「やりたいこと」の前で躊躇しているなら
先日、27歳の女の子の相談を受けている時に、こんなことを彼女は言いました。
「今から勉強してもしかたがないのかもしれないけど、でも・・・の学校に行ってみたい」
と。
つまりどういうことかというと、やりたいことがあるけど、自分は年齢的にその「やりたいこと」を今から始めても成し遂げるのは無理じゃないか、ということだと思います。
①自分にやりたいことをやらせてあげる
②年齢的に無理だからやめることを自分にすすめる
この二択の前で彼女は悩んでいることになります。
私は①を積極的に勧めたいのですが、①の選択肢をとるための考えかたを少し書いてみようと思います。
できている人の例を探す
というか、私は今年40歳になるのですが、今年専門学校に入りましたので、27歳の彼女が今から勉強すると言い出した時「勉強したいならすればいいじゃん」ぐらいにしか思いませんでした。
40歳になって会社辞めて無職になって学生になるって大丈夫なの? どうすんの、食べていけるのって聞かれることもよくあるのですが、他人に聞かれた時にはテキトウに答えたりもしますけど、自分の中の考え方としてはこれがあります。
「女子学院の創始者の矢嶋楫子(やじま かじこ)は36歳まで熊本にいて、そこから夫と離婚して上京して英語と教育学を修めて学校まで作った、しかも明治時代に。こんな人がいるんだから私だってできるはずだ」
これです。
矢嶋楫子は、明治期における知の巨人徳富蘇峰のおばさんです。徳富蘇峰も90歳超えても書き続けていて、楫子もたしか96ぐらいまで生きたと思うので長命の家系なんだと思います。これでわかるのは長く生きてると人生変容のための機会をうかがうことができますね。
でも、明治時代でバツイチで、36歳って、今の感覚でいったらもう「人生あとは消化試合」って感じでみんな捉えてると思うんですよ。そんな時に「私はこれから東京に行って勉強してきます」っていうの、よほど変わってるし根性あると思いませんか?
楫子自身は名家の生まれだったり、地頭が良かったり、文化資本のある家庭環境で育ったりと私とは違う部分もたくさんありましたが、私は彼女がすごく好きなので、その辺の世間の人が「今更新しいことやるのは無理じゃない」っていう意見を聞くよりは、楫子の生き方を真似したいと思った。
で、40歳になる今年、今までの人生の行きがかりを捨てて違うことを始めたので、「36歳の楫子より遅くに勉強を始めたのだから、そういう意味では私のほうが楫子に勝った」と勝手に思ってます。
で、こういう晩学で何かを成し遂げた人って探すとたくさんいます。
伊能忠敬も51歳で隠居してそこから地図製作を始めたし。
手近なとこだと、もう別れちゃったけど私の元夫のお父さん(元義父)は70歳過ぎてから油絵を初めて、75歳ぐらいから国展に入選するようになり、今も絵を描き続けているし。
↑こんな人もいますしね。ホント探せば、年齢に関する世間的合意っていうの無視してぶっちぎってなんかひとりでやっちゃう人ってたくさんいると思いますよ。
去年ニューヨークで友達が留学していたのでちょっと遊びに行った時に、アメリカ人は30超えても勉強してる人たくさんいるんですよ。それは学費を稼ぐために学部を卒業したら一旦仕事しちゃう人とかいるので、学びの場にいる人には年齢の幅が日本なんかよりずっとある。
勉強はしてもしなくてもいいけど、でも、人生100年ぐらい生きるのに、22歳からもう勉強しない(学校に行かない)って、ちょっと不自然だとおもうんだよね。どっかでもう一回ぐらい学校に行っても全然いいと思いますよ。
最後まで続かないことで自分を責めているなら
そしてもう一つ、彼女の懸念は
今からやったところで最後まで成し遂げられないかもしれない。
というものがあると思います。
でも、成し遂げられないのは理由があって、一番大きなものとしては
「それが本当には自分に必要なかった」
っていうのが一番大きな理由だと思う。
英語もダイエットも筋トレも、続かないのは根性がないからとかダメ人間とかではなく、自分が必要としてないからってことだと思うんですよ。
「自分にむいてない」ってことがわかるにはどうしたらいいか、っていったら一回やってみるしかないですよね。
だから、一度やってみる。飽きたらやめる。
どんどん飽きてどんどんやめて行くとどうなるかというと、
飽きてもどんどん新しいことに挑戦できる。挑戦することを諦めない。
って言う長所が手に入ると思います。
あとこの本いい本でした。
千葉雅也さんの『勉強の哲学』。略して勉哲。
勉強ができるようになるためには、変身が必要だ。
勉強とは、かつての自分を失うことである。
深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、
それは恐るべき快楽に身を浸すことである。
そして何か新しい生き方を求めるときが、
勉強に取り組む最高のチャンスとなる。
なぜ人は勉強するのか?
勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか?
思想界をリードする気鋭の哲学者が、
「有限化」「切断」「中断」の技法とともに、
独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論。
楫子の生涯は、楫子と同じくクリスチャンの三浦綾子さんが小説にしています。
厳しい明治の世、熊本の旧家に生まれた矢嶋かつは、酒乱の夫に再三生命の危機にさらされ、自分から離縁を言い渡す。当時の風潮に反するかつの行いに世間も身内も冷たく、三人の子を置いて単身東京へ行くことに。船旅の途中自らに「楫子」と命名し、強い意志で教師を志す楫子だったが、十歳近くも年下の妻子ある書生との恋愛、出産を経て、人の"弱さ"を痛感する。そして出会ったのがキリスト教だった。
変化を楽しもう。人生に飽きると死が見えてくるから。