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参議院法務委員会委員長公明党の秋野公造議員 ?投稿者:おかとも殿 投稿日:2017年 6月 1日(木)? ?

 投稿者:真実追及  投稿日:2017年 6月 5日(月)00時41分45秒
  >参院法務委員会の委員長を見ていると、消極的、かつ声に張りがない、上 >手く運営できるのか?など、委員長が心配。・委員長の資質、運営のスタ>イルも国会を見る時、留意すべき。「この委員長のもとで議論は深まるか>?」など。
?見事な指摘ですね。間違いがあります。かって北側国土交通大臣の時に、福知山線での悲惨な脱線事故など、不幸な事故・事件続きの時に、神奈川の宝塚上がりの参議院が言っていました。「長の一念がだれてるわね。勤行していいるのかしらね。」と言っていたのと同じ誤りです。ニセ本尊に省略勤行しているからじゃあないかとの声が真実かも。
 

前川元次官をヒーロー扱いする人を論破する --- 八幡 和郎

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年 6月 5日(月)00時32分8秒
  前川元次官をヒーロー扱いする人を論破する --- 八幡 和郎(アゴラより)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170604-00010000-agora-pol

加計問題の真相は別にして、前川氏の出会い系バーの話し(美談報道)には、私は信用できません。マスコミも、前の天下り問題から、手のひら返しての美談報道にも信用できません。

板違いで申し訳ありませんでした。
 

(無題)

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 6月 5日(月)00時26分48秒
  特に書くつもりはなかったのですが、前に私は学会員でないと言ったのに、立ち位置が変わってしまったので、一応報告させてもらいました。

先日(5/31)学会本部に行ったのは、御本尊を返納するためでした。そしたら受け取り拒否されて、退会届を出さない限りあなたは創価学会員ですと言い張られて。地元の会館(大和文化)に行くようにと。

なんだまだ私は学会員だったのか、それならやりたいこと(地元で大いに発言・その他いろいろ)があるので、大和で統監を起こす作業をたのんだ。が、出来ないと言われた。

6/3に退会届を神奈川文化に出してきました。御本尊の返納も無事に終わりました。返納申請書があるそうです。職員の方が書いてくれました。


会則

第12章 会員
(入 会)
第73条 会員は、所定の入会手続を経、会員名簿に登録して、この会の会員となる。

(活動の基本)
第74条 会員は、活動の基本として、この会の教義を遵守し、「三代会長」の指導・精神に則り、この会の指導に従い、この会の目的達成のため信行学を実践する。

(地位の喪失)
第75条 会員は、退会または除名により、その地位を喪失する。


創価学会会員規定

「地位の喪失」
第5条 会員は、退会または除名によりその地位を喪失する。
  2,前項および第2条第3項の場合、本部長は、その事由を付記して会員名簿から削除するものとし、その会員は、この会から授与された御本尊を、この会に返却しなければならない。

「退会」
第6条 会員は、本部長に退会届を提出し、本部長がこれを受理したとき退会する。
  2,会員が次の各号の一に該当する時は、直ちに退会したものとみなす。
    1)この会以外の宗教団体の信者となったとき。
    2)信仰する意志がなく、御本尊を返却したとき。
    3)6か月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、または所在不明となったとき。


旧5、6条
第5条 (退会)
1 本会を退会しようとする者は、本部長に退会届を提出するものとし、
  これにより会員の資格を失う。
2 3ヶ月以上にわたり、会員としての活動をせず、または、所在不明と
  なった時は退会したものとみなし、除籍することができる。

第6条 (資格喪失)
会員は、次の号の一に該当する時は、会員の資格を失う。
1 御本尊を返却した時
2 他の宗派の信者となった時
 

竜女の誓い様

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 6月 5日(月)00時15分15秒
  議員みずから日ごろ地域をよくまわっていて、仕事ぶりに定評があるところは、

人の心も掴んでいるのでしょう。



しかし厳しい言い方をすれば、それは議員のイロハのイであり、他の政党でも同じことがいえます。

公明党の議員は学会員の手弁当で、それこそ熱意ある応援あって支えられています。

都議選となれば全国区と同じ。

当然ですが、学会員を喜ばせてくれるような議員の活躍を期待しますよね。


前の投稿、私の言い間違いがありまして、民主党大勝ちの「国政選挙戦」での感触でした。

しかし、今回は、国政ではなく、都議選なのに、あの大惨敗の国政選挙戦の時よりも、

前途多難を暗示する出だしの感触。

最初の電話で断られるケースが多いとはこれいかに。



出鼻をくじかれて「行く気なくした。もーいいや」(笑)

断られ、&このご時世での最新公明党の評判がよく分かってきた。

公明党ごときで自分まで嫌われ、人間関係を破綻させてもねえ、というブレーキもかかり。


そうそう、幹部が挙国一致、勇躍頑張ったらどうでしょう。 率先垂範の死にものぐるい、見せてくり。










 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 6月 4日(日)23時47分46秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい  
 

法理から智慧へ

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 6月 4日(日)23時47分14秒
  「日蓮仏法」と言うと
どうしても、その法理さえ極めれば
完成されるような
普通の凡夫では計り知れない所にある
「究極の法理」というような
印象を持つ場合があるかもしれない。

それも法華経を求める探求として
過程の中にあり、捨て去るべきものでは無いが

「理の一念三千」の完成を目指す
本果妙の姿勢であり
それは本尊を教相の本尊として観る姿勢になる。

五百塵点劫というものが
思惟できないほどの過去だとは言っても
菩薩行を完成させて仏に成った

一念三千の法理が完成した
という特定の時点があり

穢れた現実社会から離れて
九界と各別した仏の悟り
宝塔へと向かっていく迹門の信心になる。

しかして法理ではなく
「日蓮仏法」を究極の智慧として見ていく

久遠元初自受用報身如来を信じる姿勢が

大御本尊を信じるということ
日蓮大聖人を末法の御本仏と信じることと
「意味関連」しているのではないだろうか。

ここで言う久遠元初とは特定の時点ではなく
始まりが無いゆえに常に今ここが即久遠である。

そして成るのではなく成(ひら)く。
自受用報身とは自在に智慧を開き自ら受け用いる。

あるいは自ずから受け用いるかもしれない。
無上宝珠不求自得でもあるし
自我得佛來ー我佛來(三身)は自得なり
でもある。

どちらにしても法というものが
例えば縁起の法の説に「わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり」
(Wikipedia 縁起)とあるような

宇宙普遍の自然の法であり

凡夫が普通に生活している範囲では
「当たり前すぎて気づけない生命現象」を

確かにあることを体感覚知して
実生活の中に開いていく智慧。

我が身が宝塔であるというところから出発して
現実社会を変革していこうという本門の信心になる。

あるいは同じ十界曼荼羅本尊であっても
その信心の姿勢いかんによって
迹門教相の本尊とも
本門観心の本尊ともなる可能性もあるのではないか。

智慧を信じて法を開き示す。

その場合に開き示される法は
宇宙普遍の自然の法であり

実験証明が可能であり
あらゆる思想宗教を越えて共有できる
普遍の平和実現への法則

そういう性質のところを
池田先生の「平和行動」から読み取っていこう

その共振の中に歓喜があるのかもしれない。

一人ひとりの心の中に
不壊の平和の砦を築く。

本来はそういう信心なのではないかと思う。

だが時として「信じなさい」ということは
一歩間違えると人間から自分で考える思考力を奪う。

自分が信じているものを概念化し固定化して
知識の上書きをし、その法理を目指すことが中心になり
智慧によって変革していこうということが保たれなくなっていく。

本人は信じ続けていると思い込んで
「創価脳」「創価スイッチ」なんて揶揄されるような
智慧の無いどうにもならない愚考の上書きの世界になる。

盲信することは法理に対しても自身に対しても盲目になる。

信じるところを取り違わない事
行を出発点として師弟の共振の律動の中で普遍の変革を実現していく事

そして学ぶというのは自身そのものという生命
今ここにある普遍の、どんなことにも通じていくものであり

「これが正しい仏教だ」というだけの偏狭なものでは無いのではないかと思う。

定まった智慧ある自身であれば
何も日蓮仏法からだけ日蓮仏法を学ぶのではなくなる。

世界中の思想哲学宗教から、その叡智を学び
尊敬しあう和合の世界を目指すことも出来る。

これも池田先生から学べることだ。

昭和53年2月会長講義「観心本尊抄」⑥
https://www.youtube.com/watch?v=XKL5F1LW0P8

↑これは五百塵点劫と久遠元初の違いを述べているところだ。

己心に十界を観る
自身がいかなる和合の仮諦の経験であり
そこにある心法は空の中にあり
そこに貫かれているのは法の身と不二である。

こういうのは理屈ではなく
実際に観察して体感覚知していくもの。

そういうのを開いていくのが智慧であるということ。

そういうニュアンスの違いの区別の話でした。
 

Re:セールスポイント

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年 6月 4日(日)23時43分16秒
  ◆客観的に分析してみました

1.「身を切る改革」を斬る
議員報酬を年間20%の削減(4.4億円)やりました!!

