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新・人間革命に学ぶ第3巻

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 6月 4日(日)16時31分40秒
編集済
  …………ガンジーの非暴力【理想と現実】……………………

「悪に屈服するな!」「悪に協力するな!」ーーーー独立運動の先頭には、常にガンジーの痩身があった。
        ☆☆☆☆☆

ガンジーにとって、非暴力は、単なる手段や戦術ではなかった。人間の真理そのものであり、全人生を貫く信念であった。
「非暴力は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である」

ガンジーは、民衆の心の中に「筋金」を入れたのである。インドの独立といっても、民衆自身の「精神の独立」なくしては、真の独立とはいえないからだ。

彼は、何よりも民衆の心に染みついた「恐怖」を追い払った。民衆が毅然と顔を上げ、背筋をぴんと伸ばした時、民衆の上に君臨する、傲慢な権力者は転げ落ちていかざるをえない。
         ☆☆
「恐れるな!」ーー遥かな昔、かの釈尊はこう説いた。今、ガンジーもまた、民衆よ、恐れるな!」と叫んだのである。その叫びに、民衆は立ち上がった。
         ☆☆☆☆☆

「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界ない』と語っている。
戸田先生も、『地球上から、”悲惨”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。

そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
ガンジーが行った民衆運動は、それまで、誰もやったことのない闘争であった。だから、『出来るわけがない』『不可能た』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と・・・・。

広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。
まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。
歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」

同行の幹部は、ただ黙って聞いていた。この時、皆が伸一の言葉の真意を、どこまで理解したかは定かではない。しかし、彼はこの時、一個の人間として、ガンジーの"魂の火"を永遠に消してはならぬと、深く心に誓っていたのである。

……………「新・人間革命」第3巻 月氏の章p116~……………

前川氏や詩織さんなど、堂々と顔を上げて真実を語り始めた方々に心から敬意を表しつつ、仏法者として、池田先生の弟子として、バカにされても、軽蔑されても、怖れなく人権擁護、絶対平和の信念を語れる自分でありたいと決意を新にしています。

しかしなんという情報難民の多さでしょうか?
ネットを見ない人びとは、ほとんど安倍政治の詳しい事情を知りません。


 

東京土産に

 投稿者:正義  投稿日:2017年 6月 4日(日)16時23分54秒
  実名告発 創価学会 アマゾンより新中古で送料込みで1250円に下がってます
東京のお土産にいかがでしょう? 地方発送料金も込みです。
まだお読みになるチャンスがない方にお勧めです。
 

御本尊への大確信

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 6月 4日(日)15時57分51秒
編集済
  質問集を読むと御本尊に対する戸田先生の大確信に感動します

病気が治ると言われ信心した
しかし、治らない
と言う人に
病気も直せない御本尊を渡していない!
しっかり信心しなさい
必ず治る
と言われている箇所がありました
(記憶ベースですみません)

創価学会が目指すもの
それは御本尊に祈り幸福になること
人に御本尊を賛嘆して、宿命転換して幸福になること

ここで多くの方が
「組織信仰」と言われていますが
確かに、最近の学会は
御本尊の凄さよりも
新聞啓蒙、支援活動の功徳話ばかりになっています
それはまさに
「組織信仰」ですね

自分は御本尊と池田先生を信じる信仰をして行きたい
それが「正しい信仰」だと思います
御本尊に祈り、境智冥合して功徳が出ると戸田先生は言われています

少しでも会員のため、世の為、人の為になって行きたい
それが、池田先生の求められる弟子の姿勢だと思います
ので、他事で時間、お金、エネルギーを使っている場合ではない
「少年老い易く、学なり難し」
御本尊の素晴らしさ、先生の素晴らしいを満喫していく人生を送りたいと思っています
 

思うんですⅥ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 4日(日)13時33分50秒
   思うんです。

 人は、現実の中で生きています。もし、理想を捨て去ってしまえば、現実は、より現実の方に引き寄せられます。理想を保ち続けることの重大さがそこにありはしないでしょうか。理想を捨てた方が心の負担は少ない。だから、理想と現実の狭間にある“苦しみ”が、実は、理想を持ち続けることの実質なのだと思います。

 理想と現実のその狭間で、人は苦しみ喘ぎます。持ち合わせている手元の「徳」という“財産”によって、その狭間の度合いは違います。どうやら狭間の違いが認識の違いなのですから、その違いの大小を引き並べていても、それを見聞きする人には、どうでもいい、ということにはならないでしょうか。どうしても他人ごとになってしまう。

 例えば、法華経は迹門と本門には厳格な区別があります。“本門”というくらいですから、本門が大切なことは誰でもわかるります。迹門と本門のあと先と考えると、前者を後者が抱き込んでいるのが通常だからでしょう。大枠から見れば、前者の一切、あるいは大部分が後者に収まっているのが普通だからです(※注1)。

 ですが、必ずしもそれだけではないようです。本門より劣るからと言って、その迹門を、そのまま捨て去っていいというものでもないというのです。法華経以前の爾前教に対しても同じです。迹門には成仏の根本法門がないからと言って、ただひたすら本門だけに心を入れる人は、まだまだ大聖人の本意を知らない人だとまでいうのです。そういうのを「もってのほかの僻みの見方」だとまで仰せです(※注2)。

 一体、どっちなんだ、ということです。
 理想は、それに近づけば遠ざかり、その遠ざかった理想に近づけば、また遠ざかるというもののようです。結局、理想も捨てず、現実も無視せず、その狭間で、結果的に“苦しむ”ことが、生きた人間の「証(あかし)」だということが言えないでしょうか。そして、そこでもなお、「理想」に向かっているのかどうかが問われています。「自我」を乗り越えたり、「他」を受けいるということは、苦しみだということでしょうか。

 だから、きっと、「自我」をこじ開けて「他」を浮かばせる処に“平等大慧”というのはあるのでしょう。


 (注1)「以円為即とは一念三千なり妙と即とは同じ物なり 一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり 円とは諸法実相なり、円とは釈に云く円を円融円満に名くと 円融は迹門 円満は本門なり=略=口(くにがまえ)は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり」(御義口伝714㌻)

 (注2)「一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり、今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以(もっ)ての外(ほか)の僻見(びゃっけん)なり」(四菩薩造立抄989㌻)


 ※今日のまなこさんの「二十一世紀への対話」と、蘭夢さんの投稿は示唆に富みますね。感嘆、感嘆です。



 

仏と魔について

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 6月 4日(日)13時10分56秒
  恐らくは、「元本の無明」と「元本の法性」あたりを調べると答えが見つかるかも知れませんね。

求めている答えには、なりませんが、参考程度に、独り言。

仏とは悟った人を意味する言葉だが
仏と魔と対比して語るならば

概念としての「仏」と「魔」ということになるだろうか

昔、この世界は第6天の魔王の所領であると学んだ。

当時の僕は驚いたものだ。

だって、世界は、魔王の支配する世界だというのだから。
その世界の住人は、つまり、魔王の眷属、魔民ということになるからね。

ところで、「魔」の本質とは何かというと「奪命」というもの。

他者から命を奪うもの。

僕たち、生きる為には、食べなくてはならない。
食べるということは、基本的な生命維持活動、それを止めれば死に至る。
「弱肉強食」、自然の哲理は、容赦なく「奪命」という原罪というべき十字架を背負わせている。
どんなきれいごとを並べても、今、生きている、それは多数の生命を「奪命」した結果。

ちなみに、この考え方は、既に、「奪」が根底にある考え方であることがわかるだろうか。
(逆の考え方とは、恵みであると感謝する。奪うのではなく、生かされている。愛されているという考え方)

常に、何かに飢えて、欲し、その為に奪い、それゆえに、また、苦しむ。
「魔」の本質は「奪命」というより、さらに突き詰めれば、エネルギーの枯渇状態ともいえる。

大聖人は、「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」とおっしゃっているが

闇に凍え、必死に温かさを求め、光を求め、苦しみ喘いでいる生命、それが本当の魔というものの正体。

だから、他者の光を奪おうとする。他者のエネルギーを奪おうとする。

魔が、仏を嫌うのは、動物の世界を観れば、わかるだろう。

獲物を狙う時、弱った者を餌として狙う。強き者を襲わない。
だから、仏という強きものに成長すれば、獲物として襲うことはできない。だからこそ、その成長を妨げようとする。

これが魔というものの働き。

魔というものは、悪い奴のように語られるけれど、確かに「奪命」という働きであるけれど
それは、「元品の無明」、かわいそうなぐらい枯れてしまった生命の状態でもある。
自身の生命の中で、生命エネルギーを生産できない状態、というより、生産方法を忘れちまった状態かな。
生産できないからエネルギー枯渇して、他者から奪わなくては生きていけなくなる。

ちなみに、今のは生命状態の話なので、無意識化での働きのこと。それが具体的な意識として展開、行動へと顕現化すると
まぁ、見本が、今、「失効部」、とか、たくさんいるようだけれど、あのような状態かな。
精神面での顕在化は、「嫉妬」という言葉に代表されるような意識が顕在化してくる。

もっと簡単に例えると、どうなるかな・・・。

仏とは、悟り。魔とは、迷い。
仏とはエネルギー満タン。魔とはエネルギー枯渇のカスカス。
仏とは無限、魔とは有限。
仏とは和合、魔とは分裂。
仏とは宇宙と共鳴、魔とは自我に孤立

ということになるかなぁ。

エネルギー満タンというのは、少し変かも知れない。
良い例が浮かばないが

AC電源直結のパソコンが「仏」なら、バッテリー切れノートパソコンで、他の機器のバッテリーを奪おうとするのが「魔」。

余計に意味不明か・・・

AC電源直結に例えたのは、解決方法への誘導の意味があって、

生命エネルギー枯渇が原因であれば

その枯渇を何とかすればよいわけで、では、なぜ生命エネルギー枯渇しているのか

生命エネルギー生産方法を忘れているのが原因。

で、この生命エネルギー生産方法というのが、仏界の生命を開くということ。

僕の良く使う言葉でいうと「胸中の御本尊」を開くということ。

御本尊直結、大聖人直結というのは、正にAC電源直結ということが言いたいんだけど・・・

地球上での生命の進化、生物の進化を考える時、ちょっと理科の時間ぽくなるけど

細胞内のミトコンドリアというものが、よく似ていると思っている。

生物を構成する細胞内にミトコンドリアというものがありますが

これは、その生物本体のDNAとは異なる独自のDNAを持つ細胞小器官です。

Wikiによれば
ヒトにおいては、肝臓、腎臓、筋肉、脳などの代謝の活発な細胞に数百、数千個のミトコンドリアが存在し、細胞質の約40%を占めている。
平均では1細胞中に300-400個のミトコンドリアが存在し、全身で体重の10%を占めている

