人間は、どうすれば悪を為さないかを調査した研究があります。 どういう状態だと、人間は悪を為さないかというと 「他人が見ていると悪を為さない」ということです。 逆に他人が見ていないと 「これくらいはOKでしょ?」やら 「頑張ってるからOKでしょ?」と 自分を納得させて悪を為すらしい。 この結果は、人間の脆さを示すもので、 切ない結果だと思われます。 人間というものは、人が見ていなければ、 「悪人」でも「泥棒」にでもなりえます。 しかし、他人の目があれば、「善人」でも「聖人」にもなるのです。 特殊な環境下におかれれば人は誰でも悪魔になり、 それを「ルシファー効果」と言います。 ルシファー効果とは、「スタンフォード監獄実験」を行った心理学者フィリップ・ジンバルドーが提唱した概念。 どんな人間でも周囲の同調圧力によって善人から悪人に変わってしまう可能性を孕んでいるというものです。 参照:普通の人が どうやって怪物や英雄に変貌するか 例えば、戦争で残虐行為をした人は、頭のイカレた特別な人ではなく 家庭を大事にするような人でも残虐行為を行うのです。 戦争という異常な環境の中では、誰でも残虐な行為を行う可能性が高いのです。 更に、「人が見てる時だけ善良な人」というのは、 調子の良い時は「有頂天」になり「天狗」になりますが 調子が悪くなると自信喪失してうつ気味になるのです。 もしくは、自暴自棄になって人生を棒に振るのです。 つまり、「他人の目」によって「正義」を行う人間は脆弱であり その脆弱性は如何に生じるのかというと、 自分自身を「卑下」しているから生じるということです。 つまり、「人が見ていないと悪くなったり」 「困難があると絶望したり」するのは、人間が脆弱だからであり その脆弱性は、「自分は大したことない生き物」という思い込みによって生じるのです。 例えば、もし仮に、貴方がある日「自分は神様だった( ̄^ ̄)」と自覚したら、 人が見ていようが見てない場合でも、悪よりも善を成そうとするでしょうし、 困難があっても、自暴自棄になることもないでしょう。 密教の根本聖典に「理趣経」というお経があります。 「理趣経は凡人は学ぶべきではない」と言われ、 密教の根本経でありながら、阿弥陀経や般若心経のような メジャーな経にならずに秘密の経として扱われます。 なぜなら、理趣経は「男女の交合は菩薩の境地である」とか 「女を欲望の対象として見ることは菩薩の境地である」とか エロ邪教のようなことが書いてあるからです。 非常に性の賛歌が多いのです。 更に、「妬む心や恨む心は清浄である」とか いわゆる人間の「罪」や「穢れ」をも「清浄」であると書かれています。 理趣経の世界は「汝ら人間の欲望は清らかで、欲望による喜びを追うことは菩薩行である」 と説く世界なのです。 なぜ理趣経が人間の欲望や人間の怒りや悲しみの感情をも肯定するのでしょうか? 理趣経が何故このような教えなのかといいますと 密教は、「修行して罪深い凡人が菩薩に昇格する」のが目的では無くて、 「菩薩になった状態で生活すること」を目的とするという点に答えがあるのです。 つまり、人間が生きたままで仏になるとしたら、 「人間の罪や汚れは本来は清らか」でなければ成らないのです。 なぜ人間の罪や穢れをも清らかでなければならないのかというと、 私が「どんな困難があっても負けずに善を為す」為には もしくは、「他人の犠牲になって死ぬことを選択する」為には、 私は「特別な者」でなければならないからです。 つまり、「どんな時でも利他行」を実践するには、 普通の人間であっては絶対に出来ない行為だからです。 仮に私が「特別な者」でないのならば、 お金があったり幸福な時期ならば出来ることも、 困難や理不尽な運命に遭遇したら、絶対に心が折れると思うのです。 富むときも貧しきときも、布施を行う者は 「特別な者」でなければ出来ないと思うのです。 密教の説法に、修行して空を飛べるようになった僧が、 綺麗な女性を見て性欲を起こし、 「やっぱし俺って凡人だΣ( ̄ロ ̄lll)」と思った刹那に墜落したという話があります。 しかし、「綺麗な女性を見て性欲を起こしても私は神様ですから」 「俺って神だからね( ̄^ ̄)」と思うのならば、墜落しないのです。 