これを東京都の平成29年度予算13兆円 (13,059,164百万円東京都財務局の公表数値)で考えると
東京都予算の0.00003割を削減したことになります。

これを年収500万円の家庭に置き換えると、
1年に「1回だけ」150円のペットボトルのお茶を買うのを我慢した!!!!!!と、自慢しているのに過ぎない金額です。(大爆)

2.「教育負担の軽減」を斬る
私立高校授業料無償化に75億円を上乗せしました!! (計135億円)

この対象高校生は約5万人。東京都の人口1351万人(2015年の国勢調査より)。
人数比で考えると0.0037割の人が年間約44万円の教育費負担が軽くなります!!
という政策。

東京都民の結婚平均年齢は30.4才。子供が高校生なのは現在45~48才くらいの都民が中心。

しかし、2016年の参議院選挙の読売新聞の調査による年齢別支援者を見ると、
全体の5%が混迷党支持者で、年齢層別だと60才以上、70才以上の支持率が高い。

つまり支持者の大半には、「何も恩恵のない政策」と考えられます。

3.「人にやさしい街づくり」を斬る
・地下鉄のホームドアを去年より11駅増やした。(110億円)
・学校のトイレ洋式化80%(38億円)

東京の駅は約800。そのうち地下鉄は285駅。地下鉄の設置済が132駅。
このペースだと、東京都の地下鉄全駅ホームドア設置は14年かかります。

「支援している人達へのやさしさは?」何も伝わってきませんね。
支援してて良かったことが何も思いつきません。
私は、あんまり地下鉄乗りませんし、学校トイレにも用はありません(笑)。

まとめ「草を見て、木も見ず、森も見ずの政策」(政策規模が小さすぎるという意味)
・「東京五輪」の1兆736億円については、何も政策は無いのか?
・「豊洲市場」は総額3926億円、H29年度中央卸売市場会計予算で423億円への
 対応は、何も聞こえてきませんが? 早期移転だと知事と主張が合わないですね。
・一般会計のうち最も予算が大きく1兆2017億円(23.7%)を占める「福祉と健康」については何も政策は無いのか?

◆内部以外の東京都民は忘れていない。
・小池百合子ではなく、増田氏を擁立して落選したのに、応援した人達に説明も総括もしていない。
・舛添要一前知事を推薦していたことについて説明責任を果たしていない。
・石原慎太郎を推薦していたから、豊洲移転問題の責任追及をしない。

◆応援してたけど、「今回は」知り合いだったことに後悔しかない(以下の苦情を6人くらいからいただきました。)
・何かの名簿をたどって、知らない人が訪問してくる。どうなってるの???
・昔の知り合いが、LINEとかFacebook教えてもいないのに、ID探し出して選挙のお願いだけ飛ばしてきた。
・一度良い顔をすると、何度も何度も何度も何人も何人も何人もしつこくお願いに来る。だからもうゴメン。
・土日は、電話とか家とか怖いから居ないようにしてる。誰に頼んだら辞めてくれるの?警察?
・住所を教えていないのに知らない人から「ハガキ」が来る。個人情報保護法を知らないのか。
・挙げ句の果てに、「親に合わせろ」とか、「隣の家の人を紹介しろ」とか、もう怖くて仕方ない。

私は、事実を分析して並べただけですが、
この悲惨な状況は、54年の勇退問題から続く、現体制の歪みなのでしょうかね。
 

東京干渉

 投稿者:連絡のつぼね  投稿日:2017年 6月 4日(日)23時26分6秒
  正義の拡大唱題表にあのコメ太郎、ついに登場です。

で、あなたの1コメは何偏?
だめだよ。間違っても「ご勘弁」だなんて!
そんなんだったら思いきり「査問」しちゃうぞ~
 

マルトと功徳

 投稿者:石嵜  投稿日:2017年 6月 4日(日)23時02分37秒
  先日、とある懇談の場にて、おっさん三匹の会話。


小生:東京に行って会って語って、頂いた功徳の体験談、ありませんか。

A氏:聞かないねぇ。

小生:東京に行って、会いました、言いました、よかった、というような話
   ではなくその続きが最近ないですね。三十年ほど前は、みんな手を
   あげてしゃべっていましたが。

B氏:その通りだった。にぎやかだった。


かつては、どかーんと功徳が出ていたと思う。
それを聞いて皆歓喜し戦いに向かった。

私も体験がある。
学生部時代にすべてをかけて選挙の戦いをした。
その後学費を賄える顕益をいただいた。

今は目に見える功徳(例えば、交通費が返ってきた、など)の
話しが本当に少ない。私が知らないだけなのかもしれないが。
冥益の時代なのだろうか。

明日も早いのでそろそろ休みます。



 

会館に来て、対話しよう~しましょう~~

 投稿者:創価査問センター  投稿日:2017年 6月 4日(日)22時25分31秒
  来なかったら、拘束してでも話聞かせるから!  

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月 4日(日)21時58分22秒
  ニューリーダー間鹿様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69965
ありがとうございました。私以外にも聞きたい人がいたと思うので、勝手に代表してお礼を。ありがとうございました。
 

仏力、法力。因行果徳の二法。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 6月 4日(日)21時45分40秒
  師匠。
もし、あなたの手が使えないなら、私が師匠の手となりましょう。

師匠。
もし、あなたが歩けないのなら、私が師匠の足となり、師匠をおぶってどこへでも行きましょう。

師匠。
もし、目が見えないなら、私が師匠の目となりましょう。

師匠。
もし、耳が聞こえないなら、私が師匠の耳となりましょう。

師匠。
もし、声が出せないのなら、代わりに獅子吼しましょう。
師匠の万分の一にも満たない声であっても、獅子と子犬ほどの違いがあっても
生命を懸けて声を出しましょう。

大悪と満身創痍で代わりに闘う弟子の姿。

師が、この弟子の姿を見て、心動かされぬ事はないであろう。
ましてや主師親の三徳具備の師匠である。

師の心は、常に弟子と共にあり、弟子の苦しみは我が苦しみと同苦される師である。

弟子の心に、答え、師は語る。

弟子よ。
あなたが、手を使えないなら、私の手をあげよう。

弟子よ。
あなたが、歩けないのなら、私が杖となって支えよう。

弟子よ。
目が見えないならば、この私の仏眼をあげよう。

弟子よ。
耳が聞こえないなら、人々の心の声を聞く力を与えよう。

弟子よ。
動けぬ私の代わりに人々の救済に立つのなら、私の全てを生命をあげよう。
因行果徳の二法を、私の全てを、生命をあげよう。

臨終正念。

冥伏している生命たる師、仏の生命と
今、生きている弟子の、凡夫の生命と

生死不二、生死の二つの生命が共鳴し、そして光が生まれる。

御本尊という媒介を通して、時を超えて、生死を超えて、共鳴は、さらに大きくなり大音声と響く。

南無妙法蓮華経。

今日も、また、感涙の唱題であった。
 

SaySaySayさんへ 不幸の原因についての松戸さんの見解です。

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年 6月 4日(日)21時39分38秒
  邪宗教が不幸の原因の近代的な解釈は他宗教は妙法を否認している。妙法とは自己に内在する仏界の否定。自己に内在する仏界を否定をすることは結果的に自己分裂や劣等感、自己を阻害する結果になると言う意味だそうです。やっぱり自分の中にある無限の力や否定することが最大の不幸の原因ですね。大変に勉強になりましたよ。  

主任副会長はどんな活躍をしているのか?