だそうです。

で、このミトコンドリアというのは細胞内でどんな役割をしているかというと、細胞の様々な活動のエネルギー供給をしています。
ミトコンドリアのATPの産生があるからこそ細胞はエネルギーを得て、活動できる。
生きることができているわけです。

おもしろいのが、生物進化の過程で、生物は、その活動エネルギー獲得の為に異なるDNAを持つミトコンドリアを自身に取り込んだという学説があります。

ほほぅ、似ている。僕は、そう思いました。

生物次元での劇的進化の要因がミトコンドリアという異なるDNA器官の取り込みであるならば

精神次元での劇的進化、それこそが仏界の生命だと。

自己の生命を観ると、そこには、自身の9界の生命と、明らかに異なる師匠という仏の生命が共存しており、共鳴現象している。
師匠の生命からは、限りなくエネルギーが供給され、まるで太陽のように輝き、自身の9界の生命は、癒され、満たされている。

異なるものだけれど、それは、僕というひとつの生命内に存在し共鳴し、エネルギーを発生させている。

生物進化で、私達はミトコンドリアというエネルギーを得て、人という形まで生物学上進化した。

今、精神というスピリチュアルの進化として、仏界というエネルギーを得て、人は、さらなる進化を遂げようとしている。

遅れていた人類の精神性での進化が、始まろうとしている。異なるDNA、仏界という生命、その無限ともいえるエネルギーによって。

こうなってくると、人類というもの、神々の計画というもの、大きな大きな、壮大な流れが見えてこないだろうか。

全ては、慈悲であり、すべては意味があり、そして壮大な流れ、息吹を感じないか。

素晴らしい。そして感謝の心に満たされないか。

僕は、ワクワクして、感動している。

ちなみにミトコンドリアって何、わからーんという方。
昔の映画だけど、『パラサイト・イヴ』というのをレンタルで借りて見たら少しイメージわかるかも。
1997年の映画、三上博史、葉月里緒奈がキャストだったかな。
 

二十一世紀への対話 65

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 6月 4日(日)11時51分54秒
  【池田】 科学は、その限界のゆえに、その対象物にそなわっている独自の特性、たとえば定量化したり普遍化することのできない面を、どうしても捨象しがちです。とくに人間を対象とする場合、精神の独自の働きや、感情、意識といった微妙な性質等が排除されてしまいますね。

【トインビー】 科学は従来、諸現象の特性のうち、人間にとって技術上の目的を除いたあらゆる目的のために、最も重要なものを無視してきました。そして、そのかぎりでは成功を収めています。ところが、技術以外の目的にあっては、質的な印象を量的な概念に置き換えて表わすことは、人間の知性や審美眼を貧しくすることになります。つまり、音響学とか光学とかの科学によって量的に変形された音や色よりも、実際にこの耳で聞く音色、この目に映る色彩のほうが、われわれにとってより意義深く、より心を満たしてくれるものであるわけです。

【池田】 科学においては、対象はすべて“物質化”されてしまいます。とくに生命体は、物理的側面はほんの一面であるにもかかわらず、物質的な面だけが重視される結果、その精神的側面のもっている独自性は見失われ、抽象化、普遍化された生命一般という概念のなかに埋没してしまいます。つまり、科学的思考法は、本来、生命の物質化という働きを、その思考過程のなかに含んでいると考えざるをえません。

【トインビー】 ある人のことを評して「彼はサイファー(記号、とるに足らない人)だ」というとき、それはその人物に対する軽蔑の意を含みます。その意味は、その人物には、人間性に顕著な、重要で貴重な資質が欠けているということです。ところが、科学は文字通り人間をサイファーに変えてしまいます。つまり、人間の精神とか、その精神が関与している心身相関の生命体とかが、科学によって数式で説明されるとき、人間はたんなる記号と化すわけです。さらに、身元力ードとかコンピュータ用力ードには人名の代わりに番号が記載されますが、これも科学が人間を記号化している別の例です。

【池田】 つまり、普遍性を追求する科学を成り立たせようとするならば、個性的な要素、個体の独自性といったものは捨象せざるをえないわけですね。
こうした科学の思考法が、生命軽視の風潮を生み、生きている人間の真実の姿を見失いがちにさせていることは事実です。それは、現代人が、科学のこうした人間を記号化する思考法、個性を捨象する考え方が、あくまで部分的な目的を達成するための手段にしかすぎないことを忘れて、これを絶対視し、目的視していることによると思います。
しかも、人間の記号化、数式化は、人間を手段視するものであって、それは、真理を導き出すための思考の過程では許しても、社会や組織の運営、人間を対象とした実際的行動のうえでは、断じて許してはならないと私は考えます。

【トインビー】 人間は、人間性が喪失される度合いに応じて、操作されやすくなるものです。このことは、戦争が行なわれたとき、初めて発見されたといってよいでしょう。つまり、人間同士が、互いに喧嘩相手でもないのに、命を賭して殺し合うのを納得させるには、厳しい訓練によって催眠術をかけておかなければならないことがわかったのです。この戦争の訓練以外に、人間を他の人間の意志に従わせる方法としては、官僚主義化とコンビュータ化とがあります。
操作とは技術です。操作の対象が人間であろうと、人間以外の生物であろうと、あるいは無生物であろうと、それは変わりありません。そして、技術は定量化によって便利なものとなります。しかも定量化は、その対象物となるものを知的にも美的にも損傷してしまうものでありながら、技術にとってはまことに便利なものであるため、人間以外の自然と人間自身とをともに支配する力を生み出す源泉となっています。このように、科学は、技術による操作という、唯一の実用的な目的のために重要であるにすぎないのです。
科学が、定量化によって、技術のもつ潜在力を増大させるのは、善いことなのでしょうか、それとも悪いことなのでしょうか。本質的には、善悪いずれでもありません。この問題への解答は、場合に応じて出されるべきです。すなわち、科学の与える力を行使する人間自身が、その高められた力を間違いなく善用し、決して悪用しないだけの高い道徳的水準を身につけているかどうか、それによっていまの答えが決まるわけです。

【池田】 お説の通りです。科学それ自体は、善でも悪でもありません。善悪は、それによって得られる力を用いる段階で生じてくるものです。ただ、私は、そうした科学に対する人間の主体的なあり方を確固たるものにするためにも、科学的認識が、物事の把握において、絶対的なものか、それともそれ自体においても限界をもつものなのかの判断が、なされなければならないと考えます。
もし、われわれが、欠陥のあるものを完壁であると思ったら、それを真に生かすことはできません。真に活用できるためには、その長所とともに短所も、正しく認識していくべきでしょう。
仏法では、われわれが対象を認識する力を眼になぞらえて、五種の眼を説いています。すなわち、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼の五つです。肉眼というのは、一般の人間的――生物的な感覚器官の一つである、この眼による認識です。“天”とは本来指導者のいる所をいい、天眼とは、指導者として人の心の動きを読み取る、敏感な察知力と考えていいでしょう。
慧眼というのは、理性によって物事を抽象化し、そこに普遍的な法則を見抜いていく力です。したがって、“科学の眼”は、五眼のなかでは慧眼に含まれるものと考えられます。この科学的理性である慧眼より、さらに深い認識力が、五眼のうちの法眼と仏眼です。 法眼というのは、自身の生命をみがき――仏法では、自己の生命の内奥から、慈悲の一念を湧き出させることを指して、生命をみがくといいます――それを鏡としてあらゆるものを照らし出し、対象物をありのままに見抜く認識力を示しています。仏眼というのは、宇宙生命の脈動する力と宇宙のあらゆる実相を自ら実感するとともに、それを体現し、そのような生命自体によって、人生、社会、宇宙等の諸事象を見抜く、透徹した洞察力を指します。
このように、仏法が五眼という概念を立てる真意は、理性や人間の感覚器官等の奥にある、生命内奥の英知を開き顕わすことにあります。このような法眼や仏眼をみがき、顕現させることが基盤となって初めて、慧眼の働きとしての科学的思考法がもつ“本源的限界”を乗り越え、科学の理性の光をさらに増すことができる、と私は考えています。また、人間の思考法の面からいっても、じつはここに、宗教としての仏法の役割があると思うのです。

【トインビー】 ただいまの、法眼、仏眼というのは、意識的知覚としての肉眼と、心理学的洞察力としての天眼と、理性の働きやそれを用いる科学的方法を含む慧眼の三つを、補い、矯正するものですね。そして、法眼、仏眼とは、慧眼と同じく、たんに物を見るためのものではなく、行動の手段ともなるわけですね。私には、法眼によって湧き出る慈悲というものは、人間性喪失という科学の悪影響に対する解毒剤になるもののように思えます。
 

教学試験の怪説

 投稿者:とりあえず疑問君  投稿日:2017年 6月 4日(日)11時40分49秒
  久しぶりに投稿です。
大白6月号の教学試験の解説はヤバイですね。久遠五百塵点に日蓮大聖人に仏にしてもらった
釈尊が、久遠元初の説明をわざとやめ、いつのまにか、永遠の仏との解釈をし(80ページ)
大聖人が釈尊から末法弘通の付属を受けた上行菩薩にあたると、何度も菩薩を強調します。(86、87ページ)また、久遠の仏であるという本地を明かした釈尊が久遠の弟子である地涌の菩薩を
呼び出し・・・託す。(97ページ)
日蓮大聖人を、仏の釈尊の弟子の菩薩との位置づけでの解説でいいのかな。
書いてる人たちは怖くないのかな。こんなに日蓮大聖人を貶めて。
信心がなければ怖くもないか。ははは・・
教学も三代会長教学から、マジ、宮田教学に移ったみたいだね。一闡提は怖いな、なかなか
でないから・・・
 

竜女の誓い様

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時59分40秒
編集済
  どうしても日顕のことを考えてしまいます。
その理由は、義浄房御書の聖教新聞での講義を読んで、当時は日顕上人でしたが、私が日顕書写の御本尊を受持する前後に大切にしまっておいたのを母が捨てるよと言われて、もう講義が見れなくなって残念だ!と思っていました。

