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東方同人作品 夢想物語〜弐〜 作者:タキ
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暁の宴

東方【夢想物語】〜弐〜
暁の宴篇
稲田

1 嵐の夜

紅に染まる空、幻想郷の西側に位置する巨大な城《紅魔館》。その三階の窓に、一つの小さな光が瞬いた
エレメントクリスタル。魔法使い特有の病を無効化する鉱石だ。赤いダイヤのような輝きを放っている。
赤いリボンで縫われたワンピースを着た水色の髪の小さな少女が、遠い空を見据えて、にっこりと笑った。
紅魔館の主であり、悪魔界の最高司祭でもある少女、レミリア・スカーレットだ。
薄紅の瞳が、遠くにある巨大な壁のようなものを捉えた。
突如、後ろから冷淡な声が響いた。
「レミリア様、準備が整いました。出発の命令を」
藍色と白のエプロンドレスを身にまとった少女だ。
「遅かったじゃない、咲夜。何かあったの?」
鼠色の髪に白いメイドのカチューシャをつけた少女は表情を変えずに、目の前の主を見つめた。
「いえ、特に何もございませんが…………」
「そう…………」
「ただ………………」
「どうしたの?、咲夜。」
「最近になって、博麗の巫女がまた動き出したようです」
その言葉を聞いた途端、レミリアの体がこわばった。
主の異様な動揺に、咲夜は心配するように語りかけた。
「どうかなさいましたか?、レミリア様」
「とうとう動き出したのね、博麗の巫女が…………」
その動揺が何を意味するのかはわからないが、ただならぬ緊迫感が、レミリアと咲夜を包んだのには違いない。
数秒間の沈黙を置き、咲夜は話しを続けた。
「ええ。幻想郷上空付近の妖怪のテリトリーに、高い主力の反応がありました。あれは恐らく、博麗一族のものかと
…………」
レミリアは一筋の汗を流しながら、沈黙した。

***

「真昼の吸血鬼、暁月の空に輝く、英雄となれ…………」
霊夢は昔から読まなくなった本を詰め込んである倉庫から
、偉人名言集の本を引っ張り出した。
表紙は埃にまみれていたが、ページはちゃんと読めた。
その中に、吸血鬼を題材とする名言があったので、興味を持ち、こうして部屋で読み漁っているというわけだ。
最近は、幻想郷にも平和が戻りつつあり、霊夢もこうして
敵を気にすることなく、こうしてダラダラと本が読めているわけだが、例外が一つある。
「おはよう霊夢。朝早いんだな〜」
博麗神社に、魔法使いが住み着いている。
少女は長い金髪を揺らし、眠そうに部屋に入ってきた。
「あら、おはよう魔理沙」
霧雨魔理沙、三ヶ月前、この神社の賽銭箱を盗むという犯行に及び、知り合い、さらには親友にまでになった友。
暴走した霊夢との戦いで受けた傷を完治させた魔理沙は、一つ提案があると、霊夢を床の間に呼び出した。
なんと、この世界に完全な平和が来るまで、自分をこの神社に同居させてほしいと言い放ったのだ。
結局、一発殴ってから、同居を許すことに決めたのだが、いつもは鈍臭い魔理沙が、いざ他人と同居となると、ここまで性格が変わってしまうのかと、霊夢は驚いた。
朝に起きる時間は相変わらず、霊夢より二時間遅い七時三十分だが、そのあとがすごい。庭の掃除を全てしてくれるようになったのだ。これが人間の礼儀の強さかと、納得する。
「ありがとね、魔理沙」
霊夢がそう呟くと、魔理沙は少し照れたように言った。
「な、何言ってんだよ。俺は、ここに同居させてもらえている立場だ。家事を手伝うのは礼儀だ」
「そう……」
霊夢がそう呟いたその時、高い声が耳に届いた。
「た、大変ですー!。三浦村が、崩壊…………」
声主はそこまで言うと、ドスンッと大きな音を立て、霊夢と魔理沙のいる部屋になだれ込んできた。
「…………さ、早苗!?」
そこに倒れこんできたのは、この神社から少し離れた、守矢神社の家主、巫女である東風谷早苗だった。
ここまで全力疾走してきたのか、透き通った緑色の髪は、しおれていた。カエルの可愛い髪飾りに、透明な汗が一滴
滴っていた。
「どうしたのよ…………早苗?」
「み、三浦村が何者かにより、崩壊…………し……」
早苗は何かを伝えようとするが、途中で言葉が途絶えた。
「早苗!?」


「まさか、ただの微熱だったのか……」
魔理沙がやれやれという表情で呟いた。
早苗は熱で倒れたらしい。外を見てみれば、春だというのに、気温は高く、雲の一つもない青空だった。
一時間も眠り続けた早苗は、熱も下がり、もう安全な状態だった。早苗は厳しい表情で霊夢を見ていた。
「で、早苗。三浦村が、何なの?」
三浦村。ここより北に六十キロの小さな村だ。人口は三十人少し少なめだが、みんないい人ばかりだ。
早苗は依然厳しい表情のまま、小さく呟いた。
「三浦村が…………崩壊…………しました」
「「崩壊!?」」
霊夢と魔理沙は、ほぼ同時に叫んだ。
早苗はため息をつき、ひと段落すると、また話し始めた。
「ええ、崩壊しました。何者かが村を制圧して、さらには火矢を放ち、村を焼きました…………。犯人はまだ見つかっていません。この世界で有数の実力をもつお二人に、どうにか対処していただきたいのですが…………」
霊夢は衝撃を受けた。三浦村、みんな優しく、いい人ばかりだったというのに…………。一体、誰がこんなことを。霊夢の脳裏にフツフツと悲しみと怒りがにじみ出る。
そんな霊夢を見越してか、魔理沙が話を再開した。
「早苗。敵の数はわかっていないのか?」
そう尋ねられ、早苗は数秒間沈黙した。
「…………まだ検討はつきませんが、少なくとも、大量の火矢を放っていることから、敵の数は最低でも五百人はあるでしょう」
「五百人!?」
想像を超える数に、霊夢は驚愕の表情を隠せなかった
三十人対五百人、そんな理不尽なこと。
五百人。一人ひとりの戦闘能力はともかく、その数が異常すぎる。敵の数がもう少し少なければ、自分と魔理沙が手を組み、全滅させる事も出切るかもしれないが………。
問題は、敵の数がそれ以上である場合だ。いくら何でも、この地域で五百人をまとめて相手できる人員など、自分と魔理沙を含め、せいぜい、六人くらいだろう。
絶対的苦難に直面しながら、霊夢は早苗を見上げた。
彼女もおそらく察しているのだろう…………。
今、幻想郷が大きな危機に直面している事を。
五百人以上。そんな驚異的に数が多い敵など、霊夢はこれまで一度も遭遇した事がない。
二人の緊張感を感じたのか、魔理沙が言った。
「じゃあ、俺が三浦村辺りを調べてみるか」
「ダメよ魔理沙!」
霊夢は、これまでにない気迫で魔理沙を止めた。
三ヶ月前、魔理沙が妖怪の世界に足を踏み入れた事で、あの悲劇が起こったと言っても過言ではない。
霊夢は不安なのだ。もし魔理沙が三浦村の周辺に行ったとして、もし敵に遭遇し、戦い、傷ついてしまったら。
その先はもう、見えていた。
霊夢は気をしっかりと沈め、今度は小さく言った。
「またあんな事が起きたら、元も子もないでしょ?。ここは少し様子を見て、それから本題に踏み出しましょう」
想定、それだけだった。真面目かつ慎重に生み出したこの提案。この提案が、未来を左右しうるかもしれない。
霊夢は低くため息をつくと、静かに目を閉じた。
やがて、思いつき、目を開いた。
「私が今日の夜、三浦村を見に行く」
霊夢が呟くと、早苗は不安そうにこちらを見た。魔理沙も同様だった。
やがて、我慢しきれないのか、魔理沙が叫んだ。
「待てよ霊夢!。それって結局、私のやってる事と同じじゃないか!。私も一緒に行くぜ」
「その必要は………ない」
「なんでだよ!」
「もちろん、敵を見つけたら、少し揺さぶるだけにする。危険を感じたら、すぐ此処に戻ってくるから、安心して」
「安心出来っこないぜ……。本当に大丈夫だよな?」
ますます、不安げな表情になっていく魔理沙を見て、霊夢はいつもの調子に気持ちを戻し、言う。
「大丈夫!。早苗は此処を動くと危ないから、魔理沙と一緒に神社にいてね。今夜の六時に出発するから」
霊夢がそう言うと、早苗が力ずよく頷いた。
「はい!。留守番はお任せください!」
早苗は右手を胸に叩きつけた。守護者としての自信の表れか…………。
霊夢はそんな早苗をみて微笑すると、身支度を始めるために、自分の居間に向かった。

***

魔理沙は、まだ夕方の五時半だというのに、数多くの星がきらめく満天の空を静かに見つめていた。
結局、自分は霊夢に助けてもらうばかりだ。
三ヶ月前もそうだ。あの時、霊夢が夢想陣剣で妖夢の巨剣を受け止めていなければ、必ず自分は死んでいたと、今では確信できる。
魔理沙は昔から星が好きだった。数年の時の流れでも変わらない景色。星を見ていると、この世界の小ささや、自分のちっぽけさが分かるような気がするのだ。
星を眺めていると、自分のしている事はなんて小さい事なのだろうと、心の中の自分が問いかけるようだった。
そんな事を考えていると、段々、自分の事がどうでもよくなる時が度々ある。結局、この世界は、人々は、ちっぽけな鳥籠で生きているのも当然なのだ。
「でも………少しくらい甘えてもいいよな」
魔理沙は小さく呟くと、目の前に広がる星に手を伸ばした
。そして握りしめる。
暖かい感触が、右手を包み込んだ。

***

霊夢は胸ぐらから霊符を取り出し、詠唱した。
「飛竜転生!滝邪邐!」
霊夢が詠唱を終えると、霊符を金色の光が包んだ。光はそのまま形を変えてゆき、一体の龍とかした。
巨大な飛竜はエメラルド色の翼を風になびかせ、霊夢の目の前を浮遊していた。緑色の瞳が、目の前の主人を見つめている。やがて、数秒の沈黙の後、龍は咆哮を上げた。
クオオオオオオオン!!
鋭い咆哮を上げた滝邪邐は、霊夢の方に近ずいた。
「うお!?」
霊夢の隣にいた魔理沙が、あまりの巨体に驚く。
「大丈夫よ。この子は私の言う事を聞いてくれるから」
霊夢はそう呟くと、巨大な飛竜の頭部を優しく撫でた。
滝邪邐は心地好さそうに鳴くと、翼を羽ばたかせた。
霊夢は滝邪邐の背中に飛び乗り、背中を叩いた。
去り際に隣を見ると、魔理沙が心配そうな目で霊夢を見ていた。心配ないと微笑みながら、霊夢は言った。
「大丈夫。絶対に帰ってくるから……」
霊夢はそう魔理沙に語りかけると、霊夢は巨大な飛竜と共に、雨雲広がる空へと勢いよく飛翔した。
飛んでいくにつれ、魔理沙と早苗の姿は小さくなっていく
。霊夢は最後に小さく微笑むと、目つきを変え、しっかりと前を向いた。
此処から崩壊した三浦村までは、せいぜい六十キロくらいだろう。長年で手なずけた飛竜、滝邪邐の力を借りれば二十分でひとっ飛びだ。
霊夢は考えながら、上に広がる薄暗い空を見上げた。これから雨が降るのか、見える所隅々まで、ドス黒い雨雲によって埋め尽くされている。
わかっている。今回は悪魔で崩壊した三浦村の偵察だ。

博麗神社を離れてから十五分、薄暗い雲から一粒の水滴が
一滴、霊夢の頬に滴り落ちた。
やがて、それはまるでゆっくりと自分の姿を見せるような形で目の前に現れた。
長年間空を見上げてきた霊夢は、この場で直感した。
嵐だ。それも、途轍もなく巨大だ。まるでこの世の全てを飲み込もうとしているかのような、鋭い雷鳴が鳴る。
だが……………………。
これは飛竜にとって、すごくいい環境だ。
飛竜、滝邪邐は、水を司る神龍だ。その動力源はまさしく水であり、今、嵐と共に、雨が降ろうとしている。
水平飛行していた滝邪邐が、目つきを変えた。
クオオオオオオオ!!
滝邪邐は鋭い咆哮を上げると、首を上に持ち上げた。
刹那。上空から、大量の雨水が降り注いだ。
それに感ずいたか、滝邪邐は水を身体に吸収して、飛ぶスピードをさらに上げた 。
数十秒後、切り裂かれた雲の隙間に、一つの村が見えた。
三浦村。数日前までは実在した、今は亡き村だ。この村は何者かの残虐な行為により、火矢を放たれ、活気あふれる街並みを、沈黙の残骸へと変えてしまった。
そんな村に、霊夢と滝邪邐は一心不乱に急降下した。

上から見るとはえらい違いだ。いざ着陸すると、崩壊の悲惨さが改めて分かった。目に見える建物は全て真っ黒に焦げ果て、崩れていた。
霊夢は滝邪邐を霊符に収めて、道無き道を歩いた。
降り出した雨は止むどころか、さらに激しさを増していく
。水に濡れた木の板が、次々に倒れていく。
「………………」
もう帰ろう。そう思い、滝邪邐の霊符を取り出そうとした
、その時………………。
ガサッ…………
すぐ後ろで物音がした。
霊夢はゆっくりと、後ろを振り向く。
水で湿った草木の奥、そこに、ひっそりと佇む人影があった。フードを被っていて、顔立ちは確認できない。
生暖かい緊張感を背に、霊夢は呟いた。
「あなたは…………誰?」
「………………」
そう問いかけてみるが、フードの中から名乗る声は無い。
少しの違和感を覚え、霊夢は沈黙する。
ただの気のせいなのか、黒い人影は一向に動く素振りを見せようとしない。
しかし…………黒い人影は、思わぬ行動に出た。
細長いレイピアを何処からか引き抜き、霊夢に向かって直進した。
「なっ…………!?」
霊夢は咄嗟に、胸ぐらから夢想陣剣の霊符を取り出した。
突然のことだったため、詠唱を省き、心で念じる。
敵が自分に接触するまで三秒。自分が詠唱した霊符から夢想陣剣が引き抜かれるのに、二秒とかからない。
(行ける!)
敵が自分の目と鼻の先にいる。霊夢は二秒で夢想陣剣を右手に構え、しっかりと目の前の敵を見定めた。
ガイーン!!
まだ見えない敵のレイピアと、霊夢の夢想陣剣がぶつかった。衝撃と共に、人間のものとは思えない重さが、剣を伝って両手に伝わる。
「くっ………………重!!」
あまりの力に、両手が悲鳴を上げている。手首が痙攣し、力が抜けていくような感じだ。
でも……………………。
「負けるわけにはいかないのよ!!」
霊夢はそう叫ぶと同時に、夢想陣剣に入れる力を上げた。
それが応えたか、黒フードは剣を弾き、後ろに後退した。
霊夢はニヤリと笑うと、勢いよく地を蹴った。
しかし………………。
体が動くより、感覚がそれに気づいた。
「………………!?」
霊夢の右手首が、紫じみたオーラを発していた。
ジリジリと焼かれるような痛みが、右手に現れる。
予想外の展開に、霊夢は困惑した。
「何よ………………これ」
霊夢は右手の痛みに苦しみながらも、どうにか、痛みに直結する心当たりを探した。
そして、ある些細なことが脳裏に浮かんだ。
敵の右手が、自分の右手にぶつかった…………あの時。
恐ろしいほど有り得ないことに、今、霊夢は直面した。
こいつの体………………何かおかしい!!
しかし霊夢は、その戸惑いは後回しにして、今は目の前の敵に集中することにした。このような状況下、雨も降っていて、右腕の痛みに気を配っている暇は無いと思ったからだ。
今は……………………。
霊夢は夢想陣剣を片手で握り、気を高めた。
イメージの沸騰感と共に、霊夢の体をピンク色の光が包んだ。光は凝縮してゆき、霊夢の周りを停滞している。
博麗一族に伝わる、自己強化術《鴇化翔》だ。
霊夢はこの術に慣れていない。数多くの夢想術を学び、習得してきたが、この術だけは、習得に一年かかった。
だがしかし、今は違う。この感覚………………。
「行けるわ!」
霊夢は夢想陣剣を高々に振り上げ、叫んだ。
この至近距離なら、敵も迂闊に攻撃を仕掛けることはできないだろう。従って敵の行う対抗手段は一つしかない。
武器を使っての防御だ。
運がいいことに、鴇化翔で極限まで強化された夢想陣剣には、切れない物など無いに等しい。
敵の細剣を逆に切り裂き、そのまま敵に一撃を食らわせれば、霊夢が勝つのは当然のことだ。
霊夢は思ったとうりに夢想陣剣を、敵めがけて振り下ろした。
「やああああああああ!!」
土砂降りの雨の中、霊夢は雄叫びを上げた。
霊夢は手に伝わった感覚に気づき、夢想陣剣を確認する。
霊夢の予想通り、夢想陣剣は敵の細剣を軽々と切り裂き、敵の胸に直撃していた。
しかし…………
あらぬ感触とともに、霊夢の脳裏に衝撃が走った。
確かに夢想陣剣が貫いていた敵の胸部の傷が、焦げるような不気味な音を発しながら、みるみると消えていった。
「なんで…………!?」
困惑するのもつかの間、左側面から音もなく、どこから現れたかわからないもう一つの細剣が霊夢を捉えた。当然、回避する間も無く、細剣は霊夢の肩から脇腹を一直線に引き裂いた。
「つっ……ああああああ!!」
予想外の展開と激痛に、霊夢の視界がチカッと弾けた。
早く、体制を立て直さなければ…………。
霊夢の咄嗟の判断とは裏腹に、目の前の黒いローブは細剣を振り上げ、霊夢に迫ってきた。
このままでは、やられてしまう!!。
そう内心で叫んだ、その時、
急に視界が歪み、まるで時間が遅くなったように、周りの景色と、敵の動きが鈍った。
そう思うのもつかの間、今度は霊夢の思考も、途方もない歪みに飲み込まれようとしていた。
ドクン…………!
その鼓動の音が自分のものだと気づくのには、時間がかかった。どこまでも深い闇が霊夢の視界を埋めたからだ。
「これは…………………!」

