教育費を無償化して、その財源を社会保険料のアップで補う構想を小泉進次郎氏などが推進していますが、

財源は別として、大学までの無償化は必要と思いますか? 

私は、賛成なのですが、皆さんの意見をお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    反対の方が多いように感じますが、

    このまま少子化が進行しますと、当然、大学の淘汰の時代はおのずと進むと思いますが、その過程で、アメリカのように、馬鹿高い授業料の大学ばかりになり、1000万円くらいの奨学金の借金を抱える学生ばかりになります。

    日本の大学進学率は、半分より少し下だったと思いますが、半数は奨学金の借金をしているそうです。

    このままでは、アメリカと同じ事になると思います。 金持ちでないと大学に行けない社会も不幸ですよね。

    そして、馬鹿大学に税金を使うのは抵抗がある、という意見もありますが、

    国力というのは、国民一人ひとりの力の総和でないかと思います。 馬鹿が、少し利口になる事も必要で、その点で、Fランクの大学といえど、やはり必要なのではないでしょうか?

    大学ばかりではなく、国民一人ひとりが、無料か安価で、生涯学習できる仕組みが必要なのでは?

      補足日時:2017/05/28 11:47
  • うーん・・・

    今日のTOP画面に、「ブスに化粧が必要か?」という質問がありましたが、これと同じで、「馬鹿に学問が必要か?」という事ではないか? と、思います。

    私は、全国民の底上げこそ、トータルの国力に繫がると思っていますので、どんな人にも、湯水の如く、学ぶチャンスが無料か廉価である環境が必要と思っていますが、

    意外と、反対されるので、驚いています。

    財源問題を心配されている方が多いですが、日本の教育費の公的支出は、OECD最低レベルですから、決して無茶な要求ではないと思っているのですが・・・

      補足日時:2017/06/04 12:48
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A 回答 (24件中1~10件)

理念のない進次郎みたいなは安倍の舎弟が多すぎの中で


貧困問題を無視して私欲の誘導に走る政治家が自民の問題なんです
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この回答へのお礼

小泉進次郎は、私も好きではありませんが、教育費の無償化は賛成です。

貧乏人の子どもに夢を与えるのでは?

>私欲の誘導に走る政治家が自民の問題なんです

安倍さんは、お友達内閣による、お友達のための政治ですからね。 呆れますね。

お礼日時:2017/06/04 18:57

いらない。

無駄!大学、大学院生は、ホントに賢い人だけで、よい。普通の人間は、早く働くべき。
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この回答へのお礼

大学と言っても色々ですし、本人の希望次第ではないでしょうか?

その選択肢がないケースが問題で、お金のために選べない人生だったら?

お礼日時:2017/06/03 12:48

回答では無いので役に立たないかもしれませんが、話が途中で逸れていませんか。


学費が高いから無償化というのと、本人の勉強の意欲は別の問題ですよね。大学へ行けない理由は親の稼ぎの問題ですから、本人の学習意欲とは別の問題だと思います。学習意欲の無い人の進学支援をするのは無駄というのは文章としては正しくとも(ここだけ切り取れば)、これは別の問題です。親の稼ぎと本人の学習意欲が別の問題だからこそ、勉強しない大学生や、性風俗で働いても学費を稼ぐ大学生の存在が問題になるのでは。
学力格差や勉学意欲と、家が貧しいは別の問題だと思います。大学まで無償化は、家が貧しいに関わる問題じゃ無いですか?

生涯学習できる仕組みについては整備されてきているとは思います。各種社会教育施設や、資格取得の学校などです。
生涯学習には格差社会のセーフティネットとして側面もあります。
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貨幣の廃止すなわち真実の価値への復帰