池田先生の百六箇抄講義(中断された?)も見れなくなってしまったし、大聖人の御書は時と共に難を呼び起こしていくものだというのが私の感じていることです。

竜女の誓い様は大切にされているものと思います。
(正月曼荼羅でしょうか?宗門は必ず日蓮大聖人のお生まれ変わりだと言ってくると思います。前もって書いておいた方が用心の為にいいかと思いました。元日認めの御本尊は同じ昭和41年でも、7日付けの大きな御本尊と少し違います。7日付けのは少し大きいのか?南無妙法蓮華経のお文字がずれていると思います。)

ただ、お寺に行かれた人(別れた後に私の身内から聞いて知った。)から直接言われてしまったのは、御本尊の話しです。学会が御本尊を変えろと言うので離れたきらいがあります。
そんな時に寺に行かれた人から御本尊を変えなくてもいいからと誘いを受けた可能性があります。
副○○長になるまでは聖教新聞で苦労したと言っていましたから、その束縛に耐えられなかったのでしょうか?
長になったら今度は自分が下の役職の人に言わないといけませんから。
そう聞いたわけではないので、私の所感だけです。
(私が聞いたのは6部とかの部数購読と、御本尊の力の話しです。その力の話しが私が一番聞きたくなかったことです。記憶の中に残ってしまいました・・・。)

人に絶対にそんなことを言ってはいけないのだと思います。
寺に行くとどうしてもそのようなことばかり言われてしまい、他の人まで先導してしまうのだと思います・・・。
 

さぁ!!

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時44分30秒
  今日も1日、元気に参りましょう!

私のFight  songです。


また同じロンドンで悲惨な事件ですか…


https://youtu.be/SXiSVQZLje8  (Ariana Grande--Side to Side ft.Nicki Minaj)
 

蘭夢様、メッセージありがとうございます、そして同感です

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時43分29秒
編集済
  広宣流布をはばむ魔の正体、今度は創価学会の中に
生まれてきたわけですね。




蘭夢様、メッセージありがとうございます、そして同感です


”僕の考え方は、今の失効部にしろ、世界の状態にしろ、法華経の通りであり大きな変革の前兆だという捉え方です。暗い現実で未来が閉ざされたように見えますが人類の悪しき宿業を絶つためには、大悪からの反転による大善でないと大きな反転はできません。大悪が大きければ大きいほど、その反転もまた、さらなる極善となる。私達は、今、凄い時に生きているんですよ。”


まったく同感です。
何も迷ったり、悩んだり、考え込む必要はありません。
戸田城聖先生の”「絶対的幸福」は弘安2年10月12日の大御本尊を受持し、信じて、南無妙法蓮華経と唱えればいい。”という言葉を信じれば、願いはかない、悩みや苦しみから救われることまちがいなしです。


必ず、地獄、餓鬼、修羅の境涯が唱題の瞬間に仏界が心にあらわれることによって、やがては仏界の境涯に変わっていくことでしょう。

戸田先生が今いらっしゃったら、何とおっしゃるでしょうか。

きみたち、先生が絶対に大御本尊様に唱題するだけで、絶対に幸せになると言ってるのだから、信じなきゃだめだぞ。創価学会の会員ならば。

創価学会の会則変更、教義の変更、馬鹿なことをいっちゃいけない。疑い、迷いを生み出すものは魔にきまってるだろ。喜んでその魔を大御本尊のちからで打ち砕き、広宣流布をすすめるのがあたりまえだろ。「我、地涌の菩薩なり」との確信だよ。

こんな感じでしょうか。勝手に書いてしまいました。すみません。

戸田先生のお言葉を信じ、本来の創価学会の役割にもどり、近い将来、日蓮正宗真創価学会が誕生して、同じ題目をとなえる人たちが協力して悩める人、苦しむ人を救う本当の世界広宣流布がはじまることでしょう。

100年、200年先の人たちに伝えるべきことは、戸田先生の獄中の悟達、
つまり「我、地涌の菩薩なり」との確信です。

 

史人様へ。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時29分22秒
  「日顕は確かに仏法者としては良くないけど、同じ御本尊を持っているから地獄に落ちろ、とか、死んでしまえなどと祈っていけないんだ」

と父に言われながら育ったの、思い出しました。
まぁ、過去のスキャンダルを認めず相手女性にも可哀想な思いですが、結局、仏法者、法主としてよろしくなかっただけのことですからね…内輪揉めがどうたら、とか関係ないし。

案の定前にも述べましたが我が家の御本尊様は日達法主の認められた御本尊様ですから。
同じ御本尊様でなくともいいかもしれませんが和解はしてもいいのではないでしょうか。
 

虹と創価家族様へ。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時16分52秒
  私も、原田さんは真面目に先生にお仕えしていた方だと伺っていただけに、この度のことは残念に思えますね…

まあ、きっと他結託してるのが、いかに自分を追い落そうかと企んでるのが分かってるからある種自己保身でもありますねー。
 

おはようございます。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 4日(日)10時12分10秒
  今朝ほんの少しだけ、フジの新報道2001見てました。

自民は小野寺五典氏、民進は野田佳彦氏、共産は小池晃氏でした。
(もうこの時点で自民はディベート能力に関して詰んでるんですが笑)


他、北川正恭氏、片山善弘氏ですね。自民一人「文科省の担当者がないって言ってたから来た(呆)」との一点張り…

そこを、他野党二人、「そうじゃなくちゃんと真相を究明する姿勢を見せろ。もうたくさん文書は流出している」と


…自民のあまりにも見苦しい、幼稚な答弁に、呆れを通り越して笑ってしまいましたwwww
情けないけど、曲がりなりにもこいつら選んだの私達有権者ですからね。。。
政治を見ればその国の人の国民性が分かるとはいうけど………(笑)
 

日顕に求めて欲しいこと・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月 4日(日)09時33分14秒
編集済
  長い間時が来るのを待っていましたが、日顕のことが出ていたので書き出す時を得ました。

日顕は信仰心を失ってしまった・・・。
それは何故か!?
お題目をあげても一つもいいことがないと思っていたからです。
だからこそ、人にはあまり題目をあげさせくたくないと思っている。

自身が自分がどんな存在か、自分の中から生み出されるものは何かという仏法者としては根源的な気持ちが薄れてしまったとしか思えない。
とはいえ、もうご高齢でもあり、御本尊に歓喜すること、自分の中から歓喜の生命を生み出していこうという気持ちもあまりないと思われる・・・。
ただ一つの救いは南無妙法蓮華経のお題目を知っているということです。

会社社会の中で、ある時自分にはこれ以上勤められない、自分の出勤への無断欠勤、無線機での呼び出しにも応じない、挙句の果てにやめる旨を伝えてから給料を受け取りにいくと、お前は人間やないぞと言われました。

その欠勤というのが朝起きられず、その恥ずかしさから無線にも応じず、勝手に仕事だけをやった後にそのまま会社に出向かずに家に引きこもってしまった。
それで会社の人が3人で心配して訪ねてこられて家の鍵を開けっ放しにしている状態で御本尊を見て、創価学会やったんかと言われました。
その時私はわざと鍵をかけないで出かけていました。

根本的に精神的な恥ずかしさの束縛から離れられない、それが人間の性です。
自分の意思だけではどうにもならない精神の世界、それを解決する道がこの仏法にはある筈ですが、その答えが見つからないまま、それから17年くらいの時が経ってようやく、人間の体の中にそれを解決する答えがあることを知りました。
それでも人間は御本尊に対して義務的な気持ちを捨てることが出来ない。

その結果、また自分の精神の脆弱性に蝕まれてしまいます。
それはお題目での修行が極めて困難であって、日顕のような教学を重ねてきた人でもそのお題目の難しさに耐え切れなかったということです。

それは単に世間的な欲望に負けたということが原因ではなくて、戸田先生の「人間の不幸は、一切の苦悩の原因が自分の中にあるのに、それが外にあると思い違いしていることにある。倒産、失業、病気、貧乏、離婚、事故のような不幸な現象は、その人の生命の中にもともと苦しみ悩む傾向があって、それが現象として現れているに過ぎない。その根本を変えなくては本当の解決にはならないのだよ。そして苦悩する生命とは別に、一切を喜びに変えていける力強い大歓喜の命が自分にもあることを信じて、それを引き出すことが出来たら後はもう、しめたものだ。結局、幸せも不幸も外ではなく自分の中にあるのだ。」という言葉をいつも勤行の後に読んで確かめ続けている私にも言えることです。

人間の持つ可能性や欲望、それらを超えた歓喜の人間社会を実現することと、それを引き出す方途を見出すのが私の生きる目的でもあります。
なので、本当に日顕に真に仏法の道を真摯に求めて欲しいという願いがあります。同じ人間だからです。


後記:
日顕には厳父のような戸田先生の叱咤する声が今も聞こえているだろうか?
いつも叱ってくれていたのは戸田先生だけだった筈・・・。
 

わが友に贈る 2017年6月4日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 6月 4日(日)08時05分21秒
  仏法は勝負。
断固負けるな!
わが目標のや達成へ
いよいよの決意で
努力と挑戦の自分史を!
 

dekahappyさん

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時31分54秒
  dekahappyさん

 ご賛同、ありがとうございます。ドラ・デカハッピーです。


 

日蓮仏法2.0様、誠にありがとうございました。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時16分42秒
編集済
  >「法華経の智慧」は1990年代後半。徐々に多様な観点を導入して新しい方向を目指していたというのが、私の分析です。<

重要な視点ですね。
参加された教学部長の方にお聞きしましたが、法華経の智慧は「教学を民衆の手に取り戻すために池田先生が行われた」のです。
日蓮仏法が民衆仏法であるための視点が法華経の智慧だと思います。
法華経の智慧の方向性が、21世紀の民衆教学のあるべき姿なのです。