 投稿者:大石小石  投稿日:2017年 6月 4日(日)21時29分4秒
  ミナヨクイク、プラス最近ではあらたに増毛疑惑の谷川さんは紙面で見ました(笑)

しかし萩本次期自選会長?候補や金澤山分け疑惑主任、、石嶋職員査問局長の面々は都議選対策でさぞや忙しいでしょう。

博正さん、あとはよろしく頼みますよ。

しゅうじより(決まった!)
 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 4日(日)20時39分39秒
   まなこさんの【21世紀への対話】から抜粋

 >【トインビー】 人間は、人間性が喪失される度合いに応じて、操作されやすくなるものです。このことは、戦争が行なわれたとき、初めて発見されたといってよいでしょう。つまり、人間同士が、互いに喧嘩相手でもないのに、命を賭して殺し合うのを納得させるには、厳しい訓練によって催眠術をかけておかなければならないことがわかったのです。この戦争の訓練以外に、人間を他の人間の意志に従わせる方法としては、官僚主義化とコンビュータ化とがあります。=中略=

 科学が、定量化によって、技術のもつ潜在力を増大させるのは、善いことなのでしょうか、それとも悪いことなのでしょうか。本質的には、善悪いずれでもありません。この問題への解答は、場合に応じて出されるべきです。すなわち、科学の与える力を行使する人間自身が、その高められた力を間違いなく善用し、決して悪用しないだけの高い道徳的水準を身につけているかどうか、それによっていまの答えが決まるわけです。

【池田】 お説の通りです。科学それ自体は、善でも悪でもありません。善悪は、それによって得られる力を用いる段階で生じてくるものです。ただ、私は、そうした科学に対する人間の主体的なあり方を確固たるものにするためにも、科学的認識が、物事の把握において、絶対的なものか、それともそれ自体においても限界をもつものなのかの判断が、なされなければならないと考えます。
 もし、われわれが、欠陥のあるものを完壁であると思ったら、それを真に生かすことはできません。真に活用できるためには、その長所とともに短所も、正しく認識していくべきでしょう。(投稿者:まなこ   投稿日:2017年 6月 4日(日)11時51分54秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69947

 現代にも通じる人間と社会の本質の問題です。「生命論」とも言えます。これを“去年の暦”などいうのは、きっと、読んでいない人でしょうね。

 「人間同士が、互いに喧嘩相手でもないのに、命を賭して殺し合うのを納得させるには、厳しい訓練によって催眠術をかけておかなければならない」(トインビー)
 だからこそ、日本の軍隊もスパルタで、いえ、暴力で“怒り”を恒常化させたのでしょうね。

 「科学それ自体は、善でも悪でもありません。善悪は、それによって得られる力を用いる段階で生じてくるものです」(池田先生)
 合理性、効率化など、“欲望”を基盤とした現代文明の根底をえぐるテーマと言えます。


 

ひかり様へ 私も行ってきましたが…

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)19時54分30秒
  八王子のお友達ですが、一人だけにお願いしてきました。

H候補は日頃より八王子市内の地域をくまなく回ってるっているのは、私も八王子にいたので
知っているので、すんなり向こうはお願い出来ました。

ただ、公明党執行部の姿勢はお友達も違和感を感じてましたね…


7回連続全員当選かぁ…流石に今回は厳しいのでは…
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 6月 4日(日)19時37分5秒
  ・文派な書物との出合いも大切にしたい。だが、それ以上に、偉大な事跡をなした人物との出会いは黄金の言葉を聴く喜びがあるものだ。
・心こそ大切です。どこまでも弱く、移ろいやすく、醜いのも人間の心。しかし、どこまでも強く、揺るがず、崇高になれるのもまた人間の心なのです。
 

セールスポイントなさ過ぎ公明党

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 6月 4日(日)19時29分21秒
  今回の公明党ほど、頼めない状況は今までになかった。


かつて民主党が大勝ちした時のことだが、

都議選応援に行って得られた感触は、それまでにないものだった。

北区でのこと。

セキュリティマンションの1階ロビーに降りて来た知り合いの、顔色が違っていた。

「危ないよ、公明党。今回は駄目なんじゃないかな」

理由を聞くと、

「このマンションでも、今までにない事が起きているよ。自治会、子供会、スポ少まで、みんな民主党候補に署名している。それも、熱心に」

本当に、知り合いは事実をかたってくれたのだった。

そして、頼むと、

「私だけでいいかな?家族は今回は勘弁してね、もう署名しちゃったから」

地元に帰ると、けっこう組織は楽観していた。

活動報告が、盛り上がっていたからだ。

でも、考えてみたら、おかしな事だった。

なんで、都民でもないのに一喜一憂するんだろう?

しかも、「我々関東の常勝関西(?)」が当選させる的な煽り方で、事実と違うのだった。

そしてフタを開けたら、大惨敗。



さて、今回の都議選で特筆すべきは、既に電話で都内の友人に頼んだら、

「断られた」人が実に多いことである。

行く前からこんな感触なのは、初めてだと言っている人がたくさんいる。

幹部には言いづらいから黙っている。










 

禅定解脱題目三昧

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 6月 4日(日)19時11分30秒
  南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。都議選まで一か月を切りました!  

法華私記縁起 8(完)

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月 4日(日)18時30分35秒
  玄文各十卷。

玄と文と、おのおの十巻なり。

『法華玄義』と『法華文句』とのそれぞれ十巻となす。



或以經論誠言符此深妙或標諸師異解驗彼非圓

あるいは経論の誠言をもって、この深妙に符し、あるいは諸師の異解を標して、かの円にあらざることを験す。

二経のうち、『法華玄義』をまとめるときは、
いろいろな経典や論書のなかから引用した仏が説いた真実のことばと、
智顗が説く深妙、すなわち、現前に展開する不可思議の現実世界をそのまま直視し、
不可思議の現実世界を、現実の事実のままに真実と観る「諸法実相」の理に基づいた、
五重玄義による「妙」の解釈とが、割り符がぴったり符合するように符合し、
「妙」なる一乗に逢着し一仏乗に帰着することを明かした。

『法華文句』をまとめるときは、
智顗の時代に至るいろいろな先駆者による、さまざまな『法華経』の解釈を引用して、
それらの解釈が、それぞれがそれぞれの立場をたもちながら、互いに融け合ってさまたげることのない、
円満で融通無礙、純円独妙の「三諦三観」の観心釈による三諦円融の「円」ではないことを、具体的に指摘して検証していった。



後代行者。知甘露門之在茲。

後代の行者、甘露の門、ここにあることを知らん。

後世の修行者が、大師の教えに従って仏道を求めようとするとき、
大師が説く肝心要の「三諦三観」の教えを修行実践することによって、
現前に現象する不可思議の現実世界の一切の事実は、
現実の事実のままに真実であるとする「諸法実相」の理と、
理の上に立つ純円独妙の一仏乗という、不死の楽である甘露に相当する素晴らしい仏の教えが
『法華玄義』と『法華文句』にあることを知るであろう。
 

都議選応援に行くものは南無妙法蓮華経如来の眷属である!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 6月 4日(日)18時30分21秒
  組織から言われるがままに都議選応援に行くものは南無妙法蓮華経如来の眷属である!との大号令が壮年部内に轟きわたりました!南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。広宣の有志よ、出でよ!南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。  

楊門女将 11,12/12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月 4日(日)18時25分8秒
 




<動画のあらすじ>

兵士らが必死で桟道を探すが見つからない。

と、そこに通りかかった老人。最初は口がきけないふりを装っていたが、
穆桂英が楊宗保の妻と知り、桟道へ案内する。

穆桂英軍は、老人に案内された桟道から西夏軍の砦を奇襲。

佘太君元帥率いる本軍との挟み撃ちで、激闘の末、西夏軍を撃退する。

戦勝の喜びに凱歌をあげる楊門女将たち。
 

(無題)

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 6月 4日(日)18時04分46秒
  言われてます↓  安倍自公政権について、今まで「自分の意見」がなかった方々に、御参考まで。


安倍自公内閣は女性の敵
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52176427.html
2017年06月04日 「ジャーナリスト同盟」通信



都議選応援にはるばる行って、いかがでしたか?






 

連投すみません

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 6月 4日(日)17時35分31秒
  弟子の道は「求道と報恩」と先生は教えてくださっています
自分は求道と報恩は両輪と考えていました

しかし、違うように思いました
求道という大樹に報恩という花が咲くように思いました
 

悩み、考え、祈り抜く

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 6月 4日(日)17時28分3秒
  先日、ジョーカー様が教えて下さった言葉、
再三、思索させて頂いています

どうしたら、学会が先生直結の民衆の幸福に尽くす団体になるか?
そもそも先生の考えておられる理想の組織とは?