 現代社会において、人がある個人に置く価値は、しばしばその財産に比例する。作家、画家、発明家、音楽家、研究者に関しても、文無しの者は世間の関心を引くことがない。人は、個人に特有の価値よりも金銭的な価値の方を重んじ、それを強調するものとして「金持ちにしか金を貸さない」という諺がよく引かれる。このことは単に金を貸す場面だけではなく、人の気を引く場面においても全く同様に真実である。天才画家も、かれの絵を通りに並べると誰の気も引かないのに、この同じ画家が著名な画廊に展示すると、世の女性たちを有頂天にさせるのである。音楽家や詩人についても同じことが言える。貨幣の容認は、現代人の目にとって価値を持つ唯一のものなのだ。
 現代の一流画家として認められはじめた私の友人は、かれを掘り出してきた画商が、どのようにしてかれを世に出し、かれの絵を人びとが先を争って非常な高値で買い求めるようにしていったかを、私に説明してくれた。
~
 貨幣が廃止されるとき、画家、音楽家、発明家および研究者は、自分のすきなことを行うことができるようになる。そして、かれらと同時代の、一人の画家の原画を手に入れるチャンスがあるのは、銀行に多くの預金を持つこと以外に何の価値も認めない者たちではなく、画家が描きたかったものに強く心を動かされて、画家の前に姿を現す者たちである。その情熱と感動があまりに大きいので、画家は好意でもって自分の絵をその者たちに与えるのである。そうしたときにこそ、真実の価値が定着するのだ。人はもはや、非常に高価なコレクションで画廊をびっくりさせようとはしなくなる。そしてたくさんの絵画、彫刻、タピストリー(壁掛)を手に入れる人とは、芸術家たちを最も良く評価して理解し、最上の情熱と友情と私心のない激励を芸術家たちに贈った者であろう。個人的な価値への礼賛が、貨幣への礼賛にとって代わるのだ。かれは芸術家たちと同時代に生き、かれらの創作物がうまれるのを目の当たりにする最初の者となるだろう。そして、かれらと生活を共にすることのできるよろこびで打ち震えている信奉者やファンたちと共に、芸術家たちは本当の創作活動を持つであろう。
所有することしかできず、自分自身が画家であろうとは決してしないものたちに、いったい何を教えなければならないというのか!
 貨幣が廃止されるとき、人びとはなぜ「最初の者が最後の者になるであろう」と書かれてきたのかを、本当に理解することであろう。
ラエル著
_


 学生も学生ではありますが、信奉者やファン、年代の垣根を越えていたりもしたりして。正義と感動、大きくできるのかもしれないですね。
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お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>馬鹿は捨てておけ! という事でしょうか?
というよりは、馬鹿に使う費用を賢い人間へ使え、という意味です。

>中国人と競争して、一番最初に椅子を取られるのは、そういう人達ですよね。
残念ながら、既に中国人は日本の賢い人間の椅子(大学院や研究機関の研究員。大企業の正社員)を取り始めており、単純労働者の椅子に見向きもしません。今は南アジア系(インドネシア、インド、等)とアフリカ系で争っています。
>一定の救済処置は必要じゃないか? と、思います。
生活保護制度や社会保険制度、等の福祉制度があるのだから、充分でしょう。

>そういう人達は、元々、学校に行こうとはしないでしょうし、学ぼうともしないでしょうから、無償化の費用も掛からないと思います。
どうして、そう言えるのですか。質問者様は偏差値30代の高校で学ばれた経験があるのですか?。
私を含めて、高校へ行っていた理由は高校進学率が上昇して、中卒では正社員どころか、25歳を過ぎればバイトすら就けなくなるから、仕方なしに行っている(行かせている)だけでした。大学が無償化すれば、そのまま大学へ行くようになるでしょう。

理由は、そうしないと正社員どころか、バイトですら働けなくなるから。欲しいのは「高卒」(無償化なら大卒)という資格で、それ以外に興味はありません。
だから、授業中は喫煙、飲酒、床で寝る、漫画を読む、飯を喰う、などで、誰も教科書やノートを使いません(筆記用具を持って来ない人もいました)。そのような私だって、一応は高卒の資格を持っています。しかし、実際の学力は小学生にも劣るでしょう。
私の級友達の多くが、中学時代は他の子供と別れて特別なクラスに放置されていた経験があります。これは、授業が理解できないと、騒ぐので他の生徒が迷惑しいないように隔離していたものです。彼らは一切勉強せずに卒業して、高卒の資格を手に入れています。
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この回答へのお礼

どうも話が噛み合わないようですね。

小事に拘り過ぎて、大木が作れない状態じゃないでしょうか?

