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【軍事のツボ】老兵は死なず 米国の第2次大戦機は「現役」 日本は…

2011.9.24 19:00更新

「リノ・エアレース」で墜落したP−51ムスタング。D型を元に大幅改造されている。米国では第2次大戦期の軍用機が多数現役だ(AP)

 米西部ネバダ州のリノ近郊にあるリノ・ステッド空港で9月16日午後(日本時間17日朝)、航空レース「リノ・エアレース」に参加していたP−51ムスタングが墜落し、パイロットのジミー・リーワードさん(74)ら9人が死亡、約60人が重軽傷を負う大惨事が起きた。

 事故原因については米運輸安全委員会(NTSB)と連邦航空局(FAA)が調査をしているが、水平尾翼の一部の脱落が目撃されている。P−51は初飛行が1940年9月なので、誕生してから61年もたつ。

 事故機は垂直尾翼の直前のドーサルフィン(背びれ)の形からD型と思われる。ただし、水滴型キャノピーはファストバック型に改変されている。さらに中央翼下の大型ラジエターも見あたらない。エアレース機はオリジナルから大幅改造され、時には同寸法で新たに作り出した部材を使うこともあり、経年劣化などがどの程度影響しているのかは不明だ。

 それにしても、約1万7000機も生産されたP−51は、現在も約150機が飛行可能な状態で残っており、大半がエアレース用。ダグラス・マッカーサーは「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」と演説の中で述べているが、この“老兵”は消え去ることなくがんばっている。

 半世紀以上も昔の軍用機で飛行可能な機体が単一機種だけで150機もあるとはやはり驚くべき事だ。飛行機大国の米国ではレストアして飛行可能にするケースが多く、よく知られているのがカリフォルニア州にある飛行機博物館「プレーンズ・オブ・フェーム」。

 ここには第2次大戦前後のレシプロ機を中心にしたコレクションがあり、稼働機も多数。さらに世界で最も多くの第2次大戦期の日本陸海軍機を保有している。そのレアな機体の中でも目玉中の目玉は、世界で唯一、オリジナルの「栄」エンジンを搭載した飛行可能な零式艦上戦闘機52型(A6M5)。これこそ完全な形のレストアだ。

 同博物館のホームページによると、この機体は1944年6月にサイパンで鹵獲(ろかく)された尾翼番号61−120号機。レストア完成後の1978年と1995年に日本に里帰り飛行もしている。また、毎年5月中旬に開催される同博物館のエアショーでも飛行がみられる。

 レアもの稼働機といえば、「大東亜決戦機」と呼ばれ、日本の戦闘機で最高の性能とされる4式戦闘機「疾風」もただ1機だけ完全レストアされ、日本の空を飛んだ。

 1944年秋にフィリピンで米軍に鹵獲、テストされた機体が、戦後米国内の博物館や航空機の個人収集家を経て、日本人の個人の手に渡り、1973年には空自入間基地祭で飛行した。

 ところがここから先が米国と大違い。悲しいことに、日本では保管状態が悪いなどの原因で、すぐに飛べなくなった。各地を転々として、現在は鹿児島県知覧の知覧特攻平和会館で静かに翼を休めている。日本に現在、飛行可能な第2次大戦機はない。

 疾風を“放置死”させてしまったように日本国内のレストア環境がお寒い要因は、個人レベルで行われるケースが多いことや、公的な博物館が取り組んでも大規模、体系的に行われることがない点などにある。

 山梨県鳴沢村にある河口湖自動車博物館飛行館は、これまでに零戦を3機もレストアしているほか、現在、1式陸上攻撃機のレプリカを製作中。3機の零戦のうち1機は東京・九段の靖国神社の附属博物館「遊就館」に寄贈され、展示されている。尾翼番号81−161の52型。

 ほかの2機は飛行館で展示されている。21型と52型で、21型はミクロネシアのヤップ島から回収された機体。エンジンも修復して稼働可能な状態にしてある。52型はラバウルから回収した。

 同館の機体は1980年代にまとめて南洋から回収してきたという。ただ現在では南洋諸国は戦争遺物の国外持ち出しを禁止している。個人レベルで今後の新たな完全レストアは非常に困難な状況だ。

 このように奮闘している飛行館だが、原田信雄館長の個人的な情熱から開設・運営されているといっていい。同館は毎年8月の1カ月間だけの開館。理由は場所柄、夏以外の入館者が少なくなり、人件費などの維持費がかさむこと。苦労しながらの運営が続く。

 航空機は図体が大きいだけに保存・展示するにも広い敷地と大きな建物が必要だ。レストアや維持にも多額の費用がかかる。

 現在、航空機関連の展示がある国内の主な博物館としては別項のような所がある。公的施設も多数あるようにもみられる。だが、筆者もここに挙げた施設の大半に足を運んだが、第2次大戦後の航空機がメーンだったり、第2次大戦機があってもピンポイント的な収集・展示の域を出ていない。

 かねてから、米国のスミソニアン博物館をモデルにして、日本の航空史を体系的に網羅する大規模な航空博物館の整備を求める声は多数あり、羽田空港の敷地の一角に作る構想も浮上していた。老朽化が激しく全機退役が間近な戦後初の国産旅客機YS−11(空・海自でのみ現役)の動態保存も、この博物館でという構想もある。

 ただしこれまでの所全く進展していない。予算や展示物の問題をクリアするため、公的博物館をいくつか統廃合を視野に入れてもいいのではないか。

 原田館長はかつて取材時に「国などの公の機関がきちんと保存していくのならばレストアした零戦などは譲渡としてもよい」とまで語っている。

 日本の航空史を生きた形で残していくことも、未来に向かって必要なことだと思うのだが。

(梶川浩伸)

 【航空機関連の展示がある国内の主な博物館】

 ▽国立科学博物館(東京都台東区)▽靖国神社遊就館(同千代田区)▽所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市)▽航空科学博物館(千葉県成田市)▽河口湖自動車博物館飛行館(山梨県鳴沢村)

 ▽航空自衛隊浜松広報館(浜松市)▽三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室(愛知県豊山町)▽かかみがはら航空宇宙科学博物館(岐阜県各務原市)

 ▽大和ミュージアム(広島県呉市)▽筑前町立大刀洗平和記念館(福岡県筑前町)▽海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(鹿児島県鹿屋市)▽知覧特攻平和記念館(鹿児島県南九州市)など。

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