悩み、考え、祈り抜く、今のこの瞬間が実は
「須弥山に近づく」時なんだと思いました
もどかしい思いでいましたが、
そうではなく、今のこの時がそんな素晴らしい時なのだと思いました

須弥山に近づく努力を最大限していきます
ありがとうございました
 

新・人間革命に学ぶ第3巻

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 6月 4日(日)16時31分40秒
編集済
  …………ガンジーの非暴力【理想と現実】……………………

「悪に屈服するな!」「悪に協力するな!」ーーーー独立運動の先頭には、常にガンジーの痩身があった。
        ☆☆☆☆☆

ガンジーにとって、非暴力は、単なる手段や戦術ではなかった。人間の真理そのものであり、全人生を貫く信念であった。
「非暴力は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である」

ガンジーは、民衆の心の中に「筋金」を入れたのである。インドの独立といっても、民衆自身の「精神の独立」なくしては、真の独立とはいえないからだ。

彼は、何よりも民衆の心に染みついた「恐怖」を追い払った。民衆が毅然と顔を上げ、背筋をぴんと伸ばした時、民衆の上に君臨する、傲慢な権力者は転げ落ちていかざるをえない。
         ☆☆
「恐れるな!」ーー遥かな昔、かの釈尊はこう説いた。今、ガンジーもまた、民衆よ、恐れるな!」と叫んだのである。その叫びに、民衆は立ち上がった。
         ☆☆☆☆☆

「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界ない』と語っている。
戸田先生も、『地球上から、”悲惨”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。

そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
ガンジーが行った民衆運動は、それまで、誰もやったことのない闘争であった。だから、『出来るわけがない』『不可能た』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と・・・・。

広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。
まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。
歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」

同行の幹部は、ただ黙って聞いていた。この時、皆が伸一の言葉の真意を、どこまで理解したかは定かではない。しかし、彼はこの時、一個の人間として、ガンジーの"魂の火"を永遠に消してはならぬと、深く心に誓っていたのである。

……………「新・人間革命」第3巻 月氏の章p116~……………

前川氏や詩織さんなど、堂々と顔を上げて真実を語り始めた方々に心から敬意を表しつつ、仏法者として、池田先生の弟子として、バカにされても、軽蔑されても、怖れなく人権擁護、絶対平和の信念を語れる自分でありたいと決意を新にしています。

しかしなんという情報難民の多さでしょうか?
ネットを見ない人びとは、ほとんど安倍政治の詳しい事情を知りません。


 

東京土産に

 投稿者:正義  投稿日:2017年 6月 4日(日)16時23分54秒
  実名告発 創価学会 アマゾンより新中古で送料込みで1250円に下がってます
東京のお土産にいかがでしょう? 地方発送料金も込みです。
まだお読みになるチャンスがない方にお勧めです。
 

御本尊への大確信

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 6月 4日(日)15時57分51秒
編集済
  質問集を読むと御本尊に対する戸田先生の大確信に感動します

病気が治ると言われ信心した
しかし、治らない
と言う人に
病気も直せない御本尊を渡していない!
しっかり信心しなさい
必ず治る
と言われている箇所がありました
(記憶ベースですみません)

創価学会が目指すもの
それは御本尊に祈り幸福になること
人に御本尊を賛嘆して、宿命転換して幸福になること

ここで多くの方が
「組織信仰」と言われていますが
確かに、最近の学会は
御本尊の凄さよりも
新聞啓蒙、支援活動の功徳話ばかりになっています
それはまさに
「組織信仰」ですね

自分は御本尊と池田先生を信じる信仰をして行きたい
それが「正しい信仰」だと思います
御本尊に祈り、境智冥合して功徳が出ると戸田先生は言われています

少しでも会員のため、世の為、人の為になって行きたい
それが、池田先生の求められる弟子の姿勢だと思います
ので、他事で時間、お金、エネルギーを使っている場合ではない
「少年老い易く、学なり難し」
御本尊の素晴らしさ、先生の素晴らしいを満喫していく人生を送りたいと思っています
 

思うんですⅥ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 4日(日)13時33分50秒
   思うんです。

 人は、現実の中で生きています。もし、理想を捨て去ってしまえば、現実は、より現実の方に引き寄せられます。理想を保ち続けることの重大さがそこにありはしないでしょうか。理想を捨てた方が心の負担は少ない。だから、理想と現実の狭間にある“苦しみ”が、実は、理想を持ち続けることの実質なのだと思います。

 理想と現実のその狭間で、人は苦しみ喘ぎます。持ち合わせている手元の「徳」という“財産”によって、その狭間の度合いは違います。どうやら狭間の違いが認識の違いなのですから、その違いの大小を引き並べていても、それを見聞きする人には、どうでもいい、ということにはならないでしょうか。どうしても他人ごとになってしまう。

 例えば、法華経は迹門と本門には厳格な区別があります。“本門”というくらいですから、本門が大切なことは誰でもわかるります。迹門と本門のあと先と考えると、前者を後者が抱き込んでいるのが通常だからでしょう。大枠から見れば、前者の一切、あるいは大部分が後者に収まっているのが普通だからです(※注1)。

 ですが、必ずしもそれだけではないようです。本門より劣るからと言って、その迹門を、そのまま捨て去っていいというものでもないというのです。法華経以前の爾前教に対しても同じです。迹門には成仏の根本法門がないからと言って、ただひたすら本門だけに心を入れる人は、まだまだ大聖人の本意を知らない人だとまでいうのです。そういうのを「もってのほかの僻みの見方」だとまで仰せです(※注2)。

 一体、どっちなんだ、ということです。
 理想は、それに近づけば遠ざかり、その遠ざかった理想に近づけば、また遠ざかるというもののようです。結局、理想も捨てず、現実も無視せず、その狭間で、結果的に“苦しむ”ことが、生きた人間の「証(あかし)」だということが言えないでしょうか。そして、そこでもなお、「理想」に向かっているのかどうかが問われています。「自我」を乗り越えたり、「他」を受けいるということは、苦しみだということでしょうか。

 だから、きっと、「自我」をこじ開けて「他」を浮かばせる処に“平等大慧”というのはあるのでしょう。


 (注1)「以円為即とは一念三千なり妙と即とは同じ物なり 一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり 円とは諸法実相なり、円とは釈に云く円を円融円満に名くと 円融は迹門 円満は本門なり=略=口(くにがまえ)は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり」(御義口伝714㌻)

 (注2)「一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり、今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以(もっ)ての外(ほか)の僻見(びゃっけん)なり」(四菩薩造立抄989㌻)


 ※今日のまなこさんの「二十一世紀への対話」と、蘭夢さんの投稿は示唆に富みますね。感嘆、感嘆です。



 

仏と魔について

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 6月 4日(日)13時10分56秒
  恐らくは、「元本の無明」と「元本の法性」あたりを調べると答えが見つかるかも知れませんね。

求めている答えには、なりませんが、参考程度に、独り言。

仏とは悟った人を意味する言葉だが
仏と魔と対比して語るならば

概念としての「仏」と「魔」ということになるだろうか

昔、この世界は第6天の魔王の所領であると学んだ。

当時の僕は驚いたものだ。

だって、世界は、魔王の支配する世界だというのだから。
その世界の住人は、つまり、魔王の眷属、魔民ということになるからね。

ところで、「魔」の本質とは何かというと「奪命」というもの。

他者から命を奪うもの。

僕たち、生きる為には、食べなくてはならない。
食べるということは、基本的な生命維持活動、それを止めれば死に至る。
「弱肉強食」、自然の哲理は、容赦なく「奪命」という原罪というべき十字架を背負わせている。
どんなきれいごとを並べても、今、生きている、それは多数の生命を「奪命」した結果。

ちなみに、この考え方は、既に、「奪」が根底にある考え方であることがわかるだろうか。
(逆の考え方とは、恵みであると感謝する。奪うのではなく、生かされている。愛されているという考え方)

常に、何かに飢えて、欲し、その為に奪い、それゆえに、また、苦しむ。
「魔」の本質は「奪命」というより、さらに突き詰めれば、エネルギーの枯渇状態ともいえる。

大聖人は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」とおっしゃっているが

闇に凍え、必死に温かさを求め、光を求め、苦しみ喘いでいる生命、それが本当の魔というものの正体。

だから、他者の光を奪おうとする。他者のエネルギーを奪おうとする。

魔が、仏を嫌うのは、動物の世界を観れば、わかるだろう。

獲物を狙う時、弱った者を餌として狙う。強き者を襲わない。
だから、仏という強きものに成長すれば、獲物として襲うことはできない。だからこそ、その成長を妨げようとする。