***

「霊夢さん……大丈夫ですかね?」
博麗神社の窓際、早苗はどこまでも続いていく雨雲を眺めながら、曖昧な表情で呟いた。
「霊夢のことだ。もうすぐ帰ってくるさ」
「だといいんですけど…………」
霊夢が博麗神社を飛び去ってから、一時間が経過した。
実際、魔理沙も霊夢を心配していないわけではない。
三ヶ月前、魔理沙が妖夢に殺されかけた時、霊夢は駆けつけてくれた。醜い自分の命のために。
だが、なんらかの原因で、霊夢はトラウマを思い出し、理性を失い、暴走してしまった。あのまま戦闘が続いていれば、間違いなく自分は死んでいた。それだけは確かだ。
魔理沙は静かに立ち上がり、薄暗い空を見上げた。先ほどより雨の勢いが増した気がするのは、気のせいだろうか。
そんな事を感じながら、魔理沙は自分の胸にかかっていた黄色のペンダントを見やった。
魔法使いにかかると言われる不治の病、鈍病。空気中に浮遊している謎のウイルスを、魔法使いのような免疫力が無い体質の人間が吸い込む事によって発病する、恐ろしい病
。かかると身体がだんだんと鈍のように硬質化して、最後の最後には、介護を必要とするくらいに動けなくなってしまう。その発生源は不明。どこから放たれたのか、それとも自然物なのか、詳細も不明だ。
八年前、初めてその病が発病した。病の餌食になったのは
、魔理沙の母親だった。
今でも夢に見る。名前を呼んでもビクともしない母親、魔理沙は恐怖感を覚えた。それから毎日、魔理沙は父親と協力して、毎日、看病を怠らなかった。いつかきっと、母親は帰ってくる。そう信じたかった。
しかし、二年後、母親は誰も見ていない場所で、ひっそりと息を引き取った。信じていたのに、帰ってくるって。
激しい後悔と、悲しみ、怒りが駆け回った。
そして、怒りの矛先は、父親へと向けられた。
魔理沙が家を出て行ったのは、九歳の頃だったか。

***

八年前。魔理沙は小さい身体を気にせず、毎日、家から遠く離れた寮で魔法の習得、修行を続けた。その思いが、必然なのか偶然なのか、それは今でもわからないが、これだけは言える。
私は、一番になれない不安から逃げ回っていたのだ。
たいして才能も無い。続けても意味が無い。そう他の修道女見習いには言われてきた。それがどうした、そんな闇雲な思いで、全てを押し切ってきた。
しかし、絶対に不安が無かったとは言い切れなかった。
自分には、才能がなくても、自らの力で勝ち取ればいいじゃないか。心の中を、そんな強がりな気持ちで抑えてきたのだ。いつか爆発すると、わかっていながら。
その数ヶ月後、母、魔優里が謎の病にかかったとの訃報が
、魔理沙にも伝わってきた。
「……なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
「悪かった。伝える暇がなくて、遅れた」
なんと、魔優里が病にかかったのは、魔理沙に訃報が届いた二ヶ月前だったのだ。父が何故、母の病を隠していたかはわからないが、怒りとやるせなさが背筋を滑った。

そして二年後、魔理沙はとうとう、家を出た。
父親とは、もう顔も合わせたくない。
これから何処へ向かおうか、それだけが気がかりだった。
とりあえず、寝床を確保できればそれでいいと思った。元々、学生寮のサバイバルの訓練では、地べたに寝る事くらい当たり前だったのだから。
少しずつ足を進めて、魔法の勉強をしよう。
それが今の自分の、最大の目標。誰よりも強い魔法使いになって、村のみんなを見返してやる。
そして、強くなったら………………、
魔理沙は両手をグッと握りしめ、心の中で叫んだ。
私がみんなを、引っ張っていく!。
そのためにはまず、寝床と食料を確保しなければ。
魔理沙のは、鞄から此処周辺の地図を取り出した。そして右上、リーリッド村の表記を目視する。
「此処から一番近いのは、ここか…………」
一番近いと言っても、決して此処から近いわけではない。なにせ、三十キロもある長旅だ。九歳の自分の足で歩くとして、体力は何処まで持つか、心配でならない。
しかし、魔理沙は頭を左右に振ると、しっかりと前を向いた。
考えていても仕方がない。今は、前に進むんだ。


ザッザッザッ………………
物騒に生え広がる草を掻き分けながら、魔理沙は着々と、此処から北西に位置するリーリッド村を目指し、足を運んでいた。幸い、道中に野生の獣に遭遇はせず、ここまでは安心して歩いていたが、自然の摂理、危険はいつ自分に迫るかわからない。昔、父に教わった言葉だ。
一人旅、それなりの防御、攻撃方法は身についている。昔
、母から貰った黄色の宝玉で飾られた魔法の箒、これだけは、片時も離さずに過ごしてきた。今、魔理沙が覚えている魔法は全部で五つ、体力を回復させる魔法もある。これだけあれば、戦闘に苦労することは、まず無いだろう。
問題は、主力がそこを尽きることだ。
主力とは、この世界の人間が持っている、いわゆるイメージの力というものである。これを消費することによって、魔法使いなどの魔法師は、魔法を詠唱する事ができる。
しかし、主力を使う分には、それ相応の副作用がある。頭痛、吐き気、目眩などの症状は、主力がそこを尽きる事によって起こるものだ。しかし、効果の小さい魔法を使う分には、主力の大量消費は無い。
だが、問題はまだある。主力は、歩く事によって、体力と合わせて徐々に減っていくのだ。八歳の魔理沙の体力では
、三十キロも歩くと、相当の主力を損なうはずだ。
なにせ今も、魔理沙の額には汗が滴っているのだ。
歩き始めて三時間、五キロは歩いただろうか。このまま行くと、単純計算で十八時間、今が午前十時だから、ルーリッドの村に着く頃には………………、
「朝の三時!?」
何て事をしでかしてしまったのだ、私は…………。
自分の無能さを責めるうちに、ある閃きが浮かんだ。
「野宿………するか」
覚悟があるわけでは無い。安全な場所をどれだけ早く見つけられるか、食料をどうするか、万が一の戦闘準備はどうするか、やる事は数え切れ無いほどある。
そのためには、まず歩かなければ………………。
その時………………。
ガサッ……と音を出して、すぐ後ろの草むらが左右に揺れた。
嫌な予感を感じながら、魔理沙は恐る恐る振り返った。
「まさか…………まさか…な…………」
頰に、一筋の汗が伝って落ちた。警戒しながら箒を構える
。クマか、あるいは猿か。いずれにしろ、危険な事に違いは無い。そう考えるうちに、忍び寄る物音はどんどん大きくなっていく。
先手必勝。殺られる前に殺れ。そうしなければ、自分の命は無いだろう。魔理沙は箒を構え、攻撃魔法を唱える準備に取り掛かった。ポーチから緑色の液体を取り出し、一気に飲み干した。ほろ苦い味が、口全体に広がる。
魔法を使う戦闘では必須品《魔力供給ポッド》。一時的に魔法を強化する液体だ。これを飲めば、通常の倍は、魔法の力が引き出せる。少し卑怯な手だが、自分の命を守るためだ。これくらいは仕方が無いだろう。
ポッドの中身を飲みきったと同時に、魔理沙の体を、エメラルドグリーンのような、明るい光が包んだ。暖かい温もりが、体の芯から全体へと広がっていく。続いて、みなぎるような力が箒から湧き出てきた。
箒を握る右手に力を入れ、魔理沙は叫んだ。
「これならいける!。どっからでもかかって来い!」
主力のコントロール、やった事が無いわけでは無い。しかし、今回は実戦だ。何が起こるかわからない。
怪我をするのを覚悟の上で、魔理沙は目の前の何かに、正面から突っ込んだ。
「不知火舞百花!。これでも喰らえええ!!」
強く地面を蹴ると同時に、魔理沙は雄叫びを上げた。
狙うべき何かまで、三メートルもない。こうなれば勝算は
、魔理沙にもあり得る。
魔理沙の右手に、赤白い尺炎の炎が出現した。炎は、魔理沙の叫びに応えるように、その形状を変化させ、一体の巨剣へと変貌を遂げた。
地面から飛び上がり,狙うべき目標に矛先を向けた。
しかし魔理沙は、その時点で、自分がとんでもない事をしようとしているのに気がついた。
「人…………!?」
確かに人のシルエットだ。魔理沙は一瞬、魔法を中断するか戸惑ったが、その思考はすぐに焦りへと変わった。
「だめだ!。軌道が修正できない!」
このままでは、罪の無い人間に、怪我をさせてしまうかもしれ無い。いや、もう手遅れだった。目の前の人影は逃げる様子もなく、こちらを見つめてたたずむだけだ。
無理も無い。突然、目の前に自分に向かって攻撃を仕掛ける魔法使いが現れたのだ。その場に立ちすくんでもおかしくはないだろう。
剣の切っ先が人にあたる前に、どうにか伝えなくては。
「おい!早く逃げろ。死んじまうぞ!」
そう叫んでみたものの、人影は一向に動く気配を見せ無い
。さらに、人影はありえない事を言い出した。
「は?何故、私が死ぬのですか?」
一瞬、ムカっときた。此の期に及んで、何を呑気な事を言い出すのか…………。
「春麗澀窳符、急灸如理津令」
「あれは…………!?」
霊符、魔法師……なのか?。
魔理沙の一瞬の思考とは相対して、魔理沙はどんどん人影めがけて急降下していく。もう、自ら矛先をずらすことなど、不可能に等しかった。
魔理沙は目を瞑り、自分に罪がかぶさる瞬間を待った。
しかし次の瞬間、想定していないことが起こった。
バリィィィン!!
ガラスの割れるような音と同時に、何か、硬いものに剣が当たる感触が、手に伝わった。
恐る恐る、魔理沙はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「なっ…………!?」
ベージュ色の長い髪に、灰色の装束を着飾っている謎の男がそこにいた。しかし、魔理沙が驚愕したのはそのことではなかった。
男の指先が、魔理沙の大剣を綺麗に受け止めていた。
「ばっ……馬鹿な!?」
幾ら何でも、子供の身長を軽く超える巨剣を、指二本で受け止めるなど、人間が成せる技ではない……はずだ。
魔理沙の驚愕な思想を、にっこりと微笑んだ男の言葉が遮った。
「ダメですね。全く、主力を制御できてないですよ」
男はそう呟くと、魔理沙の巨剣を受け止めていた二本の指から力を抜いた。当然、魔理沙は重力には逆らえず、そのまま地面に頭から突っ込んでしまった。
素早く頭を抜き出し、男の顔を凝視する。
「なっ、なにすんだよ!お前!」
「それはこっちの台詞ですよ」
「はあ!?」
「ろくに主力も制御できない小童が、何故こんな森をうろついているのですか?」
「はあ!?」
もう我慢できない。せめて一発だけでも…………。
右手拳を握りしめ、目の前の男に、振り殴ろうとした。
その時。ゴスッ!と、どう考えても聞き覚えのない炸裂音と同時に、腹に衝撃が走った。
男の右手が、完全に魔理沙の腹に埋まっていたのだ。
予想外な展開に、魔理沙は痛みも忘れ、叫び飛ばした。
「が、がはっ!。な、何するんだよ!」
「これは失敬。言葉よりも、先に手が出てしまいました」
「お前………、絶対にわざとやってるだろ」
魔理沙が言い返すと、男は頭をかきながら言った。
「さあ、それはどうでしょう」
「…………で、あんたの名前は?」
「人に名を聞く前に、まず自分が名乗ってくださいよ」
チカッ、チカチカッ!。魔理沙の脳裏に、怒りの火花が飛び散った。
「ああ解ったよ!。私は霧雨魔理沙だ!」
「え、魔理沙…………?」
男は、戸惑う仕草を見せると、信じられない事を呟いた。
「あなた……女の子なんですか?」
「は?」
耐え難い風と沈黙が、二人を貫いた。
「いえ、私、てっきり男の子かと…………」
「見りゃ分かるだろ!。私は女だよ!」
一体、なんなのだ、この男は。急に現れては他人の主力に口出しし、さらには腹を殴られ、そして最後には、男に間違えられた。魔理沙は、これほどの屈辱を、人生で初めて味わったかもしれない。
しかし、この男は、普通の人間とは違う。それだけは確かだ。魔理沙の魔法の霊符を使った剣とはいえ、たったの指二本で受け止めてしまうほどの実力の持ち主だ。
魔理沙が女だとわかり、たっぷり数十秒間笑い続けた男は
、魔理沙の苦い視線に気づくと、素の顔に戻った。
「さて、こちらも約束を守りましょうか。私の名は橘藍染。魔法を世界に広めるため、旅をしています」
「魔法を、世界に広める旅…………?」
「そう。この世界には、様々な魔法が存在する。それは、あなたにもわかるでしょう?」
「あ、ああ…………」
この世界には、様々な系統、種類、効果を持つ魔法が無限のように存在している。そして魔法は、自然が生み出すものではなく、人間の手によって産み出されたものだ。
古来の人間は、変わりゆく世界にどう適応していくか、それだけを考えていたという。そう考えるうちに、人々が発明したのが、最初の魔法、《適応能力強化魔法》だ。
そこから魔法の歴史は紡ぎ出され、今に至るわけだ。
魔理沙の真剣な表情を確認すると、藍染はまた話し始めた

