長崎県の雲仙・普賢岳で消防団員や報道関係者ら43人が犠牲となった大火砕流から26年を迎えた3日、被災地の同県島原市仁田町の追悼碑前に献花所が置かれ、市民らが犠牲者をしのんだ。
古川隆三郎市長は献花後、報道陣の取材に「災害には常に備えないといけない。教訓を後世に伝え、安全、安心な町づくりに努める」と語った。
献花所は同市平成町の消防団殉職者慰霊碑の前にも設置。発生時刻の午後4時8分、市内でサイレンが鳴らされ、市民らが黙とうする。
大火砕流は1991年6月3日に発生。消防団員や警察官、報道関係者らが犠牲となった。93年6月の火砕流でも1人が死亡し、96年6月3日に終息宣言が出された。
大火砕流から約1カ月後、天皇、皇后両陛下が被災地を訪ねて遺族らを励まされ、その後の被災地訪問の原型となった。〔共同〕