と実行について言えば、最近の複数の攻撃は相互につながっていない。我々は新しい脅威に直面していると信じる。テロリズムがテロリズムを生む。実行犯は触発されて(inspired)攻撃に出る。何年もかけて注意深く組み立てられた計画と訓練によってではなく、インターネットで過激化した孤立した攻撃者でもなく、お互いに模倣して、しばしば最も粗野な手段を用いて攻撃を行う】

 英国が直面する、組織や指導者を持たない「新しいトレンド」のテロとは、「イスラーム国」といった勢力の支援や支持を必要としない。組織がないのになぜ相次いで攻撃が起こるのか。それはそれぞれが共通のイデオロギーを信じており、各自が他の事件を模倣して、独自にテロ攻撃に出るのである。

 今後強化される4つの施策を挙げているが、問題は組織ではなく、ネットワークでさえなく、思想である、と明確にされている。

【First, while the recent attacks are not connected by common networks, they are connected in one important sense. They are bound together by the single evil ideology of Islamist extremism that preaches hatred, sows division and promotes sectarianism.

 第1に、最近の攻撃は共通のネットワークによって結ばれてはいないものの、彼らは一つの重要な意味でつながっている。彼らは、一つの邪悪なイデオロギーである、イスラーム主義の過激主義で結ばれている。このイデオロギーは憎しみを説き、分裂の種を蒔き、宗派主義を推進する】

 同じ思想を信じた、相互につながりのない個人や小集団が、自発的に呼応し、模倣することで広がるグローバル・ジハードの性質を、簡潔に言い当てている。そのようなタイプのテロは組織で繋がっておらず、イデオロギーで繋がっている。であるが故に、思想との戦いを今後強めなければならないとの決意を述べていく。

 ここでメイ首相は、テロリストと英国の間には相入れない価値観の闘争があると認める。

【It is an ideology that claims our Western values of freedom, democracy and human rights are incompatible with the religion of Islam. It is an ideology that is a perversion of Islam and a perversion of the truth.
Defeating this ideology is one of the great challenges of our time, but it cannot be defeated by military intervention alone. It will not be defeated by the maintenance of a permanent defensive counter-terrorism operation, however skillful its leaders and practitioners.
It will only be defeated when we turn people's minds away from this violence and make them understand that our values - pluralistic British values - are superior to anything offered by the preachers and supporters of hate.

 それは、自由、民主主義、人権という我々の西洋の価値が、イスラームの宗教とは相入れないと主張するイデオロギーである。それはイスラームからも、真実からも逸脱したイデオロギーである。

 このイデオロギーを打ち負かすことは、我々の時代の大きな挑戦の1つである。しかしそれは軍事介入だけでは打ち負かせない。永遠に守りの対テロ作戦を続けていても、どんなに指導者と現場が巧みに進めたとしても、打ち負かせない。それは我々が人々の心を暴力から逸らさなければ打ち負かせない。そして我々の価値観が、多元的な英国の価値観が、憎しみを説き、憎しみを支える者たちの提供する何よりも優っていると理解させなければ、打ち負かせないのだ】

 この価値観の闘争は、中東よりも、英国社会の中で行われるという。

【Yes, that means taking military action to destroy Isis in Iraq and Syria. But it also means taking action here at home.
While we have made significant progress in recent years, there is - to be frank - far too much tolerance of extremism in our country. So we need to become far more robust in identifying it and stamping it out across the public sector and across society. That will require some difficult, and often embarrassing, conversations.

 もちろん、イラクやシリアの「イスラーム国」を破壊する軍事行動は行っていく。けれども、この国でも対策を行う。我が国は近年、対策でかなりの成果を上げてきた。しかし、率直に言おう、この国は過激主義に対して寛容すぎた。我々は、公的部門も社会も、過激主義を見つけて根絶やしにするために、もっと強く当たらなければならない。それには、少し困難な、時にちょっと不愉快なやりとりも、しなければならない】

 これは婉曲に、しかし明確に、英国のムスリムに、過激主義の黙認からの決別を突きつけたものである。メイは明確にここで「政治的正しさ」を捨て、テロが「イスラーム主義の過激主義」によって引き起こされていると断定している。過激主義がイスラーム教の一般の考え方から逸脱しているとしつつ、しかしそれに感化されている者がかなりの規模おり、それに対して対策が生温かったとの認識を示す。それによって英国が分裂してはならない。しかし過激主義を許す、移民を背景にしたそれぞれの文化集団が主流社会と交わらずゲットーのように隔離されて暮らす状態を否定している。これはかつては賞揚された英国の多文化主義への強い批判と言っていい。

【But the whole of our country needs to come together to take on this extremism, and we need to live our lives not in a series of separated, segregated communities, but as one truly United Kingdom.