これが魔というものの働き。

魔というものは、悪い奴のように語られるけれど、確かに「奪命」という働きであるけれど
それは、「元品の無明」、かわいそうなぐらい枯れてしまった生命の状態でもある。
自身の生命の中で、生命エネルギーを生産できない状態、というより、生産方法を忘れちまった状態かな。
生産できないからエネルギー枯渇して、他者から奪わなくては生きていけなくなる。

ちなみに、今のは生命状態の話なので、無意識化での働きのこと。それが具体的な意識として展開、行動へと顕現化すると
まぁ、見本が、今、「失効部」、とか、たくさんいるようだけれど、あのような状態かな。
精神面での顕在化は、「嫉妬」という言葉に代表されるような意識が顕在化してくる。

もっと簡単に例えると、どうなるかな・・・。

仏とは、悟り。魔とは、迷い。
仏とはエネルギー満タン。魔とはエネルギー枯渇のカスカス。
仏とは無限、魔とは有限。
仏とは和合、魔とは分裂。
仏とは宇宙と共鳴、魔とは自我に孤立

ということになるかなぁ。

エネルギー満タンというのは、少し変かも知れない。
良い例が浮かばないが

AC電源直結のパソコンが「仏」なら、バッテリー切れノートパソコンで、他の機器のバッテリーを奪おうとするのが「魔」。

余計に意味不明か・・・

AC電源直結に例えたのは、解決方法への誘導の意味があって、

生命エネルギー枯渇が原因であれば

その枯渇を何とかすればよいわけで、では、なぜ生命エネルギー枯渇しているのか

生命エネルギー生産方法を忘れているのが原因。

で、この生命エネルギー生産方法というのが、仏界の生命を開くということ。

僕の良く使う言葉でいうと「胸中の御本尊」を開くということ。

御本尊直結、大聖人直結というのは、正にAC電源直結ということが言いたいんだけど・・・

地球上での生命の進化、生物の進化を考える時、ちょっと理科の時間ぽくなるけど

細胞内のミトコンドリアというものが、よく似ていると思っている。

生物を構成する細胞内にミトコンドリアというものがありますが

これは、その生物本体のDNAとは異なる独自のDNAを持つ細胞小器官です。

Wikiによれば
ヒトにおいては、肝臓、腎臓、筋肉、脳などの代謝の活発な細胞に数百、数千個のミトコンドリアが存在し、細胞質の約40%を占めている。
平均では1細胞中に300-400個のミトコンドリアが存在し、全身で体重の10%を占めている

だそうです。

で、このミトコンドリアというのは細胞内でどんな役割をしているかというと、細胞の様々な活動のエネルギー供給をしています。
ミトコンドリアのATPの産生があるからこそ細胞はエネルギーを得て、活動できる。
生きることができているわけです。

おもしろいのが、生物進化の過程で、生物は、その活動エネルギー獲得の為に異なるDNAを持つミトコンドリアを自身に取り込んだという学説があります。

ほほぅ、似ている。僕は、そう思いました。

生物次元での劇的進化の要因がミトコンドリアという異なるDNA器官の取り込みであるならば

精神次元での劇的進化、それこそが仏界の生命だと。

自己の生命を観ると、そこには、自身の9界の生命と、明らかに異なる師匠という仏の生命が共存しており、共鳴現象している。
師匠の生命からは、限りなくエネルギーが供給され、まるで太陽のように輝き、自身の9界の生命は、癒され、満たされている。

異なるものだけれど、それは、僕というひとつの生命内に存在し共鳴し、エネルギーを発生させている。

生物進化で、私達はミトコンドリアというエネルギーを得て、人という形まで生物学上進化した。

今、精神というスピリチュアルの進化として、仏界というエネルギーを得て、人は、さらなる進化を遂げようとしている。

遅れていた人類の精神性での進化が、始まろうとしている。異なるDNA、仏界という生命、その無限ともいえるエネルギーによって。

こうなってくると、人類というもの、神々の計画というもの、大きな大きな、壮大な流れが見えてこないだろうか。

全ては、慈悲であり、すべては意味があり、そして壮大な流れ、息吹を感じないか。

素晴らしい。そして感謝の心に満たされないか。

僕は、ワクワクして、感動している。

ちなみにミトコンドリアって何、わからーんという方。
昔の映画だけど、『パラサイト・イヴ』というのをレンタルで借りて見たら少しイメージわかるかも。
1997年の映画、三上博史、葉月里緒奈がキャストだったかな。
 

二十一世紀への対話 65

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 6月 4日(日)11時51分54秒
  【池田】 科学は、その限界のゆえに、その対象物にそなわっている独自の特性、たとえば定量化したり普遍化することのできない面を、どうしても捨象しがちです。とくに人間を対象とする場合、精神の独自の働きや、感情、意識といった微妙な性質等が排除されてしまいますね。

【トインビー】 科学は従来、諸現象の特性のうち、人間にとって技術上の目的を除いたあらゆる目的のために、最も重要なものを無視してきました。そして、そのかぎりでは成功を収めています。ところが、技術以外の目的にあっては、質的な印象を量的な概念に置き換えて表わすことは、人間の知性や審美眼を貧しくすることになります。つまり、音響学とか光学とかの科学によって量的に変形された音や色よりも、実際にこの耳で聞く音色、この目に映る色彩のほうが、われわれにとってより意義深く、より心を満たしてくれるものであるわけです。

【池田】 科学においては、対象はすべて“物質化”されてしまいます。とくに生命体は、物理的側面はほんの一面であるにもかかわらず、物質的な面だけが重視される結果、その精神的側面のもっている独自性は見失われ、抽象化、普遍化された生命一般という概念のなかに埋没してしまいます。つまり、科学的思考法は、本来、生命の物質化という働きを、その思考過程のなかに含んでいると考えざるをえません。

【トインビー】 ある人のことを評して「彼はサイファー(記号、とるに足らない人)だ」というとき、それはその人物に対する軽蔑の意を含みます。その意味は、その人物には、人間性に顕著な、重要で貴重な資質が欠けているということです。ところが、科学は文字通り人間をサイファーに変えてしまいます。つまり、人間の精神とか、その精神が関与している心身相関の生命体とかが、科学によって数式で説明されるとき、人間はたんなる記号と化すわけです。さらに、身元力ードとかコンピュータ用力ードには人名の代わりに番号が記載されますが、これも科学が人間を記号化している別の例です。

【池田】 つまり、普遍性を追求する科学を成り立たせようとするならば、個性的な要素、個体の独自性といったものは捨象せざるをえないわけですね。
こうした科学の思考法が、生命軽視の風潮を生み、生きている人間の真実の姿を見失いがちにさせていることは事実です。それは、現代人が、科学のこうした人間を記号化する思考法、個性を捨象する考え方が、あくまで部分的な目的を達成するための手段にしかすぎないことを忘れて、これを絶対視し、目的視していることによると思います。
しかも、人間の記号化、数式化は、人間を手段視するものであって、それは、真理を導き出すための思考の過程では許しても、社会や組織の運営、人間を対象とした実際的行動のうえでは、断じて許してはならないと私は考えます。

【トインビー】 人間は、人間性が喪失される度合いに応じて、操作されやすくなるものです。このことは、戦争が行なわれたとき、初めて発見されたといってよいでしょう。つまり、人間同士が、互いに喧嘩相手でもないのに、命を賭して殺し合うのを納得させるには、厳しい訓練によって催眠術をかけておかなければならないことがわかったのです。この戦争の訓練以外に、人間を他の人間の意志に従わせる方法としては、官僚主義化とコンビュータ化とがあります。
操作とは技術です。操作の対象が人間であろうと、人間以外の生物であろうと、あるいは無生物であろうと、それは変わりありません。そして、技術は定量化によって便利なものとなります。しかも定量化は、その対象物となるものを知的にも美的にも損傷してしまうものでありながら、技術にとってはまことに便利なものであるため、人間以外の自然と人間自身とをともに支配する力を生み出す源泉となっています。このように、科学は、技術による操作という、唯一の実用的な目的のために重要であるにすぎないのです。
科学が、定量化によって、技術のもつ潜在力を増大させるのは、善いことなのでしょうか、それとも悪いことなのでしょうか。本質的には、善悪いずれでもありません。この問題への解答は、場合に応じて出されるべきです。すなわち、科学の与える力を行使する人間自身が、その高められた力を間違いなく善用し、決して悪用しないだけの高い道徳的水準を身につけているかどうか、それによっていまの答えが決まるわけです。

