戦後にパプアニューギニアで発見され、米国などで復元された零式艦上戦闘機(零戦)が、7日にもトレーラーで鹿児島空港に運び込まれる。分解された機体を組み立てた後、航空当局などの許可が下りれば、来春にも国内で公開飛行が行われる。鹿屋、知覧など特別攻撃の出撃基地があった鹿児島。戦後70年を前に、関係者は「悲しい目的に利用された零戦の歴史を振り返り、平和を願う契機にしたい」と話している。
機体は1970年代に、パプアニューギニアのジャングルで残骸となっているところを発見され、米国に運ばれた。その後、航空機収集家が買い取り修復。胴体の骨組みや翼を支える軸など全体の15%はオリジナルを生かし、残りは設計図を基に飛べる状態にまで復元した。航空ショーや映画「パール・ハーバー」の撮影でも使われたという。
2008年、フライトジャケット製造会社を経営するニュージーランド在住の石塚政秀さん(53)が機体を購入。その後「日本に里帰りさせたい」と考え、計画を練ったが、リーマン・ショックや東日本大震災の影響で頓挫した。それでも諦めきれず、今年11月、機体を分解して神奈川県に搬入。組み立てや保管先を探していたところ、東京の整備会社が了承したため、今回、倉庫がある鹿児島空港に運ぶことになった。
九州では、大刀洗平和記念館(福岡県筑前町)や知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)など、4カ所に零戦の復元機や模型が展示されているが、実際に飛行できる機体は世界に数機しかないとされる。このうち米国の博物館が所有する1機は1979年、九州を訪れ、長崎県大村市などで公開飛行が行われた。
石塚さんは鹿児島空港内での組み立て作業や、地上滑走の様子などの一般公開を検討している。整備に2、3カ月かけた後、国内での飛行を目指すが、九州を含む数カ所から誘致の打診があったという。場所は行政による飛行許可の状況などを踏まえて決める。
「零戦には当時の最先端の技術が詰まっている。その技術力が戦後日本の高度成長期を支えた」と石塚さん。「零戦には悲惨な歴史があり、鹿児島の人々も複雑な思いがあるだろうが、戦争のむごさや平和の重みについて考える機会にできたら」と話している。
=2014/12/06付 西日本新聞朝刊=
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