「私は、人の役に立つ魔法を研究してきました。そして発見したんです。全くの負担、副作用をなさない治療魔法を…………」
その言葉を聞いた途端、魔理沙は驚愕した。
回復魔法とは本来、使った者と効果を得た者に、負担と副作用を与える者だ。軽度の回復なら、両者ともに軽度の負担で済むが、力の大きい魔法では、そうもいかない。
副作用が無い魔法……………。そんな者が存在するのかは
、今のところは確証は持てない。
魔理沙の微妙な表情を察したか、藍染は裾に手を入れた。
何を取り出すかと思えば、単純な回復魔法の霊符だ。
「そして……、私はその魔法の実用化を成功させた。私はその魔法を世界に広めるために、旅をしているのです」
「……………………」
負担が掛からない回復魔法。そんな物があったら、この世界の人々が、どれだけ喜ぶだろうか。そんな物があったのなら、母は…………、魔優里は一体、何のために命を散らしていったのか………………。
そんな事を考えた時、不意に魔理沙の頰に、一筋の水滴が流れた
。涙だ。今、私は泣いている。一体何のために?。
「うっ…………く…………うっ」
微かな嗚咽が漏れる。怒りと悲しみのやり場がなく、魔理沙は、その場に座り込んだ。
「悲しいのですか?」
その声を聞いた途端、流れる涙が途中で止まった。
「なんで……そんな事を聞くんだよ」
「私は病気で娘を亡くしました。魔法使いにしか掛からないという、謎の病でね。そして私は考えました。今の自分に何ができるのか、できることは無いのか」
やがて、東の空から雨雲が飛来した。想像以上の速さで雨は降り続けた。
そんな事を気にすることなく、藍染は話し続けた。
「結局、娘は死んでしまいました。私が無能なせいで。そして、不幸なのは、私が回復魔法の研究を始めたのは、娘が死んでから二年が経った日だったのです」
降り止む気配の無い嵐の中、魔理沙は藍染を見上げた。
魔理沙を見ていたのは、藍染の優しい翠玉の瞳だった。


ザアアァァァ…………。
止むどころか、一段と勢いを増していく嵐を見ながら、魔理沙は隣で寝そべっている、背の高い男を見た。
一体、何をしているのだろうか、自分は…………。
藍染、それほど悪い男ではなさそうだ。その証拠に、ルーリッド村についていく代わりに、魔理沙の師匠となる約束を(無理矢理)承諾させられた。
実際、衰弱するところを助けてもらうのだ。それくらいの言うことを聞くのは、人間としての礼儀だーーーと先ほどからガミガミうるさい自分の心に言い聞かしているのだ。
魔理沙は藍染の顔を見ながら、小さく呟いた。
「不思議だな。お前といると、落ち着くよ」
「聞こえてますよ?」
「なっ…………!!?」
起きていたのか。いや、それはともかく、寝るふりは幾ら何でも無いだろう!。
考えるうちに、魔理沙の顔は真っ赤に染まっていった。
耐えられぬ恥をかかされた魔理沙は、藍染の方を睨んだ。
しかし、確かに呟いたはずの藍染は、何事もなかったように眠りについたままだった。
「全く…………気持ちよさそうに寝やがって」
この世界にたった一人、仲間と呼べる存在ができた。その男は、人の心を読んでいるかのように、自分に向かって話す。
魔理沙は微笑みながら、嵐の方に視線を移した。
微かだが、雨が止む兆しが見える。明日の朝には病んでいるだろう。このままどこまで行くのだろうか。藍染と一緒にこれから過ごしていくのだろうか。
そう思うと、大きな安心感が生まれた。

***

ザアアァァァ………………
雨の音が聞こえる。
霊夢は暗い森の中で、ひっそりと倒れていた。
一体、自分の身に何が起こったのか、それだけがわからない。まだ空は薄暗い、あいつと戦いを始めてから、そんなに時間は経ってい無いはずだ。
霊夢は雨水でびしょ濡れになった重い巫女服を、なんとか支えて立ち上がった。すぐに辺りを見渡し、人間の気配がないか確かめる。
しかし、立ち上がって数秒後、霊夢の頭に激痛が走った。
「くっ……………!」
この痛みは…………頭を打っている。霊夢は直感した。記憶の一部が飛んでいるのは、なんらかの原因で自分が頭を打ったから。それ以外に考えられない。この痛みの余韻が強いことから、頭を打ってから数時間も立っていないはずだ。
幸い、体には傷一つ付いていない。強いて言えば、右腕がさっきからヒリヒリと痺れている気がする。
一体この数時間で何が起こったのか、その真相を一秒でも早く見つけなくては、幻想郷が危機に犯されてしまう。
霊夢は早苗の言った言葉を思い出した。
『まだ検討は付きませんが、少なくとも、大量の火矢を放っていることから、敵の数は、最低でも五百人はあるでしょう』
どうにかして敵の居場所を突き止めなくては…………。またいつ、幻想郷の村々が襲われてもおかしくない。
霊夢は背後から襲ってきそうな恐怖感と危機感に耐え、魔理沙と早苗が待つ博麗神社へと歩き出した。

***

「ねえ、咲夜。世界で一番美しいのは誰?」
紅魔館の最高司祭、レミリア・スカーレットはいつも座っている赤色の椅子に座り、目の前にいたメイドに尋ねた。
咲夜は数秒間沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「さて、誰でしょうね…………」
「全く、咲夜は空気が読めないんだから」
「………………それよりもレミリア様、三浦村に向かわせた者は帰ってきていないのですか」
咲夜は問いかけた。すると自分の主人は、どこまでも続いていそうな紅の空を沈黙しながら見上げた。
一体何事かと考えていると、レミリアの口が開いた。
「噂をすれば…………ね」
レミリアの言葉に、咲夜は空を振り仰いだ。二時の方向、まだ空が青に澄み切っている場所に、赤黒い光が瞬いた。
その光は放物線を描くように天空を飛翔し、まっすぐ紅魔館めがけて向かってくる。
光はみるみるうちに大きくなっていき、ついには………、
ドカアアアアン!!!
激しい衝撃音とともに、二人の前に着地とは言い難い形となって、その床に降り立った。
黙々と流れる土煙が、レミリアと咲夜の視界を遮った。
すると、土煙の中心に人影が見えた。近づいたところで、
その人影が何故がフードをかぶっていることに気づいた。
黒いフードをまとった何かは、ゆっくり歩くと、土煙の中から脱出し、二人の前に現れた。
「遅かったじゃない、一㮈」
その名前を聞いた途端、咲夜の脳裏を激しい閃光が走った
。一㮈とは確か、六年前に我々に願えった博麗一族の幼い少女だ。あの強襲作戦の時点で、博麗一族の何者かによって抹殺されの…………。
思考がそこまで行き着くと同時に、黒いフードをかぶった何者かは、フードをめくって姿を現した。
「………………!?」
その姿は、まさに一㮈そのものだった。艶やかな紅蓮の長髪、同じく負けないくらいに輝く赤色の瞳。体にはレッドワイン色のコスチュームアーマーをまとっていた。
二度目の電撃が、咲夜の思考をフル加速させた。
とっくの昔に死んだはずの人間が、何故ここにいるのだ。
驚愕の表情を隠せない咲夜を一瞬見つめてから、一㮈と呼ばれた少女は口を開いた。
「すみません、レミリア様。霊夢が暴走しちゃって。すぐに逃げようとしたんですけど、この有様ですよ〜」
そう言うと、一㮈は自分の身体に視界を移した。
レッドワイン色のアーマーには無惨に切り傷が残り、上半身には鋭利な刃物でえぐり取られたかのような巨大な傷が残っていた。一㮈本人の口元からも、少量の血が垂れた。
「博麗の巫女が、暴走……したの?」
レミリアの口から、乾いた声が漏れた。
「全く、レミリア様のせいですよ。あんな化け物を霊夢に封印したのは、レミリア様なんですから」
のほほんと話している一㮈に対して、レミリアは体を小刻みに震えさせ、怯えていた。
あの時と、同じだ。
咲夜はレミリアのその同様の意味を知っていた。
数日前、自分が博麗の巫女が動き出したと伝えた時、レミリアは、予想外の驚きを見せた。
あの表情は、完全に恐れている表情だった。まるで、野良猫に襲われそうなネズミのように。
「一㮈……咲夜………。もう休んでいいわよ」
気弱な少女の口から、いつもとは違う声が流れた。
「は、はい……」
咲夜は小さく頷き、後方の扉を開け、通路に出た。同じく一㮈も、咲夜と一緒に通路へ出た。
レミリアの異常なまでの同様。それには必ず、あの博麗の巫女が関係している。それだけは、確かだった。
通路に出てすぐ、咲夜は一㮈を見つめながら沈黙した。
この女、一名と呼ばれていたが、一体何なのだ。博麗一㮈は、六年前に、確かに消息を絶っているはずだ。ましてや今更、地獄から蘇ったとでも言うのだろうか。
どれほど考えても答えに辿り着かない疑問を抱きながら、咲夜は隣でにこりと笑っている少女に呟いた。
「教えて。貴方は誰なの?」
率直な質問に、一㮈はしばし沈黙し、答えた。
「博麗………一㮈よ」
あまりにも安い答えに、咲夜は少し苛立ちを覚えた。
「嘘をつけ。博麗一㮈は六年前に死んでいるはず!」
「私にも………わからないのよ」
一㮈の口から発せられた言葉は、驚くべきことだった。
自分が何なのかわからない。わかるのは、名前だけ。
耐え難い沈黙が、二人を包み込んだ。

2 勝利と敗北

雨が止んだ。
続いて、西の空から朝日が昇る。さっきまでの荒天が嘘のように静まり、爽やかな暑さが体に沁みた。
霊夢は閉じた瞼を、浅いまどろみの中で持ち上げた。
視界がぼやけて、自分がどこにいるのかわからなかった。
「霊夢………………」
誰かが自分を呼ぶ声。誰だろう。
暖かいな…………。もう少し、このままでいたい。
そこまで思考を巡らせると、霊夢の意識は覚醒した。
まず初めに見えたのは、心配そうな魔理沙の顔だった。
自分が今、どのような状態にあるのか、わからない。
何故か動かない口で、霊夢は小さく呟いた。
「ここは…………どこ………?」
「決まってるだろ。博麗神社だよ」
魔理沙の言葉を聞いて、霊夢の脳裏を白い閃光が走った。
そうだ。自分は敵がいないことを確信して、博麗神社に戻ろうとしたのだ。しかし、記憶はそこで止まっていた。
すると魔理沙が、やれやれという表情で口を開いた。
「全く、ヒヤヒヤしたぜ。あんまり帰りが遅かったもんだから、早苗と一緒に探してたら、怪我一つしてない霊夢が目の前に倒れてたんだから」
霊夢はどうにか頭を動かし、目の前にいる早苗を見た。
どうやら自分は、博麗神社を目指す途中で倒れたらしい。
早苗は涙で滲む目を拭い、どうにか呟いた。
「魔理沙さんが、霊夢さんを見つけたんですよ」
それを聞いた時、霊夢の目にも滲むものがあった。すぐに目の前の親友に向き直り、絞り出す声で言った。
「ありがとう………ありがとう………」
「礼を言うのはまだ早いぜ、霊夢。向こうで一体、何があったんだよ」
「…………………」
霊夢は俯いたまま、しばし沈黙した。
「何があったんだよ」という魔理沙の質問に答えるのには
、一言では言い表せないものがあった。
「………三浦村で、多分、敵………を見つけた」
霊夢が呟くと、魔理沙は驚愕の表情を見せた。
「本当か!?」
霊夢は記憶を遡らせ、数時間前に戦ったであろう敵の姿を思い出した。そして、三浦村の崩壊状況、そこに現れた敵の外見、特徴、強さを順に魔理沙と早苗に説明した。
「そんな…………そんな…………!」
早苗の口から、小さな悲鳴が漏れる。
彼女はいち早くそのことを知っていたはずだが、実際の現場の状況は知らされていなかったらしい。
「神奈子様も、この事件のことは知らなかったらしいです……………。突然すぎますよね」
幻想郷の全てを担う、独立埠頭と称えられる八坂神奈子にも、今回の事件は頭に入っていなかったらしい。
それに、急に意識が飲み込まれたと思った矢先、無傷のまま意識を回復させたのは、今でもわけがわからない。意識が無くなるのなら、自分は動けなくなるはずだが、敵はその間、一度も自分に攻撃していないということになる。
そんなことがあるものなのか、最初に相対した時、敵は積極的に攻撃してきたではないか。
となれば、残りの発想は一つしかなかった。
霊夢がなんらかの方法で、敵を倒し、もしくは追い払ったとしか考えられない。勿論、根拠があるわけではない。
霊夢は決意を決めると、目を見開き言った。
「魔理沙、早苗。これは緊急事態よ。謎の集団が三浦村を焼き払った、それは間違いない。まずは情報を集める。それに、向こうから姿を現してくれるのなら、こっちにだって都合はいい。強行突破で行くわよ」
そう言い、霊夢は起き上がろうとするが、言葉では言い表せない重力が、霊夢の体を押しやる。
そんな霊夢を見て、魔理沙がやれやれという表情で言う。
「全く、自分が病み上がりっていうことを忘れたのか?。ここは私たちに任せて、お前は休んでろよ」
と、小さな魔法使いは、ニカっと笑ってみせる。
「魔理沙………………」
いつからこんなに逞しくなったのか…………。
この三ヶ月間、自分は魔理沙に何かと励まされている。
「本当にありがとう………………」

***

それから3日が経過したある日。幻想郷の独立埠頭の神、八坂神奈子の神殿に、一通の矢文が届いた。
ご丁寧に、自らの居場所を教える形で………。
「全く、なんだろうねえ、最近は…………」
綺麗な青髪の神奈子は矢文をじっと見つめながら、数秒考えると、それを投げ捨て、困ったように呟いた。
「ま、元々はあいつが起こした事だから、これは早苗に渡しておこうかねえ………」
神奈子は満点の青空を振り仰ぐ。細かな粒子が、陽に照らされ、一つ一つ煌めいた。
「いい天気だねえ」

***

「「紅魔館?」」
博麗神社の床の間に、二つの声が響き渡った。
あれから五日が経ち、幻想郷も本格的な夏に突入した。
神奈子から伝言が送られてきたのは、つい二日前だ。なんとも奇妙で、どこから飛来したのかもわからず、その上、自分たちの居場所を打ち明けるというあり得ない選択で。
早苗は思わず顔を歪めるが、すぐに冷静になり、言った。
「ええ、そうです。紅魔館、此処からは遠く離れた魔界にある巨大な城です。主は吸血鬼……だそうです」
それを聞いた魔理沙が、美味ような表情で口を開いた。
「吸血鬼って、血を吸うやつか?。苦手だな………」
早苗は首を振り、さらに話す。
「いえ。元々の祖先は人間と同じだったのですが、なんらかの要因で種族の削減が起こり、今、魔界に残っている吸血鬼たちは数人に及ばないそうです。牙が生えているだけで、吸血行動はしないので、心配ないかと……」
すると、魔理沙の隣にいた霊夢が、口を開いた。
「どっちにしろ、敵の居場所はわかったんでしょう?。今すぐにでも、退治しに行きたいくらいだわ」
重い空気の中、早苗がポツリと呟いた。
「戦線布告………ですね」
「まあ、こうもされちゃ、黙っていられないな」
魔理沙が闘志に満ちた黄色の瞳を、瞬かせた。
「私たちで、紅魔館を倒してやろうぜ!」
その時、霊夢が冷たい表情になったことに、魔理沙は気づいていなかった。早苗が心配そうにこちらを見る。