【池田】 お説の通りです。科学それ自体は、善でも悪でもありません。善悪は、それによって得られる力を用いる段階で生じてくるものです。ただ、私は、そうした科学に対する人間の主体的なあり方を確固たるものにするためにも、科学的認識が、物事の把握において、絶対的なものか、それともそれ自体においても限界をもつものなのかの判断が、なされなければならないと考えます。
もし、われわれが、欠陥のあるものを完壁であると思ったら、それを真に生かすことはできません。真に活用できるためには、その長所とともに短所も、正しく認識していくべきでしょう。
仏法では、われわれが対象を認識する力を眼になぞらえて、五種の眼を説いています。すなわち、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼の五つです。肉眼というのは、一般の人間的――生物的な感覚器官の一つである、この眼による認識です。“天”とは本来指導者のいる所をいい、天眼とは、指導者として人の心の動きを読み取る、敏感な察知力と考えていいでしょう。
慧眼というのは、理性によって物事を抽象化し、そこに普遍的な法則を見抜いていく力です。したがって、“科学の眼”は、五眼のなかでは慧眼に含まれるものと考えられます。この科学的理性である慧眼より、さらに深い認識力が、五眼のうちの法眼と仏眼です。 法眼というのは、自身の生命をみがき――仏法では、自己の生命の内奥から、慈悲の一念を湧き出させることを指して、生命をみがくといいます――それを鏡としてあらゆるものを照らし出し、対象物をありのままに見抜く認識力を示しています。仏眼というのは、宇宙生命の脈動する力と宇宙のあらゆる実相を自ら実感するとともに、それを体現し、そのような生命自体によって、人生、社会、宇宙等の諸事象を見抜く、透徹した洞察力を指します。
このように、仏法が五眼という概念を立てる真意は、理性や人間の感覚器官等の奥にある、生命内奥の英知を開き顕わすことにあります。このような法眼や仏眼をみがき、顕現させることが基盤となって初めて、慧眼の働きとしての科学的思考法がもつ“本源的限界”を乗り越え、科学の理性の光をさらに増すことができる、と私は考えています。また、人間の思考法の面からいっても、じつはここに、宗教としての仏法の役割があると思うのです。

【トインビー】 ただいまの、法眼、仏眼というのは、意識的知覚としての肉眼と、心理学的洞察力としての天眼と、理性の働きやそれを用いる科学的方法を含む慧眼の三つを、補い、矯正するものですね。そして、法眼、仏眼とは、慧眼と同じく、たんに物を見るためのものではなく、行動の手段ともなるわけですね。私には、法眼によって湧き出る慈悲というものは、人間性喪失という科学の悪影響に対する解毒剤になるもののように思えます。
 

教学試験の怪説

 投稿者:とりあえず疑問君  投稿日:2017年 6月 4日(日)11時40分49秒
  久しぶりに投稿です。
大白6月号の教学試験の解説はヤバイですね。久遠五百塵点に日蓮大聖人に仏にしてもらった
釈尊が、久遠元初の説明をわざとやめ、いつのまにか、永遠の仏との解釈をし(80ページ)
大聖人が釈尊から末法弘通の付属を受けた上行菩薩にあたると、何度も菩薩を強調します。(86、87ページ)また、久遠の仏であるという本地を明かした釈尊が久遠の弟子である地涌の菩薩を
呼び出し・・・託す。(97ページ)
日蓮大聖人を、仏の釈尊の弟子の菩薩との位置づけでの解説でいいのかな。
書いてる人たちは怖くないのかな。こんなに日蓮大聖人を貶めて。
信心がなければ怖くもないか。ははは・・
教学も三代会長教学から、マジ、宮田教学に移ったみたいだね。一闡提は怖いな、なかなか
でないから・・・
 

竜女の誓い様

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時59分40秒
編集済
  どうしても日顕のことを考えてしまいます。
その理由は、義浄房御書の聖教新聞での講義を読んで、当時は日顕上人でしたが、私が日顕書写の御本尊を受持する前後に大切にしまっておいたのを母が捨てるよと言われて、もう講義が見れなくなって残念だ!と思っていました。

池田先生の百六箇抄講義(中断された?)も見れなくなってしまったし、大聖人の御書は時と共に難を呼び起こしていくものだというのが私の感じていることです。

竜女の誓い様は大切にされているものと思います。
(正月曼荼羅でしょうか?宗門は必ず日蓮大聖人のお生まれ変わりだと言ってくると思います。前もって書いておいた方が用心の為にいいかと思いました。元日認めの御本尊は同じ昭和41年でも、7日付けの大きな御本尊と少し違います。7日付けのは少し大きいのか?南無妙法蓮華経のお文字がずれていると思います。)

ただ、お寺に行かれた人(別れた後に私の身内から聞いて知った。)から直接言われてしまったのは、御本尊の話しです。学会が御本尊を変えろと言うので離れたきらいがあります。
そんな時に寺に行かれた人から御本尊を変えなくてもいいからと誘いを受けた可能性があります。
副○○長になるまでは聖教新聞で苦労したと言っていましたから、その束縛に耐えられなかったのでしょうか?
長になったら今度は自分が下の役職の人に言わないといけませんから。
そう聞いたわけではないので、私の所感だけです。
(私が聞いたのは6部とかの部数購読と、御本尊の力の話しです。その力の話しが私が一番聞きたくなかったことです。記憶の中に残ってしまいました・・・。)

人に絶対にそんなことを言ってはいけないのだと思います。
寺に行くとどうしてもそのようなことばかり言われてしまい、他の人まで先導してしまうのだと思います・・・。
 

さぁ!!

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時44分30秒
  今日も1日、元気に参りましょう!

私のFight  songです。


また同じロンドンで悲惨な事件ですか…


https://youtu.be/SXiSVQZLje8  (Ariana Grande--Side to Side ft.Nicki Minaj)
 

蘭夢様、メッセージありがとうございます、そして同感です

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時43分29秒
編集済
  広宣流布をはばむ魔の正体、今度は創価学会の中に
生まれてきたわけですね。




蘭夢様、メッセージありがとうございます、そして同感です


”僕の考え方は、今の失効部にしろ、世界の状態にしろ、法華経の通りであり大きな変革の前兆だという捉え方です。暗い現実で未来が閉ざされたように見えますが人類の悪しき宿業を絶つためには、大悪からの反転による大善でないと大きな反転はできません。大悪が大きければ大きいほど、その反転もまた、さらなる極善となる。私達は、今、凄い時に生きているんですよ。”


まったく同感です。
何も迷ったり、悩んだり、考え込む必要はありません。
戸田城聖先生の”「絶対的幸福」は弘安2年10月12日の大御本尊を受持し、信じて、南無妙法蓮華経と唱えればいい。”という言葉を信じれば、願いはかない、悩みや苦しみから救われることまちがいなしです。


必ず、地獄、餓鬼、修羅の境涯が唱題の瞬間に仏界が心にあらわれることによって、やがては仏界の境涯に変わっていくことでしょう。

戸田先生が今いらっしゃったら、何とおっしゃるでしょうか。

きみたち、先生が絶対に大御本尊様に唱題するだけで、絶対に幸せになると言ってるのだから、信じなきゃだめだぞ。創価学会の会員ならば。

創価学会の会則変更、教義の変更、馬鹿なことをいっちゃいけない。疑い、迷いを生み出すものは魔にきまってるだろ。喜んでその魔を大御本尊のちからで打ち砕き、広宣流布をすすめるのがあたりまえだろ。「我、地涌の菩薩なり」との確信だよ。

こんな感じでしょうか。勝手に書いてしまいました。すみません。

戸田先生のお言葉を信じ、本来の創価学会の役割にもどり、近い将来、日蓮正宗真創価学会が誕生して、同じ題目をとなえる人たちが協力して悩める人、苦しむ人を救う本当の世界広宣流布がはじまることでしょう。

100年、200年先の人たちに伝えるべきことは、戸田先生の獄中の悟達、
つまり「我、地涌の菩薩なり」との確信です。

 

史人様へ。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時29分22秒
  「日顕は確かに仏法者としては良くないけど、同じ御本尊を持っているから地獄に落ちろ、とか、死んでしまえなどと祈っていけないんだ」

と父に言われながら育ったの、思い出しました。
まぁ、過去のスキャンダルを認めず相手女性にも可哀想な思いですが、結局、仏法者、法主としてよろしくなかっただけのことですからね…内輪揉めがどうたら、とか関係ないし。

