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『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

【病みながら生きる意味】自分の人生に対する過大な要求が減る

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私のブログタイトルからもお分かりになるように、私は子どもちゃんが生まれたころから、様々な要因で「男の産後うつ」と言える状態になった。

 

うつになってよかったとは思わない。

けれども、病むことには何かしらの意味はあったように感じる。

私にとって意味があったことの一つは自分の人生に対する過大な要求が減ったということにあるかな。

 

 

ヨロイをまとわなければ生きていけない

子どもちゃんが生まれるまでの30数年間、私は周囲の期待に応えるためには、ヨロイをまとわなければ生きていけないと思っていた。

(こんなイメージ)

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この「ヨロイをまとう」ためには、寝食を惜しんでいろいろやった。

特に20~30代はこれでもか❗というくらい自己啓発しまくったこともあり、リアルの私ははっきりいってすんごい人扱いなのよ😅

 

でもこれだけやっても、自分自身は

「まだ足りない」

「まだ期待を満たせない」

という思いで、ちっとも幸せにはなれなかったんだよね。

 

で、どんどん自分の中でも要求が上がってくるわけよ。

資格も難関の国家資格じゃなきゃダメだと思うようにもなるし、もっと高学歴じゃないとダメだと言う思いから、大学院にも行った。

高くなった周囲からの要求は当然満たすことが難しくなるし、満たすことが難しければ、自己嫌悪や劣等感につながる😔

 

そんな中、子どもちゃんが生まれ、これもまた未経験の育児というものが人生に加わったことで、私のキャパを超えてしまったんだよね💦

 

自分に過大な要求をしていたことに気付く

うつになってからの話だけれども

「ああ私って無理してたんだなあ」

と気づいた瞬間があった。

 

気づいたきっかけというのは、比較的安全が約束されているとある場で、あえて「嫌です。やりたくありません」と言う練習をしたことにあった。

 

誰かの期待に応えない、ということを意図的にやってみたわけだけれども、期待に応えなくても特に何も起きないのよね。

私のあずかり知らぬところで私の評価は下がっているのかもしれないけれどもね。でも実感として、自分の価値が変化しているような気はしなかった。

 

この経験をしたことが、自分が無理をしていたことに気づく大きなきっかけになったように思う。

 

うつになったおかげとまでは言わないけれど、こういう経験は、うつにならなければ味わえなかったことだと思う。

他人の期待に応えられる自分でいなければ、自分には価値がないって思いこんでいたのが一変したわけだからね。

 

渦中の人には届かないだろうけど、病みながら生きる意味は確実にある

私もうつの渦中にいるときは、すべてが灰色で絶望的に見えていたので、どこの誰だかわからないヤツ(しかもオカマ)の声など届かないと思うけど……

 

病みながら生きる意味は確実にある。

あなたの人生を一変させる可能性さえある。

生きづらさを抱える人や、うつになった人にだけ与えられる贈り物があると、私は思っているよ😊

  

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