>もう一つ最も重要な問題は、組織と人間のレベルでの「信頼」ではないでしょうか。先生に、組織に対して信頼関係があった時期には、誰もが喜んで組織のため、広宣流布のためと身を挺して尽くしました。同志の間の絆も強力だった。先生がお元気の頃は、個性の強い人たちがどこでもかなり自由に持論を展開して議論していました。組織内でも桜梅桃李の地涌の菩薩であることが許容されていたので、楽しかった。多少の教義上の変更があっても、組織的に滅茶滅茶でも、先生への信頼と同志の間の結束があった。そして「御本尊に唱題する」信仰実践は不変なので、そこには皆が一緒に「幸せになれる宗教」があった。これは虹の戦士様と同じ気持ちです。そうした背景から私もSG・SGIやメンバーが好きで、応援したいと思っています。<

おっしゃる通りです!
池田先生を中心とした、組織内での「信頼」。これこそが、団結の要だったのです。

今は、原田会長を中心とした団結。
女性問題を起こし、会員を査問・処分する原田会長が中心では、団結は壊れてゆきます。

池田先生は、原田氏が会長就任の時に「原田はまじめだから」「原田会長をよろしくたのむよ」「原田会長を中心に」と仰られました。
原田氏が会長就任後に唯一団結出来ていた理由は、原田会長が池田先生の指導通りに創価学会を運営していたからです。
本部幹部会で原田氏が池田先生から叱られていたから、組織を信頼できたのです。
会長という権力をもつ者が叱られているから、組織に生まれる「不信」を払拭できたのではないでしょうか。

しかし、2014年11月の会則改定により、明らかに池田先生の指導と違う方向性に変わってしまったのです。
また度重なる査問と処分!
現場では「最高幹部に魔は入らない」「最高幹部は偉い」「最高幹部を批判する会員は破和合僧」という、訳の分からない事をいう幹部が増える始末!
この原因は、上の幹部が言うから、下の幹部が同じことを言うのです。創価学会は、真面目な上意下達の組織だからです。
池田先生の平和思想とブレる公明党のふるまいにおいては言語道断です!(激怒)
これは明らかに原田会長の運営が、池田先生の指導とブレている証拠です!!
三代会長の築いた創価の軌道とブレてしまったのです。
だからこそ、池田先生の代わりに権力者を諫め、創価学会・公明党を本来あるべき、三代会長の正しい軌道に戻さなければなりません。