 けれども我が国の全体が一丸となってこの過激主義に取り組む必要がある。そして我々は箇々別々の、隔離された共同体に住んではならない。我々は真の「統一された」王国でなければならない】

情報管理の徹底

 メイ首相の演説では、事件の性質は明快にされているが、犯人たちの素性は一切明かされていない。これはグローバル・ジハードへの対策で重要なところだろう。

「イスラーム国」は、グローバル・ジハードの思想に共鳴してテロを行なった事件に後づけで声明を出し、現象としてのジハードがあたかも「イスラーム国」によって指令され、統率されているかのような印象を、これからジハードに加わろうとしている者たちにも、ジハードの攻撃を受ける英国社会や世界の視聴者にも印象づけようとする。そのため、あたかも事前に犯人に指示を出していたかのような情報を出そうとする。これを阻止するために、英国当局は近年の事件に際しては、犯人の身元を確認した後も情報の発出を制限して、「イスラーム国」の出方を見ている様子があった。

 しかし5月22日のマンチェスターの事件では、情報共有を受けた米国政府の誰かが米メディアに犯人の身元を話してしまい、情報戦が混乱した。米英の諜報協力は一時緊張し、短期間だが、情報共有を差し止める措置が英国政府によってとられた。

 今回は、警察発表でも、メイ首相の演説でも、犯人の素性は徹底して隠されている。「イスラーム国」が予想される何らかの情報発信をするまでは英国政府側は情報を出さず、「イスラーム国」が声明を出してくるのを待ち、背後の実際の関係がどのようなものであるかを測ろうとしているのだろう。

 そして、犯人について明らかにしない段階で早々と、最近の事件がそれぞれ単独の小集団によって行われており、「イスラーム国」などの組織との直接の関係はないと断定してしまうことで、英国政府は「イスラーム国」の情報戦に対して先手を打つとともに、「イスラーム国」がこの事件を利用して宣伝効果を得ることを避けようとしているようである。

***

 筆者は個人的には、イスラーム思想の側面からテロリズムを研究してきたため、グローバル・ジハードは主に思想によって駆動される現象であると認識しており、メイ首相の今回の演説に対しては、ついにこの認識を英国の首相が公的に明確に表明するに至ったか、との感慨を持つ。従来は、この「思想のみによって」テロが引き起こされうるということについて、警察当局は懐疑的であったように思われる。もしそのような実態を認識していても、そう認めてしまうと、指揮命令系統や資金、武器の供与など、組織のつながりを突き止めることで責任主体を明らかにする近代的な法執行機関の手段を奪われてしまいかねない。しかし存在しない組織を追いかけていれば、捜査のリソースも無駄になり、事件を防げず、解明も滞る。

 もちろん、思想によってテロが起こるということが分かったとしても、すぐに対処策が出てくるわけではない。思想に対処するには検閲など「思想警察」が必要ということにもなりかねず、検閲が可能であるとも、可能であったところで効果があるとも限らない。そして思想警察の要素を強めれば、基本的人権・自由を侵害しかねない。テロは組織よりも思想で起こるということは、捜査当局にとって、分かっていても「不都合な真実」なのである。

 思想だけでなく組織や国家が関わるテロは、もちろん存在する。しかしグローバルなメディアの発展と、その上でのイスラーム教の規範の伝播と受容の新しいあり方によって、組織的な背景がない個人たちが、自発的な呼応と模倣を基調として引き起こしていくローン・ウルフ型のテロが、組織がないにもかかわらず続発することが容易になった。筆者の近年の研究課題は、この事態を、思想・理論的に想定することだった。しかしこの思想が短期間の間にここまで現実化することは、もちろん想像の外であった。

 

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執筆者プロフィール
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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