大きな流れが、幻想郷を覆い尽くそうとしていた。遠い夕焼けの空から朱い光が差し込んだ。


DREAM STORY〜2〜
dawning party


絶えることのない暁の日の出、紅魔館はこれまでになく静まり返っていた。海と、鳥と、風の音だけが、小さく重なり空に響く。
紅魔館のメイド、十六夜咲夜は、ひんやりと涼しい廊下をゆっくりと歩いていた。どこからか入ってきた冷たい風が
肌に当たる。心地よさのあまり鼻歌を歌ってしまう。
「どうしたの?咲夜」
その時、小さな声が耳元に聞こえた。ゆっくりと振り向き
、声の主を確認する。
そこにいたのは、金髪の背の低い少女だった。咲夜の胸までの高さしかなかった。可愛げな朱い瞳が、じーっとこちらを見つめていた。
この少女の名は、フランドール・スカーレット。レミリアの実の妹だ。赤と白を基調としたワンピースが、朱い瞳と髪の色にマッチしている。朝日の光も反射して、咲夜はその少女に、感じたことのない美しさを感じ取った。
「フラン様……ですか。朝が早いんですね」
「別に、眠れないだけよ。姉様はどうしてるの?」
「相変わらず、空ばかり眺めております」
「そう………………」
フランは小さく呟くと、廊下を歩いていった。
再び沈黙が、咲夜を包んだ。

***

「それって、超絶スクープじゃないですかぁ!!」
朝七時、博麗神社に大きな声が響いた。小鳥たちが驚き、小枝から大量に分かれて飛び去った。
「うるさいわねえ。近所迷惑じゃないの」
霊夢が呆れた表情で、左隣に視線を移した。そこには、シャツ姿の黒髪の少女がいた。頭には赤色のお守り(多分)が付いており、可愛らしさ(?)を強調していた。
射命丸文は相棒のカメラをカシャカシャ鳴らした。
「三浦村を崩壊させたのが、紅魔館だなんて。なんでもっと早く教えてくれなかったんですかー」
「なんであんたに教えなきゃならないのよ!」
カメラのシャッターを連続で切る文よそに、魔理沙と萃香は悠々とお茶を飲んでいた。
あれから十日経った今でも、敵は動こうとはしなかった。まるで、自分たちの出だしを確認しているみたいだ。
あの日から主力の反応が激しいのは、偶然なのだろうか。経った今でも、体の奥から湧き上がる主力を抑えるのに、とても苦労しているのだ。
三ヶ月前に、魔理沙が話していた事……………
『お前の中に、何かがいるみたいだぜ』
あの言葉は本当だったのだろうか。見知らぬ化け物が、静かに自分を蝕んでいるとでも言うのだろうか。
そう考えると、怖くて怖くてたまらなかった。いつの日か住み着いた悪魔が自分を乗っ取ってしまう日が来るかと思うと、夜も眠れなくなってしまうのだ。
「ていうか、何であんたがここにいるの」
霊夢が問いかけると、文は自慢げな表情で言った。
「神奈子様から聞いたんですよー。紅魔館の事を知りたいのなら、博麗神社に行けばいいって」
「全く、あいつも大きなお世話ね」
神奈子は、幻想郷一、性格が悪く、霊夢も度々のお節介に草臥れてる。今回も、霊夢が文を嫌いな事を知っていた上で、この神社に投入したに違いない。
「できたー!!」
その時、魔理沙が甲高い声をあげ、両手を伸ばした。
「ちょっと、なんなのよ急に」
「ずっとこの時を待ってたんだ!。凄いぜ、これは」
記憶は五日前にさかのぼる。神奈子から呼び出しを受けた魔理沙は、博麗神社から少し離れた神奈子の道場へと向かった。

***

野原が風に吹かれ、左右に揺れる。
魔理沙は、朝日を見つめながら、博麗神社を後にした。
突然の事だ。神奈子が直々に、魔理沙に話をしに来た。
『霧雨魔理沙、お前に教えたい技がある。魔法使いだからこそ教えられる技だ。これからの戦いに生かしてくれ』
魔法使いにしか扱えない技。どんな技かと考えるうちに、心が沸騰した。

というわけで、朝から出かけているのだが……………
「ここはどこだあああ!!?」
悲痛な叫びが、丘の頂上に響き渡った。
いや、あり得ない。昔から箒一本を頼りに数多の世界を冒険してきた自分が、こんな小さな郷で道に迷うわけがないではないか。きっと何かの間違えだ。そうだ、考えてみれば私は箒を使っていないではないか。

二時間後、やっと目的地にたどり着いた魔理沙は、その場に座り込んだ。
「あんたも鈍感だねぇ。なんでわからなかったんだい?」
「仕方がないだろ!あんたの道場がこんな山奥にあるなんて知らなかったんだから!。第一、地図書くの下手すぎるだろー!?」
八坂神奈子は、怒鳴り散らす魔理沙を見ながら笑った。
「それは悪かったねぇ。何せ私は、昔から絵もろくに書けなかったもんだからねぇ」
あまりにも罪悪感を感じさせないその顔に、魔理沙は呆れ果てた。改めてゴホンと咳をして、話を切り出した。
「で、あんたの言ってた《技》って、何なんだ?」
魔理沙の言葉に、神奈子は数秒間沈黙した。
「呪力の制御が難しい。伝統技だよ」
「伝統……技………?」
聞きなれない言葉に、魔理沙はすこし困惑した。
「ああ。どこの種族が作ったかは解らない。私も使ってみたかったんだが、魔法使いじゃないしねぇ」
「で、私に託す事を思いついたわけか……」
「そういう事だ。紅魔館との戦いの事だってあるし、使いたい時に使えばいい。私も手助けするから」

***

「やっとコツを掴んできた。霊夢、外使っていいか?」
「え?、うん、いいけ……………」
「おう、ありがとな!」
霊夢が承諾する前に、魔理沙はロケットダッシュ並みのスピードで外に走っていった。
「どうしたんですか?魔理沙さん」
早苗が不思議な表情で、霊夢に聞いてくる。
「さ、さあ…………」


魔理沙は気持ちを集中させ、神奈子の説明を思い出した。
『魔理沙、この技は言わば賭けだ。お前の集中力が魔法に左右する。ちなみに一回使うと、次に使うまでには最低でも一時間かかる。覚えておくといい』
集中力?、上等じゃないか。魔法には慣れてる。
心を鎮め、周りが暗闇に包まれる。魔法の箒から紅い光が煌き、魔理沙を包む。体の芯から、熱い力がぞくぞくと湧いてくる。
「咲き乱れ!鹿苑の花!呪装、紅羅添乗!!」
箒を掲げ、神奈子に教わった呪詛を数々口ずさむ。
すると、箒を紅色のまばゆい光が照らした。
その光に驚いたのか、霊夢に続いて、萃香と文も何事かと慌てて外に出てきた。
その瞬間、激しい爆発音と、大量の土煙が沸き起こった。霊夢はあまりの苦しさに数回咳をする。
ようやく土煙が収まったところで、ゆっくりと瞼を開く。
「……………!?」
そこで霊夢が目にしたのは、驚愕な光景だった。
博麗神社の境内、庭の中央に佇む魔理沙。少女の体に紅色に光り輝く文様が刻まれていた。魔理沙の呼吸に合わせ、点滅を繰り返している。
目の前に起こった状況に、霊夢は沈黙するだけだった。
自分を強化する術だろうか。いや、あの文様からは只ならぬ力を感じる。まるで元々あった力のように。
その時、黄金に煌めく瞳を瞬かせながら、魔理沙は手を握りしめた。笑っているのだろうか。
「できた……できたぜ………《鬼怒神》の力!」
「鬼怒…………神………?。何それ」
「魔法使いの血を引くものには必ず眠っていると言われている伝統の力だ。神奈子から教わったんだ」
魔法なのに仏教じみたその言葉に、霊夢は唖然した。そんな霊夢をよそに、魔理沙は説明を続けた。
「つまり……なんだ、潜在能力みたいなもんだ」
潜在能力………体に眠る力。化物?。私…………
再び、霊夢の中の主力が大きく揺れた。苦しさのあまり視界に火花が散り、意識が貫かれる。
霊夢はその場に倒れこんだ。
「霊夢っ………!」
魔理沙が悲鳴をあげて、近づいてきた。
目眩はすぐに収まり、霊夢はゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫かよ、何か思い出したのか?」
「いや、大丈夫。ただの目眩だから、本当に大丈夫」
「そうか。それならいいや」
「ていうか…………」
霊夢はのそのそと魔理沙に近づいた。
「知らないうちに、この技何よ!?」
霊夢は人差し指で、魔理沙の文様を指差した。
「こ、これはだな。神奈子に呼ばれて、習得しろと言われたから、仕方なくだな…………」
「何が仕方なくよ!。知らないうちに私より強くなったりしたら、承知しないからね!?」
「大丈夫だよ、霊夢…………多分」
「多分って何よ!。バカにしないでよね!」
繰り広げられる戦場の中、早苗と萃香は完全に沈黙した。
「修羅場ですね…………」
「ふぁあ…………」と萃香のあくび
「魔法使いと巫女の喧嘩!これは撮らずにはいられませんねぇ!」
最後の一人は置いておいて、早苗はため息をついた。
「皆さん。朝ごはんの準備をしますよ〜………」

***

そな日の夜、魔理沙はやっと習得した鬼怒神の術を完璧に操るべく、神社から少し離れた山奥で修行していた。
神奈子にこの技を教わってから、魔理沙はずっと主力のコントロールに全てを打ち込んでいたのだ。
そして今日、やっとそれを自らの手にして見せた。
魔理沙は魔法の箒に心を集中して、呪詛を念じた。
「咲き乱れ!紅羅龐蕭!」
まばゆい光が山奥を照らした。すぐに光は収まり、魔理沙のエプロンドレスに、黄金に輝く文様が現れた。
習得してから、未だに一度も試していないこの技。一体、何が強くなったのかは解らないが、体の底からとんでもない力が湧き上がってくる感覚が、身にしみている。
この術は、体の中にある主力の半分を具現化した物で、これにより防御力と攻撃力、スピードを高めているのだと、神奈子から聞かされているが…………。
「試してみるしかないか…………」
魔理沙は呟くと、ポケットから黒い霊符を取り出した。
霊夢から念のために持っておけと言われたこの術。
「発動!不知火の月!不知火舞!」
すると、魔理沙の右手に光り輝く剣が出現した。
聖剣と言われたこの剣は、決して、魔法などではない。魔理沙も試してみたいとは思っていたが、これは古来から禁じられてきた異教徒の術だ。使っていることが家族にばれたらこっ酷く叱られていただろう。
魔法使いが霊符を使うことは、極めて稀である。
魔理沙はオーブを取り出した。この技は、幼い頃からの相棒といっても過言はない技だ。
魔理沙は大きく息を吸い、そして唱えた。
「マスタースパーク!」
刹那、オーブから光り輝く光線が放たれた。光線は直線状に次々と木々をなぎ倒し、ついには彼方へと消え去った。
あまりの眩しさに閉じた瞼を、ゆっくりと持ち上げると、そこには考えられない光景が広がっていた。
あんなに鬱蒼としていた視界が、完全に開けていたのだ。山の中だというのに、正面に星空が見える。
「うひょー!。これは凄いな」
マスタースパークだけでも、この威力。さすがに、この技は強すぎるのではないかと、一瞬戸惑うが、大切な物を守るためなら、強いことに越したことはない。
待ってろ紅魔館。私が絶対に倒してやる!。

***

「さあ、始めよう………………」
暗闇に包まれる中、青い輝きが、映し出された。
魔法陣のようなその形状を模したそれは、どんどん光の強さを増し、ついには、窓の外までに届いた。
一㮈は、紅魔館の頂上にひっそりと立っていた。
薄暗い雲から紅に照らされた月が、ゆっくりと姿を現す。
煌めく星空が、反射された光によって、おぞましい色に染められていく。
何故、自分が生まれたのか。その理由だけを、自分はひたすら探し求めていた。一度死んだ自分は、もう、この世の中には必要のない存在と、ずっと思っていた。
しかし、一人の少女、博麗霊夢だけが、自分の、一つだけの存在意義だった。
おぞましく、黒緑色に染まった右腕が、煙を出しながら元の肌色に戻っていく。気色が悪いその感覚に、一㮈は堪えきれずに笑ってしまう。
「ククク………はっはっはっはっはっ!」
狂気に満ちたその笑い声が、そこら中に響いてくる。
「楽しみだねぇ、霊夢。私たちの遊びは……………」
刹那、右腕に、緑色の液体が染み渡った。激しい激痛が、
一㮈の右腕にほとばしる。瞬間、右手の指が変形し、おぞましい悪魔の手に変わりゆくその様を、一㮈は呪った。
「まだ………終わっていないよ…………」
機械のような狂気に満ちた笑い声が、空に響いた。

刹那、幻想郷の空が、禍々しい血の色に染まり果てた。


3 血に染まる空、吠える悪魔


満月の光に輝く夜空が、禍々しい赤黒い色に染められてゆく様を、神奈子は道場から眺めていた。
「いやー、絶景絶景」

真夜中の幻想郷では、空に響く謎の奇声に、そこら中で灯りがつき、霊夢と魔理沙も含めて、全員が外に出ていた。
「何よ、急に、こんなの…………」
思いがけない状況に、霊夢は言葉を失っていた。
すると、隣で息を飲んでいた魔理沙がゆっくりと呟いた。
「どうやら、向こうから宣戦布告するらしいな」
「ちょっと魔理沙、どういう意味よ」
「この空を見てみろ。完全にやばい状況だ。私はこの状況が何を意味するのかを、だいぶ前から知っていた」
「えっ……………」
「これは、大魔法ラグナロク……………」
ラグナロク、その名は、確かに有名だ。
ギリシャ神話に登場する世界級の出来事であり、これによって全ての生命が終焉を迎えるという、大災害。
その名が、何故、魔法なのかは、霊夢には解らなかった。
「終焉魔法……そんな魔法、使った奴なんか居ない。世界と同時に、自分も滅ぶからな。六年前も、奴が使おうとした物を、私が消し去ったはずなのに…………」
「何を………言っているの………?」
「完全に消え去ったはずなんだ。あの魔法を知っていたのは、私と藍染と、奴だけ………。私と藍染が使うはずがない。となれば、使うのは奴しか………………」
魔理沙の顔が、だんだんと強張ってくる。耐え難い沈黙の後、魔理沙が何かに気づいたように、ふと顔を上げた。
「そうか………何てことだ…………」
魔理沙はそこまで言うと、箒を取り出し、跨った。
「霊夢、私はこれから紅魔館に行く」
「ちょっと、待って魔理沙………」
「もたもたしている暇はない!。こうしてる間にも、奴は力を蓄えているんだ!」
「奴って…………誰のことを言ってるのよ!」
数秒間の沈黙が流れ、魔理沙はようやく箒から降りた。
「そうだよな………。慌てても仕方がない。けど、霊夢、説明はこの戦いが終わってからだ」
「え、ええ……………」
「現状では、この術式を行っているのが紅魔館の奴らだということは間違いない。二人で切り込むぞ」
その言葉に、霊夢は一瞬ためらった。三ヶ月前のあの日、魔理沙と自分が関わったからこそ起きたと言っても過言ではない出来事を思い出したからだ。
魔理沙が行き当たりばったりな性格だということは、だいぶ前から知り得ていることだ。その欠点を認め、フォローし、戦いに生かしていくのがパートナーの役目…………。
たっぷり数秒間思考を巡らせていると、魔理沙が呟いた。
「嫌ならいいぞ。私一人で行くから」
その瞬間、霊夢は瞼を開いた。もう、覚悟はできている。
「何を言ってるの?魔理沙。当然、私も行くわよ」
「決まりだな」
そうじゃなくちゃという表情で、魔理沙は笑った。
刹那、魔理沙の体を赤い光が包み込んだ。聞きなれない音が響き、光が出現している場所の地面だけがえぐれる。
「くっああああ!」
耐えきれない苦しさに、魔理沙の口から悲鳴が漏れる。
「魔理沙!!」
一体何が起こっているのか、霊夢には解らなかった。ただ
、目の前で苦しむ親友を助けなければと、心の中で声が響く。
その時、魔理沙の足が音もなく消えようとする。
このままでは…………。
霊夢の脳裏に、嫌な予感が走った。
声にならない悲鳴を漏らしながら、魔理沙を抱える。霊夢の右腕も音もなく消えようとする。
ジリジリと、激痛が右腕にほとばしる。
「ぐっ……ああああ!」
「霊夢……………………」
激痛に目もくれず、霊夢は魔理沙を光から引き抜こうとする。しかし、目に見えない力が働いてるとでも言うのだろうか、いくら引いてもビクともしない。
その年、突発的な力が霊夢の体を光から押し出した。
魔理沙が、霊夢の手をはねのけたのだ。
「…………………!?」
その時にはもう、魔理沙は目の前から完全に消え去っていた。