案の定前にも述べましたが我が家の御本尊様は日達法主の認められた御本尊様ですから。
同じ御本尊様でなくともいいかもしれませんが和解はしてもいいのではないでしょうか。
 

虹と創価家族様へ。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時16分52秒
  私も、原田さんは真面目に先生にお仕えしていた方だと伺っていただけに、この度のことは残念に思えますね…

まあ、きっと他結託してるのが、いかに自分を追い落そうかと企んでるのが分かってるからある種自己保身でもありますねー。
 

おはようございます。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時12分10秒
  今朝ほんの少しだけ、フジの新報道2001見てました。

自民は小野寺五典氏、民進は野田佳彦氏、共産は小池晃氏でした。
(もうこの時点で自民はディベート能力に関して詰んでるんですが笑)


他、北川正恭氏、片山善弘氏ですね。自民一人「文科省の担当者がないって言ってたから来た(呆)」との一点張り…

そこを、他野党二人、「そうじゃなくちゃんと真相を究明する姿勢を見せろ。もうたくさん文書は流出している」と


…自民のあまりにも見苦しい、幼稚な答弁に、呆れを通り越して笑ってしまいましたwwww
情けないけど、曲がりなりにもこいつら選んだの私達有権者ですからね。。。
政治を見ればその国の人の国民性が分かるとはいうけど………(笑)
 

日顕に求めて欲しいこと・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月 4日(日)09時33分14秒
編集済
  長い間時が来るのを待っていましたが、日顕のことが出ていたので書き出す時を得ました。

日顕は信仰心を失ってしまった・・・。
それは何故か!?
お題目をあげても一つもいいことがないと思っていたからです。
だからこそ、人にはあまり題目をあげさせくたくないと思っている。

自身が自分がどんな存在か、自分の中から生み出されるものは何かという仏法者としては根源的な気持ちが薄れてしまったとしか思えない。
とはいえ、もうご高齢でもあり、御本尊に歓喜すること、自分の中から歓喜の生命を生み出していこうという気持ちもあまりないと思われる・・・。
ただ一つの救いは南無妙法蓮華経のお題目を知っているということです。

会社社会の中で、ある時自分にはこれ以上勤められない、自分の出勤への無断欠勤、無線機での呼び出しにも応じない、挙句の果てにやめる旨を伝えてから給料を受け取りにいくと、お前は人間やないぞと言われました。

その欠勤というのが朝起きられず、その恥ずかしさから無線にも応じず、勝手に仕事だけをやった後にそのまま会社に出向かずに家に引きこもってしまった。
それで会社の人が3人で心配して訪ねてこられて家の鍵を開けっ放しにしている状態で御本尊を見て、創価学会やったんかと言われました。
その時私はわざと鍵をかけないで出かけていました。

根本的に精神的な恥ずかしさの束縛から離れられない、それが人間の性です。
自分の意思だけではどうにもならない精神の世界、それを解決する道がこの仏法にはある筈ですが、その答えが見つからないまま、それから17年くらいの時が経ってようやく、人間の体の中にそれを解決する答えがあることを知りました。
それでも人間は御本尊に対して義務的な気持ちを捨てることが出来ない。

その結果、また自分の精神の脆弱性に蝕まれてしまいます。
それはお題目での修行が極めて困難であって、日顕のような教学を重ねてきた人でもそのお題目の難しさに耐え切れなかったということです。

それは単に世間的な欲望に負けたということが原因ではなくて、戸田先生の「人間の不幸は、一切の苦悩の原因が自分の中にあるのに、それが外にあると思い違いしていることにある。倒産、失業、病気、貧乏、離婚、事故のような不幸な現象は、その人の生命の中にもともと苦しみ悩む傾向があって、それが現象として現れているに過ぎない。その根本を変えなくては本当の解決にはならないのだよ。そして苦悩する生命とは別に、一切を喜びに変えていける力強い大歓喜の命が自分にもあることを信じて、それを引き出すことが出来たら後はもう、しめたものだ。結局、幸せも不幸も外ではなく自分の中にあるのだ。」という言葉をいつも勤行の後に読んで確かめ続けている私にも言えることです。

人間の持つ可能性や欲望、それらを超えた歓喜の人間社会を実現することと、それを引き出す方途を見出すのが私の生きる目的でもあります。
なので、本当に日顕に真に仏法の道を真摯に求めて欲しいという願いがあります。同じ人間だからです。


後記:
日顕には厳父のような戸田先生の叱咤する声が今も聞こえているだろうか?
いつも叱ってくれていたのは戸田先生だけだった筈・・・。
 

わが友に贈る 2017年6月4日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 6月 4日(日)08時05分21秒
  仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標のや達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!
 

dekahappyさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時31分54秒
  dekahappyさん

 ご賛同、ありがとうございます。ドラ・デカハッピーです。


 

日蓮仏法2.0様、誠にありがとうございました。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時16分42秒
編集済
  >「法華経の智慧」は1990年代後半。徐々に多様な観点を導入して新しい方向を目指していたというのが、私の分析です。<

重要な視点ですね。
参加された教学部長の方にお聞きしましたが、法華経の智慧は「教学を民衆の手に取り戻すために池田先生が行われた」のです。
日蓮仏法が民衆仏法であるための視点が法華経の智慧だと思います。
法華経の智慧の方向性が、21世紀の民衆教学のあるべき姿なのです。

>もう一つ最も重要な問題は、組織と人間のレベルでの「信頼」ではないでしょうか。先生に、組織に対して信頼関係があった時期には、誰もが喜んで組織のため、広宣流布のためと身を挺して尽くしました。同志の間の絆も強力だった。先生がお元気の頃は、個性の強い人たちがどこでもかなり自由に持論を展開して議論していました。組織内でも桜梅桃李の地涌の菩薩であることが許容されていたので、楽しかった。多少の教義上の変更があっても、組織的に滅茶滅茶でも、先生への信頼と同志の間の結束があった。そして「御本尊に唱題する」信仰実践は不変なので、そこには皆が一緒に「幸せになれる宗教」があった。これは虹の戦士様と同じ気持ちです。そうした背景から私もSG・SGIやメンバーが好きで、応援したいと思っています。<

おっしゃる通りです!
池田先生を中心とした、組織内での「信頼」。これこそが、団結の要だったのです。

今は、原田会長を中心とした団結。
女性問題を起こし、会員を査問・処分する原田会長が中心では、団結は壊れてゆきます。

池田先生は、原田氏が会長就任の時に「原田はまじめだから」「原田会長をよろしくたのむよ」「原田会長を中心に」と仰られました。
原田氏が会長就任後に唯一団結出来ていた理由は、原田会長が池田先生の指導通りに創価学会を運営していたからです。
本部幹部会で原田氏が池田先生から叱られていたから、組織を信頼できたのです。
会長という権力をもつ者が叱られているから、組織に生まれる「不信」を払拭できたのではないでしょうか。

しかし、2014年11月の会則改定により、明らかに池田先生の指導と違う方向性に変わってしまったのです。
また度重なる査問と処分!
現場では「最高幹部に魔は入らない」「最高幹部は偉い」「最高幹部を批判する会員は破和合僧」という、訳の分からない事をいう幹部が増える始末!
この原因は、上の幹部が言うから、下の幹部が同じことを言うのです。創価学会は、真面目な上意下達の組織だからです。
池田先生の平和思想とブレる公明党のふるまいにおいては言語道断です!(激怒)
これは明らかに原田会長の運営が、池田先生の指導とブレている証拠です!!
三代会長の築いた創価の軌道とブレてしまったのです。
だからこそ、池田先生の代わりに権力者を諫め、創価学会・公明党を本来あるべき、三代会長の正しい軌道に戻さなければなりません。