確かに、勉強する気もないのに、嫌々学校に行っている人もいるでしょう。

全然付いて行けないのに、それでも、卒業証書だけが欲しくて、行っている人もいるでしょう。

しかし、そういう人達が、一生そうなのか? と言えば、やはり、歳を重ねるほどに、教育の重要性の理解し、もう一度、学びたいという欲求も出て来るのではないかと思います。

教育を受ける事に、前提条件を付けるのではなく、無条件に、いつでも、どこでも、誰でも、教育を受ける権利があるのが、理想です。

そういう意味では、憲法で保障する方がいいのかも知れませんね。

例えば、国民皆保険制度に、異議を唱える人は少ないと思います。

「お前は、大酒を飲み過ぎたから肝臓を壊したんだ!」「お前は、タバコを吸い過ぎたから肺ガンになったんだ!」 自己責任だから、知った事ではない!

という事にはならないですよね。

教育が、当たり前に受けられる。 水道を捻ると自動的に水が出て来るように、「教育水道論」というのが、理想ではないのか? と、思います。

一種の教育革命なんですよね。

ネット社会になり、誰でもが、手軽に、すぐに、最新情報が得られる事が、当たり前になったように、誰でも、いつでも、何処でも、教育が受けられる。

思い立ったら、いい歳のおじさんでも、中学一年生から、学び直せるような仕組みが必要です。

幸い、幼児教育の重要性から、幼児教育から無償化しましょうという流れになっていますが、それは、非常に良い事と思っています。

幼児から教育する事は、知能指数のアップに繋がりますから、その後の教育も、よりスムーズに進み易いでしょう。

お礼日時:2017/05/30 14:25

教育には多大なお金がかかります。

理想的には無償化かも知れませんが、全員が大学に行く必要はありません。その前に教育制度の改革が必要のように思います。
全ての大学、あるいはかなりの大学が東大型の「研究と教育」を目指した大学になっていますが、①職業的な大学、②教養的な知識と目指した大学、③高度専門職業的な大学、④研究型大学、⑤高度研究型大学などに分類すべきです。
奨学金は、貸与型と非貸与型(実施的に成績優秀者に対する無償)に分類すべきかと思います。
中学卒業程度の能力が不十分な生徒の高校進学、高校卒業程度の能力の不十分な生徒の大学進学、これが現実です。大学の数は多いのですが、私大の中には、大学教育ができず、中学校・高校レベルの復習から始めないとダメともよく聞きます。このような実態を見ると、もしかりに大学無償化を進めるのであれば、成績優秀者を対象にすべきかと思います。
義務教育までは、無償化でよいと思います。高校・大学を無償化する必要は感じません。勉強しない人に国税をムダ使いする必要はないと思います。
それよりも「敗者復活」的な意味合いを加えて、年齢に無関係に高校・大学に再入学しようとする成績優秀者を対象に奨学金を考えるべきでしょう。また就職時の年齢制限を撤廃して中高年者や女性の再就職をしやくすることが必要のように思います。

教育の原則は、教育を受ける権利・機会は均等(平等)にすべきですが、残念ですが、個々の能力は平等ではありません。だれもこの原則は否定できないと思います。
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お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>それなら、85の人間を少しでも引き上げる事が、社会の責任と思いませんか?
思いません。日本社会に個人をそこまで救済する余裕はない、というのが私の考えです。
それに、85の人間は何をしても85です。

>大学で時間的余裕が出来れば、前から遡って学び直す事もできると思います。
無理でしょう。
偏差値30代の高校にいれば実感できますが、最初から知的能力や人生をあきらめている人間は、余裕ができても学び直しません。
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この回答へのお礼

んんん・・・・・

馬鹿は捨てておけ! という事でしょうか?

