【コラム】文在寅大統領が許しと和解を語るとき

【コラム】文在寅大統領が許しと和解を語るとき

 1980年の5・18光州民主化運動が、時代の課題として再び浮上した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が5・18記念式に出席し「ヘリコプターからの射撃まで含む発砲の真相と責任を必ず明らかにしたい」と語り、これを「常識と正義の問題」「民主主義の価値を保存する仕事」だとした。演説の前、既に関連の特別法案が国会に提出されていた。名称は「5・18民主化運動当時の戒厳軍の民間人に対するヘリ射撃疑惑等の真相究明のための特別法案」だ。

 5・18が起こってから37年が過ぎた。大統領が語る通り、「真実が隠蔽(いんぺい)され、ねじ曲げられ、弾圧された」時期があった。88年に国会で光州特別委員会がつくられ聴聞会が開かれるまで、8年近くかかった。それから29年間、5・18の真実が権力によって抑圧されたことはない。逆に韓国社会は、司法・政治・歴史のあらゆる面で5・18の真実を探り出し、評価するため努力してきた。短い時間ではなかった。情熱も不足しておらず、費用も惜しまなかった。

 遡及(そきゅう)立法だと物議を醸しつつも、責任者を断罪するため特別法を作ったのは1995年のことだった。翌96年、この法律によって全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領など責任者を法廷に立たせた。全・元大統領には一審で死刑、控訴審・上告審で無期懲役が言い渡された。罪名は内乱首魁(しゅかい)、内乱目的殺人。加害者は憲政の破壊者、被害者は憲政の守護者と見なされた。その時期までが断罪の期間だったとするなら、その後は償いの期間だった。97年に5月18日は国家記念日になり、被害者の遺体は新たに造成された国立墓地に収められた。2002年には、有功者の待遇に関する法律が施行された。韓国現代史において、5・18ほど明白に位置づけられた事件はまれだ。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
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