我々には声を上げる権利がある!
池田先生がこのように明確に指導されているからです。

~~~~~~~~~~~~

【2006年11月22日全国合同協議会】

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。





 

Twitter(東京新聞政治部)より。家計問題、前川前文科次官のインタビュー記事です。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月 4日(日)06時10分26秒
  必読です!!
#加計問題 についての #前川喜平 前文科次官のインタビュー詳報です。これを読むと、かなり不正常な形で行政の決断が下されていったと思わざるを得ません。政府側は、きちんとした調査、説明が求められます


 

現実

 投稿者:アダムメール  投稿日:2017年 6月 4日(日)03時56分32秒
編集済
  キリスト教団は、キリストを神の子として位置付けて聖書を作った。イスラム教はムハンマドの教義による神を中心にしている。インドの大乗仏教は天台の思想とジヤイナ教などのインドにある宗教教義をまとめ妙法蓮華教を生み出した。釈迦は、阿含教を説いたが法華経とは関係ないが、インド国内おける有名人であり、大乗教で仏と言う概念を生み出した象徴として釈迦を据えた。インドの宗教学者、多くの宗教、歴史学者の調査による客観的な事実である。キリスト教の神、マホメット、イスラム、日本の神道の神も、法華経の仏も概念であり、実存的証明はない。科学の発達により、排気ガス、および農薬、食品添加物の薬物乱用が、自然環境をゆがめ、アトピーをはじめ多くの病気を生み出し、鶏インフルエンザ、エイズ、エボラウイルスなどの薬物耐性を生み出した。これらは人間の果てしない欲望の産物である。生命の尊厳と言いながら、魚豚牛を日々、自らの手で殺さなくとも美味しく食べている。イカの、鯛の活き作りとは考えてみれば残酷な行為である。ハエ、ゴキブリは害虫としてみなし殺す。人間中心の考えによる害であり、例えウイルスであっても生命であり生きようとしている。大乗仏教では全ての物に仏性があると説いた。石であれ、極悪非道の殺人者であれ。であるならば、日顕にも仏性があるはず。何をもって仏の実存の証明とするか。何をもって魔の実存の証明とするか。人は、買い物をするとき、いくつかの商品と店舗を思い浮かべ比較して決定する。スポーツも比較の世界である。しかしながら、キリスト教の信者、エホバも学会員も宗教全般の理解をもって、実存哲学、構造哲学などの視野の中で正しい、絶対とは主張していない。普遍的とは重力、酸素、光線のように知る、知らない。信じるなどの人間の恣意的な認識を超えた現象であろう。酸素なくしては、温度と、湿度なくしては生物は存在できない。動物を食っている自分は善か悪か。仏か悪魔か。金が欲しい、車が欲しい。家が欲しい。功徳が欲しい。欲望なしでは人間は生きた屍と感じるのも事実である。電気を生み出し、車を生み出し、コンピュウタを生み出して活きている。何をもって仏といい魔というのか。私は尋ねたい。  

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時52分10秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方のご家族が
健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

♪後から前からどうぞ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時41分24秒
  『実名告発 創価学会』が発売から半年が過ぎ、アマゾン順位を下げているのはやむを得ないが、久しぶりに覗いてみて「~人のお客様がこれが役に立ったと考えています」が凄い数になっているのに驚きました。売れ行き以上の影響がありそうです。

サンダーバードさんがピックアップしてくれていますが、あの「INPSインタビュー」は実際、どうだったと思いますか? インタビュアーは池田先生の肉声を聞いていません。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69911
INPSインタビューは失効部にとって不都合な真実で、これは確かに池田先生の意思でC3POが闘っているのだとの説も伺ったが、それほど不都合でもなく、元職員3名が言うように「変質を誤魔化し、欺く」ように思えて仕方がありませんが、皆さんはどうでしょうか?
好不調の波はあるそうですが、池田先生は快方に向かっているとも聞きます。信濃町の人びとさんリードの題目が効いているのは間違いありません。
2015年3月・学園卒業式で池田先生の肉声を聞かれた方もいらっしゃって、その頃は調子が良かったのかもしれません。となると「2015年9月16日の随筆で池田先生は六大秘法を使っている」ことはやはり事実かもしれません。

元職員ブログ最新号
>本来、弟子であるならば、師匠のありのままのご健康状態を会員同志に伝えるべきではなかろうか。生老病死は、人間に生まれた以上、誰もが通る道である。むろん師匠も生身の人間であり例外ではない。師匠が難しい内容へのご判断ができないご健康状態であるならば、そうはっきり伝えるべきではないだろうか。そして本来、本部執行部は「師匠であればどうされるか」を常に考え、ありのままの等身大の自分達で葛藤しながら組織を運営していくべきである。しかし、それと真逆のことが起こっている。<

には全く同感である。弟子には師匠を心配する「権利(right)」がある。え? 師匠を心配しない弟子??? 最善を尽くさなくて、大切な人を早く死なせて後悔しないのだろうか? 失効部はそれをさせようとしているとしか思えない。

この号では2014年教義・会則変更についても触れらていますが、2002年の小さな変更の時でさえコメントされていた池田先生が簡単に「バイバイ大御本尊・日寛教学」を認められてコメントなしなんて信じられない!!!

6・18サイレント・アピールに参加される方はお気をつけて。都議選直前ですし。そんな日のダイセイドウはまた「裏口」から入らせるのでしょうか?
「裏口」。象徴的ですね。池田先生は常に正面突破でした。また真逆です。
♪後から前からどうぞ
 

(無題)

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 6月 3日(土)23時33分53秒
  色々な意味で像法時代に入ったようですね。  

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時51分59秒
  23時より開始です。よろしくお願い致します。  

ノー・ヴァリュース

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時33分40秒
  『徹底検証 日本の右傾化』は図書館予約中で待っているのですが、そんなことが書かれているのですか! えらいキツイですね! よく言うてくれましたね!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69917
【現在進行形の平和人権抑圧翼賛の公明党と思想的淵源の乖離を「『池田先生の平和・人権思想』が、“創価学会八二七万世帯の信者一人一人に内面化されていなかった”ことも証明】
【平和思想は「内面化」されてなかったし、池田会長の個人の見解】

えらいキツイですね! これを聞いて怒れない学会員は情けないですね。愚かにも池田先生について行っていたつもりが実は提婆達多の行進だった!!! ……それは私。
別の宗教をやっていたんですよ。だから広宣流布は後退して当たり前。功徳があった? そう……科学技術が進んだ時代ですからね。ゲタを履かされていると分かりにくくなる。

“ぼくにはあんたが、まだこう思える 価値なし”
“あんたにはそれほど魅力はないよ 価値なしだネ”
“たしかにいろいろ持っているけど なんの価値も”
“あんたがまたどこかに行ってくれれば、ぼくは嬉しい”
“価値なし、なんの価値もない ぜんぜん価値なんてないんだから”
『ノー・ヴァリュース』ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=ruWTZAv3LFk

P.S.ニューリーダー間鹿様
私も聞きたい! それも配慮かも知れませんが、もし良ければ宿坊に公開して下さい。ご検討、よろしくお願いします。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69915
要は「説明不足」なんです。何もかも。それさえ丁寧にされれば何も怖くないのです。
ちなみに学会教学では「法則に則ってプラスの結果が出ることが功徳。逆に法則から外れることによってマイナスの結果が出ることが罰」と説明していました。昔は。
くどいようですが《法則》です。仏“法”は。池田先生の「しかし法は正しい」はガリレオの「それでも地球は回っている」です。
法則から外れたことでマイナスの結果が出る、単純なことが罰です。何かが罰をあてるオドロオドロしい世界ではありません。「ニュートンは嘘つきやぁ~」と言ってビルから飛び降りるとどんな善人でも死んでしまいます。これが罰です。軽くて外骨格の「蟻」はどんな高い所から落ちても死なないそうですが、これも法則ゆえです。たしか『トリビアの泉』で実験をしていました。

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

日蓮仏法2,0様 螺髪様

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時28分11秒
  お二方のご投稿、拝見させて頂き学ばせていただいております。
ありがとうございます。

松戸様の三部作は、1990年頃、創価大学に在学しており、大学の書籍部で購入させて頂きました。
教学の基板とさせて頂いております。ありがとうございます。
ペーパーバックも購入させて頂いて学ばせて頂いているところです。

螺髪様が、『言葉を端折(はしょ)るようになってしまいますが、「意味」として私たちは「御本尊」を「御本尊」としていると言えるのではないでしょうか。「境地冥合」とはその「意味」の合致です。「意味連関」です。ここで大切なのは、というより根幹となるのが「信じるに足る」ということです。私たちは「信」をもって「御本尊」に向かっています。』
とおっしゃられていることに賛同致します。

御本尊の問題は、これから次の世代に引き継ぎがなければならない、私達の世代の責務のように感じております。

私は、全部はしおりますが、御本尊を御本尊としてたらしめているのは、内面の御本尊、仏界として、実体論としての御本尊の問題は、折り合いをつけております。

若き、大聖人の虚空蔵菩薩との、悟達のこと。

出世の本懐、「余は二十七年」聖人御難事のご執筆の日付弘安二年十月一日と大御本尊の弘安二年十月十二日のづれのこと。

まだまだ、位置づけることは様々ございますが、私は私の立場で研鑽して参ります。

ありがとうございます。










 

自由人さまの投稿を受けて貼り付けま~す

 投稿者:不思議?  投稿日:2017年 6月 3日(土)22時00分38秒
  東京新聞 政治学者の中島岳志さん

――「共謀罪」法で 一般市民は散歩が「下見」 萎縮を憂う
6027.teacup.com..ation/bbs/69925

◆公明党の応答待つ
tokyo-np.co.jp/..2902000222.html
 この共謀罪に公明党は賛成し、与党の一員として法案成立に加勢している。

 創価学会員で安保法制にも反対した氏家法雄は「容認する公明党は本道に立ち返れ」(「週刊金曜日」3月17日号)の中で、厳しく公明党を批判する。創価学会の初代会長・牧口常三郎は、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否し、治安維持法違反・不敬罪容疑で逮捕・投獄、そして獄死した。これが戦後の創価学会の平和主義の原点となったが、いまは自民党との「野合」「共謀」によって理念を見失っている。

氏家いわく「民衆の側に立つのか、それとも国家の側に立つのか……。『眼を覚ませ』と言いたい」。

 氏家は創価大学・創価女子短期大学で非常勤講師を務めていたが、安保法制をめぐって公明党を批判し、大学から離れることとなった。今回の論考も決死の覚悟で書いたものだろう。公明党の応答を聞きたい。
 (なかじま・たけし=東京工業大教授)


 

内通する北朝鮮のスパイを撲滅する共謀罪

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 6月 3日(土)20時17分1秒
  だそうです。われわれ日本人の中にいる第五列、北朝鮮のスパイ、秘密工作員を摘発するための共謀罪。北朝鮮の秘密工作員が弾道ミサイルに秘密誘導電波を送るからです。東京を、学会総本部を、池田大作先生を、北朝鮮の水爆ミサイルから守るためです。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。都議選まで一か月を切りました!嵐のような指導が舞い降りて来ます!  

ご参考 東京新聞 政治学者の中島岳志さん

 投稿者:自由人  投稿日:2017年 6月 3日(土)20時07分5秒
  「共謀罪」法で一般市民は 散歩が「下見」
萎縮を憂う 中島岳志

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/rondan/CK2017052902000222.html
 

法華私記縁起 7

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月 3日(土)19時31分24秒