余裕は、なくはないと思いますが、グローバル社会の中で、中国人と競争して、一番最初に椅子を取られるのは、そういう人達ですよね。

障害者のように庇護されるなら別ですが、自己責任として放置される訳ですから、一定の救済処置は必要じゃないか? と、思います。

適切な一般教養と職業訓練などでしょうか。

>最初から知的能力や人生をあきらめている人間は、余裕ができても学び直しません。

そういう人達は、元々、学校に行こうとはしないでしょうし、学ぼうともしないでしょうから、無償化の費用も掛からないと思います。

お礼日時:2017/05/28 23:08

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>それぞれで特徴がありますよね。
役立たない特徴は沢山あります。
>普通に学んで、普通に働いています。
85の人間が?。85の人間が学び、働く「普通」って何でしょうか?。それは「普通」でなくて、「底辺」や「うんこ」の間違いだと思いますが。


>この人たちが、少しでも、知識を身につける事の何処が意味がないのでしょう?
無償化して大学へ行けば、勝手に知識が身につくのですか?。勉強しようとする意識、何かを学ぼうとする好奇心がなければ、知識を身につける事はできないのではないでしょうか。

推測ですが、質問者様は底辺を引き上げようと考えておられるようですが、当事者である底辺の自分からすれば現状でも過剰すぎると感じています。
小卒や中卒程度の能力しかない人間を高校で学ばせても、教科の内容を理解できる基礎ができていないので、無駄に時間を使ってしまっているだけで、勿体無いです。
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この回答へのお礼

>85の人間が?。85の人間が学び、働く「普通」って何でしょうか?。それは「普通」でなくて、「底辺」や「うんこ」の間違いだと思いますが。<

それでも、健常者とみなされ、最低時給は、企業は払わねばなりません。 企業からすれば、85の人間も、120の人間も同じ健常者としての待遇が要りますよね。

しかし、たぶん、85の人間は、いずれ振り落とされるでしょう。 競争社会ですから。

それなら、85の人間を少しでも引き上げる事が、社会の責任と思いませんか?

>勉強しようとする意識、何かを学ぼうとする好奇心がなければ、知識を身につける事はできないのではないでしょうか。

自らが、まったく学ぼうという意識のない人間であれば、いつまでも、学校に居る訳がありませんので、必然的に、無料化は必要なくなると思いますが・・・

>小卒や中卒程度の能力しかない人間を高校で学ばせても、教科の内容を理解できる基礎ができていないので、無駄に時間を使ってしまっているだけで、勿体無いです。

確かに、高校までは、理解できない人間が、上に上がっても、理解できないまま、余計に訳が分からなくなるという事はあると思いますが、大学で時間的余裕が出来れば、前から遡って学び直す事もできると思います。

私が、そうでしたから・・・

お礼日時:2017/05/28 22:13

補足に対して。



>国力というのは、国民一人ひとりの力の総和でないかと思います。
>Fランクの大学といえど、やはり必要なのではないでしょうか?
違います。国民の中央値が高くなっても、国力は高くなりません。
大学無償化は中央地を高める政策であり、他国に比べて中央地が高い日本なら効果は薄いです。

>金持ちでないと大学に行けない社会も不幸ですよね。
アメリカも優秀であれば、貧しくても大学で研究できますけれど。

それに主張しているのは、学費の無償化であって、生活費や書籍代、聴講費、等は無償化しないのでしょう?。なら、無意味です。
勉強熱心な学生になればなるほど、大学での講義や図書館の蔵書だけに満足できず、海外も含めて専門の書籍を取り寄せたり、他の大学や研究機関の研究者の講演会を聴きに行ったり、と大変に忙しいです。
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この回答へのお礼

>違います。国民の中央値が高くなっても、国力は高くなりません。

この意味がよく分かりません。

人は、それぞれで特徴がありますよね。 健常者と知的障害者の境目は、IQ70~80と言われますが、人は、80の人もいれば、85の人も健常者として、普通に学んで、普通に働いています。

この人たちが、少しでも、知識を身につける事の何処が意味がないのでしょう?

お礼日時:2017/05/28 16:11

>大学ばかりではなく、国民一人ひとりが、無料か安価で、生涯学習できる仕組みが必要なのでは?


通信制でいいのでは?既にありますよ。

あと、前払いで無償にするのは反対。
やるなら各大学で一定以上の成績をおさめた者に、学費を返納するという形がいいです。
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