***

激痛から解放され、魔理沙はその場に倒れこんだ。
「…………生きてる………」
何があったかは知らないが、今、自分はこの場で生きている。それだけが、脱力感を魔理沙に与えた。
「ここは………………?」
空は赤いままだ。少なくとも、ここが死後の世界ではないことは、完全に証明された。
痺れる左手をどうにか地面につき、魔理沙はゆっくりと立ち上がった。すぐにそれが、視界に入る。
「えっ…………!?」
魔理沙の目の前に広がる光景は、驚愕の光景だった。
あたり一面、赤い大地が広がっている。森も、植物も、生き物も、何もいない。固い岩盤だけが、視界全部を埋めていた。月も星空も、禍々しい血の色に染められている。
そして、大地の中央。唯一、存在感を発しているもの。
巨大な城が、魔理沙を阻むかのように立ち上がっていた。
ここは間違いなく幻想郷ではない………………。
瞬間的な思考が回路を伝い、あることを思い出す。
「紅魔館………」
この状況は、紅魔館の連中が作ったもの。
なら、何故私をここに転移させた?。
「あれー?。なんでこんな所に人間がいるのー?」
その時、背後から声が聞こえる。
恐る恐る振り向くと、あり得ない人物が目に入った。
黒いコートに身を包む少女は、ゆっくりと魔理沙に近づいてくる。店舗を刻むように一歩ずつ。
寸前のところで、黒コートの少女が言葉を発した。
「あれ?。よく見たら、魔理沙じゃないかぁ」
「ーーーーっ!!」
その声に、魔理沙の神経に、バチバチと火花が散った。
六年前に、完全に消し去ったはず……………………。
「お前………………………」
こわばる口から、小さく声が漏れる。
黒コートに身を包んだ少女が、ついに姿を現した。
フードを脱ぎ捨て、奥の顔があらわになる。
「なんで………………お前が生きてるんだあああ!!」
「やあ、魔理沙、久しぶりー」
強張った口から、絞り出すように目の前の少女を睨む。
「一㮈ああああ!!」
一名と呼ばれた赤色の髪の少女は、にっこり笑った。
「嬉しいなぁ。名前、覚えててくれたんだぁ」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞー!!」
口から怒声を放ち、魔理沙は血を蹴り走った。
「六年前!、死んだはずのお前が、何故生きている!」
一㮈は表情を崩さず、その場を一歩も動かなかった。
魔理沙の紅蓮剣が、完全に少女を捉えた。
しかし、直撃寸前で、一㮈はとびず去った。
全く表情を変えずに、一㮈は質問に答えた。
「なんでそんなに怒ってるのー?。私は、ただ目的を果たすために、とっても苦労してきたんだよ〜?」
「目的…………だと………?」
「六年前に、魔理沙が私を………………やっぱりこの口調は疲れるな。僕の言いたいことはただ一つだ」
一人称を僕に変えた一㮈は、少し表情を崩すと言った。
「君も最初は戸惑っただろう?。僕しか知り得ない魔法が何故使われたのかと…………。でもね、実は僕、肉体は沢山あるんだ。魂は一つだけだけどね…………」
「何…………?」
「六年前に、確かに僕は君に殺されたんだ。藍染って奴に魂ごと消されるところだったけど、頑張って、次の体にたどり着いたんだ。しかも、今回は呪力付きでね………」
魔理沙は愕然した。肉体が入れ替わるだと、そんな話聞いたこともない。六年前に、自分がこの手で切り裂いたのは無意味だったのか?。なら、藍染は何のために………。
「あの日!、藍染は私を守るために死んだんだぞ!。それなのに、肉体が入れ替わるだと!?ふざけるのもいい加減にしろ!!」
「ふざけてるのは君だろう?。下調べが浅いんだよ。僕は博麗一㮈のクローンシリーズ、偽物なんだ。遺伝子情報さえあれば肉体を量産することは可能さ……それより……」
一㮈の右腕が動いた。
「がっ……………は………!」
一㮈の右腕が、魔理沙の腹を貫いていた。血が滴る。
「なんでこんな所に来ちゃうかなぁ。まさか、僕の計画を邪魔する、なんてことはないだろうねぇ?」
拳…………だけで………!?。
想像以上に高い威力に、魔理沙の思考は完全停止した。
一㮈は右腕を下さないまま、淡々と話し始めた。
「それよりさぁ、魔理沙に聞きたいことがあるんだけど」
「…………………?」
「君、霊夢と一緒に住んでるんだってー?」
「!?…………何故………それを……」
一㮈の右腕に持ち上げられたまま、どうにか口を動かす。
赤髪の少女は罪悪感など感じさせない表情で、話した。
「知らないことは無いさ。でも君、僕が博麗の血を引いてる事を知ってて霊夢に接触したの?」
「そ………それは…………」
確かに、一㮈の言っている事は正しかった。私は、霊夢に関わり始めてから薄々感づいていたのだ。博麗霊夢という博麗一族の生き残り、一㮈に関係があるはずだった。
しかし…………………。
「ふざけるな!。そうで有ろうが無かうが、お前には関係無い!……がはっ………」
「でも、皮肉だよねぇ。二人して僕の計画を邪魔する気なの?。勘弁して欲しいなぁ」
一㮈は顔を近づけ、緑色の瞳をのぞかせた。
「あの空を見て。大魔法ラグナロク、六年前に君に止められた術だ。記憶はあったんだ。簡単だったよ。紅魔館につけ込むことも、情報を途絶えさせることも」
「………………………!?」
甘かった。見込みが甘かったんだ。あの時、自分がそのことに気づいてさえいれば、先に気づいていた藍染が死ぬことはなかったのか………。
六年間、ずっと忘れていた藍染の仇が、今目の前にいる。そんな状が、何故成立するのだ。
クローンだと?、ふざけるな。お前は存在してはいけ無い人間だ。とうの昔に葬ったはずの人間だ。

ーお前の言いたいことはそれだけか?。ー
暗闇に包まれた意識の中に、一つの声が響く。
誰だ、姿を現せ。
ーそんな事は出来かね無い。何故なら私はお前自身だからだ。お前の意思そのものだからだ。ー
私……自身?。どういう事だ?。
ーそうだ。私はお前の闘志だ。戦え…………立つんだ。ー
そんなの無理に決まってるだろ。太刀打ちができないんだ
。現に今だって、身動き一つ取れていないじゃないか。
ーそれは言い訳だろう。自分の力が足りなかっただけだー

ー逃げるのですか?ー
「………………!?」
そうだ………まだ終わっていない。逃げちゃダメだ。
ーそうだ。立ち上がれ!ー
ー立ち上がって!魔理沙!ー
「……………………?」
一㮈は目の前に倒れこんでいた魔理沙を凝視した。
魔理沙の体が、黄色いオーラに包み込んでいた。

この時、魔理沙は自分に起こっている状況が判らなかった。
ただ、身体が軽い。誰かに背中を押されているような。
溢れる希薄に、魔理沙はゆっくりと立ち上がろうとした。しかし、見えない重力に身体が引き戻される。
「そうだよな…………藍染……霊夢。俺……何もわかっちゃいなかったんだ。無責任なだけだったんだ」
さっきまで激痛が通っていた腹が、恐ろしいほどに回復していた。起き上がろうとする度に血が滴るが、そんな事は眼中に無かった。今はただ、目の前の敵を…………、
「ぶっ潰す!!」
そんな魔理沙を見ていた一㮈が、冷たい表情で呟いた。
「やれやれ、何があったかは知らないけど」
その顔に、もう表情は無かった。代わりに、一㮈の右腕がジリジリと煙を出しながら、ゆっくりと変形していく。
数秒後には、右腕が完全に怪物と同化していた。
無表情だったその顔に、ついに殺意が現れた。
「お前程度じゃ、僕の暇つぶし相手にもならないよ?」

***

「これは一体、どういう事ですか!?」
咲夜は、今起きている状況にどうにも感心できなかった。
「見ての通りよ。一㮈の目的は達成される」
レミリアはお手上げというように両手を挙げた。
その仕草に、さらに苛立ちを覚え、咲夜は叫んだ。
「何故です!?。あの魔法は禁断の…………」
「だからと言って、どうしようもない事よ」
レミリアの小さな言葉に、咲夜はとうとう黙り込んだ。
「彼奴に説得しようが、攻撃しようが、もうどうにもならないわ。彼奴はもう一㮈じゃない。ただの怪物なのよ」
「…………どういう事です……」
「言ったままよ。気づかなかったの?。奴の右腕に侵食の痕があったの」
「侵食の…………痕…………?」
乾いた喉から、小さく言葉が漏れた。
「彼奴はラグナロクを使う前に、もう禁術に手を染めていたのよ。《鬮魔》というバケモノの力を借りてね……」
「鬮魔……!?」
鬮魔。地獄に住まうと語り継がれている伝説の魔神。その存在は太古の昔から知られており、欲が強いものだけに取り付くと言われている怪物だ。しかし、自らの手で魔神をその身に宿す事など、あってはならない事態だ。
人間は、一度鬮魔に取り憑かれて仕舞えば、欲が命令するままに行動する機械仕掛けのバケモノと化してしまう。
それを好んで行う者など、絶対に存在しないはずだ。
レミリアは、険しい表情でまた話し始めた。
「彼奴は、もう人間じゃない。世界を滅ぼすだの、汚すだの、もうそんな考えなど持ってはいない、魔神の手足なのよ…………」

***

「うおおぉおおお!!」
傷口の痛みに目もくれず、魔理沙は全力で地を蹴った。
「紅羅龐蕭!!」
叫ぶと同時に、体に黄色い文様が現れた。漲る気迫に、魔理沙も少し、希望が見えた。
そんな様子を機にする事なく、一㮈は、その場から一歩も動かなかった。驚く魔理沙に、一㮈は笑みを浮かべた。
「馬鹿にしないでくれるかな〜?。僕だって防御体制くらいとるよ……………遊ぶ時はね」
最後に付け足した一㮈は、異形の右腕を正面にかざした。
緑色の謎の液体に染まっている黒い右腕は、バケモノのような憎悪さを感じさせるような形状をしていた。五本の大きな指。その先にある釜のような爪。
一㮈は表情を変えずに、魔理沙がぶつかるのを待った。
そして、魔理沙の剣が、一㮈の右腕に直撃した。
激しい衝突音、衝撃波が、赤い大地に轟いた。
一㮈の右腕が、軽々と魔理沙の剣を受け止めていた。
「嘘………だろ………?」
そう言った時には、もう遅かった。急激な主力と呪力のぶつかり合いで起こった力が、魔理沙を跳ね飛ばした。高速のまま、後ろの岩にぶつかる。口から鮮血がほとばしる。
「まあ、当たり前だよねぇ。力の差はこっちが飛び抜けて上なんだから、無理はないよ」
一㮈は右腕をしまうと、ゆっくりと魔理沙に歩み寄った。
「これでわかっただろう?魔理沙。君は僕に勝てない。力の差が大きすぎる。ただ、褒めるとすれば………」
一㮈は左足を振り上げると、魔理沙の腹に突き落とした。
「ぐあっ…………!」
激しい激痛が、あらゆる感覚を遮断させる。
「この僕に、怖気ずに攻撃したことかな」
歪む視界で、魔理沙は一㮈を強く睨んだ。
「怖いなぁ。もう諦めなよ。一人で来たかは知らないけど、ここには人一人来ることはないさ…………」
一㮈の右拳が、完全に魔理沙を捉えた。一㮈はにやけ顏で
、魔理沙めがけて、右腕をつき下ろした。
だが、寸前で何かに受け止められる。何か硬い物が……。
一㮈は、自分の右腕に視線を移した。
魔理沙の箒が、一㮈の右腕を受け止めていた。よく見れば
、箒のオーブが発光しているのがわかる。
一㮈の驚いた顔を笑いながら、魔理沙は呟いた。
「先手必勝。隙がありすぎだぜ…………!」
魔理沙は剣を、一㮈の腹めがけて突き刺した。左手に生々しい感覚が伝わる。一㮈の口から一筋の血が垂れた。
「驚いたな…………けど…………」
一㮈は右手を握りしめ、狂気に満ちた表情で呟いた。
「こんな攻撃で僕を倒せると思ってるなら…………全くの見当違いだよ?魔理沙」
「………………!?」
瞬間、重い激痛が脇腹を襲った。
一㮈の足が、魔理沙の腹を蹴りつけていたのだ。
想像以上のその力に、魔理沙はそのまま吹き飛ばされた。数十メートル近く飛ばされると、後ろにあった岩に激突する。魔理沙の額に、一筋の血が流れた。
あんなの…………あんなの馬鹿げてる!。
幾ら何でも力が強すぎる。蹴りだけであんなに飛ばされるなんて、完全に次元が違いすぎる。
「ごめんごめん。ちょっと足を当てただけなんだけど」
淡々と喋りながら、一㮈は魔理沙に歩み寄った。
「ねぇ魔理沙。これから僕がしようとしていることを、教えてあげようか?。僕はね、完全な人間になったんだ」
「完全な……人間だと?」
「そう……完全だ。肉体を量産する限り、僕は無限に生きられる。君たち人間より遥か未来までね…………」
「!?…………まさか…………」
魔理沙の動揺に満足したのか、一㮈はまた喋り始めた。
「僕は、君たちより遥か昔から存在していたんだ。この世界が出来上がったその日からね……。僕はミクロサイズの細胞だったんだ。博麗一族の腹の中に寄生するのも簡単だったけど、霊夢に殺されちゃってさ、大変だったよ」
「霊夢が………………!」
魔理沙はその時、やっとその事実に気づいた。
なんて……なんて残酷なんだ!。
魔理沙は内心で、張り裂けそうな思いをぐっとこらえた。
そんな魔理沙にも気付かず、一㮈は話し続ける。
「この後、僕はこの世界から脱出する。君たちと同じ、死にたくないからね。けどその前に…………」
一㮈は右足を、魔理沙の腹に強く押し付けた。
「ぐっ……っ……!」
魔理沙の悲鳴が天使の声にでも聞こえるのだろうか、一㮈の口から、ついに笑い声がが漏れた。
「君は此処で殺さないとダメだよねぇ!魔理沙!。僕を殺した罪を償ってもらわなくちゃ、気が済まないんだよ!」
狂った罵声を上げながら、二度、三度、腹を蹴る。
「ぐっ……ああああっ……!!」
あまりの激痛に、耐えられなくなった悲鳴が漏れた。
瞼から、涙がボロボロと頬を伝う。
「あはは!はははは!あはははは!」
不気味な笑い声が、赤い大地を震わせた。
「そうだよ!その声!。僕はね、ずっとこの時を待ってたんだ!。世界が僕のものになる瞬間を……!」
そう言いながら、一㮈は右腕を魔理沙に向けた。
「君は向こうで、安心して見ててくれればいいんだよ」
結局、歯が立たなかった。一歩も及ばなかった。
完全に停止した思考の中で、霊夢だけが自分を見つめていた。まるで、諦めるなというかのように。
霊夢………………ごめんな……私のせいで…………。
一㮈の右腕が、まっすぐ、魔理沙に振り下ろされた。


