佐藤琢磨 インディ500 優勝
佐藤琢磨が、インディ500制覇について The Players' Tribune のコラムで改めて語った。

佐藤琢磨は、第101回インディ500の決勝で2位のエリオ・カストロネベスにわずか0.2011秒差で優勝。日本人初となる歴史的快挙を成し遂げた。

「残り2周でインディ500をリードするという感覚は人生において他に近い経験はありません」と佐藤琢磨はコメント。

「望めば多くのレースを走ることはできるかもしれません。チャンピオンシップに勝つことはできるかもしれません。トラックで最も偉大なレジェンドたちと肩を並べることはできるかもしれません。ですが、インディの日曜日の最後の数マイルに準備できることは何もありません」

「以前にそこにいたことがない限り」

2012年のインディ500。佐藤琢磨は2番手を走行していた最終ラップで優勝を目指してダリオ・フランキッティに1コーナーで仕掛けるも、スピンを喫し、ウォールにクラッシュしてレースを終えている。

「2012年のレースで僕はそこにいました。そして、勝てると思っていました」

「その日のことは多くの理由で覚えています。特にいかない暑かったかを覚えています。温度計は100°Fを指していました。ですが、それが僕のアドバンテージになりました。僕の周りでスタートした多くのクルマがレース中盤くらいに冷却に問題を抱えていました。僕たちのレイホール・レターマン・ラニガン・ホンダは本当にうまく機能していて、僕たちは多くのペースとともに順位を上げていました。残り6周の最後のリスタートの時点で僕たちは5番手まで順位を上げていました」

「残り2周で僕はダリオ・フランキッティの真後ろの3番手につけていました。彼はターン1でスコット・ディクソンのインサイドを突き、僕も彼に続きました」

「インディ500はレースをするだけではありません。学んでいます。最後の495マイルの時点まで精神的にクルマの情報を記憶していました。どの場所でグリップが得られるか? 自分はどこで最速だと感じているか? 必要なときにどうやって自分のラインを守ればいいか? ディクソンのインサイドを突いたとき、僕はターン1のバンクでグリップを感じていました。素晴らしかったです。人生で最大のレースで優勝するまでコーナーはあと7つでした」

「3つのターンを抜けても僕は仕掛けることができませんでした。ダリオとのジャップを縮める必要がありました。フロントストレッチ側に下がり、彼に対して素晴らしい走りができました。全てのラップでやっているようにウインドソックを見上げて、ターン1が向かい風だとわかりました。それはクルマにより多くの力とグリップが得られることを意味しました。最初の思ったのは、何が何でもダリオと接触してはいけないということでした。もし接触して、彼がリタイアするのであれば、僕はそのようなレースに勝つつもりはありません。お断りです」

「ダリオはディフェンスしました。僕はちょっと白線に下がりすぎてしまい、気付いたときにはスピンしてウォールに衝突していました。インディ500は終わりました。永遠の残り4コーナーです。隙間は小さかったですが、一か八かやるしかありませんでした。それがレースです」

「僕は36歳でした。これまでメジャーなレースシリーズで勝ったことはありませんでした。そのような機会はどれくらい巡ってくるだろう?」

「滅多にない。それが答えでした」

『2012年のことは時々僕の心のなかに残っていました。7歳の僕はあのレースで勝つことを望みました。40歳の僕もあのレースで勝つことを望みました』

「初めてテレビで観たレースはインディアナポリスでした。僕は7歳で、6500マイル離れた日本の東京で床に座って彼らが走るのを観ていました。あまり良く覚えてはいません。ですが、インディ500であることは知っていました。彼らはずっと本当に速いスピードで走っていましたからね。あまり理解できませんでしたし、信じられませんでした」

「その後はレースに夢中でした。ドライバーになりたかった。ドライバーになるつもりでした」

「僕はF1を含めてヨーロッパ中で異なるシリーズでレースをしてきましたが、インディカー・シリーズは人生で最も価値ある経験のひとつです。素晴らしい人々と出会い、仕事をし、初優勝した2013年のロングビーチでは素晴らしい一日お過ごしました。永遠に忘れることない思い出が本当にたくさんあります」

「でも、2012年のことは時々僕の心のなかに残っていました。7歳の僕はあのレースで勝つことを望みました。40歳の僕もあのレースで勝つことを望みました」

「今シーズン、僕はアンドレッティ・オートスポーツに移籍しました。そして、このクルマはインディにむけて新たな望みを与えてくれました。この1ヵ月全体は違った感覚でした。勝つチャンスがあるとわかってサーキットに着いたのは初めてでした。僕たちは予選で強く、クルマには素晴らしいペースがありました。ですが、より重要なのはトラフィックのなかで本当にうまく走れていたことでした。それはレースに向けて大きな自信を与えてくれました」

「そして、日曜日・・・ちょっと違った感触でした。勝てると感じたのはインディでのキャリアで初めてでした。頭のなかでは勝てるとわかっていました」

「僕たちのチームは日曜日にかなりいい感じでした。全てのピットストップ、その7回全てがとても強力でした。彼らは僕に勝つための最高のチャンスを与えてくれました。残り数周で僕は再びそこにいました」

「5年後、インディに戻ってきて、勝利まであと数ターン」

「その前の数ラップで起こったことが、最後に違いを生みました。残り9周で僕は2番手で、ターン1のアウト側からマックス・チルトンを抜こうとしました。イン側のグリップはかなり良かったですし、うまく潜り込めれば、マックスのようにリードを守れる。それを忘れるな、と思っていました」

「数周後、エリオ・カストロネベスが速さを見せてリードを築きました。2012年にダリオにしたように彼に続きました。ですが、今年はチェッカーフラッグまでもう少し時間がありました。僕とダリオと間のメンタルゲームでした。彼を抜けることはわかっていましたが、彼に抜かれた場合にリードを取り戻せる十分な時間をもってそれをしなければなりませんでした。頭の中で計算しました。そして、残り5周でうまく仕掛けて、フロントストレッチ側で彼を抜きました」

「エリオが来るのはわかっていました。彼は最高のドライバーです。3度のチャンピオンです。倒さなければならない男です。彼は簡単には行かせてくれません。彼はターン1で仕掛けてきましたが、僕はターン1にグリップがあることを知っていました。数周前からそれを知っていました。2012年からそれを知っていました」

「慎重に走りました。そして、エリオは抜くことができませんでした」

「残り2周はちょっとぼんやりしています。チェッカーフラッグを受けて、巨大な安堵の感覚に襲われたのは覚えています。エリオとバトルができたのは特別なことでした。このレースに勝てたのは名誉なことでした。そして、初の日本人ウィナーになれたことに物凄く誇りに思っています」

「インディ500にむけて準備できることはたくさんあります。スタート、ピットストップ、リスタート。ですが、ヴィクトリーレースを走ることは・・・そのための判断基準はありません。どんな気分になるのか、どんな経験になるのかはわからないのです」

「2012年以降、僕は何度も勝つための経過について考えてきました。ですが、実際に買ったらどんな気分になるかについては考えていませんでした。ヴィクトリレーンに着いて、クルマを降りたとき、その全てが襲ってきました」

「インディアナポリスは本当に特別な場所です。そして、それをアンドレッティ・オートスポーツ・チームと一緒に共有できたことは、これまでで最高の経験のひとつです」

「間違いなく、人生で最高の500マイルでした」

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カテゴリー: 佐藤琢磨 | インディカー