密教の凄い発見は、道徳的であるか否かという問題ではなく、 人間が人間を超える方法を体系化したことです。 その中心の教えとは、「私は超人である」と自覚することによって 様々な奇跡を起こすことができるということです。 ですから、即身成仏する為には、 すべて人間の本来の性質は清浄であり 汚れはまったく無い存在でなければ成らないという論理になるのです。 さて、このように密教を捉えると、 非常に「引き寄せの法則」と似ていることがお解りでしょう。 引き寄せの法則とは、望む未来を引き寄せる方法論ですが、 その中心にある論理は、「サイコサイバネティクス理論」であります。 「サイコサイバネティクス理論」とは、 「未来はセルフイメージによって決定される」ということです。 参照:サイコ・サイバネティクスの原理 強いセルフイメージがあれば、セルフイメージの鋳型にエネルギーを流し込み、 鋳型とおりの未来が作り出されます。 大事なのは、「恐れ・愚痴・悲しみ・疑い」といった心に染まらないこと。 そのような心が沸き起こってきたら、「我は神の一部であるからマイナスの感情は不要だ」と思うことです。 たとえ、不運や不遇に遭遇しても、「俺はダメだ」と思わないこと。 そのような事態でも、「我は神の一部であるから負けは無し」と思うことです。 また、悪に染まりそうな誘惑や怠けたい誘惑に遭遇した場合でも 「我は神様だから奉仕の精神は無くなさい」と自身を鼓舞することです。 私は「サイコサイバネティクス理論」を確実に実践しようと思うのならば 限りなく密教に近づくと思います。 そして、密教的な解釈をしない限り、 サイコサイバネティクス理論の本来の力は発揮できないと思います。 具体的な方法論は、 金剛菩薩が教える幸運体質になる方法を参考にして下さい。 twitterはこちら。 エイジの部屋 mixiもやってます。 Eiji Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。 |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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エイジさん、こんばんは〜。 |
カコ 2014/08/03 22:19 |
エイジさんこんばんは |
たぷ 2014/08/04 02:05 |
ひとりじゃ寂しくてどうしようもなく心細いときはどうしたらいいんでしょうか。 |
莉音 2014/08/04 20:14 |
『不遇に遭遇しても、ダメだと思わないこと。』 |
葉月 2014/08/04 20:37 |
密教は自力の宗教のようですが |
エイジ 2014/08/04 21:57 |
エイジさんこんばんは |
月の輪 2014/08/04 23:08 |
んんん? |
引きこもり万歳 2014/08/04 23:48 |
エイジさんこんばんは☆ |
Jane 2014/08/05 02:07 |
エイジさん♪ |
咲子 2014/08/05 04:22 |
米長邦夫さんは無頼派ですからね。 |
エイジ 2014/08/05 20:16 |
こんばんは。 |
ノスタルジア 2014/08/05 21:09 |
よくわかりません。。。 |
莉音 2014/08/06 23:57 |
やきもきしているのは私だけか(^^;) 夫が弟の嫌がらせで毎日当たるので私がどうしたらいいものかとエイジさんにご相談してしまいました。私だけが空回りしていたと思うので、夫の様子を観察してみます。エイジさん♪ありがとう♪ |
咲子 2014/08/07 18:03 |
こんばんは。 |
たぷ 2014/08/07 21:35 |
前回、詳しく解説して下さいと |
ららあ 2014/08/08 22:54 |
アン王女なんですね>ノスタルジアさん |
エイジ 2014/08/09 15:38 |
旦那さんの自己イメージが運命を引き寄せているので |
エイジ 2014/08/09 15:41 |
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