「ーーーー魔理沙ああああああ!!」
「………………霊夢?」
いやまさか、そんなはずがない。あのような状況で、推測し、此処に来れる考えなんて、できるはずがない。
魔理沙はうつろな表情で、遥か西の空を見上げた。当然、そんなもの見当たるはずがなく、ため息をついた。
「諦めるなあああああ!!」
「!?…………霊夢…………私は…………」
瞬間、紅の空に、チカッと桃色の光が瞬いた。
その光に気づき、一㮈は振り下ろそうとしていた右腕を下ろした。ゆっくりと空を見る。
黒髪の巫女姿の少女が、魔理沙と一㮈めがけて、高速で突っ込んだ。激しい土煙が轟音と一緒に鳴り響いた。

この時点で霊夢は、あり得ない状況に気がついていた。
まず、魔理沙を痛めつけていた少女。
「遅かったじゃないかぁ、霊夢」
「一㮈……………薄々感づいてたけどね…………」
その通りだった。心の片隅では気がついていたのだ。しかし、思い出すのが怖くて、無意識に忘れようとしたのだ。
そして今、その考えが、現実のものとなってしまった。
「一㮈…………なんでこんなことするの?」
霊夢が現れたことに驚きを見せない表情で、一㮈は視線を目の前の霊夢に移すと、深遠な目で口を開いた。
「面白い質問をするね、霊夢。理由なんてないのさ。この世の全てを手にするためなら、僕は《理由》なんて、堅苦しい言葉を捨てることにしたんだよ」
「理由を…………捨てる?」
「そうだよ。人間は行動する時、何かしらの理由を持つだろう?。僕にとっては、それが邪魔で仕方がないんだ」す
正直、霊夢は一㮈の言っている事の意味が解らなかった。
「それよりさ…………」
一㮈は、魔理沙の腹を、力を入れて踏みつけた。華奢な体が歪み、魔理沙の口から悲鳴が漏れる。
「君は丁度いいところに来てくれたよ。これから魔理沙を殺そうとしてたとこなんだよ」
「やめろっ……!!」
瞬間、霊夢は霊符を取り出していた。
夢想陣剣を両手に、霊夢は一㮈に突っ込んだ。
一㮈はそれを待っていたかのように、笑いながら右腕を黒マントから現した。黒い腕は緑色の液体に染められ、不気味な発行を呼吸のように繰り返していた。
他の場所を狙えば反撃を食らうに違いない。今、一㮈の攻撃方法はあの右腕一つだけだ。なら、優先して狙うべき場所は、攻撃方法のあの腕だけ!。
加速する思考の中、一㮈の深い瞳が霊夢を見つめた。
瞬間、衝突音が鳴り響いた。霊夢の剣と一㮈の右腕が衝突したのだ。感触からして、受け止めたのだろう。
笑っていた一㮈の表情から、笑みが消えた。
「全く………期待はずれもいいところだよ、霊夢」
「…………!?」
全く効いてない!?。ぶつかったはずなのに!。
「六年でこんなに力の差が開くなんてね。まあ、君の力なんて、今のでたかが知れたけどさ…………」
「ふざけないで。強がりもいいところよ」
刹那、一㮈の右腕の先から、血しぶきがほとばしった。
一㮈の言葉は全てハッタリだ。私の一撃は、必ず一㮈に届いている!。まだ終わっていない!。
しかし、一㮈の表情は全く動かなかった。
「どいつもこいつも、勘違いはよしてくれよ。魔理沙にも言ったけど、攻撃が緩すぎる」
「勘違いしてるのはそっち…………」
言葉は最後まで続かなかった。
一㮈の右腕が、完全に腹に食い込んでいた。生々しい音が響く。

親友の口から、大量の鮮血が吹き出す様を、魔理沙はただ呆然と見るだけだった。
「霊夢…………!」
叫ぶ魔理沙に、一㮈は目も一つくれず、霊夢を右に投げ飛ばした。その小さな身体が、乱暴に地面を滑る。
その間も、一㮈の冷酷な表情に変化はなかった。
「まさかだけどさぁ、霊夢。君は魔理沙を助けに、僕を倒しに来たんだよねぇ?。何だい、その様は…………」
一㮈は喋りながら、冷たい言葉を投げ払った。
「本当にがっかりだよ。六年前、僕を倒した張本人は君だろう?それが何で今になって、こんなにも弱くなってるのか、説明してくれるかぁ、霊夢」
静かな赤い大地で、一㮈の声だけが聞こえていた。
「僕の手に切り傷を入れた事だけは、褒めてあげるよ。でもね、だからと言ってこの僕を倒せると思っているなら、殺される前に、早くここから逃げた方がいいよ?」
瞬間、一㮈は大きく血を蹴った。轟音が響く。右腕を振り被り、霊夢に向かって突進していく。
「この僕から逃げられるならね!!」
「霊夢っ……!」
魔理沙の口から、小さな悲鳴が漏れた。
あの腕で殴られて仕舞えば、擦り傷では済まない。
時間が遅くなる。全てがスローモーションになる。音も、光も、残像も、全てが時間の流れに逆らえず、ゆっくりと流れていく。しかし、現状は変わらなかった。
一㮈の右腕が霊夢を捉え、その牙を向いた。霊夢はぐったりとしたまま動かなかった。
「やめろ!やめろよ!一㮈ああああ!!」
魔理沙は叫び、強引に体を起き上がらせようとした。しかし、声を出すほど傷口が悲鳴をあげ、血が吹き出る。その痛みに体が負け、魔理沙はその場に倒れこんだ。
その間にも、一㮈の不気味な右腕は、その強靭な力で霊夢の息の根を止めようとしていた。
「やめろおおおおお!!!」
そしてついに、一㮈の右腕が、霊夢に触れた。

***

静まり返った紅魔館のフロアには、レミリアと咲夜だけが取り残されていた。外で揺れ動いている三つの呪力、巨大な呪力は、おそらく一㮈のもの。残り二つは判らないが、おそらく…………博麗の巫女。
咲夜は、一旦レミリアに向き直ると、一言呟いた。
「レミリア様………教えてください。貴方が隠している全てを。こうなった以上は、もう私たちにできることはありません。一時間もあれば、世界は消滅してしまいます」
こうなってしまった今、私たちにできることは…………。
レミリアは悔やむ咲夜に温かい眼差しを送ると、こんな状況でも変わらない笑みで、語りかけた。
「咲夜、もう諦めようとしてるの?」
「………………!?」
此の期に及んで、何を呑気にそんな言葉を…………!。
「私たちの目的は何?、咲夜。幻想郷の全てを手にすること、スカーレット家の絶対的支配」
「まさか………………。貴方はまだそんなことを!!」
「咲夜、紅魔館の最高司祭として命令する。今すぐ大部隊を編成し、博麗の巫女が居ないことで無防備になった幻想郷の北側の大地を、占領しなさい」
その圧倒的な気迫と言葉に、咲夜は息を詰めた。
「……………承知しました」

***

早苗は、博麗神社付近の人々を守矢神社に避難させ、萃香
、神奈子と一緒に博麗神社へと避難した。
霊夢は急に飛び立ってしまうし、魔理沙は居なくなった。何が起きているのか解らない状況では、早苗は二人が帰ってくるのを、ただ待つしかなかった。
真っ赤に染まっている空は、元に戻る気配がない。悍ましい何かが、近づいてきている様なこの感覚は、感じる者に不吉感を与えた。天空から不気味に鳴り響く生き物のような鳴き声は、聞いていて胸騒ぎがする。
霊夢が紅魔館に行った確率は高い。今にでも実力者を集めて救援に向かいたいが、周辺の住民がパニックを起こしている今、此処を動くわけにはいかない。三浦村が崩壊した時と同じように、五百人以上の大部隊が此処を攻めてきてもおかしくない状況だからだ。
早苗はやるせない気持ちで、ため息をついた。神奈子はずっと空を眺めているし、萃香は眠りに入ってしまった。
「私も、霊夢さんみたいに強くなれたなら……………」
と、心の中の願望が、つい言葉となって吐き出される。慌ててその気持ちを、頭を振ってかき消した。
たとえ強くなくても、できることは必ずあるはずだ。
早苗は、昔から戦闘能力には長けていなかった。しかし術や戦闘のセオリーに対する知識は飛び抜けて高く、両親にも急かされ、勉強し、わずか十一歳で、守矢神社の巫女を任されるまでになっていた。
今では、両親はすでに他界し、後継が居なくなった守矢神社を自分が継いでいるのだ。神社には早苗一人しかおらず、いつも素っ気ない生活を送っていた。
そして二年前、早苗は博麗霊夢に出会った。
第一印象は、貪欲、ケチ。幻想郷一の巫女だなんて、嘘でも初めは信じられなかった。しかし、この世界には、巫女が二人しかいない。守矢神社の東風谷早苗、博麗神社の博麗霊夢、その二人だけだった。誰が幻想郷一の巫女だなんて、初めは考えもしなかった。
そんな二人が出会ったきっかけは、霊夢に退治されたことだった。
昔の早苗は、ひどく荒れていたのだ。主君である八坂神奈子しか信じることができず、神奈子に近づこうとする、あるいは襲おうとする者は、容赦なく蹴散らしてきた。
しかし、その一人に霊夢も加わっていた。
結局、ぼろ負けしてしまって、それが、自分の性格を振り返るきっかけとなったのだ。
それ以来、早苗は周りの世界を知った。世界は広いということを、あの闘いで実感したのだ。
それからと言うものの、早苗は巫女修行に励んだ。自分の周りを知り、自分の愚かさを顧みることで、初めて人を守ることができるという事を、信じ続けてきた。
目指すは、主人である八坂神奈子に認められる巫女になり、博麗霊夢を超えること。しかし、そこにたどり着くまでには、決して避けることのできない困難の連続だった。
霊夢という人間は、知識こそ早苗に劣るが、底知れぬ呪力を見に宿していた。源は何なのか、解明したくなるほどの大量な主力の差は、早苗に巨大な課題を与えた。
そんな疑問を、神奈子に直接問いかけたこともあった。

『博麗霊夢が、何故あんなに強いか知りたい?』
『はい………………』
一年前、早苗はいつもの修行を終えた後、神奈子の道場に戻り、そんな質問を投げかけていた。
主人である神奈子の性格は、言うなれば意地悪だ。何もかも自分の都合のいいように言語能力を使いまわし、たちまち相手を疲れさせてしまう。今言った質問だって、ちゃんと答えてくれるとは思っていない。
しかし、そんな性格とは裏腹に、神奈子の強さは逞しかった。早苗は神奈子を師匠として尊敬し、毎日厳しい修行を行っていた。
だからこそ、主人である神奈子に認めてもらいたい。幻想郷唯一のもう一人の巫女である霊夢を超えたい。
神奈子は数秒間沈黙すると、笑みを見せた。
『仕方がないねぇ。それじゃあ、今回だけは、ちゃんと答えてやるとするか……………』
神奈子は早苗に向き直ると、真面目な表情で言った。
『アイツは、五年前に起きた博麗神社の火事の時、たった一人で逃げ出したまま、三年間もここに戻ってこなかったんだ。三年の間に何があったかは知らないけど、戻ってきた時点で、アイツの呪力は私を上回っていたよ…………』
『な、何ですって…………!?』
驚きのあまり、座っていた座布団が滑り、早苗は後ろにずっこけた。痛みのあまり、痙攣しながら起き上がる。
『コホン…………そ、それは本当なのですか…………?』
『ああ、真実だ』
なんとも、それは…………とても信じがたい。

それを知った途端、早苗の中の霊夢は大きく変わった。
独立埠頭の神と称えられる神奈子と呪力は同等、今は私と同じくらいだが、それでも、身の内に秘めた集中力では、今でも大きく劣ってしまう。
早苗は溜息を吐き、遥か西の空に視線を移した。
遠い空の中央、そこだけ光が強いように見えるのは気のせいだろうか。
そこまで思考を巡らせると、神奈子が何かに気付いたのか
、慌てた表情で振り向いた。
「早苗!西に大量な気配が!」

***

霊夢は暗闇の中に閉ざされていた。
何も見えない、何も感じない。そんな慈悲なき世界。
全てが静寂に包まれ、脆弱な鼓動を響かせている。
ここは…………どこだろう?
何も見えない、何も感じない。あるのは醜い自分だけ。

一㮈の力は圧倒的だった。魔理沙を助けると言って此処まで来たのに、力という理不尽な格付けによって、貧弱な自分の力はねじ伏せられてしまうのか…………。
そこまで考えたところで、行き着いた思考が停止した。
考えるまでもない。私は一㮈に敗北し、魔理沙を助けられなかった。ただそれだけのことだ。
しかし、悔しいと思ったことも事実だ。
六年前からともに競い合い、戦いあった《友》に、今ここで、圧倒的な力の差で劣ってしまったのだから。
「本当に変わってしまったんだ…………一㮈…………」
昔はあんな人間ではなかった。振袖姿がよく似合い、紅色の髪の毛と凛々しい瞳が何より好きだった一人の友人が、博麗一族の裏切りであり仇だなんて、今でも信じてはいない。信じたくない。
しかし、現実はそう簡単に変わるものではない。
一㮈がこれまでしてきた事、した事は、決して許せるものではない。今だって、一㮈のせいで魔理沙が苦しんでいるのだ。許していいはずがない。
ならば、自我を断ち切ってでも、立ち上がらなければ。
たとえ鬼に、化け物になっても、救うべきなものさえ心に思い止めていれば、大丈夫だ。
ならば、立ち上がらなければ、魔理沙を守り、一㮈をこの手で倒さなければ…………今度こそ私は………………。
すると、体に力が入った気がして、這い上がろうとする。しかし、起き上がろうとする度に、一㮈の呪詛と、激しい激痛が、霊夢の心を畳み掛けようとする。
闇の中で、口から吐き出された鮮血だけが、ひときわ輝いて見えた。
「くっ…………ぐうっ!」
耐えて、耐え抜いて、立ち上がらなければ!。
魔理沙の痛みに比べれば、私の痛みなんて…………!。
そう自分に言い聞かせ、両足に力を入れる。
今にでも折れてしまいそうな両足が、霊夢の気持ちとは裏腹に、細かい悲鳴を上げる。
あまりの痛みに、瞼からも大量の涙が流れる。
こんな痛みで根をあげていては、魔理沙や、幻想郷のみんなにも………見せる顔がない!。
そう思いつつも、両足はもう限界に達していた。
暗闇の向こうに、一㮈のあざ笑う表情が見える。
私は…………決して諦めない!。もう諦めたりしない!。
しかし、体が言う事を聞かず。霊夢は座り込んだ。
もう…………ダメなの…………?。
ここまでかと思った瞬間、霊夢の耳に聞き慣れた声が響いた。
「諦めんなよ、霊夢」
霊夢は目を見開き、頭を上げた。
そこには、金髪の魔法使い、魔理沙の姿があった。
「魔理沙………………?」
霊夢の口から、かすれた声が漏れた。
「どうしてここに」と聞く前に、魔理沙が口を開いた。
「らしくないな。まだ諦めることじゃないだろ」
その表情は、溢れんばかりの陽気な笑顔だった。
いつもの魔理沙だと思うと、流れていた涙も止まった。
「でも…………立てないの」
「私が手を貸してやる」
その時、魔理沙とは違う、もう一人の声が暗闇に響いた。
魔理沙の隣に現れたのは、紫色の髪の女だった。
独立埠頭の神、八坂神奈子。
神奈子は、一息つくと、まだ終わっていないと言うような表情で、霊夢に語りかけた。
「だから立ち上がれ。そこから…………お前を蹂躙しようとしている奴の微睡みの中から……………!」
その時、霊夢の背中を誰かが小さく押した。小さな、華奢な手で、霊夢を立ち上がらせようとする。
霊夢は後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。
代わりに、懐かしい声が闇に響く。
「霊夢なら大丈夫!。いつでも私がついてるから」
遠い昔に消え去った、もう一人の親友の声。
「誰…………誰なの!?」
そう聞こうとすると、魔理沙の両手が自分の手を包んだ。
親友の魔法使いは、ニカっと笑うと言った。
「そんな事気にしてる場合じゃないだろ?。今すぐ立って
、一㮈を倒してやろうぜ!」
魔理沙はそう言うと、霊夢の手を力強く引っ張った。
いつしか後ろの気配は消え、前方に黄金の輝きが見えた。
あまりの光景に、霊夢は数秒間沈黙した。
魔理沙に手を引かれるがままに、霊夢は微笑した。
「うん………そうだね………こんな所で立ち止まってたら
、みんなに………魔理沙に合わせる顔がない!」
そう言う間にも、遥か前方の輝きは強くなっていく。
全ての闇が光に吸収され、周りの景色も姿を変えていく。
白銀に包まれた空間には、霊夢と魔理沙が残された。
魔理沙の優美な笑顔が、ついには光に包まれていく。
「魔理沙…………!」
必死に叫び、消えゆく魔理沙の手を掴んだ。
「大丈夫!霊夢は一人じゃない。みんながいる!…………
私がいる!。だから、お前も立ち上がれ!」
消えていく魔理沙の顔は、輝く笑顔だった。
ついには、魔理沙は消え去り、霊夢だけが取り残された。
粒子が光に還元され、世界はあるべき実態を変える。
全ての光は対をなして、混ざり、その色を変えてゆく。
霊夢の身体が黄金の輝きに包まれ、力を漲らせる。