我々には声を上げる権利がある!
池田先生がこのように明確に指導されているからです。

~~~~~~~~~~~~

【2006年11月22日全国合同協議会】

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。





 

Twitter(東京新聞政治部)より。家計問題、前川前文科次官のインタビュー記事です。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時10分26秒
  必読です!!
#加計問題 についての #前川喜平 前文科次官のインタビュー詳報です。これを読むと、かなり不正常な形で行政の決断が下されていったと思わざるを得ません。政府側は、きちんとした調査、説明が求められます


 

現実

 投稿者:アダムメール  投稿日:2017年 6月 4日(日)03時56分32秒
編集済
  キリスト教団は、キリストを神の子として位置付けて聖書を作った。イスラム教はムハンマドの教義による神を中心にしている。インドの大乗仏教は天台の思想とジヤイナ教などのインドにある宗教教義をまとめ妙法蓮華教を生み出した。釈迦は、阿含教を説いたが法華経とは関係ないが、インド国内おける有名人であり、大乗教で仏と言う概念を生み出した象徴として釈迦を据えた。インドの宗教学者、多くの宗教、歴史学者の調査による客観的な事実である。キリスト教の神、マホメット、イスラム、日本の神道の神も、法華経の仏も概念であり、実存的証明はない。科学の発達により、排気ガス、および農薬、食品添加物の薬物乱用が、自然環境をゆがめ、アトピーをはじめ多くの病気を生み出し、鶏インフルエンザ、エイズ、エボラウイルスなどの薬物耐性を生み出した。これらは人間の果てしない欲望の産物である。生命の尊厳と言いながら、魚豚牛を日々、自らの手で殺さなくとも美味しく食べている。イカの、鯛の活き作りとは考えてみれば残酷な行為である。ハエ、ゴキブリは害虫としてみなし殺す。人間中心の考えによる害であり、例えウイルスであっても生命であり生きようとしている。大乗仏教では全ての物に仏性があると説いた。石であれ、極悪非道の殺人者であれ。であるならば、日顕にも仏性があるはず。何をもって仏の実存の証明とするか。何をもって魔の実存の証明とするか。人は、買い物をするとき、いくつかの商品と店舗を思い浮かべ比較して決定する。スポーツも比較の世界である。しかしながら、キリスト教の信者、エホバも学会員も宗教全般の理解をもって、実存哲学、構造哲学などの視野の中で正しい、絶対とは主張していない。普遍的とは重力、酸素、光線のように知る、知らない。信じるなどの人間の恣意的な認識を超えた現象であろう。酸素なくしては、温度と、湿度なくしては生物は存在できない。動物を食っている自分は善か悪か。仏か悪魔か。金が欲しい、車が欲しい。家が欲しい。功徳が欲しい。欲望なしでは人間は生きた屍と感じるのも事実である。電気を生み出し、車を生み出し、コンピュウタを生み出して活きている。何をもって仏といい魔というのか。私は尋ねたい。  

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時52分10秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が
健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

♪後から前からどうぞ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時41分24秒
  『実名告発 創価学会』が発売から半年が過ぎ、アマゾン順位を下げているのはやむを得ないが、久しぶりに覗いてみて「~人のお客様がこれが役に立ったと考えています」が凄い数になっているのに驚きました。売れ行き以上の影響がありそうです。

サンダーバードさんがピックアップしてくれていますが、あの「INPSインタビュー」は実際、どうだったと思いますか? インタビュアーは池田先生の肉声を聞いていません。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69911
INPSインタビューは失効部にとって不都合な真実で、これは確かに池田先生の意思でC3POが闘っているのだとの説も伺ったが、それほど不都合でもなく、元職員3名が言うように「変質を誤魔化し、欺く」ように思えて仕方がありませんが、皆さんはどうでしょうか?
好不調の波はあるそうですが、池田先生は快方に向かっているとも聞きます。信濃町の人びとさんリードの題目が効いているのは間違いありません。
2015年3月・学園卒業式で池田先生の肉声を聞かれた方もいらっしゃって、その頃は調子が良かったのかもしれません。となると「2015年9月16日の随筆で池田先生は六大秘法を使っている」ことはやはり事実かもしれません。

元職員ブログ最新号
>本来、弟子であるならば、師匠のありのままのご健康状態を会員同志に伝えるべきではなかろうか。生老病死は、人間に生まれた以上、誰もが通る道である。むろん師匠も生身の人間であり例外ではない。師匠が難しい内容へのご判断ができないご健康状態であるならば、そうはっきり伝えるべきではないだろうか。そして本来、本部執行部は「師匠であればどうされるか」を常に考え、ありのままの等身大の自分達で葛藤しながら組織を運営していくべきである。しかし、それと真逆のことが起こっている。<

には全く同感である。弟子には師匠を心配する「権利(right)」がある。え? 師匠を心配しない弟子??? 最善を尽くさなくて、大切な人を早く死なせて後悔しないのだろうか? 失効部はそれをさせようとしているとしか思えない。

この号では2014年教義・会則変更についても触れらていますが、2002年の小さな変更の時でさえコメントされていた池田先生が簡単に「バイバイ大御本尊・日寛教学」を認められてコメントなしなんて信じられない!!!

6・18サイレント・アピールに参加される方はお気をつけて。都議選直前ですし。そんな日のダイセイドウはまた「裏口」から入らせるのでしょうか?
「裏口」。象徴的ですね。池田先生は常に正面突破でした。また真逆です。
♪後から前からどうぞ
 

(無題)

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時33分53秒
  色々な意味で像法時代に入ったようですね。  

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時51分59秒
  23時より開始です。よろしくお願い致します。  

ノー・ヴァリュース

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時33分40秒
  『徹底検証 日本の右傾化』は図書館予約中で待っているのですが、そんなことが書かれているのですか! えらいキツイですね! よく言うてくれましたね!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69917
【現在進行形の平和人権抑圧翼賛の公明党と思想的淵源の乖離を「『池田先生の平和・人権思想』が、“創価学会八二七万世帯の信者一人一人に内面化されていなかった”ことも証明】
【平和思想は「内面化」されてなかったし、池田会長の個人の見解】

えらいキツイですね! これを聞いて怒れない学会員は情けないですね。愚かにも池田先生について行っていたつもりが実は提婆達多の行進だった!!! ……それは私。
別の宗教をやっていたんですよ。だから広宣流布は後退して当たり前。功徳があった? そう……科学技術が進んだ時代ですからね。ゲタを履かされていると分かりにくくなる。

“ぼくにはあんたが、まだこう思える 価値なし”
“あんたにはそれほど魅力はないよ 価値なしだネ”
“たしかにいろいろ持っているけど なんの価値も”
“あんたがまたどこかに行ってくれれば、ぼくは嬉しい”
“価値なし、なんの価値もない ぜんぜん価値なんてないんだから”
『ノー・ヴァリュース』ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=ruWTZAv3LFk

P.S.ニューリーダー間鹿様
私も聞きたい! それも配慮かも知れませんが、もし良ければ宿坊に公開して下さい。ご検討、よろしくお願いします。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69915
要は「説明不足」なんです。何もかも。それさえ丁寧にされれば何も怖くないのです。
ちなみに学会教学では「法則に則ってプラスの結果が出ることが功徳。逆に法則から外れることによってマイナスの結果が出ることが罰」と説明していました。昔は。
くどいようですが《法則》です。仏“法”は。池田先生の「しかし法は正しい」はガリレオの「それでも地球は回っている」です。
法則から外れたことでマイナスの結果が出る、単純なことが罰です。何かが罰をあてるオドロオドロしい世界ではありません。「ニュートンは嘘つきやぁ~」と言ってビルから飛び降りるとどんな善人でも死んでしまいます。これが罰です。軽くて外骨格の「蟻」はどんな高い所から落ちても死なないそうですが、これも法則ゆえです。たしか『トリビアの泉』で実験をしていました。

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

日蓮仏法2,0様 螺髪様

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時28分11秒
  お二方のご投稿、拝見させて頂き学ばせていただいております。
ありがとうございます。

松戸様の三部作は、1990年頃、創価大学に在学しており、大学の書籍部で購入させて頂きました。
教学の基板とさせて頂いております。ありがとうございます。
ペーパーバックも購入させて頂いて学ばせて頂いているところです。

螺髪様が、『言葉を端折(はしょ)るようになってしまいますが、「意味」として私たちは「御本尊」を「御本尊」としていると言えるのではないでしょうか。「境地冥合」とはその「意味」の合致です。「意味連関」です。ここで大切なのは、というより根幹となるのが「信じるに足る」ということです。私たちは「信」をもって「御本尊」に向かっています。』
とおっしゃられていることに賛同致します。

御本尊の問題は、これから次の世代に引き継ぎがなければならない、私達の世代の責務のように感じております。

私は、全部はしおりますが、御本尊を御本尊としてたらしめているのは、内面の御本尊、仏界として、実体論としての御本尊の問題は、折り合いをつけております。

若き、大聖人の虚空蔵菩薩との、悟達のこと。

出世の本懐、「余は二十七年」聖人御難事のご執筆の日付弘安二年十月一日と大御本尊の弘安二年十月十二日のづれのこと。

まだまだ、位置づけることは様々ございますが、私は私の立場で研鑽して参ります。

ありがとうございます。










 

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