編集済
  涅槃明若樹若石。今經稱若田若里。

『涅槃』に「もしは樹、もしは石」と明かし、『今経』に「もしは田、もしは里」と称す。

『南本涅槃経』巻第十三・聖行品之下に、
雪山童子が羅刹に前の半偈を聞いたあと、自分の生命と引き換えに後の半偈を得、
石くれといわず、崖といわず、立ち木といわず、道といわず手当たり次第にいたるところに、
「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」という一偈を書き写して伝えたとある。

また、『法華経』巻第六・随喜功徳品第十八に、
『法華経』の教えを聴いて誤りなく、
自分が聴いた通りを父や母はもちろん、身内にも、よき友達にも、知り人にもあらゆる人に伝え、
僧坊といわず、人里離れた静かなところといわず、都といわず、巷の道端といわず、集落といわず、田といわず、
人が集まる村里といわず、いろいろな場所で、自分の力量に従って演説したとある。



聿遵聖典書而傳之。

聖典に聿遵して、書してこれを伝えん。

釈尊最後の法を説いた『南本涅槃経』の教えや、
『法華経』の教えを始め、
いろいろな経典に説かれる教えに倣って、
私灌頂もまた、大師から聴聞し筆録した教えの真髄を書物となして、智者大師の教えを後世に伝えたいと思う。
 

楊門女将 10/12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 6月 3日(土)19時26分3秒
 


<動画のあらすじ>

佘太君は、馬丁の張彪を呼び出し、
父楊宗保の愛馬白龍馬を楊文広に与え、送り出す。

穆桂英、楊文広、楊七娘、張彪らが葫蘆谷に着く。
兵士らが必死で桟道を探すが見つからない。
 

Kさんありがとう。

 投稿者:滋賀県大津市乃虎  投稿日:2017年 6月 3日(土)18時01分25秒
  『義を見てせざるは勇無きなり』  

こんにちは

 投稿者:自由の凡夫メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)17時56分42秒
  執行部は、硬直した思考・概念の方々なのか。(不信感)

内容を変えます。

体感・体験してみること。

以前に、自分自身がまたは私が「生命現象」だと実感してみて下さい。とお伝えしました。

私の体験から御書を引用します。

「又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ・某は日に一度・天の日に影をうつす者にて候」 (新池御書 1444ページ)

通解:また私を恋しくなったときは日々に太陽を拝されるがよい。私は日に一度、天の太陽に影を映す者である。

私はずっと以前に、この御文が目に止まりました。そこから「体感・体験」でした。


御書に限らず「思考・概念」は理解ができたところから、実践する事をお勧めします。自分自身で試して検証することだと思います。

何事もやってみないと解りません。やる事により納得し「了解」できるからです。

頭の中で思考していても、身体感覚の答えは出ません。⇒ 例)エネルギー現象・エネルギー感覚
 

執行部よ┐(´д`)┌

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)17時50分23秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

こちょこちょ隠れてばれないだろうと思って色々と人権侵害の行動を起こしているようで、外部の人達の方がよく知っているよヽ(^○^)ノおまえ達の極悪ぶりを!

組織上、頭を抑えときゃその配下にいるもの達は全て自分達の言いなりだと思っているのかもしれないが、その感覚は時代遅れのおまえ達だけだよヽ(^○^)ノ

これだけ進んだ時代に40~50年、いや100年?逆戻りさせようとしているバカな執行部は全員(  ^∀^)日本の社会では生きられなくなるよo(^o^)o

全部バレてんぞ(  ^∀^)

 

蘭夢 様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 6月 3日(土)17時06分2秒
編集済
  再投稿ありがとうございます。
私の頭に残っていたのは、2016年の10月に投稿された文面でした…新たな発見や学べた箇所をコピーしてタブレットに残す様にしてるのですが、2015年だと勘違いしていました(^^;

再投稿された言葉を読んで、受けとめ方ひとつから、こうも気持ちが変わるのかと目から鱗です。
蘭夢様が最後に書かれてた様に、今の創価公明の現状を>暗い現実で未来が閉ざされたように<絶望だけでした。
そんな風に考える時は、貧しかった草創期に『創価学会』を築かれた人達の事を思い出してしまい、私の時代に崩れてしまうかも知れないと悲愴感で一杯になって…

けれど蘭夢様が仰る様に【人類の悪しき宿業を絶つためには、大悪からの反転による大善でないと大きな反転はできません。大悪が大きければ大きいほど、その反転も又さらなる極善となる。私達は今、凄い時に生きているんです】
と考える様にします(^^)

・法華経に書かれてある事が現在進行形であると理解するならば全ては仏の慈悲であり、全民衆救済、人類の大きな変革である事が解る。
・創価に起きている現象とは仏の慈悲…今こそ胸中に御本尊がある事を覚知する功徳を得ること。
・法華経の難を受ける事となったのは、法華経の行者としての証明を果たした事になる。

・本門の戒壇ということを弟子に残された… その答えは、弟子達の成仏の為に本堂と言い本門の戒壇というものが必要だったということ。
・我が生命にこそ大御本尊はあり、その生命の深奥こそ戒壇である。

・未来において三類の強敵たるもの発生を意識していたということ、日顕も失効部も全て衆生の成仏の為に必要。
・魔王を誘発させ悪として三類の強敵として顕現させる為に本堂が必要だったということ。
・法華経の通りにする為の遺言だったということ。
・日顕も失効部も全て大聖人の予見された事であり、全人類を成仏させる壮大な計画であること。

・その事を考えれば史実が残っていなかったとしても、大聖人が「大御本尊」を考えられた事は間違いないと推測される。
・大御本尊という唯一無二が定まらなければ、この壮大な計画は達成しえない事が解る。
これは大聖人の意志だけではない、法華経に書かれていて法華経の通り。
・魔王さえも、人類の救済の為に使う。これが仏の智慧だ。

・成仏の為には三類の強敵が必須。全ては弟子の成仏の為に「三類の強敵」を呼び起こす必要があった。
・今 日本や世界で起きてる事は法華経の通りであり、大きな変革の前兆。

・創価の誕生と共に戸田先生は「大御本尊」を宣揚した。
草創期の大先輩達の功徳。「大御本尊」が「大御本尊」として力用を発揮した。ここに意味がある。
・草創期の大先輩達の闘いは真贋を超えて「大御本尊」を真実の「大御本尊」と昇華させた。
それに呼応し魔が競い魔王が引きよせられた。仏と魔は表裏のように対となる。
真実の「大御本尊」には魔王が引き寄せられる。そして法華経の壮大な時が動き出した。

・日寛上人も戸田先生も、大聖人の意図すること仏の意図することを理解した、だから「大御本尊」と宣揚したのだと推測される。

上記の事を↑創価公明の現状を嘆いている友に是非 話してあげたいと思います。
そして蘭夢様が仰られてる様に【全ては今この時の為。さぁ闘おう!素晴らしい黄金の時だ。信心の総仕上げだ。法華経の通り目覚めよう!
そして この世界を人間革命の波で覆いつくし、人類の今までの不幸な歴史にピリオドを打とう!】

そう私自身にも言い聞かせながら、目の前の事に取り組んで行きたいと思います。
再投稿、ありがとうございました。
 

日蓮仏法2.0さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 6月 3日(土)15時00分23秒
編集済
   日蓮仏法2.0さん

 愚説をお読み頂き感謝致します。と同時に、これまでの投稿を盗み見(笑い)していたことをお詫び申し上げます。大変に、向学のある方という意味での“学者”であると拝見しておりました。すでに、一人のSGIさんと同じようにひどい仕打ちに合い、さらに実名を明らかにされた方であるのに、当方はいまだ“隠れ身”であることも、合わせてお詫びしなければなりません。そのうちに、固き握手を交わす方であるかも知れませんから、今のところはご容赦ください。

 前回投稿の「無疑惑心の純粋な信心」→「無疑曰信」ですね。【注2017・6・3 15:40修正】

 創価学会そのものというより、それを誘導するリーダーの問題であることが、現在の混乱の大部分です。現場はまだ、草創期からの卓越した指導性が残っています。池田先生の“呼吸”と言えましょうか。だが、このまま放置すれば、すでにその兆候が出てきていますように、破滅は避けられないと見ます。私たちの戦いの向け先はそこです。松戸さんんも、実は、そうなのではないでしょうか。

 せっかくですから、「それを例えば本尊論等に即して継承・発展する必要があります」にも、少し踏み込ませて頂きます。

 普遍性に、万人に向けた「本尊」ということですね。“物体”としての「本尊」と、“意味”としての「本尊」では、話の向き先が異なってきます。

 御周知のように、真筆御本尊にもいくつかの“相藐”があります。
 草創期や、第二次宗門問題以降でも主流の日寛師書写の御本尊には、とりわけ天界、三乗の箇所に割愛があります。当時の内外の状況がありやむを得なかったのでしょうが、日天、月天、明星天、第六天の魔王、帝釈天、(大)梵王天はあるものの、他は略されています。日昇師以降、舎利弗尊者、迦葉尊者、普賢菩薩、文殊菩薩の迹化の菩薩が入ったり、中には薬王菩薩、弥勒菩薩が加わったものもあります。歴史をさかのぼれば、宗門内にもそれはあります。

 どれも「十界三千」の御本尊の当体です。ここが大事です。「十界三千」の当体としての御本尊としては何も変わらないと思います。そしてその当体は、日女御前御返事などによれば、わが胸中にあるというのが大聖人の仰せです。

 経文に出てくる釈迦十大弟子の舎利弗(智慧第一)、迦葉尊者(頭陀第一)は一応実在の人物です。印度の龍樹菩薩(≒150~250年頃)、中国の天台大師(智顗、538~597)、妙楽大師(湛然、711~782年)も実在します。
 日本の伝教大師(最澄、767~822)も実在します。

 経文の普賢菩薩、文殊菩薩、薬王菩薩、弥勒菩薩、欲界の領主の梵天王、帝釈天王は架空の存在です。
 日天、月天、明星天も太陽、月、星と置き換えれば実在しますが、諸天の働きと捉えれば、天神の天照太神、地神の八幡菩薩とともに架空です。

 人界の代表とされる阿闍世玉は一応実在の人物ですが、転輪聖玉は架空の人物です。
 こうしてみると、相藐(そうみょう)に登場してくる人物で実在するのは、日蓮大聖人、かすかに見える釈迦牟尼仏、天台大師、妙楽大師、伝教大師、舎利弗、迦葉、阿闍世玉、そして片隅の“奉書写之”の時の法主のみで、ほとんどが架空です。架空ですから想像、仮想のものです。

 実在したといってもそれは歴史上のものですから、相藐(そうみょう)のその大半は、仮想の「十界三千」だといえます。
 それは、つまり「意味」です。大聖人己心の仏菩薩、三毒・四悪、六道、三乗、つまり「十界三千」の衆生です。

 言葉を端折(はしょ)るようになってしまいますが、「意味」として私たちは「御本尊」を「御本尊」としていると言えるのではないでしょうか。「境地冥合」とはその「意味」の合致です。「意味連関」です。ここで大切なのは、というより根幹となるのが「信じるに足る」ということです。私たちは「信」をもって「御本尊」に向かっています。

 このあたりのことは、過去に投稿の「己心の妙法蓮華経」にほんの一端ですが綴らせて頂いています。余分なこともありますが、そこは省いて見てください。
 http://sgi-shiteifuni.com/?p=11826


 おっとっとっと。一人のSGIさんのお客人を引っ張ってしまってはいけません。また盗み見(と言っても全世界にオープンですが)に戻ります。


 

twitter(氏家法雄)より。塚田穂高氏編著「徹底検証 日本の右傾化」、現在進行形の平和人権無視の公明党創価学会の末路は

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 6月 3日(土)14時46分0秒
  遅くなりましたが献本御礼。編著者の塚田穂高先生より『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)をご恵贈頂き読み終えました。為にする批判や冷笑を超え、現在進行形の異常事態をどう正確に理解すればよいのかという意味で、本書は最も包括的な最良かつ最新の研究である必携の一冊。ありがとうございます


さすがにこの一線は越えられないだろうとこれまで思われていたものが、やすやすと越えられていくーー。この一〇年、二〇年あまりの日本社会では、そんな光景があちらこちらで立ち現れていった=終わりに。書評は後日に譲りますがその消息を包括的に伝える貴重なレポートです『徹底検証 日本の右傾化』


『日本の右傾化』所収、藤田庄市「創価学会・公明党の自民党『内製』化」の締めくくりは悲惨なまでの現状報告。現在進行形の平和人権抑圧翼賛の公明党と思想的淵源の乖離を「『池田先生の平和・人権思想』が、創価学会八二七万世帯の信者一人一人に内面化されていなかったことも証明」と分析。嗚呼あ。


繰り返しの話ですが、原田会長はアベ政治翼賛、公明推進に熱を入れる会員や議員はネトウヨ以上に右というのが正味。結局、いくら創価学会は平和団体でございと言っても、平和思想は「内面化」されてなかったし、池田会長の個人の見解って話になるよね
 