そして……………………。

4 悪魔を祓えたる光の巫女


「やめろおおおおお!!」
魔理沙は、この上ない雄叫びをあげた。
たった一人の親友を、守るために。
一㮈は霊夢に触れる直前で、動きを止めた。
「なんだ………まだ生きてたんだ、魔理沙。どうやら真っ先に死にたいのは君みたいだねぇ…………」
殺意だけのその顔は、魔理沙には悪魔に見えた。
一㮈は右腕を下ろすと、魔理沙の方に振り返った。
「霊夢を殺すつもりだったけど、まあいい。君から先にあの世に送ってあげるよ。なあに、順番が変わるだけだ」
一㮈が喋り続ける一方で、悪魔の右腕は音もなく煙を立てながら、呪力を倍増させていく。
僅かではあるが確実に、一㮈は近づいてくる。
笑みに溢れた表情のまま、呟いた。
「まあ、動けない人間を放っておいても仕方がないよねぇ。もしかしたら、動ける可能性もあるかもしれないし、面倒くさいから、今殺す方がいいよねぇ」
狂気に満ちた表情は、見るものに恐怖を与える。
一㮈の右腕が、獲物を喰らい尽くす瞬間が待ち遠しいとでも言うのか、一㮈の呼吸と合わせて発光している。
鋭利な釜爪が、魔理沙の腹に食い込んだ。
「くっ………………!」
「ねえ、魔理沙ぁ。これから死ぬってどんな感じ?。僕は死んだ事がないから解らないんだ。ねえ教えてよ魔理沙」
一㮈の冷酷な言葉に続いて、釜はどんどん食い込む。
一センチ、また一センチと、着々と深く潜っていく。
不可解な痛みが、魔理沙の神経を揺さぶる。
そうか………………死ぬってこんな感じか…………。
三ヶ月前にも味わった事のない、純粋な痛み。他の余分な感覚は排除された、深淵な感覚。
「さっきは霊夢に邪魔されちゃったけど、今度こそ二人きりだよ、魔理沙。じっくり楽しもうよ」
そんな一㮈の声も、遠く聞こえず、痛みだけが、魔理沙の
世界を包み込んだ。
刹那、
どこからともなく光るものが飛翔し、一㮈の右腕に向かって衝突した。いや、突き刺さった。
思いもよらぬ展開に、魔理沙は痛みも忘れ目を凝らした。
一㮈の右手に突き刺さっているのは、小さな羽だった。純白な、それなのに温もりを感じさせる、不思議な、小さな一枚の羽。その美しい見た目とは裏腹に、羽の根本は鋭利な刃物に等しいほど研ぎ澄まされた剣のように見える。
魔理沙はすぐさま、羽が飛んできた方向を凝視した。
赤い大地、こんな状況でも静まり返っているのが、かえって不思議だ。じっくりと目を凝らす。しかし、何も見つけられず、魔理沙はその場に俯いた。
死ぬ間際の、幻覚ってやつか………………。
今頃、一㮈の右腕が自分の心臓を貫き、六年に及ぶ戦いに終止符を打とうとしているはずだ。
そこまで考えた、その時。
シュンッ!
今度こそ正確に、はっきりと魔理沙の耳に音が聞こえた。
恐る恐る、恐怖で重くなった瞼を開く。
「ーーーーーっ!?」
おいおい、これは現実なのか………………?
魔理沙の目から煌めく水滴が流れ、頬を伝った。
全くお前は…………いつもギリギリまで待たせやがって。
こわばった顔が徐々に和らいでいく。安堵のあまり、身体から力が抜け、その場に倒れこむ。
堪え切れなくなった涙が、ついに溢れかえった。
魔理沙の視線の先には、一人の少女が立っていた。
純白に彩られた巫女服を纏い、長い白髪を揺らす。少女の鼓動に合わせ、舞い散る純白の羽が共鳴していく。
美しいその見た目と相対し、少女の瞳は、まっすぐ一㮈の顔を強く睨んでいた。
二枚の羽が直撃したのにもかかわらず、一㮈は平然とした表情のまま、少女を見て口を開いた。
「へえー、まだ動けたんだー」
呆れた表情で、一㮈は少女の名を呼んだ。
「霊夢」


霊夢は、みなぎる力を制御するのに苦労しながら、目の前の仇を睨んで強く内心で叫んだ。
ありがとう魔理沙………私はまだ戦える!。
みんなが言ってくれた。お前はまだ戦えると。
魔理沙が言ってくれた。諦めるなと。
ならば、私はまだ負けられない。魔理沙の宿敵であり、私の仇、ライバルを倒すまでは、誰にも負けられない!。
黄金に輝くオーラをまとった霊夢を見ていても、一㮈は不思議なほどに平然とした表情を保っていた。
これでも恐れうるに足りないのか………………。
「どうやら、レミリアが植え付けた吸血鬼の力を完全に自分のものにできたらしいねぇ。やるじゃないかぁ」
一㮈は笑みをこぼしながら、悠々と口を開いた。
「吸血鬼………………?」
「そうだよ。六年前、博麗神社を焼き払ったのは、まぎれもなくレミリアが下した命令だ。しかし、レミリアも想定外だったことが起こってしまった。霊夢、君が神社から運良く抜け出せてしまったんだ」
霊夢の脳裏に、激しい閃光と火花が散った。
「まさか、六年前の火事は、紅魔館の仕業だったの!?」
「知らなかったのかい?。相変わらず鈍いな、霊夢は」
霊夢の身体が、小刻みに震えた。
あの時…………私が気付いていれば…………!。
「そこでレミリアは、君に吸血鬼の卵を植え付けた。紅魔館に復讐するのを止めるためにね」
堪え難い沈黙が、霊夢と一㮈を貫いた。
つまりそれは、少しでも紅魔館に復讐しようとするそぶりを見せれば、霊夢の体内に植えつけられた悪魔が、主人の身体を乗っ取るということだった。
「そんな………………」
声にならない悲鳴が漏れた。全身が震える。
一㮈はにっこりと笑うと、呟いた。
「でも、安心して、霊夢。今となっては、力は君の物だ」
沈黙を破ったのは、意外にも魔理沙だった。
「霊夢っ…そいつの言葉に騙されるな………お前を動揺させるために…
………………」
その言葉に、一㮈の表情も冷たくなる。
「いちいちうるさいなぁ魔理沙は。どれだけ死にたいの。それとも……
…………僕に喧嘩を売る気なのかな?」
やがて、一㮈は両手を魔理沙に向け、小さく呟いた。
「早く消えろよ」
その瞬間、一㮈が血を蹴り、走り出した。
信じられない速度で、魔理沙と距離を詰めていく。
霊夢が気付いた時には、一㮈はもう魔理沙の目の前に立っていた。緑色の瞳が不気味に覗く。
高々と右腕が振り上げられ、拳が魔理沙を捉えた。
その間も、魔理沙は強く一㮈を睨んでいた。
一㮈の表情が笑みに変わり、不気味な声が発せられる。
「なんだい、その目は?」
同時に、魔理沙の表情も笑みに変わる。
「さっさと殺せよ。覚悟はできてる」
「そう来なくちゃ!。望み通りにぐちゃぐちゃにして、悪霊の餌にしてあげるよ!」
一㮈の右腕が、力強く振り下ろされた。
魔理沙が、強く目を閉じる。
時が止まったように、全ての風景がブラックアウトする。
全てがスローモーションになる。

刹那。
小さな人影が、魔理沙と一㮈の間に割って入った。
二人の顔に、驚愕な表情が浮かんだ。
一㮈の拳を受け止める、小さな人影。
触れただけで萎れてしまいそうな小さな身体。その顔には決意と覚悟を感じさせる水色の瞳。
水色の髪を揺らし、その少女は魔理沙に振り返った。
「助けに…………来たよ」
「萃香………………!!」
刹那、萃香の小さな身体が跳ね飛ばされた。
霊夢の視界が、真っ赤に染まった。
激しい火花が散る。霊夢の脳裏に憤りが走った。
霊夢は力強く、地を蹴っていた。
一㮈の目の前に飛び込み、夢想陣剣を引き抜く。
夢想の剣の剣先が、一㮈の右腕とぶつかった。
激しい炸裂音が、赤い大地に轟いた。
「よくも…………!!」
「おいおい霊夢。勝手に割り込んで勝手に吹っ飛ばされたのはあのチビだろう?。言いがかりはやめてほしいなぁ」
霊夢の脳裏に、激しい怒りが湧き上がった。
霊夢の周りに停滞していた純白の羽が、一㮈に向かってまっすぐに逆立ち、一斉に突き刺さった。
しかし、一㮈の表情は変わらなかった。
「ダメだよ霊夢〜。力は感情的に使っちゃダメなんだ。力が感情に負けて制御できなくなるからね」
一㮈はそう呟くと、改めて萃香を見据えた。
「それにしても、僕の攻撃をまともに受けて、あそこまで無事に済んだ奴は久しぶりだよ〜。一体誰だい?」
その言葉に、霊夢も怒りを忘れて萃香を見やった。
あれだけの力が込められた、いや、実際込めていなかったかもしれないが、ただでさえ力強い一㮈の一撃を受け止めていても、萃香は左腕を抑えているだけで、他には擦り傷一つ有りはしなかった。
苦しそうに身悶える萃香に、魔理沙が駆け寄った。
「萃香…………何故!?」
小さな顔に、微笑みが浮かぶ。
「よかった…………………」
相当の痛みを感じたはずだが、萃香の表情にはそんな顔すらなかった。代わりに、遠い目を………………
嫌な予感がした魔理沙は、萃香を見て叫んだ。
「おい!萃香!しっかりしろよ!今回復してやるからな」
考えもしなかった。今まで自分と霊夢が一㮈の攻撃に耐えられていても、萃香の小さな身体が耐えられる訳がない。
魔理沙はポケットから翡翠色のオーブを取り出した。
回復魔法ヒーリングと叫び、萃香の身体に乗せる。
暖かい緑色の光が、静かに萃香を包み込んだ。
数秒程で光は消え、萃香は深い眠りに落ちた。
安心のあまり溜息をつく。萃香に向かって優しく呟いた。
「ありがとな…………萃香」
すぐに目つきを変え、霊夢と一㮈の方に視線を写した。
「後は…………霊夢がなんとかしてくれる」

***

幻想郷の北にある美しい野原を、早苗は走っていた。
まだ距離はあるが、もう少しだろう。
神奈子が言った大量の主力の正体は、やはり、紅魔館の大軍勢で間違いなかった。
唯一、幻想郷の神々たちが足止めをしているが、それもどこまで持つかわかったものじゃない。
元々、幻想郷には様々な神たちが住んでいる。早苗の主君である神奈子も無論、神の一人だ。他にも、山の神、川の神、海の神など、大勢の神がいる。
神は、計り知れない主力を持っており、闘いを挑んで勝ち得たものなど一人もいない。なにせ、少しも動かずに相手を倒してしまうのだから不思議だ。
そんな神でさえも、二千の大軍勢に手こずることはないだろうが、倒しそこねた数人が中心を攻めてくると予測した神奈子は、早苗にあることを命令した。
住民の避難と誘導、そして敵の討伐。
神たちが頑張っている今、それができるのは早苗しかいなかった。ならばこそと、早苗は引き受けた。
「私だって…………負けられませんよ」
早苗は呟くと、走るスピードを上げた。

