大阪府豊中市と吹田市の市境付近を走る北大阪急行電鉄。先月末に初めて乗車した記者は、終点の千里中央駅で運賃表を見てびっくりした。初乗り運賃が100円と破格の安さだったからだ。国土交通省鉄道局によると、北大阪急行の初乗り運賃は、ケーブルカーなどを除けば鳥取県の若桜鉄道と並んで日本一安い。なぜ初乗り運賃がこんなに安いのか。謎を解くため、沿線に足を運び調べてみた。
北大阪急行は大阪府北部の江坂(吹田市)―千里中央(豊中市)間の5.9キロメートルを結ぶ。大阪市営地下鉄の御堂筋線と相互に乗り入れ、新大阪や梅田、心斎橋など大阪の主要エリアへの接続も良い。
だが利用者に聞くと「運賃なんて意識してへんかった」などと初乗り最安の事実を知っている沿線住民はほとんどいない。そんな中、豊中市の主婦(69)は「(大阪)万博の時にだいぶもうけたんとちゃうか」と推理してみせた。
大阪万博が関係している? 北大阪急行電鉄本社を訪ねて聞いてみた。北大阪急行の開通は1970年2月24日、大阪万博開催の年。会場への輸送手段として敷設された。当初は江坂駅から仮設の千里中央駅を経由し万博会場の万国博中央口駅を結ぶ9キロメートル。このうち千里中央―万国博中央口間の3.6キロメートルは「会場線」と呼ばれた。当時の初乗りは30円。阪急電鉄や大阪市営地下鉄と同水準で特別安くなかったが、7回の値上げを経ても、なお割安な運賃を維持してきた。
万博開催期間(70年3月15~9月13日)の来場者数予想は3000万人以上だったが、北大阪急行の乗降客数は4148万人で、70年度全体で5540万人を記録した。同社は「夜間も臨時運転するほどだった」(総務部)と当時の盛況ぶりを振り返る。
しかし翌71年度は一転、大幅に減少。万博閉幕の翌日には万国博中央口駅も閉鎖された。万博効果は一過性に見えたが、北大阪急行は復活劇を見せる。「沿線の住宅開発が進み、鉄道需要が拡大した」(同)。主因は千里ニュータウンの誕生だった。
町づくりの歴史を学べる千里ニュータウン情報館(吹田市)には、入居者に将来の町の姿を示すために作ったニュータウン計画の模型がある。これを見ると、住宅・商業施設整備の歩みが読み取れる。
50年代に人口増加による住宅不足解消に向け府が千里丘陵を開発。62年の町びらき以降、住民が増え、鉄道利用者も増えた。新大阪駅まで直通で約13分、大阪国際(伊丹)空港まで結ぶ大阪高速鉄道(大阪モノレール)も90年に誕生し、交通の便も向上した。
近畿大建築学部の鈴木毅教授(建築計画)は「千里ニュータウンは出張の多いビジネスパーソンらにも人気のエリアで、住宅地開発の一つの成功例だ」と話す。新御堂筋の整備で江坂駅周辺が開発され、企業の集積も進んだ。
北大阪急行の安い運賃の背景には、大盛況だった大阪万博と、閉幕後の乗降客反動減も跳ね返した沿線地域の発展があった。ただ、この安さを支えるにはニュータウンや周辺地域の活性化が不可欠だ。
追手門学院大の山本博史教授(地域研究)は「少子高齢化でニュータウンの住民は減少傾向。商業施設も活気を取り戻すには見直しが必要」と指摘。近畿大の鈴木教授も「住民が交流できるカフェを周辺に造るなど、時代に合った開発が求められる」と話す。
折しも、大阪府は25年万博の招致を目指している。かつて万博を契機に、沿線の発展とともに成長した北大阪急行は「会場直結の路線にならずとも、万博記念公園などゆかりの地域が再び盛りあがってくれれば」と期待している。
(大阪社会部 加藤彰介)