扱いは慎重に・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 6月 3日(土)14時37分45秒
編集済
  やはりなと思いました。
弘安5年8月13日に日興上人に与えられたとされる本用に臨写された御本尊に埃がやたらとついていたので、埃部分だけをペイントを使用してブラシや一番細かい線で白塗りしました。
この御本尊は身延の大火災(多分明治初期)の時に消失されたとされていますから、それ以前に本用に臨写されたものです。)

お文字の部分は黒いので黒塗りのブラシ塗りをするしかないことがわかりました。
結局、古い御本尊はそうやって修正をかけなければならないことです。

この細かい埃ですが、これはボランティアでもしない限り丁寧にすることは叶わないでしょう。
日寛上人の御本尊が綺麗にされていないわけがないと思いました。
あるネットで見たのですが、加工時に消し忘れとかあったようですが、真否の程はわかりません。
かといって日寛上人の御本尊に違いありません。

ただ、懸念しているのは、功労のあった方々の所へ配布される御本尊や、幹部が隠し持っている可能性のある御本尊のことです。

それは必ずあると見ています。
それが池田先生が書写されたとされるものなら由々しきことです。
本来は会員が分け隔てなく受け取れる筈のものです。
お護り御本尊かもしれません。
これはあくまで懸念なので、私自身は幹部をまるっきり信用していません。

日蓮大聖人が日興上人に授与されたとされる御本尊です。
苻法第一智徳沙門日興授与之と間違いなく書かれています。

ユーチューブの紹介のページで、いくらクリックしてもURL元が一緒なようで、うっとうしく、削除しました。変わりに上記説明の文章を添えます。

01、称徳付法の本尊(京都要法寺蔵)
 文永九(一二七二)年正月元日
 (添書)問答第一行戒智徳筆跡付法沙門日興

02、本地顕示の本尊「万年救護の本尊」(保田妙本寺蔵)
 文永十一(一二七四)年十二月
 (添書)大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年、雖爾月漢日三箇国之間示有此大本尊、或知不弘之或不知之、我慈父以仏智隠留之為末代残之、後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之、文永十一(太歳/甲戌)年十二月日、甲斐国波木井郷於山中図之、

03、付法の漫荼羅(京都要法寺蔵)
 建治二(一二七六)年正月元日
 (添書)付法沙門日興授与之

04、(身延久遠寺曽存)
 弘安二(一二七九)年八月十三日
 (添書)智徳第一付法沙門日興授与之

05、伯耆漫荼羅(北山本門寺蔵)
 弘安三年(太歳/庚辰)五月九日
 (添書)比丘日禅授与之、
 懸本門寺可為万年重宝(判形之中ニ)
 少輔公日禅者日興第一弟子也、仍所申与如件(日興筆)

この他に、05とほぼ同様の漫荼羅が大石寺にあるようです(06)が、どちらかが「お板」のもとになったと思われます。

02の「万年救護本尊」については、重須(北山本門寺)日専『秘中抄』に、

 右此ノ御本尊ハ当山御重宝之中ノ随一也、始ハ奉レ号ニ万年救護之本尊ト一、而ルニ往古当山ノ霊宝為ニ悪盗一所ニ紛失一安ニ坐伯耆国ニ一々主奇トシテニ御判之中ノ本門寺ノ言ヲ一達ニ当山一仍而立ニ使僧一請奉レ令ニ還住一、夫ヨリ伯州漫荼羅ト申ス者也

と記されています。


つまり、日興上人に授与された最後のご本尊ということになります。


ただ、外戚の方で、お山に行かれた人が居まして、電話でも親戚付き合いはなくなりました。
私も連絡を絶って年久しいです。
それが身内であっても必ずそうしなければなりません。
お山へ誘う連中が今でも居るということです。


PS:
一番書こうと思いながら忘れていました。
仏法には総別の二義があり、別しては日興上人、一応は苻法第一智徳沙門に授与されたものでも、それが臨写されたものでも、日蓮大聖人の総じての心を拝するべきかと思います。
信じる側も付法第一智徳沙門でなければなりません。

他には何も書いていないので、その言葉を信じるのみです。
なので、いつかこの御本尊が顕される日を待ち望んでいます。

苻法第一智徳沙門日興授与之

どの御本尊にも脇書きがあり、それは顕される方の心が込められています。
(身延板曼荼羅で見てみると、板曼荼羅が山と隠されているようです。日亨上人が見た限り。)
色々と脇書があるので、それがわかればと思います。
 

松戸さん了解いたしました。

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)14時13分30秒
  皆さんに誤解を招くのはよくないので個人的に質問をさせていただきます。  

「治安維持法」で弾圧されたのは。。。

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 3日(土)14時06分32秒
  よく日本国内で「治安維持法で弾圧されたのは共産主義者」と
報道されてしまうのですが、、、実際は違うのですよね。
創価教育学会は尚の事そうなのですが、、、
第二次大本事件での主たる弾圧された方って、、、皇族の方だよ、、、

しかも、この方の姫君は、李方子の名で知られる(でもなかなか日本史の教科書では出てこないような。)、梨本宮方子女王様。もう涙しか出ないんですが。。。

今上天皇陛下の「不戦平和」に真骨捧げられている姿勢。
直接の父君だけではないんですね。  やっぱり、あんな不寛容で為政者逃げ道だらけの悪法、通しちゃいけませんよ!
警察や公安が妥協する事なく粛々と仕事しなよってこと。さっさと性犯罪の厳罰に取り組んだ方が絶対いいんだよ(怒)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC#.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E6.AC.A1.E5.A4.A7.E6.9C.AC.E4.BA.8B.E4.BB.B6
 

謗法の現代的解釈について

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)13時37分9秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/69902
ニューリーダー間鹿様、ご質問ありがとうございます。
でも、この板では昔ながらの教学を信奉する人が主流を占めているようです。溝が深すぎますので、再び私が現代的な解釈を提示すると反感を買うだけでしょう。個人的に回答させてください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69901 虹の戦士様たち、提示されている色々な疑問については、私は何も知りませんし、言うこともありません。SG担当者や幹部の方に直接問い合わせた方が良いのでは。
 

SHQ(信濃町執行部)の「終末思想」

 投稿者:竜女の誓い  投稿日:2017年 6月 3日(土)13時34分7秒
  朝、色々な所で頭を巡らせては、自分なりに推挙した答えを、各々思った所に話していき、それが全て、「仏教思想」で行き着くと実感すると、やはり、戸田先生の、分かりやすく、また痛快に語られる感じが創造できて、
すごく充実した時間になっていきました。
(電話受けられた先は未来部担当責任者;2児のパパです。夜勤明けなのに対応してくれました。ありがとうございます。)


。。。でもどこから歯車が狂ったのでしょうね。。。公明党の議員さんは父の事を思えばある意味同士だったが故に、
引き際見誤ってしまったとは思うのですが、SHQはもうね。。。「 二乗(声聞・縁覚のエリート、アーティスト)」は
我が強すぎて、驕り高ぶって成仏出来ない…というものそのものですからね。


。。。いや、そんなえぇもんでもないか。欲深かで、人を人と思ってない、いがみ合ってて、一緒に行動しつつも、
ホントはお互いがお互い陥れたくて陥れられなくて、ひねくれる。

だから、「創価学会の永遠性を留めおくためのお片木御本尊」なんでしょうね。。。

宗教がそんなん求めるの。。。ぶっちゃけ自殺行為なんじゃないの?ってね…傲慢もいいとこですね。
欲がハイレベルになって行き着く先。。。もう、この先は言わない事にします。。。
 

池田先生にインタビューは代理

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 6月 3日(土)13時31分4秒
編集済
  元創価学会職員3名のブログ
36【告知】6・18(日)13時、学会本部前サイレントアピールの決定!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/

5・26、5・30、6・1の聖教新聞に載った
「国際通信社INPSが池田先生にインタビュー」(私はまだ読んでません。読む気ありません。)
これは先生利用だと言っています。私もそうだと思います。

6・18のサイレントアピールに参加しようと思っていましたが止めました。見学に行くことにしました。参加もしくは見学で、皆でワイワイ楽しみましょう。


おそらく先生は戸田先生と共に次の戦いをしているのでは。
 

虹の戦士様。戸田先生の音声、ありがとうございます。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 6月 3日(土)11時33分41秒
  戸田先生は、きっぱりと、「大御本尊」とおっしゃっていますね。

その通りです。

mission様が、僕の投稿内容について書かれています。
これですね。

「仏の願うところの全衆生の成仏。その為には、何が必要なのか。
三類の強敵が、必要なのだ。その三類の強敵と不惜身命で師弟不二の一念で闘う時、仏の境涯を開くことができる。」

ただ、タイトルが「なんて頭の固いバカな奴と思われたか・・・ 」ていう(笑)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/66889

一部引用----

なぜ、大御本尊と言われたのか。深い深い、意味がある。

その意味を知らねば、全ては瓦解した暗黒世界、終末の未来しか見えないだろう。

大御本尊といわれたその意味するところ、それは、全ては法華経の通りであるということだ。

今、法華経に書かれてあることが現在進行形であることを理解するならば、全ては仏の慈悲。

全民衆救済、人類の大きな変革であることがわかるだろう。

仏の願いは、我々が考えるような小さな幸福を衆生に得させることではない。全ての民衆を成仏の境涯へと導くことにある。

どうすれば、仏の境涯を開くことができるのか。

明白である。

「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。」

この御書をよくよく見ていただきたい。「必ず仏になるべし」とあるではないか。

仏の願うところの全衆生の成仏。その為には、何が必要なのか。

三類の強敵が、必要なのだ。その三類の強敵と不惜身命で師弟不二の一念で闘う時、仏の境涯を開くことができる。

今、創価に起きている現象とは、仏の慈悲に他ならない。今こそ、胸中に御本尊があることを覚知する功徳を得て欲しい。

中略-----

「大御本尊」が定まることにより、日顕宗に破門された我々は「数数見擯出 遠離於塔寺」という法華経の難を受けることとなった。
つまり、法華経の行者としての証明を果たしたことになる。

日顕宗に破門されることで、今、正に法華経のドラマが顕現され、地涌の菩薩、即ち、人類が人間革命する時が到来したと言えよう。
日顕宗による破門は、先生陣頭指揮の元での三類の強敵との闘いの予行演習みたいなもの。

本番は、今。主役は一人一人、さぁ、御書の通り、闘おう。そして「必ず仏になるべし」の通り、皆、仏の境涯を得るのだ。

そして、三類の強敵とは、何奴か、板の閲覧者なら御存じだろう。

さて、大聖人が「大御本尊」をどう思われていたか。
推測するしかないが、弟子への御遺命として、最勝の地に本堂を構えてと、本門の戒壇ということを弟子に残されている。
この事を考えた時、本来、自身の胸中に御本尊があることを覚知させるのが大切なことを考えれば、おかしな話である。
本堂とか、中心地みたいな場所は、本来必要ない。我が生命にこそ、大御本尊はあり、その生命の深奥こそ戒壇であるからだ。

ならば、答えは、弟子達の成仏のために本堂といい、本門の戒壇というものが必要だったということだ。

<<未来において三類の強敵たるもの発生を意識していたということ、日顕も、失効部も、すべて衆生の成仏の為に必要。魔王を誘発させ悪として三類の強敵として顕現させるために、本堂が必要だったということ。法華経の通りにするための遺言だったということ>>
<<その証拠に、大聖人は御書で「仏のごとく六通の羅漢のごとく・三衣を皮のごとく身に紆い・一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と・大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等・我が正法を失うべし、・・・」と予言されている。日顕も、失効部も、全て大聖人の予見されたことであり、全人類を成仏させる壮大な計画であることがわかるだろう>>

そのことを考えれば、史実が残っていなかったとしても、大聖人が「大御本尊」を考えられたことは間違いないと推測される。

<<大御本尊という唯一無二が定まらなければ、この壮大な計画は達成しえないことがわかるだろう。これは大聖人の意志だけではない、法華経がそもそも、そういうように書かれている。法華経の通りなのだ。魔王さえも、人類の救済のために使う。これが仏の智慧だ。>>