***

霊夢は、鋭い目つきを一㮈に向かって放った。
「怖いなぁ、霊夢。けど………………」
その表情に殺気が現れた。
霊夢が気づくよりも早く、一㮈の右足が、霊夢を蹴り飛ばした。そのまま高々と跳ねあげられてしまう。
「この僕に向かって、そんな顔はないだろ」
そう言うがまま、一㮈は霊夢に向かって飛んだ。
「霊夢!!」
危機を感じ取ったのか、魔理沙が強く叫ぶ。
しかし、一㮈の追撃は、寸前で動きを止めた。
霊夢の左手が、一㮈の悪魔の右腕を受け止めていたのだ。
一㮈は、衝撃で吹き飛ばされ、地面に激突する。
「………………凄い」と魔理沙の口から声が漏れた。
しかし、あれ程の衝撃はだったのにもかかわらず、一㮈は無傷で、表情一つ変えていなかった。
無表情な口から、低い声が呟かれる。
「すっごーい、霊夢が僕を突き飛ばした。でも、こんなひ弱な攻撃で、僕を倒せると思…………がはっ!」
その瞬間、一㮈の口から大量の血が吐き出された。
魔理沙はその時、今度こそ直感した。
霊夢の攻撃は…………一㮈に効いている!。
そう思った矢先、信じられないことが起こった。
静まり返っていた魔界の世界に、小さな音が響いた。
煙…………?。霊夢は内心でそう思った。
そして、思考を巡らせる内に、ある事を思い出す。
十五日前に、三浦村を偵察に行った私の目の前に現れた黒いフードの人間。彼奴は、私の夢想陣剣をまともに喰らった。しかし、何かが焦げるような嫌な音が聞こえたと思ったら、彼奴の傷は綺麗に消えていて………………。
霊夢は驚愕し、目の前の一㮈を凝視する。
一㮈の右手の甲に突き刺さっていた純白の羽が、ひらりと地面に落ちた。いや、驚愕したのはそこではない。
一㮈の右手の傷が、緑色の液体となって消えた。何事もなかったように、跡形もなく、あっさりと………………。
霊夢の喉の奥から、かすれた声が漏れた。
「まさか………………」
最初から感づいていた。あんな小さな村でも、神が二三人はいたはだ。紅魔館の兵隊一人一人が強いとは思わなかった。いくら神でも、五百人の小隊なら大技でも放って敵を殲滅できるはずだからだ。
しかし、事態は霊夢の予想をはるかに上回っていた。
農民を一人残らず抹殺し、その上、神も殺してしまうほどの実力を持った人間が目の前にいるではないか。
「貴方が………三浦村を襲ったの…………?」
出した言葉は、芯まで乾いていた。
一㮈は、少しの間沈黙した後、また喋り出した。
「うん、そうだよ?。もしかして、今頃気付いたなんて言わないよねぇ、霊夢」
その言葉を聞いた途端、身体の力が抜けた。
全ては無駄だった。五百人の大軍勢なんて、最初から存在しなかったのだ。あったのは、ただ獲物を喰らい尽くそうとする人の姿をした悪魔の意思だけ。
と同時に、底知れぬ怒りが霊夢の脳裏をかすめた。
視界にオレンジ色の火花が飛び散り、赤く染めてゆく。
その時には、霊夢の体は動いていた。
猛スピードで地面を駆け抜け、一㮈を視界に捉える。
夢想陣剣を両手で構え、一心不乱に突進した。
「おおおおぉおおおおお!!!」
何を思ったのか、一㮈の顔に笑みが浮かんだ。
霊夢はそんな事も気にかけず、大剣を振りかぶった。
「せいやああああ!!」
一㮈めがけて、巨大な剣を突き落とすように振った。
霊夢の大剣と、一㮈の右拳がぶつかり合った。
衝撃で大気が揺れ、地面が揺れた。空気の歪みがはっきりわかるのは気のせいだろうか。
しかし、一㮈の表情は変わらなかった。
「ガッカリだよ………霊夢。吸血鬼の血を自分の物にしたんじゃなかったのかい?。これじゃあ………………」
一㮈の左手が、霊夢の夢想陣剣を強く押さえた。
剣を握る左手に、力が込められているのが解る。
次の瞬間、剣の刃が、粉々に粉砕された。
霊夢の脳裏に驚きが走る。
剣を直接、破壊した………………!?。
「侮辱だよねえ!霊夢!」
いや、驚いている暇などない。
驚いている暇があるなら…………………。
霊夢は、胸倉から霊符を取り出した。
夢想陣剣の霊符。
「もう一つ?」
一㮈の表情に、驚きが混じった。
霊符に向けて、霊夢は夢想陣剣を突き立てた。
大剣は霊符の光に飲み込まれ、その姿を変えていく。
「夢想陣剣……紅桜!」
紅色の桜に彩られた巨大な大剣が、目の前に出現した。
「なんだあれ!?」
魔理沙の口からも、驚きの声が漏れた。
夢想陣剣とは、本来、自らの記憶の結晶によって能力を大幅に強化する力がある。私と霊夢が初めて戦った時に、霊夢の夢想陣剣が巨大化したのと同じだ。
しかし、今回は。あまりにも美しすぎる。
まるで、過去の思い出を桜として力に変えた結果だろう。
ずっと、考えていた。何故、霊夢は、神社にたった二人で住んでいるのだろうと。しかし、他人の私情を聞くのも気がひけるので、境内を掃除している途中に、さりげなく聞いてみたことがあった。

『なあ、霊夢。お前は昔から萃香と二人で此処に住んでいるのか?』
『六年前。火事でこの神社は焼けたわ。私の家族もろとも
…………ね…………』
やはり、聞くべきではなかったと後悔する。
『悪いな。そんな事考えもしなかった』
そう呟く魔理沙を見ながら、霊夢は頭を横に振った。
『今は清々してるわ。お父さんは厳しすぎて…………嫌いだった。母親も家を出ていったわ…………』
どんどん引きつり気味になる魔理沙の顔を見て、霊夢は何が面白いのか、クスクスと笑った。
『おい、私で遊ぶんじゃないぞ』

そんな悲しい過去も、霊夢なら力に変えられるのか?。
魔理沙は夢想陣剣の輝きに照らされる桃色の空を眺めながら、溜息を一つ、ゆっくりと吐いた。
霊夢が、世界を救う英雄となるのか。
一㮈が、世界を滅ぼす悪魔となるのか。
もう、魔理沙には計り知れなかった。
強靭な力が、ぶつかり合うこの瞬間、世界は大きく影響されるだろう。霊夢が勝てば、大魔法ラグナロクは止まる。世界は何事もなかったように、いつもの日々を取り戻す。
一㮈が霊夢を倒せば、大魔法ラグナロクが発動し、世界は災厄と恐れられた災害によって、滅ぼされる。
確率はおそらく五分。いや、一㮈の方か…………。
そう考えている間にも、夢想陣剣《紅桜》と呼ばれた大剣は、その輝きを増していくばかりだ。
一㮈は驚愕の表情で、霊夢を呆然と見つめながら言った。
「呪力が十倍………いや、それ以上に増幅している!」
霊夢は鋭い目つきのまま、一㮈に向かって叫んだ。
「天承!チェリーザアウェイニングソード!」
聞いたこともない。天より遣わされた希望の剣を握りしめ
、霊夢は叫んだ。天より司る力を手に…………。
「うおおおおおお!!」
見るのも眩しく輝く剣が、ついに振り下ろされた。

***

早苗は、桃色に染まってゆく空を見ながら、叫んだ。
「霊夢さん!!」

***

神奈子は、押し寄せる大軍勢にも目もくれず、西の方角に強い呪力を感じ取り、笑みをこぼした。
絶対に…………霊夢だ。
霊夢以外、ありえない。あの感じ、あの主力は、まさしく霊夢のものだ。いつ感じても、桜に彩られている彼女の主力は、いい光だった。
神奈子は、果てしない空を見上げながら、叫んだ。
「行っけええええ!!霊夢!!」

***

二人の想いが、花となって夢想陣剣を彩った。
「悪魔!。貴方の中の一㮈を返してもらうわ!!」
必ず…………必ず助け出してみせる!。
私がこよなく愛した親友の心は、絶対に汚れたりしない。
まだ、助けられる。私が認めた博麗一㮈は、まだ消えたりなどしていない。どこかで必ず……………………。
「必ず…………悲しんでいる!!」
剣はみるみる一㮈との距離を詰めていく。
魔界の空も、大地も、光に変えていく。
一㮈は、その表情に怒りを露わにした。口が裂け、目を見開き、両手を広げて叫んだ。
「ふざけるな!!。僕は博麗一㮈!!。この世界を壊し、外の世界へと脱出する、最初の人間だ!!」
一㮈は、右腕を剣目掛けて突き出した。その右腕は、輝きの中でも、まだ邪悪な光を漂わせていた。
「僕は、間違ってなどいない!!。君なんかに、負けるはずがない。僕は、僕は誉れ高き最初の王者だー!!」
もう、その声は、本物の悪魔のようだった。
剣は、ついに一㮈を輝きで飲み込んだ。激しい激突音と衝撃で、周りに突風が巻き起こった。

***

「頑張れー!!。霊夢ー!!」
魔理沙は、声が枯れるまま大きく叫んだ。
自分がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。
霊夢が、この世界を救ってさえくれれば、何も怖いものはない。
魔理沙は、魔法の箒を両手で握りしめて、強く願った。
この世界が……、ずっと平和でありますように。
魔理沙の想いが、黄金の光となって、夢想陣剣さらなる輝きで包み込んだ。
突如、
魔理沙の視界を、激しい閃光が埋め尽くした。

***

激しい爆砕音が、魔界中に鳴り響いた。
いつの間にか、両手から剣の感覚はなくなり、霊夢はその場に足から崩れ落ちた。
全ての力を…………出し切った。
私の想いは、一㮈に届いただろうか。
刹那、ぼやける視界に、一人の少女が現れた。
黒いコートに身を包み、赤い髪を揺らす少女。
「そんな………………」
しかし、少女の姿は、悲惨なことになっていた。
傷ついた紅色の鎧は重い音を立てながら落ちていた。鎧の亀裂から目に入る服は焼き焦がれたような痕があった。
一㮈は、その場に崩れ落ち、うつむいた。
「霊…………夢………………」
その口から発せられた声は、霊夢を浅いまどろみから急速に引き戻した。
透き通った声は、どこか懐かしい風景を思い出させた。
度重なる修行を、いつも一緒に耐え抜いたあの日々。
毎日、夢から覚めたら彼女は目の前にいて、いつも私を驚かせようとする、その性格は、とても可愛かった。
彼女との勝負のあの日、彼女は私の剣に貫かれ、最後に一言だけ、小さく呟いた。
ごめんね、と。
霊夢の両目から、透明な雫が幾度とも滴り落ちた。緊張で強張っていた身体に力が入り、今度こそ霊夢は地面を蹴った。溜まった涙が、空に散る。
彼女は勝ったのだ。自分を飲み込もうとする悪魔の邪悪な意思に、悪魔の囁きに。
「一㮈ああああああ!」
走り寄った霊夢は、そのまま一㮈を抱きしめた。
その昔に消え去った一人の親友は、両目に透明な雫を滲ませながら、小さく呟いた。
「また会えたね………………霊夢」
煌めく何かが、頬を伝って地面に落ちた。
同時に、底知れぬ悲しい感情が、霊夢の心を駆け巡った。
一㮈の身体の傷は、もうどんな治癒術でも機能しないだろう。完全治癒術も、今は持っていない。
つまり、このままだと、一㮈は………………。
かすかな嗚咽と共に、大量の涙が滴り落ちた。
一㮈も同様に、涙を流していた。
「霊夢の意思が…………私を引き戻してくれた。………もう大丈夫。彼は……………出てこない」
「でも……………でも…………!」
でも、一㮈は………………。
言葉に出そうとするが、寸前で息が詰まった。
しかし、そんな気持ちを、次に起こる出来事が、瞬時に消し去った。
今にでも萎れてしまいそうな顔から、小さな声が漏れた。
「な………………」
「………………?」
「なんの風の吹き回しだ!…………一㮈ああ!!」
当初は透き通っていた声が、悪魔のように濁り果てた。
その声と共に、一㮈の体表に異色の文様が現れた。
その瞬間、一㮈は何かの痛みに襲われたかのように、苦しみながら身体を左右に振った。
信じられない光景に、霊夢と魔理沙も困惑した。
何か、邪悪な何かが、一㮈の意思を飲み込もうとしているのだろうか。
一㮈は、呻きながら萎れた声を出した。
「霊夢………………もう時間がない。…………早く…………………私にトドメを………………」
その言葉の意味を、霊夢は数秒間わからなかった。
いや、知るのを拒否しているのか。
つまり、それは、今この場で、一㮈の命を終わらせる事。
六年前と、全く同じ事……………………。
「………………嫌」
声が出るのが信じられない。
「嫌……………嫌……………」
一つ、また一つ、小さな言葉が口から漏れた。
いつしか両目からは涙が溢れ、霊夢は崩れ落ちた。
「絶対に嫌よ!!。こんな…………こんなの…………私は認めない!!…………絶対に認めない!!」
折角、折角取り戻した親友の心を、こんなところで投げ出すなど、私は認めない!!。
と思っていても、現実が変わることはない。
かすかな嗚咽が、喉から漏れた。
もう、どうすることもできないのだろうか。
一㮈の命を絶つしか、方法はないのだろうか。
六年前のあの日、私は一度死んでいる。
何もかも失って、生きる意味さえ無くした私を支えてくれたのは、他でもない。一㮈だったのだ。
それなのに……………………、
現実は、そう簡単には変わってくれない。
生物は、いくら身を守るためとは言えど、自然に勝てる力など持っていない。
目の当たりにした現実を、受け止めるしかないのだ。
いくら流しても、涙は止まろうとはしなかった。
代わりに、有りっ丈の力を込めて、立ち上がる。
終わりにしよう………………。
六年前のあの日の決闘を、今、ここで………………。
傍に転がっていた夢想陣剣《紅桜》の柄を握りしめ、不思議と軽いその剣を、ゆっくり拾い上げる。
その間も、一㮈はずっと笑顔だった。
彼女にも、覚悟はできているのだろう。
彼女の類い稀ないその覚悟を、蔑ろにしてはいけない。
いつしか涙も止まり、喉の奥から声を出す。
「一㮈…………あなたが私を救ってくれた。それはこれからも同じ。一生忘れないから」
一㮈は、両目に涙を滲ませながら、小さく呟いた。
「絶対だよ………忘れたら怒るからね」
瞬間、夢想陣剣が、煌く光に包まれた。
形を変え、光はやがて止んだ。
細長い剣が、そこにあった。
霊夢は一度瞬きをして、涙を祓った。
「妖怪になったら…………神社に遊びに来てね」
細剣を構え、一㮈の胸につきたてる。

美しいその剣先が、一㮈の胸をゆっくり貫いた。
瞬間、細剣から、輝く花びらが咲いた。
紅色に染まった桜が、空を舞い、飛び去って行く。
最後に残った花が、霊夢の頬に優しく触れ、消えた。

霊夢の両目から、一筋の涙が伝った。

刹那、

幻想郷の空が、蒼に染まっていった。

そして…………………………………………………………。


エピローグ


幻想郷に、夏がやってきた。
蒼天に染まる空に、太陽が瞬いた。
そこら中で蝉が鳴き、夏の訪れを歓喜する。
博麗神社では、いつもの日常が繰り広げられていた。

「ああ!魔理沙!。私のお菓子食べたでしょ!」
境内に、一人の少女の声が響き渡った。
名を博麗霊夢、この神社の巫女であり、家主でもある。
「ああ、美味かったぞ」
そして、もう一人の少女の、呑気な声も聞こえてくる。
名を霧雨魔理沙、普通の魔法使い。
これが、霊夢と魔理沙の、掛け替えのない日常である。

「ねえ、魔理沙」
「なんだ?」
「これで良かったんだよね」
「らしくないなぁ。お前が思いつめた顔するなんて」
魔理沙は、霊夢の顔を覗きながら言った。
「霊夢だから、あいつは嬉しかったんじゃないか?」
「そうかな………………」
霊夢は、気を取り直し、改めて境内を見渡す。
萃香は、幻想郷の三大妖精、チルノ、アミ、トルゲアと一緒に遊んでいた。
チルノは、氷の妖精であるためか、この炎天下の中、一人だけ暑そうにしていた。
すると、萃香は不思議そうにチルノに尋ねた。
「チルノちゃんは氷の妖精なのに、大丈夫なの?」
「うっ………………」
小さな体が、小刻みに震える。
「バカにしないで。あたいは天才だから、たとえ氷の妖精だとしても、夏を耐え抜く力を携えているの!」
「ああ!チルノちゃん、羽根が!」
大声をあげたのは、花の妖精、アミだ。
見れば、チルノの背中にある氷の羽根が、暑さに耐え切れず、溶け出しているようだ。
チルノは顔を引きつらせ、その場から退散した。
「何やってんだか」
魔理沙は、笑みを浮かべ笑った。

あの日、ここは紅魔館の軍で攻められていたと、早苗から聞いていた。それでも、打ち勝ったのは、神々たちの大いなる力があってこそだと語った。
幸い、住民などに被害を被ることはなかった。
後から神奈子に聞いた話だが、一番頑張っていたのは早苗だったという。本人は表情に見せていないが、早苗は早苗で、ここを守ろうと頑張っていたのだ。
次の日、早苗にお礼を言うと、「私なんてまだまだ、皆さんの足元にも及びませんよ」と、案の定頭を振った。
そんな性格も、彼女の良いところなのだ。
不幸中の幸い、敵は足を引いたらしい。
念の為、早苗が監視しているが。

霊夢は、魔理沙の手を握り、満面の笑みで言った。
「ありがとう…………魔理沙。私、あなたがいなかったら、今、ここにいなかったかもしれない」
金髪の少女は、柄もなく頬を赤く染め、小さく答えた。
「お前に感謝されると照れるな」
「貴重な瞬間ですね」
その時、魔理沙の目の前に射命丸文が現れた。
「あの魔理沙さんが照れてるなんて、今を逃したらもう巡り会えないと思ったので、撮らせてもらいました」
その瞬間、二人は笑った。
すると、魔理沙が、真剣な眼差しで霊夢を見つめた。
「この先、何があっても、二人で乗り越えるぞ!」
「うん……………約束……………」


ーENDー





























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