成仏の為には、三類の強敵が必須。そうなのだ、全ては弟子の成仏の為に、「三類の強敵」を呼び起こす必要があったのだ。

そして、創価の誕生と共に、戸田先生は、「大御本尊」を宣揚した。
草創期の大先輩達の功徳。「大御本尊」が「大御本尊」として力用を発揮した。ここに意味がある。

<<草創期の大先輩達の闘いは真贋を超えて「大御本尊」を真実の「大御本尊」と昇華させた。それに呼応し、魔が競い魔王が引きよせられた。仏と魔は表裏のように対となる。真実の「大御本尊」には魔王が引き寄せられる。そして法華経の壮大な時が動き出した>>

日寛上人も、戸田先生も、大聖人の意図すること、仏の意図することを理解した、だから「大御本尊」と宣揚したのだと推測される。
戸田先生は牧口先生から、発迹顕本しなさいと、まるで悪いことしているように責められたと言われている。
そして、戸田先生は、三類の強敵が顕れるのをずっと願っていた。
また、池田先生も、我々、会員に目の醒めるような発迹顕本を、と言われている。

大聖人の発迹顕本とは何だったのか。

牧口先生は言われた。我々は法華経の信者ではない。法華経の行者だと。

全ては、今、この時のため。さぁ、闘おうではないか、素晴らしい黄金の時だ。信心の総仕上げだ。法華経の通り、目覚めよ民衆よ。
そして、この世界を人間革命の波で覆いつくし、人類の今までの不幸な歴史にピリオドを打とう。

引用終り----

僕の考え方は、今の失効部にしろ、世界の状態にしろ、法華経の通りであり
大きな変革の前兆だという捉え方です。

暗い現実で未来が閉ざされたように見えますが
人類の悪しき宿業を絶つためには、大悪からの反転による大善でないと大きな反転はできません。
大悪が大きければ大きいほど、その反転もまた、さらなる極善となる。

私達は、今、凄い時に生きているんですよ。
 

虹の戦士 様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 6月 3日(土)08時55分20秒
編集済
  ドンマイです(^^) 池田先生の御指導には師匠である戸田先生の事を必ず話して下さいます。
虹の戦士様が投稿された動画で、戸田先生の声を聞けて私は とっても嬉しかったですょ。ありがとうございます!

突然の「会則*教義変更」は、学会創立85周年を迎える前年の11*18直前にあり、その「大それた発表」の仕方も聖教の1面では無く、姑息に中面で唐突にしました。
姑息な「会則*教義変更」は、師敵対の腹駄や強姦魔の谷川等の忘恩の輩である四人組がした事なので、私の中では池田先生が指揮を執られてた2002年の会則改正で終わっています。

それに打ち出し連続の組織では、県や総県幹部達も理解してないし説明も出来ないのが現状…当たり前ですょね?先生の指示を無視して強行し、教義変更に当たっての勉強会すら無いのですからね。
忘恩の輩である四人組達は、師匠である池田先生の指導や思想*哲学から遠ざけたい怨念で、先生の名前や権威だけを利用したのです。

『池田先生の創価学会で私は十分幸せだったのですが、急に教義がかわって戸惑ってるだけです』の思いは、虹の戦士様だけではありませんょ。
気付いた人達は皆そう感じていると思います。
戸田先生も池田先生も『大御本尊』と仰っておられるのですからね。
何故『大御本尊』と言われたのか…そこには深い意味があり、もっと潜思すべきだと私は思います。

今朝《虹と創価家族》様が投稿して下さってますが、私も同じ意見です。
『師弟不二』が絶対にブレない人達を中心に、大御本尊の件や宗門教学の論議を会員達に説明しながら進めていかなければ理解を深める事は出来ません。
そして《虹と創価家族》様が言われている『池田先生のお心をくめる未来の後継者』を育てる事も、私達に課せられた重大な使命なのだと感じています。

私は宿坊の掲示板に投稿し始めて1年になりますが、それ以前に《蘭夢様》が(うる覚えになります)【仏の願う全ての衆生の成仏。その為には三類の強敵が必要。その三類の強敵と師弟不二の一念で闘う時に仏の境涯を開く事が出来る】
と書いて下さってました。
まさに今、創価公明に起きている現象がそうじゃないでしょうか?

日顕宗からの破門や様々な攻撃の時は、池田先生が盾になって指揮される姿を私達に見せて下さり勝てました。
そして其の時の「第六天の魔王」は、創価公明に棲みかを移している。
だから今、池田先生の言葉を1つ1つ思い出しながら「第六天の魔王」が扮する「三類の強敵」と闘う『時』であり『54年』の決着なのです。
池田先生が仰られた『発迹顕本』ではないでしょうか?信者では無く行動する『行者』の闘いで(^^)v

そして宿坊の掲示板は【師匠である池田先生を追放した最高幹部、54年問題総括の場】と謳ってるのですから、他の投稿を誹謗中傷しなければ個人の意見は自由であり反論では無いと私は思いたいです。
反論と捉える方が居られたら、素直な思いは誰も投稿できなくなります。
長くなりましたが、虹の戦士様 fightですp(^^)q

 

共謀とは

 投稿者:正義  投稿日:2017年 6月 3日(土)08時21分6秒
  武器製造、輸出、犯罪国家への資金援助
戦争を引き起こそうと世論を誘導する、
隣国を挑発する。憲法を改悪する

.....国民を不幸に巻き込み、地球を破壊する
極悪政治家を断罪する共謀罪にしてください。

戦争法案を作り軍隊を作り、原爆さえ作ることでしょう
歯止めは利きません。歴史に創価学会は戦争加担したと残ります。

 

二十一世紀への対話 64

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 6月 3日(土)08時12分49秒
  ◆ 5 科学的思考法の限界

【池田】 科学には限界があり、その扱いうる対象はきわめて限定されています。しかも、人間にとって大きい関心事については、まったく明確に答えることができません。そうした、科学の扱えない問題に対して、人間に一つの信念を提示しているのが宗教です。その意味で、宗教こそ人間にとって、より重要な必需物であるということは明らかでしょう。
しかしながら、科学的思考法は、その扱いうる対象については、理性の光で照らし、一定の法則を発見することに成功してきました。私は、このような科学的思考法を“科学の眼”と呼びたいと思います。そこで、では宗教の思考法と“科学の眼”とはどう違うか、という点を考えてみたいと思います。
私のいう“科学の眼”とは、みがかれた理性の眼によって客観的に対象を照らし出し、そこに一定の普遍的な法則を見いだしていく認識力です。理性の力によって法則を見いだす過程においては、当然、分析的手段が使われ、普遍化、抽象化が行なわれます。また、分析的方法が対象の定量化をともなうことも当然でしょう。

【トインビー】 科学は、人間の知覚がとらえるデータ(既知事項)の全内容から気まぐれな抽出を行なうことによって、観察の対象として選んだ分野を、客観的に見つめることに成功しています。ただし、これは“客観的”という言葉の意味を「人々の意見が交換されたとき、必然的にすべての人間の知性に同一のものとして映る現象や思考」と定義した場合のことです。ところが、この“客観的”という意味を「実在自体の、ありのままの正確な反映」と定義するならば、話は違ってきます。つまり、諸現象のなかから科学が抽出するものは、そのように科学による処理を経て切り取られる以前の現象よりも、少なくとももう一段階、実在それ自体からかけ離れたものになりやすい、と結論せざるをえないと思うのです。科学が、いろいろな現象を解明しつつあると主張するのは、一応納得できます。しかし逆に、科学は諸現象を歪めているという非難もまた、同じく納得できるものでありましょう。

【池田】 科学的方法を用いる以前の対象物と、“科学の眼”によって抽出され定量化された対象物とが、まったく同一であるはずはありません。ここに“科学の眼”が、事実そのものに迫りえない“本源的限界”があるようです。

【トインビー】 科学はいろいろな現象の特性のうち、同一種類に属する個体のすべてには共通しないもの、したがって定量化できないものを、たしかに、意図的に無視します。
定量化の代償としては、独自性の無視ということが行なわれます。これはまさに高価な代償です。なぜなら、独自性というものは、実際には画一性と同じく、あらゆる現象における本質的かつ不可欠の特性であるからです。いろいろな現象のうち、いわゆる無生物界に属する種類の現象でも、それぞれある程度の独自性をそなえているものです。まして生物にあっては、この独自性という要素は、さらに重要性を増してきます。そして、意識をもつ生物において、その重要度は最大限に達するわけです。
こうみてくると、選択を好む科学の思考法が、物理学とか無機化学など無生物界の現象を扱うことに適用された場合に最大の成功を収めているのは、たんなる偶然事ではありません。これが、生命体を扱う、たとえば有機化学とか生物学などに適用されると、その成功率は低下してきます。さらに、精神のうちの意識層、つまり認識論や論理学などの分野に適用されると、成功率はさらに低下します。
そして、精神のうちでも潜在意識層への探究となると、これはもはやごく最近になってやっと開始されたばかりという状況です。もっとも、インド哲学では、すでに二千五百年もの昔からこの分野を探究していますが――。この、科学がこれまでに試みたなかで最新の、しかも最も難解な分野について、その成否を予測することは、むろん時期尚早です。しかし、科学が諸現象についてわれわれに知らせ、理解させる力をどれほどもっているかを測るカギがこの点にあることは明らかです。人間の知性が近づきうるすべての現象のうち、この潜在意識レベルの精神現象は、おそらく、われわれにとっては最も重要であり、同時に、科学にとっては最もとらえがたいものでしょう。
 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 6月 3日(土)08時10分35秒
  >なぜ諸天善神の威光勢力と感謝の祈りを削除したのか

○ 会員が信仰での功徳の実感されると、執行部のデタラメがバレてしまうから

○ 会員に福運が付くことが同時に執行部への反撃力をつけさせることになるから


・・・ 他にも「思惑」がありそうだけどね

要するに、執行部はまともに勤行していないのを自白したようなおバカな変更内容
さらにいえば、これだけ無意味なほど簡略化しても執行部はそれでもまともに勤行やってないんじゃないかと推察するね

もうひとつ

何かのときに勤行する機会があれば、それは「ハイール!ヒットラー!!」の代わりに勤行やってるようなもの
まともな勤行でないものを会員に強要するのは、うま・しかの故事を勤行でもってやってるようなものだもんね
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、背中がススけてマスよぉ~(爆)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 6月 3日(土)07時40分32秒
  おはようございます。原田怪鳥様、大田総区での地区部長会への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、「誉れ高き師弟の原点を胸に、前へ進もう!」といっても、師弟の原点とは信心のことであって、選挙ではありませぇ~ん(笑)

「生まれ変わったような決意で拡大に挑み、誓願の祈りと異体同心の団結で、今こそ壁を打ち破ろう」と力説されても、

信心によって、心の壁を打ち破るのであって、選挙の「F」の数を打ち破るのではありませぇ~ん(笑)

小池陣営についたはいいが、自民党の協力も得られず、都民ファーストに票を喰われるのを恐れて、戦々恐々といったトコロデスかぁ~(笑)


永石婦人部長さんも、「師弟共戦の決意に燃えて」なんて叫ばれているようデスが、そもそも、「勇退」なんて、堂々と口にするアナタが、

ホントに「師弟共戦」してきたんデスかぁ~? 政教珍聞でも最近は「辞任」と表現されてマスけどぉ~、いかがデスかぁ~(笑)

大上段から檄を飛ばすだけでは、かえって、見透かされマスよぉ~(爆)


『哭きの竜』の話が出たので、名セリフを一つ紹介しておきまぁ~す。

「アンタ、背中がススけてるぜ!」(大爆)


明日からも、怪鳥様の都内徘徊の報道を期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

訂正

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)07時33分27秒
  宗が不幸の原因×

と打ちましたが、

正しくは,

邪宗が不幸の原因○

です。 失礼致しました。

 

松戸さん私も質問があります。

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年 6月 3日(土)07時24分6秒
  不幸の原因について,日蓮仏法では全ての不幸の原因は念仏宗や禅宗,真言宗など邪宗の謗法が原因と説かれており、学会も「折伏大行進」のキャンペーン以来、邪宗撲滅をスローガンにかがけて きた訳ですが, 近代においては 既成宗教や 新興宗教などの勢いは現代では乏しく、不幸の原因の邪宗といった昔の様な破伏路線は学会ではとっていません。学会教学では時代と共に不幸の原因の定義が曖昧にされていれように思われます。

我々、若い世代も折伏戦の時に邪宗教が不幸の原因であるといって弘教をするメンバーもみかけません。

では、今現代では不幸の原因とは正宗教学から受け継がれたように一部の新興宗教や既成宗教の信者に訴える以外は宗が不幸の原因とは少し無理があると思います。

不幸の原因の謗法の解釈について近代的にはどう解釈したらよいのでしょうか?

松戸さん御教授お願いします。
 

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